「WGIP」公職追放

・公職追放 百田尚樹の日本国記 参照

GHQが次に行なったのが「公職追放」でした。
GHQにとって好ましからざる人物と判断した人たちを様々な職場から追放したのです。
対象者は、「戦犯」や「職業軍人」など七項目に該当する人物でしたが、GHQが気に入らない人物は、それだけで追放処分となりました。

自由党総裁鳩山一郎は、首班指名を受ける直前に公職追放により政界から追放されました。
アメリカの原爆投下に批判的ともとれるインタビュー記事が朝日新聞に載ったことで、GHQから睨まれたからでした。
戦後初の総選挙で第一党となった政党の総裁でさえ簡単に追放してしまうGHQの恐ろしさに、以降、GHQの政策に異議を唱える政治家はほとんどいなくなってしまいました。
また朝日新聞も2日間の発行停止処分を受け、それ以降、アメリカやGHQを批判する記事を書かなくなりました。

また名称こそ「公職追放」となっていましたが、実際は公職だけでなく民間企業からも追放されました。
当時、日本は貧しく、ほとんどの人が食うや食わずの生活で、社会保障の制度もありませんでしたから、職を失うことは死活問題でした。

GHQは新聞社や出版社からも多くの人物を追放し、言論人や文化人にも及びました。
「文婆春秋」創刊者であり作家の菊池寛凱、読売新聞社社長の正力松太郎、映画監督の円谷英二、作家の山岡荘八などの著名人だけでなく、無名の記者や編集者も多くいました。
代わりにGHQ の指名によって入ってきたのは、彼らの覚えめでたき人物たちでした。
これにより、多くの大学、新聞社、出版社に、「自虐史観」が浸透し、GHQの占領が終わった後も、「WGIP」を積極的に一般国民に植え付けていくことになるのです。

大学や新聞社で追放を免れた人たちの中にも、追放を恐れてGHQの政策に対して批判的なことを口にする者はいなくなりました。

GHQの公職追放はその後も財界、教育界、言論界と広い範囲で行なわれ、その数は約206,000人に及びましたが、追放に協力した日本人が多数いたのは間違いなく、彼らの多くは共産党員ならびにそのシンパであったといわれています。
前述の教職追放の時も、同じ日本人同士の密告や讒訴が頻繁にあり、そうした空気を嫌って多くの教員が自主的に職場を去っています。
また政治家の間でも、GHQを使って政敵を追い落としたケースもありました。
ちなみに前述の焚書にも、左翼系学者や言論人の協力がありました。

こうした事実を見ると、「教職追放」や「公職追放」は、単に思想的な問題だけではなく、日本人の誇りとモラルを破壊したということがわかります。

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