7/1(水) 6:01配信
今日の日本は、安倍晋三首相の地球儀外交で国際社会の信頼を勝ち得ていると評されるが、毅然とした外交を支える軍事力を有しない。
また、国内でスパイなどを取り締まる法律もないため隙だらけで、国家といえるかさえ疑問視される。その実例が北朝鮮による日本人拉致である。
被害者や家族にとっては非情の日本である。わが子を取り戻すために半生を捧げ、94歳で亡くなった有本嘉代子さんと87歳で亡くなった横田滋氏らを思うといたたまれない。
国家主権を侵害して不法に連れ去られた日本人を取り返せない日本は「情けない」の一語に尽きるが、それは軍事力を放棄し、「宦官と化した日本」であるからにほかならない。
そうした実態を国民に教えない教育、政治、そしてマスコミに近因があり、憲法に遠因がある。こうして、戦後の日本は主権侵害に対してまともに対応できない『国防崩壊』の状況にあるのだ。
拉致問題を参考に、『国防崩壊』の状況を検証し、日本を成熟した「国家」に立ち直らせる素材としたい。
■ メディアは死んでいた
以下の拉致関係は、早くから行方不明者を追い続けてきた産経新聞元記者(最終・社会部長)阿部雅美氏の『メディアは死んでいた 〈検証 北朝鮮拉致報道〉』を参考にしている。
突然いなくなった日本人が北朝鮮に拉致されたことが判明したのは1985年で、今から35年も前である。
日本に侵入した北朝鮮のスパイの摘発は1950年から80年頃まで続いた。なかでも1977~78年には日本海側で多くの行方不明事件が起き、80年から83年には欧州留学生の行方不明事件も起きた。
こうした状況を総括する梶山答弁があったのが1988年3月26日である。
「昭和53年以来の一連のアベック行方不明事犯、恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚でございます」
家族の苦しみや思いを聞かれた梶山静六国家公安委員長の、共産党橋本敦議員に対する答弁である。
政府が初めて「北朝鮮」「拉致疑惑」を予算委員会の席上で明言した瞬間である。
ところが、これを報道したのは、産経新聞夕刊29行、日経夕刊12行だけであったという。他紙は無視である。
朝日、毎日をはじめとする全国紙の意識や感性が疑われる。
ある時記者会見が予定されたのをNHK記者が妨害に加担さえしたというから言語道断で、阿部氏が検証記事の表題を「メディアは死んでいた」としたゆえんである。
人命は地球よりも重いという日本で、ジャーナリストたちが日本人拉致という北朝鮮の国家犯罪を報道して国民世論を盛り上げなかった怠慢をどのように評すればいいのだろうか。
いや過去の話ではなく現在進行形でもある。
被害者家族も高齢化してどんどん亡くなっているし、政府認定外にも拉致の可能性がある日本人が数百人もリストアップされている。
近年のモリカケや「桜」事案の集中的報道には倒閣の企図があろうが、多くの日本人の人命救出はそれ以上ではあっても、決して以下ではない。
■ 間抜けな政治家たち
在日2世で高校まで日本で過ごした辛光洙(シン・グァンス)は原敕晁(ただあき)さんを拉致(1980年6月中旬)し北朝鮮に連れ出し、背(はい)乗りする。
1985年2月、日本人・原敕晁として渡韓し、ソウル市内のホテルに宿泊していたところを逮捕され、11月、ソウル刑事地方法院(地裁)で死刑判決を受けた。
その間の8月19日付朝日新聞(夕刊)「ルポ’85」は半ページを割き、「相次ぐ日本人拉致事件 北朝鮮工作員が暗躍か 旅券取得へ戸籍横取り」の見出しで、中身の濃い素晴らしい記事(阿部氏言)を書く。
その約4年後(1989年7月)、土井たか子、菅直人、江田五月、田英夫氏ら日本の国会議員130人余が署名した「在日韓国人政治犯(29人)の釈放に関する要望」を盧泰愚大統領あてに出す。この中には辛容疑者も含まれていた。
辛は金大中大統領による恩赦で2000年に釈放され英雄として北朝鮮に帰国する。
地村保志・富貴恵さんの拉致実行犯として2006年に国際手配され、まためぐみさんを拉致した可能性も高いが日本が問いただす道はふさがれてしまう。
政治家たちが署名する4年前には朝日新聞も大々的にルポ報道している。
阿部氏は「もし、議員たちが辛容疑者らによる日本人拉致・背乗りを知っていて署名したのであれば、間抜け(署名の事実を知った安倍晋三官房副長官は「間抜けな議員」と表現)で済む話ではない」という。
■ 日本の不甲斐なさ
朝鮮総連は新潟に入港する船に現金を積み込むために、屈強な若者たちが1億円も詰まったカバンを上越新幹線で東京から運び、新潟からは祖国親族訪問で大型貨物船「三池淵(サムジョン)号」や「万景峰号」などに乗って北朝鮮に渡る人たちに2000万~3000万円に小分けして袋に詰めて持たせている。
国内に朝鮮総連や北朝鮮に通じた分子がいても、そうした者を取り締まる者もいなかったし、拉致が分かった後も国家主権の発動を主張して政府や国を動かそうとしない。
主権侵害されるという国防の破綻・不在、すなわち国防崩壊が明確である。
めぐみさんを北朝鮮で見たという安明進氏は著書『北朝鮮 拉致工作員』で、「日本の人々は自国の治安組織が国民の安全を守ってくれると絶対的な信頼を寄せているかもしれないが、北朝鮮スパイにとってみれば、赤子の手をひねるようなもの」「日本の海上保安庁は武器は絶対に使わない。日本の法律でそうなっているのだから、スパイはほとんど恐れもしなかった」と語り、「日本侵入が一番やさしい」から、金日成政治軍事大学での成績が悪い者が日本担当にされたという。これ以上の日本侮辱はないであろう。
能登半島沖不審船事案では海保から海上自衛隊にバトンタッチされ「海上警備行動」として対処したがとり逃がし、その後に起きた奄美大島沖工作船銃撃事件では自沈されてしまう。
大変な武装に驚くが、能登沖事案で海自隊員が乗り組んでいたら全滅だったかもしれない。
帰国した蓮池薫氏は2017年、産経新聞社会部記者のインタビューに「なぜ日本は、我々を取り戻してくれないのか。不安、恐怖、焦り――。精神状態は尋常ではない」「彼らに強制的に従わされ、教育される。屈辱的で、つらかった」などと語っている。
美智子皇后(当時)は「何故私たち皆が、自分たち共同社会の出来事として、この人々の不在をもっと強く意識し続けることができなかったかとの思いを消すことができません」と文書で回答されている。
筆者は日本が人種差別撤廃を訴え、植民地解放に尽力したことなどを日本の名誉ある行動であったと機会あるごとに称えてきた。
しかし、自国民の救出ができないでいることが残念でならない。そして思う。明治から戦前までの政治家(やジャーナリスト)であれば、どのように身を処しただろうかと。
■ 今日の日本を見通していた三島
三島由紀夫が市ヶ谷の東部方面総監部で自衛隊の決起を促して失敗、割腹自決(1970年11月25日)して間もなく半世紀となる。
その時の檄文は「戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆく」と記している。
4か月前には「サンケイ新聞」に「果たし得てゐない約束―私の中の25年」を寄稿して、「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら『日本』はなくなつてしまうのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐる」と、市ヶ谷での状況を予告もしていた。
残念ながら、三島の予言は的中した。
1950年から日本海沿岸から侵入した北朝鮮のスパイが相次いで摘発され、スパイ網の存在も分かる。その後蜜入国が増大するが工作船をつかまえることはできず、日本国内には1000人の工作員がいたとされる。
1963年3月には秋田・能代の海岸にゴムボートとともに頑強な体格の工作員とみられる2人の遺体が漂着し、当時の金で400万円相当を持っていた。5月には漁に出た寺越武志氏ら3人が日本海で行方不明になる。
国内で捕まった北朝鮮のスパイは100人以上いるが、スパイ防止法がないために、出入国管理法や外国人登録法違反の微罪(執行猶予や懲役1年前後)で、ほとんどが北朝鮮へ帰っている。
有本嘉代子さんは生前「(娘恵子が留学先のヨーロッパから連れ去られた)証拠もあります。国にも県にもマスコミにもお願いしましたが、皆さん知らんぷりなんです。どうか助けてください」と、平成9年、初めて会った長瀬猛氏(当時芦屋市議、現兵庫県議会議員)にすがっている(長瀬論文、『正論』令和2年4月号所収)。
また、横田滋氏の長男で拉致被害者家族会事務局長の拓也氏は「どうしてこれほどまでに苦しい時間を強いられなくてはならないのだろうか、いつ拉致された被害者たちは日本に帰ってくることが出来るのだろうか」と自問自答する(横田論文、同上誌)。
こうした状況を許しているのは、いみじくも三島が見抜いていた通り、日本が「国家」ではなく、「極東の一角に残る或る経済的大国」でしかないからであろう。
なお、三島は自衛隊の決起を促し、決起しない自衛隊の不甲斐なさに失望したが、これこそは自衛隊が憲法の規定を逸脱しないでしっかりと文民統制(シビリアン・コントロール)に服する規律厳正な組織であることを実証している。
三島が糾弾すべきは政治やマスコミであったのだ。
■ 終わりに
政府はイージス・アショアの計画停止を受けて、2020年6月24日、国家安全保障会議(NSC)を開催した。
北朝鮮が核開発と弾道ミサイル実験を頻繁に繰り返していたとはいえ、イージス・アショアの導入決定は唐突の感をぬぐえなかった。
その後の配備予定先への説明も誤解を招く失態を頻出し、当該県ばかりでなく国民の防衛に対する意識に混乱をもたらしていた。
早急な国家安全保障戦略の策定とそれに基づく国防方針が明示されなければならない。
国家の存続を最終的に担保するのは陸上兵力である。諸外国はほぼ国民500人に1人の軍隊を有し、背後には現役の10倍前後の予備役を擁している。
しかるに陸上自衛隊は国民1000人(編制上は800人)に1人で、予備は現役の4分の1でしかない。
ちなみに北朝鮮は人民25人に軍人1人、韓国は50人に1人である。細部については高井三郎近著『国防体制の厳しい現実』に詳しい。
また、自衛隊では予算の大部分が人件費に消費され、研究開発や装備に使用できる予算は2割にも満たない。
そうした結果、訓練や日常の隊務運営に使用できる予算が逼迫し、訓練や隊内生活用品などを自前で準備することもしばしばである。
こうした窮状は小笠原理恵著『自衛隊員は基地のトイレットペーパーを「自腹」で買う』などが世に出て、国会でも漸く取り上げられるようになった。
国家の独立と平和を自分の命さえ犠牲にして守ろうとする自衛隊員に、国民も政治も予算は言うに及ばず、然るべき尊敬や名誉を与えていないのだ。至近の端的な例で締めくくろう。
黒川弘務東京高検長が賭け麻雀で訓告を受けた。これは口頭注意、厳重注意の上であるが懲戒処分ではない。同様の賭け麻雀で自衛官が受けた処分は3段階も重い懲戒処分の停職であった。
コロナ自粛中で、しかも認証官の身分にある高検長の処分と、並みの自衛官の処分は全く逆転していると思うのは筆者だけではあるまい。
自衛隊の置かれた状況が如実に反映しており、国民の無意識と、政治やマスコミ界の無責任が国防崩壊をもたらす因となっていることは言うまでもない。
森 清勇
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