19世紀後半の世界情勢

◆19世紀後半の世界情勢

19世紀後半の世界は、まさに戦国時代でした。イギリス・フランス・プロイセン(後のドイツ帝国)・オーストリア・ロシアの五大国が、世界の隅々まで領土のぶんどり合戦を繰り広げたのです。
アフリカ・アジア・オセアニアは西欧列強の侵略に為す術もなく、次々と植民地化していきました。

・アフリカ分割

1884年にはベルリン西アフリカ会議が開かれ、アフリカ分割のルールが西欧列強14カ国の間で取り交わされました。このルールに則り、西欧列強は早い者勝ちでアフリカ分割を行ったのです。
アフリカに住んでいる人々は激しい民族的抵抗を各地で繰り広げましたが、西欧列強の圧倒的な軍事力の前に膝を屈するよりありませんでした。軍事力に強い国が弱い国を侵略して奪い取ることは、当時の価値観では当然のことして受け止められました。

・植民地化するアジア

アジアもまた、明治時代に刻々と西欧列強によって侵略されました。
イギリスが300年の時をかけて、インド全領土をイギリスの軍門に降したのは明治維新の起こる10年前のことです。
よく「三国一の花嫁」という言い方に使われる「三国」とは、日本・中国・インドの三国を指します。かつて日本にとっては、この三国のみが世界のすべてでした。
日本にとってインドはあまりにも偉大な帝国でした。そのインドが、イギリスの完全支配下に入り民衆が塗炭の苦しみに喘いでいるという情報は、幕末の頃から逐一もたらされ、当時の日本人に大きな恐怖を植え付けました。

大国であるはずの中国もまた、アヘン戦争でイギリスに大敗を喫し、第二次アヘン戦争(アロー戦争)においても完敗し、領土の割譲を余儀なくされました。
1886年にはビルマがイギリスの植民地となり、1887年にはフランスが清からベトナムを奪いました。さらに新興国のアメリカもアジア侵略に乗り出し、ハワイ併合が1898年、米比戦争でフィリピンを支配したのも同じ年です。
1890年代の中頃にはタイを除く東南アジアのほとんど全域が西欧列強によって分割され、中国・満州・朝鮮・日本の極東のみが残されました。近代化を成し遂げることができなかった弱小国は平和を踏みにじられ強国に隷従する、まさに力こそが正義の時代でした。

・アメリカの膨張主義

19世紀後半から列強にのし上がった新興国のアメリカも、膨張主義を国是としてきました。
アリゾナ・ユ夕・ニューメキシコ・コロラドなどは今でこそアメリカの国土の一部として定着していますが、それらの地域の大部分は、元を正せば1846年に起きたメキシコとの戦争をきっかけに、かなり狭滑な手段で手に入れたものです。
南北戦争を経て19世紀後半になると海外への膨張はさらに拡大し、1912年までにアメリカは太平洋上に散在する多くの島嶼を新領土、植民地として獲得しました。
アメリカが目指していたのは、広大な人口を擁する中国市場故でした。中国市場をめぐって日本とアメリカは必然的に対立を深めていきます。

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