・真のお父様のみ言に見る日本
ここで再び真のお父様のみ言「神様の摂理から見た南北統一」を見ていくことにします。
「アメリカ大陸を中心としていた神様の摂理が英国と同じ島嶼国家を経るようになるのですが、それがまさに日本という島国でした。神様は英国の祝福を蕩減するために日本に祝福を与えたので、日本は英国が失敗したことを蕩減しなければなりません。したがって、神様が日本を明治維新以後、経済大国として発展させたのは、英国の立場を蕩減して世界を救いなさい、というみ旨からでした。ところが、日本が露ほどでもそのような考えをもっていましたか。むしろ彼らは神社参拝問題を中心としてキリスト教を極度に弾圧し、戦後は共産主義の活動舞台にしたではないですか。」
「このアジアにおいて英国と同じ立場に立った国が日本なので、アジアを育て、アジアのための日本にならなければならないのです。しかし、そのような日本となることができず、自分の国のために生きるアジアをつくろうというサタン的な立場になってしまったのです。」
「日本は神様の名前を閉め出して、自分の国の民族主義的な女神天照大神に仕えるのです。中心が女性だというのです。では、それは神側ですか。どちらの側ですか。サタン側だというのです。サタン側なので、神様が今後アジアを中心として一つにしようとすることを知り、それをあらかじめ自分の手中に収めようとしたのです。」
以上真のお父様のみ言を見ると、残念ながら真のお父様も当時の摂理の情勢、国際情勢を正しくは把握できていなかったことが分かります。
これまで見てきたように、日本は当時、特に日露戦争以降は一貫してアジアのための日本になろうと努力し、犠牲を顧みずに近隣諸国を陰日向から支援していました。しかし米、英、仏、ソの圧倒的な軍事力にあがなうほどの国力はなかったために、正面切って米、英、仏の植民地支配に反対することはできませんでした。
真のお父様が語られるような「自分の国のために生きるアジアをつくろうというサタン的な立場」でアジアの侵略も行ってはいません。日本が第二次世界大戦で戦ったのは、あくまでもアジアを植民地として支配していた米、英、仏、蘭とであり、植民地となったアジアの人々と戦ったわけではありませんでした。「神様が今後アジアを中心として一つにしようとすることを知り、それをあらかじめ自分の手中に収めようと」はせず、むしろアジアを解放し、共産主義からアジアを守り、大東亜共栄圏を八紘一宇の精神でもって統治し、メシアを迎える土台を作ろうとしたのが日本だったというのが真相です。
また「日本は神様の名前を閉め出して、自分の国の民族主義的な女神天照大神に仕えるのです。中心が女性だというのです。では、それは神側ですか。どちらの側ですか。サタン側だというのです。」「彼らは神社参拝問題を中心としてキリスト教を極度に弾圧し、戦後は共産主義の活動舞台にしたではないですか。」などのみ言や、原理講論にある「帝国末期にはキリスト教信徒に神社参拝を強要し、これに応じない数多くの信徒を投獄、または虐殺した。それだけではなく、八・一五解放直前の日本帝国主義の韓国キリスト教弾圧政策は、実に極悪非道なものであった。」などのみ言のように、日本の天照大神信仰と、韓国キリスト教会に対する神社参拝の強要をもって日本をサタン側と断定されています。
真のお父様がこのようにおっしゃるのであればこれはこれで正しいのかもしれません。しかしこの考え方の中には、白人キリスト教徒による、異端者、または異邦人に対する発想と近いものを感じます。
また韓国キリスト教徒に対する迫害は、抗日運動の主力がキリスト教徒であったということから、当時の状況から見て当然のことであり、踏み絵のような意味合いで神社参拝を強要していた可能性も考えられます。しかしそれ以上に問題なのは原理講論にしろ真のお父様のみ言にしろ、反日的発想の根源にあるのは、上海臨時政府が拡散していた捏造された反日的情報がもとになっている可能性が高いということです。詳しくは稿を改めて詳しく述べたいと思いますが、後に日本において広がった、GHQによる日本人洗脳工作による自虐史観と同じテイストがするみ言が多いのです。
何故ここでこのようなことを問題にするかと言えば、この第二次世界大戦当時の神側、サタン側の区分がもし間違っていたとするならば、統一教会ができてから今日に至るまでの日本人に対する反日教育、「日本は元々サタン側のエバ国だった」という大前提が崩れ去り、摂理に対して責任を負わなければいけない、経済に対し日本が全面的に責任を持たなければいけないという日本人食口に対する呪縛は、根本から間違っていたということになるからです。
私たちは真のお父様をメシヤとして受け入れたその時から、真のお父様のみ言は無条件全て正しいとして、何の検証をすることもなく信じてきました。信じてきたからこそ韓国人指導者たちからどんなに日本の罪を突きつけられても、一言の弁解をすることもなく、言われるままに献金の要求にも従ってきました。その根本となる前提条件が完全に崩れ去るのです。
こうして今回改めて選民の歴史としてユダヤ人の歴史、キリスト教の歴史を、教科書にはない、一般常識として教えられてきたものとは違う角度から検証してみると、日本は第二次世界大戦当時、サタン側の国家などではなく、神のみ旨を担った、天の側の国家であったということが明らかになりました。
その事実を隠蔽し、サタン側として責め続けてきたのがGHQが我々日本人に押し付けた自虐史観であり、その自虐史観と同じ観点で書かれたのが原理講論であり、残念ながら真のお父様も自虐史観と同じ観点でみ言を語られていたことが分かりました。真のお父様も自虐史観におかされていたのか、それとも他の意図があったのかは分かりません。どちらかと言えば他の意図があったのだろうと信じたいところです。
もし他の意図があったとするならばどのような意図があったのでしょうか?
1945年当時の摂理は、真のお父様の誕生前、アメリカ、イギリスが国際金融資本の手に堕ちてしまった段階で既に失敗が運命づけられていました。アベル型ヘブライズムがカイン型ヘレニズムを屈服して初めて摂理に勝利できるようになっていたからです。国際金融資本が支配するサタン側国家、アメリカ、イギリスが第二次世界大戦に勝利することで、韓民族は選民としての位置を失い、真のお父様一代では摂理は完成できないことが決定してしまったのです。韓民族の代わりに真のお父様を信じる群れが第四イスラエルとなり、神の摂理を担っていくしか道はなかったのです。
真のお父様が知り得る当時の情報から見て、真のお父様も日本の自虐史観に囚われて、日本をサタン側国家と摂理を誤って見ていた可能性は高かったものと考えられます。しかし同時に神のみ旨を担うに最もふさわしい民族も、日本民族をおいて他にはないと考えていたのではないでしょうか。それ故日本は元々サタン側のエバ国だった、そんな罪深い日本を真のお父様は許し、愛し、祝福まで与えて下さったということを、ことあるたびごとに強調され、日本人には選民韓国人が犯したような過ちを犯させまいと考え、絶対的自己否定の道をあえて歩ませようとされたのではないでしょうか。
実際今日に至るまで日本人食口は、自分たちこそが摂理を担い、支えてきたのだと傲慢になることもなく、未だに自虐史観に打ちのめされつつ、どんなに厳しい献金の追及に対しても、誠心誠意神のみ旨に応えようと必死の戦いを続けています。
青年時代抗日運動を行っていた真のお父様だったと言っても、真実を知らずに、自虐史観をそのまま受け入れ、間違った国際情勢分析、間違った摂理観をもって私たちを導いておられたとは考えたくはありません。
現実には真のお父様といえども、摂理観を間違え、国際情勢を見間違えたことは数多くあります。最大の失敗例は、韓氏オモニムを真の母として立てきれなかったことです。真の母の裏切りによって、真のお父様が生涯をかけて築いてきた基盤は、ことごとくサタンに奪われてしまいました。最も身近で、最も重要な摂理に失敗するくらいですから、真のお父様の絶対性もその程度だったということです。真のお父様の語られるみ言も、真のお父様の業績も無条件全て正しいわけではないということです。
だからと言って真のお父様のメシヤとしての価値が落ちるわけではありません。真のお父様の最大の使命は、サタンを屈服し神の祝福を人類にもたらすことであり、罪のない神の血統をこの地上に残すことでした。人類史上誰も成すことのできなかった使命を、真のお父様は見事勝利されたわけですから、メシヤとして唯一無二の存在であるということに変わりはありません。
真のお父様を中心とした摂理も、勝利よりは失敗の方が多かったというだけです。
真のお父様は失敗するたびに蕩減条件を立てられ、自らが犠牲の道を行かれることによって失敗を蕩減復帰してこられました。韓氏オモニムの失敗も、文亨進様、國進様を立てられることによって蕩減復帰されています。私たちはそんな真のお父様のメシヤとしての絶対性と、人間文鮮明としての真実の姿を、正しく理解しなければいけません。
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