日本においては鎌倉時代に武士が天下を治めるようになってから、武士道の精神が日本人の心を形成する基本的な精神となってきました。
武士道の精神とは、義・勇・仁・礼・名誉・誠・忠義の7つの言葉で代表される精神です。
武士道の精神をもって朝鮮を統治すれば、朝鮮の地をダメにする古い悪習、身分制度を勇気をもって変革し、両班が行ったような朝鮮人に対する強圧的統治ではなく、礼と思いやりをもって正義の統治を行い、自らを犠牲にしてでも朝鮮の人々に尽くすことが自らの名誉と考える、それが日本人の武士道精神による統治と考えられます。
日本社会に根ざすヤクザの世界一つをとっても、昔のヤクザは任侠道を重んじ、「仁義を重んじ、困っていたり苦しんでいたりする人を見ると放っておけず、彼らを助けるために体を張る自己犠牲的精神」が根本にあったことを考えても、日本による朝鮮統治も、今回『サタン国家日本、罪の呪縛からの解放』で明らかにした統治の様子と矛盾がないと思われます。
実際朝鮮と同時期日本が占領していた台湾では、今に至るまで日本人の武士道の精神が生きていることも、前回の記事で紹介しました。
しかし私たちが教えられてきた自虐史観から来る朝鮮統治の姿は、そんな武士道の精神からかけ離れ、私たちにはにわかに信じ難いような悲惨なものでした。
日本近代史を知らない私たちは、違和感を感じながらも、自虐史観を教えられるままに受け入れるしかありませんでした。
しかしベトナム戦争に参戦した韓国軍のベトナム人に対する残虐な戦争犯罪行為を知った時、韓国軍が行った蛮行は、『朝鮮独立運動之血史』に見た、日本軍の蛮行そのままだということを感じてしまいます。
『朝鮮独立運動之血史』は、大韓民国臨時政府第二代大統領朴殷植の頭の中で創作された、想像の産物でした。何故朴殷植はあたかも見てきたかのような残虐行為を『朝鮮独立運動之血史』の中で描くことができたのか謎だったのですが、韓国軍のベトナム人に対する残虐な戦争犯罪行為を見ると、それは韓国人の根底に流れる残虐性が表現されたものであったのではないかと想像されます。
実際李氏朝鮮時代、朝鮮社会を支配した両班は、自分たちの欲望のままに振舞い、白丁等奴婢は同じ人間とは考えず、日常的に搾取し、残虐な扱いをしてきました。
伝統的日本人は、弱きを助け強きを挫くを美徳としてきましたから、日本には奴隷制度もありませんでした。しかし日本にも当然悪い人間は多くいましたから、朝鮮人、両班のような強いものには媚びへつらい、弱い者は徹底的に力で押さえつけるような悪人ももちろんいましたが、基本的にそのような精神は理解しがたいものがあります。
しかしベトナムにおける韓国軍の所業を見ると、戦時下という特別な環境下では理性が崩壊し、自分の欲望のままに行動する韓国人の真の姿、残虐性が炙り出されているように感じます。
女と見れば誰彼構わず強姦し、乳房をえぐり、惨殺する、また何百という乳幼児の惨殺体も発見されており、そんな悲惨なベトナム人女性、幼児の惨殺体がアメリカ軍兵士によって写真となって残されています。まさしく『朝鮮独立運動之血史』に描写されている、日本人の残虐性そのものです。
≪参考≫『朝鮮独立運動之血史』より
「平和的なデモをしていた朝鮮人たちを、日本軍警察が無差別に虐殺し、日本の軍警察は、馬に乗り剣をふるって横行し、デモ隊を乱撃した。また人の目を刺し、人の耳をもぎ、人の腕を切り落とし、人の鼻をそぐなどの残虐性をはっきした、一般市民も、少女とか、女性の性器を切リ、股裂きをした」
「日本は独立を妨害するために、あらゆる悪行を犯した。日本は独立を叫ぶ人々に向かって銃を撃ち、民家、教会、学校に火をつけた」
「10歳にならない少女と婦女子らが恥辱的な扱いを受け、身体を殴られ、幼い少女たちも残酷に殴られ、7歳以下の幼い少女ら300余命が殺害された」
聖書でイエスは、「あなたは、兄弟の目にあるちりは見えるのに、自分の目にある梁には、なぜ気がつかないのですか。」(マタイ7:3)と言いました。
またパウロは「あなたは他人をさばくことで、自分自身にさばきを下しています。さばくあなたが同じことを行っているからです。」(ローマ2:1)と言いました。
イエスもパウロも、人は自らの内にある罪を他人の中に見出し、自らの罪で他人を裁いているということを言っています。
つまり朴殷植が書いた日本人の残虐性は、日本人が行った残虐行為を描いたのではなく、朴殷植の中にある韓国人の残虐性が日本人という形で投影された、韓国人自身の残虐性そのものだったのです。
そんな韓国人の残虐性を『朝鮮独立運動之血史』を読むことで知った韓国人たちは、それが日本人による残虐行為であると信じ込み、日本人に対して憎しみをつのらせ、今日に至るまで反日という形で日本を攻撃し続けているのです。
また韓国人のもう一つの特性として、自分の行動を正当化し、非は一切認めない。嘘を平気で付いて悔い改めようとはしない。万が一自分の非を追及するものが現れれば、力で全力で阻止するため、暴力で押さえつけるというものがあります。
実際韓国軍のベトナムでの戦争犯罪行為を暴いたジャーナリストのク・スジョン氏やハンギョレ新聞に対し、鉄パイプを振り回して社屋に乱入し威嚇行為が行われました。
日本は朝鮮を統治するにおいて、朝鮮を蝕む根本原因は両班にあるとして、身分制度を廃止し、奴婢を解放し、多額の税金を投入しては朝鮮の近代化に寄与し、朝鮮人の生活向上を果たしました。
しかしそれは朝鮮の支配層であった両班にとっては、自分たちの利権を失うあってはならない改革であったために、『朝鮮独立運動之血史』を著し、自分たちの残虐性を日本人の残虐性として訴え、抗日運動を展開するに至りました。
同時に日本人は戦後、戦前の日本はすべて悪だったという自虐史観を、戦後日本の統治政策としてGHQによって植え付けられ、洗脳されてきたために、韓国人による捏造された歴史の真実を知ることもなく、一方的に悪者にされ、謝り続けてきました。
さらに統一教会では、日本はサタン側のエバ国だった、韓国は選民国家であり、神の選民であった韓国人を日本人は迫害したと教えられることにより、その罪の呪縛から逃れることはできませんでした。
私たち日本人が、韓国人による歴史の捏造、戦後私たちが受けてきた自虐史観、統一教会によって教育されてきたサタン国家日本という自虐史観から解放され、正しく天のみ旨に貢献するためには、正しい日韓の歴史を学ぶとことからスタートしなければいけないのではないでしょうか?
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