◆大航海時代概観
①ヨーロッパの世界侵略開始以前 (1400年代まで)
世界進出を本格的に開始する前のヨーロッパは、キリスト教が支配する、非常に閉鎖的な世界でした。
当時のヨーロッパでは、現在のように国家がはっきりと別れておらず、各地域を支配する王国が存在し、それらの王国はキリスト教を国教に定めて、ローマ法王庁という巨大なキリスト教団の影響下で国家を運営していました。
1400年代以前ヨーロッパは、イスラム教徒との宗教対立が絶えず、聖地奪還を掲げ十字軍戦争などを繰り返していました。
敵の勢力であるイスラム圏を通過する危険な旅により入手したアジアの国々との貿易品は、非常に高値で売買されていました。特に、肉食であるヨーロッパ人にとって、インドをはじめとするアジアの国々でしか栽培がされていなかった「胡椒」などの香辛料が、食肉の保存に欠かせない必需品となっていました。
1400年代後半になってくると、次第にアラブ地方でオスマン帝国というイスラム教勢力が拡大し、キリスト教徒であるヨーロッパ人はアジアまで陸路を旅することができなくなり、アジアの品々を求めるために、海路を利用することにします。
こうして500年間に渡り世界中を席巻したヨーロッパの植民地争い、大航海時代が始まりました。
②スペイン・ポルトガルの大航海時代 (1400~1600年代前半)
ヨーロッパ人が世界の植民地化を開始した当初、最も力のあった王国はスペインとポルトガルでした。
この二国は、「香辛料」をはじめとする貴重な品々の貿易を独占し、当時発明された羅針盤を駆使して海を渡り、インドを目指しました。スペインは大西洋を西へ、ポルトガルはアフリカ大陸にそって南下することでインドに先に到着しようとします。その結果、コロンブスを擁するスペインは、インドにたどり着くどころかアメリカ大陸を発見(1492年)してしまい、ポルトガルはアフリカ大陸の最南端(喜望峰)を回ることでインドにたどり着いたのでした。
インドまでの競争は、ポルトガルが先にインドに着きましたが、スペインが新大陸を発見したことで、両国は、今度はアメリカ大陸の開拓により力を注ぐことになります。
そしてこれ以後スペインとポルトガルは、アジアの植民地化に着手しつつ、アメリカ大陸の開拓にも魅せられ、中南米の植民地化に精力的に取り組みはじめます。
この二国は、本国からアフリカへ物資を輸出し、それらを売ってアフリカ人奴隷を買い、その奴隷たちをアメリカ大陸へ連行して中南米の開拓に従事させ、さらにそこで得られた富を本国(スペイン、ポルトガル)へ送るという、「三角貿易」と呼ばれる貿易形態を確立して莫大な富を得ました。
この二国はアメリカ大陸では、富を搾取するために容赦なくネイティブ・アメリカンを虐殺し、ヨーロッパとアフリカから持ち込んだ伝染病を蔓延させた結果、幾つもの種族が絶滅してしまいます。
▼なぜヨーロッパ人は異世界の住人に友好的でなかったのか
ポルトガル人やスペイン人たちは、なぜ平和的にアフリカやアメリカ大陸の人々と接することができなかったのでしょうか。その原因はひとえに「キリスト教の世界観」にありました。
当時、ローマ法王庁は、このスペイン・ポルトガル両国の貿易事業に莫大な資金を提供する代わりに、宣教師を同行させ、世界中にキリスト教を布教するよう命じていたのです。
そして、その「命令」は、次のような信じがたい内容のものでした。
①イスラム教徒やトルコ人はこれまでにキリスト教徒の国土を不当に占領し領有していたのであるから、彼らに対して行ってきた、また今後行うであろう戦争は正当である。
②救世主は未信徒を改宗させ、霊魂の救済を行うように命じ、自己の利害をかえりみない宣教師を派遣したので、彼らは布教地で優遇を受ける権利がある。彼らの言に耳を傾けなかったり彼らを迫害した者に対する戦争は正当である。
③布教事業を妨害も圧迫もしないアメリカ大陸の原住民についてだが、彼らは自然法に反する重大な罪を犯すような野蛮な悪習を守り、それをやめようともしない。こういう者の土地を占拠し、武力で彼らを服従させる戦争は正当である。
(『キリシタン時代の研究』高瀬弘一郎)
彼らにとっての布教は、異教徒をキリスト教に改宗させ、キリスト教勢力の拡大を図るための事業でしかなかったのです。
そして、それを拒否する異教徒に対しては、どんなに高圧的で非人道的な態度をとろうとも、ローマ法王が認めるところの「宗教的に正しい態度」であると信じられていたわけです。
つまり、バックに絶大な宗教的権力を持ったローマ法王の存在があったため、彼らは、異世界の住民から富を収奪することにも、奴隷化することにも殺害することにも、ほとんど罪悪感を感じることがなかったのです。
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