朝鮮にキリスト教の基盤を築き、再臨主を迎える土台を作った日本

(六)朝鮮にキリスト教の基盤を築き、再臨主を迎える土台を作った日本

①アベル型キリスト教の流れ

キリスト教が堕落し、カトリックとプロテスタントの二つに分裂した時、神の摂理は新教・プロテスタントを中心に展開されるようになりました。つまりキリスト教はイタリア・ローマカトリックから、宗教改革の後にはプロテスタントが枝分かれし、プロテスタントの中にカルヴァン派が誕生してアベル型キリスト教を形成し、ピューリタンと共にイギリスへと渡っていきました。
ピューリタンはイギリスでは、プロテスタントに属するイギリス国教会によって迫害されるようになると、信教の自由を求めて今度は新大陸・アメリカへと渡っていきました。
1620年にアメリカ・プリマスに上陸したピルグリム・ファーザーズは、自分たちピューリタンを神の選民として捉えると同時に、アメリカ原住民をサタンの弟子とみなし、彼らを改宗させキリスト教の恩恵を与えることこそが自分たちの崇高なる使命、マニフェスト・デスティニーであると考えました。
後にピューリタンによって海外伝道組織アメリカン・ボードが設立されると、ピューリタンの中でも会衆派が中心となって日本へと渡り、1886年には日本組合基督教会が設立されました。
日本組合基督教会は、1910年の日韓併合時より朝鮮総督府の要請を受け、莫大な資金援助を受けて朝鮮伝道を繰り広げました。日本組合基督教会の朝鮮伝道によって生まれたのが、朝鮮におけるアベル型キリスト教神霊集団ではなかったかと思われます。今回はこの辺の詳細までは確認はできませんでしたが、日本組合基督教会の朝鮮伝道に始まるアベル型キリスト教神霊集団が、真のお父様を迎えるべくして用意された聖主教、腹中教、新イエス教会、イスラエル修道院等に繋がっていったのではないかと推測されます。

「真の御父母様の生涯路程2」には次のように書かれています。「キリスト教と神霊集団が、カインとアベルの立場に立つようになるのです。神霊的集団がアベルならば、神霊的でないキリスト教はカインです。」
そしてエバ的使命を持った金聖道氏、マリヤ的使命を持った許孝彬氏は、すべての既成教会から迫害を受け、同様に韓国にエリヤ的な火をもってきた李龍道牧師にも反対する者が出てきて、挙国的な煽動をされたとあります。
つまりアベル型キリスト教である神霊的集団を迫害した既成教会というのが、欧米由来のカイン型キリスト教だったろうと思われます。
真のお父様のみ言にもあるように、このような経路をもって日本から朝鮮にアベル型キリスト教が伝えられ、そのアベル型キリスト教の基盤の上に誕生された方こそがまさしく、真のお父様であったろうと思われます。

②李氏朝鮮末期のカトリック弾圧

日本と同じように鎖国政策を敷いていた朝鮮では、李氏朝鮮時代の王朝末期には、激しいカトリックの弾圧が行われていました。

●主なカトリックへの弾圧
・1801年、辛酉教獄(しんゆう):清国人宣教師周文謨・進士黄嗣永ほか300名あまりを処刑
・1839年、己亥教獄(きがい) :フランス人宣教師ほか200名あまりを処刑
・1846年、丙午教獄(へいご) :金大建ほか20名あまりを処刑
・1866年、丙寅教獄(へいいん):大院君政権は、迫り来る西洋列強に対しては強硬な鎖国・
 攘夷策を取りカトリックへの弾圧を強化し、1872年までの間に8千人あまりの信徒を殺害した。

しかし1876年、朝鮮が日本との間で日朝修好条規を締結したのをきっかけとして鎖国も解かれ、アメリカ、フランス、ロシアなどとも通商条約を結ぶことで門戸が開放され、キリスト教の布教も活発に行われるようになりました。
その結果1903年から1908年にかけては、朝鮮キリスト教のリバイバル(信仰復興)が起こり、平壌は東洋のエルサレムと呼ばれるほどに、急速にキリスト教が普及していきました。
その時に朝鮮に入ってきたのが、後に梨花女子大学や延世大学を設立し、李承晩大統領も信仰した、欧米由来のキリスト教、メソジスト派・長老派等のプロテスタント諸派でした。それら欧米由来のプロテスタント諸派が朝鮮ではカイン型キリスト教を形成し、日本組合基督教会由来のアベル型キリスト教と一体化することによって再臨主が韓国で受け入れられ、真の父母としての使命を果たせるように摂理が展開していきました。

③カイン型キリスト教による真のお父様への迫害

第二次世界大戦が終結し、李承晩政権が誕生したとき、カイン型キリスト教である韓国キリスト教会や李承晩政権は、メシヤとしての公生涯を歩み始めた真のお父様を受け入れることはありませんでした。
さらには北朝鮮においてもカイン型キリスト教会は真のお父様を受け入れることはなく、真のお父様は大同保安署や興南の強制収容所に収容されることとなりました。
大同保安署では生死の境をさまよわれるほどの拷問を受け、半殺しのようにして門の外に放り出して釈放されたところを、啓示によって巡回していた弟子たちによって発見され、真のお父様は九死に一生を得ることになります。
2年8ヵ月もの期間、苦役を強いられた興南の強制収容所では、韓国動乱時の国連軍による解放が、一日遅れていたならば処刑されていたほどに、ギリギリのタイミングで解放され、命からがら興南収容所から逃げ出すことに成功したのです。
最終的には梨花女子大・延世大を中心とした、二世を中心とした摂理においても、梨花女子大・延世大はもちろん、背後にいたアメリカ宣教師が真のお父様を受け入れなかったばかりか、李承晩政権を巻き込んで国家的迫害まで加えられたため、真のお父様は無実の罪で西大門刑務所に収監されることになりました。

こうして1945年当時のキリスト教を中心とした摂理はことごとく失敗に終わり、そのたびごとに真のお父様は牢獄へと追いやられ、命ギリギリのところで守られるということを繰り返しました。
神が2000年かけて用意された韓国キリスト教の基盤は、真のお父様と一体となって摂理を進めるどころか、何度も真のお父様の命まで奪おうとし、最終的に真のお父様が西大門刑務所に収監されることによって全て失われてしまったのです。
この1945年当時の摂理の失敗の原因を考えると、結局は第二次世界大戦当時、米、英、仏の天の側国家と称される国家が、実際は神の仮面をかぶったサタン側国家、つまりカイン型ヘレニズムであるユダヤ人国際金融資本勢力によって支配された国であったため、再臨主を迎えるための世界的基台を造成することができなかったことが遠因となったのであろうと推測されます。

このようなキリスト教を中心とした摂理の流れを見ると、まずは日本が朝鮮との間で日朝修好条規を締結したのをきっかけとして、欧米からカイン型キリスト教が朝鮮半島に流れ込み、1903~08年には朝鮮キリスト教のリバイバルが起こりました。
そして1910年の日韓併合時より朝鮮総督府の要請を受け、日本組合基督教会が朝鮮伝道を繰り広げることで、朝鮮におけるアベル型キリスト教神霊集団が形成され、真のお父様を迎えるための神霊的基盤が築かれたと推測されるように、日本はキリスト教国家ではありませんでしたが、朝鮮半島に再臨主を迎えるためのアベル型・カイン型双方のキリスト教基盤を築くためにも、決定的な役割を果たした特別な国であったことがはっきりと理解できることと思います。
つまり日本の働きが無かったら、李氏朝鮮はいつまでも清を宗主国として仰ぎ、鎖国を続け、カトリックの迫害を続けていたわけですから、朝鮮の地にキリスト教は根付くことはありませんでした。
それどころか朝鮮は迫りくるロシアの脅威に立ち向かうこともできませんでしたから、南下政策を推し進めていたロシアの属国となり、ロシア革命の後にはソ連の一部になっていた可能性が高かったのです。ソ連はもちろん唯物主義の国であり、宗教は禁止されていましたから、ソ連の一部となった朝鮮にはキリスト教など根付くはずもありません。

このように真のお父様が誕生されたときの朝鮮半島をめぐる国際情勢を分析してみても、日本による朝鮮統治が無かったら、朝鮮半島に真のお父様は誕生されていなかった可能性が高いですし、もし誕生されていたとしてもキリスト教と出会っていた可能性はほとんどなかったのではないでしょうか。
朝鮮半島にキリスト教を根付かせ、真のお父様を誕生させる基盤を作ったのは間違いなく日本であり、日本が朝鮮半島を統治しなかったら、1920年当時朝鮮半島に再臨の主をお迎えすることはできなかったというのが結論であることは間違いのない事実です。

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