・「キリスト教徒の20万人虐殺計画」
最後に原理講論の「帝国末期にはキリスト教信徒に神社参拝を強要し、これに応じない数多くの信徒を投獄、または虐殺した。それだけではなく、八・一五解放直前の日本帝国主義の韓国キリスト教弾圧政策は、実に極悪非道なものであった。」という部分に関しても見て行きたいと思います。
これは「真の御父母様の生涯路程2」に書かれている「日本政府が1945年8月17日ごろに、およそ20万近いキリスト教徒を虐殺しようと計画していた」という「キリスト教徒の20万人虐殺計画」のことを指しているものと思われますが、果たしてこのみ言は真実なのでしょうか?
「キリスト教徒の20万人虐殺計画」の資料は探すことができませんので、当時の状況を分析してみることにします。
まず思い浮かぶ疑問は、大戦末期、朝鮮は日本によって統治されており、皇民化政策がとられていた朝鮮人は、日本人としての扱いを受けていました。
つまり朝鮮人は基本的には日本の敵ではなく、あくまでも味方であり、日本人でもあったわけです。
実際大戦末期には日本軍への朝鮮人志願兵も多く、志願倍率も約50倍にもなっていたと記録されています。
それでももちろん、朝鮮人は基本的に日本からの独立を望んでいましたし、反日・抗日運動の中心はキリスト教徒でした。
そのため日本はキリスト教徒にも神社参拝を強要したことも事実です。
しかし三・一運動以降朝鮮総督府の朝鮮統治方針は、武断政治から文治政策へと方針転換していたため、以降20年余りの統治期間中、日本統治に対する抵抗といえる抵抗が全くみられなくなっていたといいます。
もしその通りなら、目立った日本への抵抗運動は朝鮮国内では起こっておらず、上海臨時政府を中心に行われていたのかもしれません。
そんな状況の中、何故日本政府はわざわざ20万人近い朝鮮のキリスト教徒を虐殺する必要があったのでしょうか?
アメリカとの戦争に汲々とし、どのようにしたら国体を維持しながら日本は降伏できるかが、1945年当時の一番の課題だった日本にとって、8月17日ごろにわざわざ朝鮮人キリスト教徒を虐殺する理由も余裕もなかったはずです。
大戦末期の朝鮮と日本の状況を考えると、20万人近いキリスト教徒を虐殺する計画があったというのは到底信じがたい内容なのです。
このように分析すると、この計画も上海臨時政府から真のお父様のもとにもたらされた、デマ情報だったのではないだろうかと考えた方が合点がいくのです。
後々までも真のお父様はこのような内容を、み言としても語られていたと記憶していますので、真のお父様にとってはこのキリスト教徒の虐殺計画は真実だったのではないでしょうか。
真のお父様はちょうどこの頃、1944年10月に日本の警察によって共産主義者の疑いをかけられて京畿道警察部に連行され、45年の2月までの期間、苛酷な拷問を受けられています。
真のお父様は次のように語られています。「日本の監獄に入って拷問を受けて血を流す過程で、日帝がどんなに悪いかということを知りました。初めて韓国の悲惨な姿を知ったのです。このような民族を誰かが解放しなければならないという義務を感じたことも、監獄に入ってからです。」
驚くべきことに、共産主義者の疑いをかけられて監獄に入れられ、過酷な拷問を受けることによって「日帝がどんなに悪いかということを知りました」とあり、「初めて韓国の悲惨な姿を知った」とあるのです。
つまり1920年に誕生し、三・一運動後の朝鮮で暮らしていた幼少期から、日本へ留学した青春時代も含めて、日本に対し「残虐無道な行為をほしいままに」する国とは感じておらず、日帝の非道さも、韓国の悲惨な姿も感じていなかったということです。
実際文鮮明氏自叙伝『平和を愛する世界人として』を読んでも、原理講論にあるような帝国が滅亡する日まで続けられたとされる「老人から幼児に至るまで全住民を一つの建物の中に監禁して放火し、皆殺しに」するような圧政や、極悪非道とされる韓国キリスト教の弾圧政策も見出すことはできません。
逆に日本統治に対する抵抗が全く見られなくなったという事実を感じさせるような内容となっています。
しかしそんな真のお父様も、日本の警察によって逮捕され、苛酷な拷問を受ける中で初めて日帝の悪さを感じ、韓国の悲惨な姿を知り「このような民族を誰かが解放しなければならないという義務を感じた」ということです。
このように日本の警察に逮捕され拷問を受けることによって、真のお父様も反日・抗日の士として生まれ変わり、上海臨時政府からもたらされる情報も、全て真実として信じるに至ったのではないでしょうか。
それゆえ原理講論の「帝国末期にはキリスト教信徒に神社参拝を強要し、これに応じない数多くの信徒を投獄、または虐殺した。それだけではなく、八・一五解放直前の日本帝国主義の韓国キリスト教弾圧政策は、実に極悪非道なものであった。」という内容も、真のお父様の中での真実「キリスト教徒の20万人虐殺計画」を基にして書かれた内容なのではないでしょうか。
もちろんこれらの推論は、あくまでも状況証拠の積み重ねによる想像に過ぎませんので、ある意味想像だけで書かれた『朝鮮独立運動之血史』と、信憑性の程度は同じくらいでしかありません。
しかしどうしても大戦末期に「キリスト教徒の20万人虐殺計画」などという計画があったとは、にわかには信じがたいのです。
このように原理講論にある日本による蛮行の詳細を一つ一つ確認してみると、原理講論に書いてあるような日本人による一方的な蛮行とは違った側面が見えてくることと思います。
原因となった朝鮮人による蛮行には一切言及せず、事実を巧みに織り混ぜながら、ことさら日本の蛮行のみを強調し、事実とは全く異なる印象を与えてしまっているのが、原理講論にある日本人による蛮行なのではないでしょうか。
それはまさしく『朝鮮独立運動之血史』と同じような手法によって書かれた、全く同じテイストのする内容となってしまっているのです。
真のお父様はもちろんとして、原理講論を執筆された劉孝元先生が、大韓民国上海臨時政府の『朝鮮独立運動之血史』や、『独立新聞』に、大きく影響を受けていたであろうということが理解できることと思います。
私たちは原理講論は人類普遍の真理、真実と信じていますから問題は深刻です。
抗日運動をしていた真のお父様が、このような上海臨時政府によるいいかげんな反日的情報に操られ、さらにはGHQが行った東京裁判や、WGIP洗脳工作による日本の自虐史観をそのままを受け入れてしまっていたのなら、日本こそがサタン側国家であると思い込まれていたとしても、それは至極当然なことと言わざるを得ません。
残念ながら真のお父様の摂理観も、このような反日活動家たちによる、捏造された情報によって捻じ曲げられていたと判断するしかないのではないでしょうか。
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