サタン国家日本、罪の呪縛からの解放

サタン国家日本、罪の呪縛からの解放

(一)サタン国家日本、罪の呪縛からの解放

私たちは統一教会に入ると、まず第一に教えられたのは日本はもともとサタン側のエバ国家だったが、恩讐をも愛する真のお父様の愛によって許され、神側のエバ国となることができたということです。
そして本来ならば神側のエバ国として、再臨摂理の大前線に立つことなどということは許されるはずもない罪深い日本人が、こうして真のお父様の愛によって許され、主の民韓民族と共に摂理を担うことが許されたわけですから、日本民族としての罪を悔い改め、誰よりも苦難の道を歩み、僕の僕となって摂理に貢献しなければいけない。神の摂理を担う万物と人材を天の前に責任をもって捧げなければいけないと教育されてきました。

全ては堕落の張本人、エバの蕩減であり、主の国韓国と、真のお父様を直接に迫害した罪深い民族としての、民族的蕩減条件を立てなければいけないということを、ことあるごとに徹底的に教育されてきました。

そしてその教育を受けた日本人食口たちは、その教育に疑問を抱くこともなく、ただ素直に、純粋にそのみ言を信じてきました。そして一生懸命に伝道し、自分の家や畑を売り払い、子供たちの教育資金をも摂理の名目で天に捧げてきました。
時にはヤコブの知恵を使えと教育され、霊感商法や訪問販売等で多くの人々を騙したとしても、全ては天のみ旨のためだと自己正当化してきました。たとえ騙されたとしても結果的に天のみ旨に貢献出来たらば、それが条件となって本人または子孫が必ず救われると信じて、非合法的な活動にまで手を染めてきた人もいます。

さらには親をも騙し、お金を借りれるだけ借りては教会に献金してきました。カード時代になってからは可能な限りカードキャッシングを行って献金し、挙句の果ては自己破産にまで追い込まれ、最終的に生活保護を受けざるを得ない貧困にあえぐ食口たちを生み出してきました。
実際統一教会食口の生活保護受給率は、一般人の生活保護世帯の受給率よりもはるかに高いと言われています。
そんな統一教会の実情は国の知るところとなり、今では統一教会員と知れると、生活保護さえも受けることはできないと言われています。

統一原理を知り、真の御父母様と出会い、統一教会員として祝福を受けることにより、誰よりも幸せな人生を送ることができると信じみ旨の道を歩んできたら、誰よりも惨めで、貧しい生活が待っていたのです。
しかしこんな惨めな人生、生きているときだけならばまだいいのですが、もし今まで教わった内容が間違いで、天に積んだはずの功労も実際は積まれていなかったとしたらどうなるのでしょうか?
さらには自らの人生を犠牲にしてまで捧げてきた献金が、天に積まれるどころか、サタンの活動資金になっていたとしたら、それは功労ではなく、逆に罪になってしまうのではないでしょうか?

ここではまず、私たちが統一教会に入ることによってまっさきに教えられてきた、日本はサタン側のエバ国であり、主の国韓国を40年間迫害してきた罪深い国という内容は本当なのかを、日本による朝鮮統治時代の真実を解明することにより、明らかにしていきたいと思います。
そして真のお父様を最初に迫害し、拷問を加えた罪深い日本人という内容も精査し、そこから浮かび上がる真実を明らかにしていきたいと思います。

①メシヤに対する思い込み

ここで私たちがついつい陥りやすい思い込みについて述べたいと思います。
例えば2000年間キリスト教徒たちが陥っていた思い込みの一つが、神は全知全能であり、完全無欠な存在だということがあります。それゆえ神の子としての人間が天使長によって堕落してしまったとしても、神は悲しみなどせず、天国で神として悠然としていると信じられてきました。
また神が全知全能なるがゆえに、神の子であるイエスも全知全能であり、使命に失敗することなどありえないと思い込まれてきましたから、イエスの十字架も最初から神の計画として予定されていたと信じられてきました。それゆえイエスは十字架につくために降臨されたと信じられてきたのであり、十字架につくことによって人類の罪を清算されたと信じられてきました。
これらは神の絶対性と完全無欠性に対する信仰であると同時に、神が悲しまれるとか、イエスは使命に失敗したなどと解釈することは、神とイエスに対する不敬とみなされますので、このように信じるしかありませんでした。

この2000年間のキリスト教徒の思い込みを、真のお父様は原理によって見事打ち砕かれ、人類始祖アダムとエバを失った神は悲しみの神であり、イエスの十字架は摂理に失敗した結果であることを解き明かされたのです。

同じような思い込みは我々統一教会員の中にも数多く見受けられます。
例えばメシヤについて、我々はどのように考えやすいかというと、

1、神が完全無欠の絶対神であるごとく、メシヤも完全無欠の絶対的存在である。
2、メシヤの御言も全て絶対的価値を持つ ⇒ メシヤの御言は無条件全て正しい。
3、メシヤは全ての面においてNO1 ⇒ 宗教、政治、経済、運動、芸術全ての分野でNO1である。

しかしメシヤとは、宗教的指導者としてはNO1であり、人類を原罪から解放できる唯一無二の存在であることは間違いありませんが、政治家として、科学者として、経営者として、芸術家としては、決してNO1などということはありません。NO1である必要もありません。
そこで私たちが意識しなければいけないことは、メシヤである真のお父様の御言にも二面性があるということです。
つまり、
1、神の代身者、メシヤとしての真理の御言 ⇒ 永遠不変の真理としての絶対的御言
2、人間文鮮明としてのお言葉 ⇒ 天才文鮮明氏の知識からくるみ言
というように、絶対的真理の御言と、人間文鮮明としての、一個人の知識から出るみ言の2種類があるということです。

例えば原理講論、統一思想、原理本体論や、8大教材教本等は永遠不変の真理としての御言が基本ですが、集会等で語られたみ言は、絶対的真理ばかりではないということです。つまり真のお父様のただの知識から出たみ言ということもありますので、間違う場合もありうるということです。

例えば真のお父様が、カラスは白いと言われた場合、メシヤが言われたみ言だからそこには我々には理解できない、何か深い意味があるのだろうと信仰的に捉えがちですが、実際はただの言い間違いだったりすることもあるということです。
特にお父様は、経済家でも、経営者でもありませんので、真のお父様の指示に従った結果、経営がうまくいかなかった企業体は数多くあります。もっともこれはお父様の失態というよりは、各企業体を任された韓国人指導者たちが、自分たちの私利私欲に走り、まともな企業経営などしなかった結果である場合がほとんどです。しかしそんな指導者たちを任命したのもお父様になりますので、お父様のみ言も絶対正しかったとは言えません。

今回扱う日本はサタン側のエバ国だったということにしても、今改めて検証してみると、真のお父様の語られたみ言の中にも間違った内容が多々見受けられます。
劉孝元会長の書かれた原理講論の内容もそうですが、真のお父様のみ言も、上海臨時政府の発表による日帝の悪逆非道さを訴えた報道に大きく影響されていると感じざるを得ません。今とは違い当時はインターネットなどありませんから、多方面の情報を集め、総合的に情報を分析することなどできなかったはずです。
上海臨時政府によって、韓国国内での日本帝国の朝鮮支配の悲惨な様子が伝えられれば、当然その情報を真実と受け取るのは致し方ありません。特に真のお父様も、文潤國ハラボジも、上海臨時政府との繋がりは強かったので、そこから発せられる情報は、基本的に正しいと思っていたはずです。
上海臨時政府第2代大統領朴殷植が1920年に著した『韓国独立運動之血史』を真実と取ってしまうでしょう。関東大震災時に上海臨時政府が機関紙「独立新聞」に「6000人の朝鮮人が虐殺された」とした根拠のない情報を載せたときも、真実と思ってとらえていたはずです。そういった偏った情報であったとしても、その偏った情報しか与えられていない状態でみ言を語れば、当然そのみ言も事実と違ったものになってしまうのは致し方ありません。

今回、日本による朝鮮統治時代を検証していったとき、残念ながらみ言の間違いともいうべき内容を、数多く発見することができました。
しかし最終的結論を言えば、それらすべての間違いをあえて犯してまでも、伝えたかった真実にまでたどり着くことができました。その真実というのは、単なる思い込みにすぎませんし、一つの可能性でしかありませんが、まさしく真のお父様の、真の愛がそこには込められていたと結論付けられるものでした。
ここではその結論に至るまで複雑なパズルを解くように、一つ一つの疑問を解明していきたいと思います。

≪参考≫ 聖書を見る観点
原理講論 再臨論
(一)聖書を見る観点
聖書を解釈するに当たっては、その観点をどこにおくかということが、最も重要な問題であるといわなければならない。
我々は、イエス以後2000年間も、洗礼ヨハネがその責任を完遂したという先入観をもって聖書を読んできたので、聖書もそのように見えたのであった。ところが、それと反対の立場から聖書を再び詳しく調べてみることによって、洗礼ヨハネは、その責任を完遂できなかったという事実が明らかにされたのである。
我々は、聖書の文字が物語っている、その真の意味を把握するために、従来とは異なる角度で、もう一度、聖書を詳しく調べてみる必要があるのである。

②歴史を見る観点

基本的に歴史というものは、勝った者によって、自分の都合の良いように後世に書き残されてしまうものです。
太閤記を見れば、百姓出身の秀吉が、信長に仕え立身出世し、最後には太閤にまで上り詰める、日本人が誇る最高の成功物語となっています。
しかし見方を変えれば秀吉は、日本史上まれにみる大量殺人鬼であり、さらには遠く朝鮮にまで出兵し、何の罪もない朝鮮人たちを一方的に攻め、殺し、今日に至るまで消し去ることのできない、日韓関係の最大の禍根を残した最悪の人間と見ることもできます。

今回ここで日韓関係史を研究していったとき、できるだけ中立的立場で、史実に忠実に検証を行いたいと思いました。
しかしそうするとどうしても何故か中間というよりは、左寄りなものの見方をしてしまうことに気がつきました。
なぜそうなるのかと思い分析してみると、そもそも戦後日本人が受けてきた教育が、自虐史観に基づいた左寄りな教育であったため、中間位置は実際の中間よりも左側に行ってしまうのに気が付きました。
つまり日本の自虐史観では、戦前の日本のものはすべて悪であり、戦後アメリカによってもたらされた民主主義や文化が、すべて正しいということが戦後日本の出発点にあったからです。
戦前の日本人は天皇陛下を中心に、皇国臣民として教育勅語を守り、お国のために生きるように教育されてきました。
しかしこのような単語を並べただけでも、薄汚れた黒塗りの街宣車で、大音量で軍歌を流しながら、自分たちの主張を一方的に喚き散らす右翼のイメージが頭に浮かぶことと思います。
韓国人や中国人に言わせると、安倍晋三首相や、橋下徹元大阪知事らは、バリバリの右翼政治家というレッテルが貼られています。彼らは本当に右翼政治家の範疇に入るのでしょうか?

冷静に左翼、右翼、右翼政治家と呼ばれる人たちの主張を見ると、左翼、右翼に分類される人たちの主張は、最初に結論ありきでその自分が導き出した結論に沿った理屈を後からくっつけてきます。
自分にとって都合のいい結論を肯定するために、都合の良い理屈を捜してくるのですが、それは真実であろうと偽りであろうと関係ありません。自己正当化できればそれでいいのです。

日本による朝鮮統治時代に関しても、慰安婦問題、徴用工問題にしても、すべて問題の根本は一緒です。
日本統治時代、日本人に対して良い印象を持っている人たちの意見は黙殺し、日本人に対して恨みを持ち、憤りを感じている人たちの意見だけを大々的に宣伝します。それは時にはお金を払ってでもそのような証言をしてもらうこともあるのです。こうやって反日的な思想は形成され、そんな反日の教育を受けた人たちが、真実は何も知らずにさらに過激な運動に走っていきます。
一方日本でよく見る右翼活動家たちにも同じような傾向がみられます。

しかし安倍首相、橋下元大阪知事らの主張は違います。
実際のデータを示し、史実に忠実に証明しようと心がけているのです。
それは日本のネトウヨと呼ばれる人たちにも共通しています。反日プロパガンダに反対し、ネット上で自説を主張する人たちの主張を見ると、中立的な立場で、史実に忠実に自説を論証しようと努めているのです。
嘘も百回言えば本当になるというように、反日的な主張はねつ造された根拠によるものであったとしても、いつの間にかそれが定説となり、多くの人たちに真実として信じられるようになってしまいました。
一旦定説になってしまうとそれを覆すのは簡単ではありません。
一つ一つ間違いを訂正し、真実を突きつけるしかありません。
そんな作業を行っているのがネトウヨと呼ばれる、ネット上の右翼的思考の持ち主たちなのです。
彼らは本当に右翼と呼ばれるべき人たちなのでしょうか?
よく街頭で見る右翼活動家の人たちとは全く違います。
機会があれば彼らは、右翼活動家に対しても批判を行うかもしれません。以前何かのテレビ番組で、橋下元知事が実際右翼活動家と、つかみかからんばかりのバトルを展開していたことがありました。
それと同じように、ネトウヨの人たちも右翼活動家に対しても、左翼的立場の人たちに対するのと同じような態度を示すのではないでしょうか?
彼らは右翼でも左翼でもない、史実に忠実な、本当の中立的立場をとる人たちが多いように思えます。しかしそんな人たちをも今はネトウヨと呼んで、右翼のレッテルを貼っています。

今回日本による朝鮮統治時代やその後の日韓の摂理を研究するに際し、ネトウヨの人たちを最初は右翼ととらえ、あまり参考にすべきではないと思っていました。
しかし彼らの記事をよく読むと、実に中立的で、史実に忠実に書かれ、参考となる記事が多かったため、彼らネトウヨの人たちの意見も、大いに参考にさせていただきました。
歴史を見るときは、右とか左とかいう前に、何が真実で、何が偽りなのかを見極めることが重要であり、その真実にたどり着くためには、まずは自分の思い、自分の立場を捨て去ることが重要なのではないでしょうか?
全てを捨て去ることができたとき、まったく新しい何かを発見することができるのかもしれません。

 

(1)原理講論、再臨論から

私たちは原理講論は永遠不滅の真理であると教わり、神山先生などはまるまる暗記したとも聞きました。
劉孝元先生が3年6ヵ月もの間、毎日16時間の原理講義を行うという精誠を捧げることによって書き上げた原理講論は、完全無欠の真理と思っていました。
しかし1966年に発刊された原理講論は、50年以上経った今、一部の内容は古くなり、今の時代には合わない部分も多くなってきました。

再臨論にあるサタン側の国家日本に関する記述も、下に示すように、明らかに事実とは違う記述が多く見られます。
それは真のお父様自身が抗日運動の闘志であり、上海臨時政府金九先生と連絡を取り合っていたという事実から見て、思想的に朴殷植著『朝鮮独立運動の血史』や上海臨時政府の機関紙「独立新聞」の影響を受けていたためだと思われます。
また劉孝元先生ももともとクリスチャンであったという事実から、やはり抗日運動家であった可能性も高く、真のお父様と情報を共有し、原理講論を書き上げたとみるべきでしょう。
今のようにインターネットが発達し、正確な情報を得ることの可能な時代と違って、自分の身近な情報にしか接することのできない環境にありましたので致し方ないことでもあります。

しかしいつまでも間違った情報をもって、事の真偽を判断することはできません。
たとえ原理講論にあったとしても、間違った内容はただの間違いでしかありません。私たちは正しい知識を学ばなければいけないのです。
特に原理を一般の人たちに述べ伝え、真理の伝道者となるのであったら、明らかに間違っている内容を伝えるなどということはできません。ただの無恥で非常識な人間となってしまいます。たとえ原理講論にあったとしても、間違いを認める勇気を持たなければいけないのです。
原理講論を勉強しないなどという食口は食口ではありません。
原理講論をそのまま丸暗記するのもいいでしょう。
しかし大人の信仰者としては、原理講論の内容を自らが体恤し、自由自在に語り、生活の中で実践できる者とならなければいけません。
そのような段階になったら、原理を学び感じた疑問には、自らが明確な回答を持たなければいけません。
今回ここで取り上げるサタン側国家日本に対する考察は、そんな大人の信仰者になるための一つのきっかけを与えてくれるかもしれません。

原理講論 再臨論
(三)東方のその国は、すなわち韓国である
韓国民族も、「40日サタン分立基台」を立てるためには、サタン側のある国家で、40数に該当する年数の苦役を受けなければならないのであり、これが日本帝国に属国とされ、迫害を受けた40年期間であった。
1905年に、日本の伊藤博文と当時の韓国学部大臣であった親日派李完用らによって、韓国の外交権一切を日本帝国の外務省に一任する条約が成立した。そうして、日本は韓国にその統監(のちの総督)をおき、必要な地域ごとに理事官をおいて、一切の内政に干渉することによって、日本は事実上韓国から政治、外交、経済などすべての主要部門の権利を剥奪したのであるが、これがすなわち乙巳保護条約であった。
西暦1910年、日本が強制的に韓国を合併した後には、韓国民族の自由を完全に剥奪し、数多くの愛国者を投獄、虐殺し、甚だしくは、皇宮に侵入して王妃を虐殺するなど、残虐無道な行為をほしいままにし、1919年3月1日韓国独立運動のときには、全国至る所で多数の良民を殺戮した。
さらに、1923年に発生した日本の関東大震災のときには、根も葉もない謀略をもって東京に居住していた無辜の韓国人たちを数知れず虐殺したのであった。
一方、数多くの韓国人たちは日本の圧政に耐えることができず、肥沃な故国の山河を日本人に明け渡し、自由を求めて荒漠たる満州の広野に移民し、臥薪嘗胆の試練を経て、祖国の解放に尽力したのであった。日本軍は、このような韓国民族の多くの村落を探索しては、老人から幼児に至るまで全住民を一つの建物の中に監禁して放火し、皆殺しにした。日本はこのような圧政を帝国が滅亡する日まで続けたのであった。このように、三・一独立運動で、あるいは満州広野で倒れた民衆は主としてキリスト教信徒たちであったのであり、さらに帝国末期にはキリスト教信徒に神社参拝を強要し、これに応じない数多くの信徒を投獄、または虐殺した。それだけではなく、8・15解放直前の日本帝国主義の韓国キリスト教弾圧政策は、実に極悪非道なものであった。しかし、日本の天皇が第二次大戦において敗戦を宣言することによって韓国民族は、ついにその軛から解放されたのである。
このように韓国民族は、1905年の乙巳保護条約以後1945年解放されるときまで40年間、第一、第二イスラエル選民が、エジプトやローマ帝国で受けたそれに劣らない迫害を受けたのである。そして、この独立運動が主に国内外のキリスト教信徒たちを中心として起こったので、迫害を受けたのが主としてキリスト教信徒たちであったことはいうまでもない。

①閔妃暗殺事件(乙未事変(いつびじへん))

原理講論
「西暦1910年、日本が強制的に韓国を合併した後には、韓国民族の自由を完全に剥奪し、数多くの愛国者を投獄、虐殺し、甚だしくは、皇宮に侵入して王妃を虐殺するなど、残虐無道な行為をほしいままにし」

⇒1895年10月8日に起こった「閔妃暗殺事件(乙未事変(いつびじへん))」のことを指すと思われる。
閔妃暗殺事件は、日本陸軍軍人三浦梧楼らの計画に基づいて、王宮に乱入した日本軍守備隊らによって王妃閔妃が暗殺された事件。
しかしこの事件は、王妃閔妃の政敵であった高宗の父興宣大院君(こうせんだいいんくん)が三浦公使と共謀して起こしたクーデターとの説も多く、複数の学説が存在している。

この事件は、日本による朝鮮統治期間以前の事件であり、日本人単独による蛮行でもなく、当時の李氏朝鮮内の政治闘争の一環であるにも関わらず、原理講論には全ては日本による残虐無道な行為のごとくに書いてある

≪参考≫

★乙未事変(いつびじへん)(Wikipedia)

★朝鮮王朝末期の混乱

・1875年日本軍艦を攻撃した江華島事件が発生、翌1876年に日朝修好条規を締結して日本側に謝罪。
それ以降閔氏政権は開国政策に切り替え、米・仏・露などとも通商条約を結んだ。

・1882年に大院君は閔妃暗殺を狙い、クーデターに動いた(壬午事変)。
この軍乱で日本も標的とされ日本公使館が焼き討ちにされ日本人が多数殺害された。
事変後には済物浦条約が締結され、日本に謝罪を行うとともに日本人保護のために日本軍の朝鮮駐留が認められた。
清によって復権した閔氏政権は、親日開明政策から開明に消極的な親清政策へ大きく転換する事になる。

・1884年12月、清国軍と朝鮮人によって日本公使館は焼き払われ日本人数十人が殺害された(甲申政変)。
事件後には守旧派によって開化派への処刑が徹底的に行われ、開化勢力は消滅し、清国の影響力が増大した。

・1894年には東学党の乱(甲午農民戦争)が勃発すると閔氏勢力は清に援軍を求めた。
一方日本も条約と居留民保護、列強の支持を盾に介入し、乱は官軍と農民の和議という形で終結するが、清軍と日本は朝鮮に駐屯し続けた。日本は閔氏勢力を追放し、大院君に政権を担当させて日本の意に沿った内政改革を進めさせた。

・1894年日清戦争が勃発し日本軍が勝利すると、朝鮮は清への服属関係を廃棄し独立国となった。
しかしその後、朝鮮は宗主国をロシアに変える動きを見せ、閔妃はロシアに近づき、親露政策を取る事になる。

1895年10月に閔妃が惨殺される(乙未事変)

②関東大震災

原理講論
「さらに、1923年に発生した日本の関東大震災のときには、根も葉もない謀略をもって東京に居住していた無辜の韓国人たちを数知れず虐殺したのであった。」

⇒関東大震災時に、数千人の朝鮮人を虐殺したというのは、今では常識的な内容となっています。
しかしこのことに関しても、史実を時系列に従い忠実に検証してみると、全く違ったものが見えてきました。

①在日朝鮮人たちによる暴動や火事場泥棒が多発。
②そのことを新聞記事によって注意喚起。
③その結果自警団を結成。
④自警団による多数の朝鮮人の虐殺。
⑤政府は、それ以上虐殺が起きないよう報道の規制措置を取る。

しかもこの在日朝鮮人たちによる暴動も、その背後には当時の共産党による共産革命のためのテロ行為があった可能性があり、そこには共産党と根元が同じ在日朝鮮統一民主戦線の朝鮮人が関与していた可能性もあるというのです。
しかし左傾化した日本では不都合な真実は隠され、歪曲され、無実の朝鮮人に対する日本人による一方的な虐殺と定着し、原理講論にも同じような主張が真理のごとく記載されているのです。

≪参考≫

関東大震災と朝鮮人虐殺事件の問題点
関東大震災における朝鮮人虐殺事件について全体像を把握するために知っておくべき3つのポイント。
1、「被害者の数の問題」
2、「当時何が起きたのかの時系列
3、予備知識としてこの問題における朝鮮総連と日本共産党の問題。

1:客観性の無い情報が事実のように飛び交う

「6000人の朝鮮人が虐殺された」とする情報は、近年日本では殆どこの数字が取り上げられることはない。
この数字は、元々「上海臨時政府(大韓民国臨時政府)」が震災当時に機関紙の「独立新聞」に掲載した数字で、何の裏付けも取られておらず、日本の公式記録では「自警団に殺された朝鮮人の数は231人」となっている。

2:特定の情報が隠されている

当時の新聞記事を時系列を追って見てみると

①朝鮮人による暴動や火事場泥棒が多発していた。
以下は震災当時の初報記事

   

以下は暴徒の鎮圧と「その後の風説報道」を否定する政府発表を報じる記事

   

以下は震災「1ヵ月後」に、風説によって発生した朝鮮人襲撃を防ぐ報道規制が解かれたあとの記事

   

②いくつかのメディアが「また朝鮮人による暴動が起きる」と煽った。
③「また同じ事が起きてはたまらない」と自警団が結成された。
④その結果朝鮮人殺害事件が発生した。
⑤政府は「風説による襲撃をさせないために」1ヶ月間詳細報道の規制措置を行った。

要するに、当時の記事から「暴動に参加したかどうかわからない」朝鮮人が数百名殺されたのは事実ですが、その前段階として朝鮮人移住者による治安の悪化、震災後の火事場泥棒や暴動があったのも同じく事実というわけです。
勿論、自警団による朝鮮人殺害事件は犯罪であり日本政府としても当時これを問題としていましたが、だからといってその前の段階で何が起きていたのかを隠すのもそれはそれで問題なのです。

3:朝鮮総連と共産党

当時の共産党というのは「武力闘争」による国家転覆と共産国家の建国を目指すテロ組織でした。
そして、朝鮮人の中にもこの活動に参加している人々が多数おり、彼らが「独立闘争」と呼んでいるものも、そのかなりの数が実は「共産革命のためのテロ行為」であり、震災後の混乱に乗じて多数の共産主義者がテロ行為を行っていたというわけです。

  
そして更に重要なのは、現在朝鮮総連と呼ばれている組織は、元を辿ると日本共産党と根元が同じであり、朝鮮戦争当時には在日朝鮮統一民主戦線(民戦)という下部組織をつくり、共産党とともに北朝鮮の側に立って在日米軍基地などへの武力闘争という名のテロ行為を繰り返していたのです。
つまり日本共産党は、当時共産党が行っていた震災に乗じたテロ行為も隠しており、更には朝鮮総連と根元が同じである事、朝鮮総連とともにテロ行為をしていた過去がある事も隠しているのです。
しかも、関東大震災における朝鮮人殺害事件には、共産党によるテロ行為も深く関わっているにも関わらず、その事を隠してこのようなプロパガンダを行っているという事自体本来は大問題です。

③堤岩里事件

原理講論

「日本軍は、このような韓国民族の多くの村落を探索しては、老人から幼児に至るまで全住民を一つの建物の中に監禁して放火し、皆殺しにした。日本はこのような圧政を帝国が滅亡する日まで続けたのであった。」

1919年4月15日の堤岩里事件のことを指すと思われる。
3・1運動が全国規模で拡大し、華城地域では暴動の様相を見せ、警察の駐在所が破壊され、日本人警官2人が殺害されたり、面事務所、郵便局、駅、金融組合、日本人小学校、日本人家屋が襲撃、破壊もしくは放火されるなどの被害が出た
デモの首謀者逮捕の目的で、成人男性22人を堤岩里教会に集め、取り調べの過程で反抗、逃亡があったので全員を射殺。証拠隠滅のために教会および付近の家屋に火を放った。総犠牲者は23人(近隣での殺害を含めると29人)
この事件が日本統治下での朝鮮人弾圧の最大の悲劇。
原理講論には、同様の事件が統治期間中継続的に、各地で続いたかのごとくに書いてあるが、実際は3・1運動を機に朝鮮総督府による統治体制が、武断的なものから文治的なものへと方針転換される契機となり、日本敗戦に至るまで大規模な運動は起こらなかったといいます。

≪参考≫

「堤岩里3・1運動殉国記念館」のHP
3月1日に始まり、全国規模で広がった独立運動は、華城地域では暴動の様相を見せ、警察の駐在所が襲撃、破壊され、日本人警官2人が殺害されたり、面事務所、郵便局、駅、金融組合、日本人小学校、日本人家屋が襲撃、破壊もしくは放火されるなどの被害が出た。また、頻繁にデモや演説が行なわれ、山では篝火がたかれ、日本人住民が避難するまでになっていた。
取り締まりの過程で、朝鮮人にも相当数の犠牲者が出ていた。
首謀者は、主にその地域のキリスト教徒、天道教徒であり、他の村では首謀者が逮捕されていたが、堤岩里ではまだ逮捕されていなかった。
そこに治安維持目的で派遣された有田中尉の歩兵部隊が、デモの首謀者逮捕の目的で、住民のうち成人男性(15歳もしくは20歳以上)22人を堤岩里教会に集め、取り調べの過程で反抗、逃亡があったので全員を射殺(うち1人は逃亡)、教会の外で犠牲者の夫人も2人殺害、証拠隠滅のために教会および付近の家屋に火を放った。総犠牲者は23人(それ以外に近隣の古洲里村で6人殺害。これを含めると29人)。

≪参考≫

三・一運動 (Wikipedia)
三・一運動は、1919年3月1日に日本統治時代の朝鮮で起こった日本からの朝鮮独立運動。独立万歳運動や万歳事件とも。
中心となったのは天道教やキリスト教、そして仏教の指導者たちである。彼等は会合を重ねて大衆化・一元化・非暴力の三原則を取り決めた。
3月1日午後、京城(ソウル)中心部のパゴダ公園に宗教指導者らが集い、「独立宣言」を読み上げることを計画した。

運動の広がり
発端となった民族代表33人は逮捕されたものの、本来独立宣言を読み上げるはずであったパゴダ公園には数千人規模の学生が集まり、その後市内をデモ行進した。道々「独立万歳」と叫ぶデモには、次々に市民が参加し、数万人規模となったという。以降、運動は朝鮮半島全体に広がり、数ヶ月に渡って示威行動が展開された。これに対し朝鮮総督府は、警察に加え軍隊も投入して治安維持に当たった。

被害
襲撃による日本側の被害を挙げると、人的なものは官憲の死者8名、負傷者158名であり、物的なものは駐在所159、軍・面事務所77、郵便局15、その他諸々27であったといわれる。

日本の対応
日本側は憲兵や巡査、軍隊を増強し、一層の鎮圧強化を行った。
こうした中、いくつかの悲劇が発生した。最も有名なのは堤岩里事件である。この事件は4月15日に堤岩里の住民30余名を教会堂に集めて一斉射撃の後放火焼殺され、他にも日本側が放火し15村落317戸が延焼し、39人が亡くなったというのが全貌である。

運動の終息
朝鮮総督府当局による武力による鎮圧(弾圧)の結果、運動は次第に終息していった。
逮捕・送検された被疑者12,668名。このうち有罪判決を受けたのは3,967名。死刑・無期懲役になった者、懲役15年以上の実刑になった者はいない。3年以上の懲役は80名。

影響と意義
三・一運動は、憲兵警察制度を廃止し、集会や言論、出版に一定の自由を認めるなど、朝鮮総督府による統治体制が武断的なものから文治的なものへと方針転換される契機となった。朝鮮人による国外での独立運動が活発化する契機となったことや、国内での合法的民族運動を展開する道が開けることになった。
三・一運動を招いた反省から、武断的な統治を文化統治へ大きく改めた結果、以降は日本統治に対する抵抗といえる抵抗がまったくみられなくなった。

犠牲者
朴殷植著『朝鮮独立運動の血史』
3月~5月に集会参加者延べ約202万、死傷者が7509名、負傷者が15961名としている。

日本警察の集計
3~4月11日、参加人数約49万、死者357名、負傷者802名
三・一運動期間中、6月30日までに逮捕され起訴された総数は26865人、第一審判決で最高15年から最低3月未満までの受刑者が22275名であった。
日本人の憲兵6名と警察官2名が虐殺され、多くの建物が放火されたにもかかわらず、死刑を一人も求刑せず、15年以上の実刑もなく、3年以上の懲役はわずか80人に過ぎなかった

朝鮮総督府資料から、参加人数約106万名、死者553名、負傷者1409名

・(朝鮮日報日本語版) 三・一節:国史編さん委が初の公式集計「運動参加者103万人・死者934人」
2019.2.21(木) 11:02配信 朝鮮日報日本語版

韓国の国史編さん委員会は20日、1919年3月1日に起きた日本からの独立運動である三・一運動の当時、80~103万人がデモに参加し、725~934人が死亡したとする集計を明らかにした。日帝(日本帝国主義)による既存資料に基づくデモ参加者数58万人、死者553人を最大で1.7倍上回る数値だ。

④8・15解放直前の日本帝国主義の韓国キリスト教弾圧政策

原理講論
「さらに帝国末期にはキリスト教信徒に神社参拝を強要し、これに応じない数多くの信徒を投獄、または虐殺した。それだけではなく、8・15解放直前の日本帝国主義の韓国キリスト教弾圧政策は、実に極悪非道なものであった。」

⇒日韓併合下ではキリスト教徒が抗日運動を担うようになり、1919年に発生した三・一運動ではキリスト教徒が主要な役割を果たした。
1937年皇国臣民ノ誓詞が発せられ、総督府は公然とキリスト教会への神社参拝を強要した。
このような事実は確認できるが、8・15解放直前の日本帝国主義の韓国キリスト教弾圧政策は確認できない。
原理講論にある日本による迫害の多くは、その根拠があいまいなところが多く、その思想は朴殷植著『朝鮮独立運動の血史』に近いところが多いことを考えると、帝国末期の実に極悪非道な韓国キリスト教弾圧政策も、その信憑性はかなり低いのかもしれない。

 

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