選民の歴史 キリスト教編
選民の歴史ユダヤ人編に続いて、今回からは選民の歴史 キリスト教編を始めたいと思います。
選民の歴史 キリスト教編の全編は、興味のない人にとっては、正直言って長たらしくて決して面白い内容ではないと思います。
しかし特に大航海時代から第二次世界大戦の終了に至る歴史は、今日の世界情勢、特に日本が置かれた情勢を理解するためには、避けては通れない内容であるため、あえて時間をかけて詳細に紹介したいと思います。
最終的には原理講論において、サタン側エバ国家と定義された日本の立場を、原理的により詳細に分析することによって、完全に論破できるのではないかと思います。
つまり日本がもしサタン側のエバ国ではなかったとしたら、今なお続く日本に対する献金摂理は、全く根拠を失うことになってしまうのです。
今までこの献金摂理によって、日本人食口たちがどれほど苦しめられてきたか、同時にこの献金摂理は永遠に続くだろうことは、想像するに難くありませんが、この日本人食口たちを苦しめてきた根本的根拠を完全に失ってしまうかもしれないということです。
選民の歴史 キリスト教編では、なかなかその結論にまで論を進めることはできませんが、忍耐強くじっくり読み進めていただくことによって、何故日本はサタン側のエバ国家ではないと言い切れるのかを、ご理解いただけるのではないかと思います。
ご一読よろしくお願いいたします。
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☆キリスト教の出発
ユダヤ民族が選民となれたのは、アブラハム家庭のアブラハム、イサク、ヤコブの三代にわたる路程において、ヤコブが長子の嗣業を復帰し、イサクからの祝福を受け、長男エサウを屈服することで、メシヤのための基台を復帰することができたからでした。そしてヤコブは天使との組内ちに勝利したとき、イスラエル(神の支配の意)の称号を得たのです。
その後もユダヤ民族はキリスト、救世主を待ち望み、民族として苦難の路程を歩みましたが、その蕩減の結実体として神が遣わされた神の一人子イエスを迎えた時、ユダヤ民族はイエスに逆らい、イエスを十字架につけることにより、イエスはその使命を果たすことができませんでした。
『ユダヤ教がイエス様を歓迎できなかった理由は、「メシヤが来ればすぐさまローマ帝国を征服し、さらにはユダヤの国が世界を制覇してしまうだろう」と考えていました』が、神様のみ旨は違ったというのです。メシヤが来たとしても、イスラエル民族を祭物とし、メシヤ自体も人類の僕の立場に立って、人類のために生きた後で初めて、栄光の日が来るということ。こうして、イスラエル民族の願いと神様とメシヤの願い、み旨の方向が食い違いました。神様とメシヤのみ旨は、世界を救い、人類を救い、歴史を正すためのものであるにもかかわらず、イスラエル民族は自分の国のために生き、選民の歴史のためのものであると思いました。』(神様の摂理から見た南北統一)
イエスを十字架につけたユダヤ民族は、選民としての立場を失ったばかりでなく、神の摂理をことごとく妨害する、サタンの先兵となってしまいました。
原理講論やみ言にも次のようにあります。
「イスラエル民族は、イエスを十字架にかけて殺害してしまったので、その後は、選民としての資格を喪失した。」(原理講論)
『イスラエル民族がイエス様を信じられないことから第一イスラエルは滅び、キリスト教が第二イスラエルとしてその相続権を引き継ぐようになったのです。言い換えれば、イスラエルの国家がイエス様のみ旨を受け入れなかったので、神様は第二イスラエルである全世界のキリスト教信者を通して二千年間の摂理を導いてこられたのです。』(神様の摂理から見た南北統一)
神はイエスを失い、神の選民ユダヤ民族を失ってしまいましたが、イエスは十字架によってその肉身をサタンに引き渡したのち、霊的洗礼ヨハネ使命者としての立場から、40日復活期間をもってサタン分立の霊的基台を立てることにより、「霊的な信仰基台」を復帰されました。
四方に散らばっていた11人の弟子たちは、イスカリオテのユダの代わりにマッテヤを選んで、12弟子の数を整え、復活されたイエスを命を懸けて信奉することにより、「霊的な実体基台」を造成し、それによって「メシヤのための霊的な基台」を復帰することができました。
キリスト教信徒たちは「メシヤのための霊的基台」の上で、霊的メシヤとして立たせられたイエスを信じ侍ることによって、霊的カナン復帰の路程を出発するようになり、神の摂理に失敗したユダヤ人に代わって神の摂理を担う第二イスラエルとして立てられることとなりました。
原理講論にも次のようにあります。
「イエスから始まった摂理をなしてきた中心民族は、キリスト教信徒たちであった。」
「旧約時代のアブラハムの血統的な子孫を第一イスラエルというならば、新約時代のキリスト教信徒たちは、第二イスラエルとなる。」
ペンテコステの日に、イエス・キリストが12使徒を中心とした弟子たちに「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリヤの全土で、また、地の果てに至るまで、私の証人となる」(使徒1:8)と語り、そこからイエスをキリストと信じ、イエスの教えを全世界に伝えようとするキリスト教が出発したと言われています。
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