「朝鮮が滅びたのは日本のせいではない」…屈辱の原因と過程に学べない文政権
9/5(土) 17:00配信
官僚の無能と不正腐敗ですでに救済不能に陥っていた大韓帝国末期
一国の浮沈を簡単に語ることはできない。しかし、韓国の歴史の授業時間では、1392年来、大韓帝国時代も含めて519年間続いた朝鮮が滅びた理由を簡単に整理してしまう。朝鮮が滅びた理由は、「朝鮮内部の問題と朝鮮半島をめぐる外国勢力の侵奪によるものだ」と。言い換えれば、内外の様々な理由が複合的に作用し、結局、亡国の道に入ったというのだが、国が滅びた決定的な原因は、日本の武力侵奪による強制併合にあると教えているわけだが、日韓関係史が専門の評論家・李東原氏は「それは事実ではない。朝鮮が滅びたのは日本のせいではない」「文在寅政府の誤った判断と無能は歴史に何一つ学んでいない」と説くのだった。
日米間軍事同盟を軽視して北に接近する文政権
朝鮮は結果的に日本によって併合されたのは間違いない。しかし朝鮮はその頃すでに、自ら存立できる能力を失った救済不能の国だった。
朝鮮が滅びた理由は官僚の無能と不正腐敗のためであって、日本の侵奪のためではなかったのである。
むしろ日本がいなかったら、朝鮮はもっと早く民乱、または西欧列強の武力によって敗亡する確率が非常に高かった国だった。結果的に、日本のおかげで数十年間、その命を延長することができたのだ。
朝鮮王朝を支える基本哲学は性理学だった。
性理学は「性命義理の学問」を略した言葉で、中国宋の朱熹が孔子と孟子の儒教思想を「性理・義理・理気」などの形而上学体系で解釈して集大成したものである。
朝鮮の儒学者は、道教と仏教が実のない空虚な教説を主張するとし、この性理学を朝鮮の統治理念とした。
朝鮮王朝初期の性理学は、王朝の統治哲学としては都合がよかったものの、次第に官僚など支配者階層を指す両班(ヤンバン)の利益を代弁し、大衆を包容する精神が希薄になり、実務よりは虚礼にこだわる傾向に流れるにつれ、社会を統制する統治理念としての機能を失うようになった。
性理学的世界観で武装した「士大夫」をはじめとする両班階級は、中央だけでなく郷村でも実質的支配者として君臨し、一般の民を搾取する存在であった。
驚天動地の中国の敗北から親ロシア政策へ
王の外戚という地位を利用した安東金氏(あんとうきんし)の60年に亘る勢道政治(1800-1863)。高宗(コジョン)の正妃で、その後を継いだ驪興閔氏(れいこうびんし)一族の売官売職と良民に対する搾取。
特にこれらが、朝鮮の官僚システムを根こそぎ壊した。
能力のある人材を選出する科挙制度は無力化し、中央の権勢家たちは金をもらって官職を売ることが日常茶飯事であったため、金で官職を買った人間たちは元金を取るために民を搾取し、その結果、全国的に民乱が絶えなかった。
1894年甲午年、古阜郡守趙炳甲(チョ・ビョンガプ)の貪虐に耐えかねた農民たちが蜂起した。
東学農民軍は湖南地域を拠点に、瞬く間に全国にその勢力を拡大した。当時、国政は無能な上に残酷ですらある閔妃と、彼女の一族によって徹底的に籠絡されていた。
しかも自らの力で、東学軍を鎮圧できなかった朝廷は、主国・清に鎮圧軍派兵を要請。
清の軍隊が出兵すると、1884年の甲申政変後、日清間で締結された天津条約により、日本も自国民を保護するため、朝鮮に軍隊を派遣した。これを機に、清国と日本が朝鮮の地と海で一戦を交えた。日清戦争である。
この戦争での中国の敗北は、朝鮮の識者層に大きな精神的衝撃を与えた。これは、東アジア地域で千年以上続いてきた、中国中心の世界観が崩壊する、まさに驚天動地する出来事だった。
これまで、ロシア、日本、フランス、米国などが朝鮮で利権を争い、朝廷を圧迫することが頻繁にあったにもかかわらず、自ら独立できず自強できなかった朝鮮は、中国に寄りすがり、辛うじて体面を維持していた。
しかし、19世紀末、中国の没落と急激に変化する東アジアの秩序の中で、中国につくか、日本につくか、右往左往していた閔妃とその一族は、結局、中国でも日本でもない、ロシアにへばりつくことにして、親ロシア政策を展開し始める。
自ら国を守ることができない国を助ける友好国はどこにもいない
さて、日清戦争勝利後、朝鮮で本格的に利権を得ようとした日本の計画は、閔妃の手管によって支障をきたし、これによって日本は目の上のこぶだった閔妃を除去するための工作に着手する。
日本は三浦梧樓を朝鮮駐在特命全権公使に任命し、三浦の指揮の下で浪人たちを動員して閔妃を残酷に殺害してしまう。乙未事変である。
閔妃殺害事件は、韓国人たちの日本に対する憎悪心と敵愾心を呼び起こす決定的事件だった。
閔妃は、殺害の動機こそ違うものの、日本でなくとも朝鮮の民たちに殺されたにちがいないと、私は思う。
言葉は極めて悪いが、彼女は韓国歴史上において、5本の指に入る悪女だった。
怖じ気づいた高宗は、そのままロシア公館に逃げて隠れてしまった。閔妃一派の除去に成功した日本は、興宣大院君を担いで、親日派を中心に内閣を整えている。
この時から朝鮮は亡国の道にはいったと言っても過言ではあるまい。
自分の庭で外国の刺客によって妻が無残に殺され、遺体が燃やされたというのに、王という者が見せた行動はとても口にするのも恥ずかしいものだった。
もし、このとき高宗が、ロシア公館に逃げ隠れることなく、日本の蛮行に対して「憤氣撑天」の決意を示し、徹底的に戒めることを世界に公表していたなら、おそらく朝鮮の運命は大きく変わったかもしれない。
今や列強は、先を争って朝鮮での利権を得ようと飛びついた。
それから1年後、ロシア公使館に身を寄せていた高宗が、ようやく世の外に出て大韓帝国を宣布し、自らを皇帝と称した。
それも朝野からの上訴をいやいや受け入れ、仕方なく行われた結果だった。しかし、すでに亡国の道に入った国が国号を変え、自らを皇帝と称し、死んだ王妃を皇后と追尊しても何の意味があるだろうか。
複雑な利害関係で絡み合っている国際政治の舞台で、自ら国を守ることができない国を助ける友好国はどこにもいない。
日韓の外交摩擦、日米韓安保破棄はかつての亡国の行状に連なる
その結果、朝鮮は35年間の植民統治という汚辱の歳月を甘受しなければならなかった。自業自得としか言えない結果だった。自らを保護できない無能な君主を戴くのは、人民にとっては恐怖でしかない。
近代中国の思想家・梁其超は、朝鮮のいわゆる指導層という者たちが、私利私欲に目が眩んで、国家に対する公的観念が希薄なことを嘆いた。
日本政府は日韓併合条約を公布する日にちをすでに決めていた。そこに大韓帝国の政府から、純宗皇帝即位記念日を迎えるにあたり祝宴を開くので、公布発表を数日延ばしてもらいたいと“陳情”があったという。
《この日、大宴会に臣下たちが集まって普段のように楽しみ、日本統監も外国使臣の例に従って、使臣らに交じって祝賀し喜んだ。世界各国のおよそ血気のある者たちは、韓国の群臣たちの達観した姿に驚かざるを得なかった》(梁其超「朝鮮の亡国を記録する」)
彼は、朝鮮は内部から崩れ落ちたとみた。
「朝鮮を滅ぼしたのは最初は中国人、続いてロシア人、最後は日本人だった。しかし、中ロ日人が朝鮮を滅ぼしたのではなく、朝鮮が自ら滅びたのだ」
2020年現在、従軍慰安婦問題と徴用工の賠償問題をめぐって行われている日韓間の外交摩擦。日米韓基本安保の軸を押し倒そうとする文在寅政府の誤った判断と無能。
それらは、これまで見てきた大韓帝国末期、この地で起こった亡国の行状とさして変わらない。
韓国は、歴史から何も学べなかった。
非難は飛び交うが、反省はない。月の形を論じて月を指せば、指が間違っていると言って月を見ようとしない。
為政者の腐敗と無能で国を失ったことが、さほど遠い昔のことではないのに、韓国は反省することなくこれを繰り返そうとしている。
よく人間は歴史から何も学べず、ただ繰り返すだけだという。
私たちが誤った歴史を繰り返すのは、歴史の結果だけを重視し、その原因と過程を軽視するからだ。
もし、私たちが自己催眠的な集団記憶にとらわれ、朝鮮の亡国の原因を日本のせいにすることで、私たちの過ちと過ちに目をつぶってしまうなら、恥辱の歴史を繰り返すかも知れない。
李東原(イ・ドンウォン)
日韓関係史が専門の評論家
週刊新潮WEB取材班編集
2020年9月5日 掲載
新潮社
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