③日本の朝鮮統治

日本統治時代の朝鮮は、慰安婦問題、徴用工問題等、日本によって世界の歴史に類を見ない悪逆非道な仕打ちを受けた期間として、今日においても韓国、北朝鮮によって、全世界にその悲劇が訴え続けられています。
しかしほとんどの場合、植民地として欧米諸国の支配下に置かれた国々は、原住民は大量虐殺され、欧米に奴隷として売られ、劣悪な環境で人間扱いされずに搾取されるため、人口は減少し、平均寿命は短くなります
また教育や環境整備を行い、生活に自由とゆとりを与えた場合、抵抗運動が起こり、独立の機運が高まるため、決して現地に資本投資を行ったり、教育を施すようなことはあり得ません。

このような一般的植民地政策と、日本による朝鮮統治政策を比較したとき、明らかな違いを発見することができます。
韓国の国定歴史教科書によると1777年、総人口は1,804万人であったのが、日韓併合時の1910年には1,313万人となりました。それが1942年には2,553万人となり、併合時の倍近くになりました。
また平均寿命も1910年には24歳だったものが、1942年以降45~56歳へと急速に伸びています。
このことは、李朝518年の統治がいかにひどいものであったかを如実に証明していると同時に、日本統治時代の朝鮮は、生活環境が充実し、食料も十分に供給され、衛生、健康面も急激に向上したことを表しています
では実際、日本統治時代の朝鮮はどのような時代であったのか、資料と写真を見ながら検証してみたいと思います。

★日本統治時代の朝鮮(Wikipedia)より

1910年、大日本帝国は大韓帝国との間に結ばれた日韓併合条約の締結によって大韓帝国を併合し朝鮮総督府の統治下に置いた。日本の同盟国のイギリスやアメリカ、フランスやドイツ、中華民国などの世界の主要国はこれを認めた。
日本による統治期間は、1919年の三・一独立運動までの武断統治期、それ以降日中戦争に至るまでの文化統治期、および日中戦争、太平洋戦争から終戦に至るまでの戦時体制期に大きく分けられる。

併合当初の10年間は所得税の免税措置を行い、インフラ整備、近代教育制度や近代工業の導入など朝鮮半島の開発に力を入れ、開発工事や運営の主な労働力を朝鮮人に求めることで雇用を創出した。
30数年間で朝鮮半島につぎ込んだ日本国民の税金は現在の価値で63兆円にもなり、民間の投資額まで入れると80兆円をはるかに超えるといわれている。

一方で憲兵警察制度や、内地と同様の言論・結社の自由の厳しい制限など武断統治により、朝鮮王朝末期から続いていた抗日運動を抑えようとした。1919年には三・一独立運動が起こったが、日本の憲兵警察により鎮圧された。

三・一独立運動以後、朝鮮総督府は従来の統治政策を修正し、内地と同様に言論や結社の自由が与えられたため、朝鮮人による様々な民族運動が繰り広げられた。満州国と接する北部国境地帯では、共産主義国家であるソビエト連邦の支援を受けた朝鮮独立を掲げる共産ゲリラと朝鮮総督府との散発的な戦闘も発生している。

1929年にカーネギー財団から朝鮮半島に派遣されたアメリカ人記者らは、「日本は併合以来19年間にして、数百年間停頓状態にあった朝鮮と、近代文明国との間に渡り橋を架けてやった。…朝鮮人の苦しみもあるかも知れぬが、日本は莫大な利益をもたらしている」「李氏朝鮮時代よりも日本統治によって朝鮮人民は救われている」との評価をしている。

社会政策
朝鮮総督府により、これまで存在しなかった高等教育や義務教育制度や戸籍制度などの近代的な社会制度の整備がおこなわれた。公立学校では朝鮮語は必須科目であった。

身分解放
統監府は1909年に戸籍制度を導入し、白丁などの賤民にも姓を名乗らせて戸籍には身分を記載することなく登録させた。これにより、白丁の子弟も学校に通えるようになった。身分解放に反発する両班は激しい抗議デモを繰り広げた

教育制度
李氏朝鮮では一般人のための教育機関は皆無で、大多数の朝鮮人は読み書きができない状況だった。
朝鮮では1906年の時点でも小学校が全国で40校未満であり、両班の子弟は書堂と呼ばれる私塾で漢籍の教育を受けていた。
併合後、朝鮮語は公教育で必須科目として教授された
1924年に京城帝国大学が、日本で6番目の帝国大学として設立された。各種学校は1940年代には1000校を超えていた
1938年には「国語を解する朝鮮人」の割合が前年度の8%弱から13%強にまで伸び、1943年末で22%にまで伸びた

創氏
創氏とは、すべての朝鮮人に新たに氏を創設させ、家族を基礎とする日本内地の家制度に近いものに変更しようとしたものである。
創氏改名後は、朝鮮人はすべて先祖伝来の「姓名」に加え、新しく作った「氏名」が増え、2つの名を持つことになったのであり、姓名自体が抹消・変更されたのではない。
改名は任意とされていたため、創氏と同時に改名した者の割合は9.6%であった。

宗教政策
キリスト教は李朝はアヘンと同じようなものと警戒し、カトリックへの弾圧は断続的に行われた。
朝鮮におけるキリスト信者の成長率は世界のキリスト教宣教史上類まれなものであり、1895年に公称1590人の信徒が1910年には22万6791名に達した。
1920年に入ってキリスト教会が三・一独立運動の主要な組織者であったとして、キリスト教会への苛烈な弾圧を加えるようになった。

造林事業
1910年当時、特に南部の海抜の低い低地帯では若い木と禿げ山が大部だった。
造林事業は1911年には約4千町、1152万本だったが1922年までの累計は約36万町、10億本に至ったと報告されている。

経済
朝鮮は日本本土防衛の為の重要な要と政府は捉え、富国強兵政策に従い多額の国家予算を朝鮮半島に投じた。
これまで朝鮮半島にほとんど存在しなかった鉄道、道路、上水道、下水道、電気インフラ、病院、学校、工場など、最新鋭のインフラの整備を行い、近代教育制度や近代医療制度の整備を進め、朝鮮半島を近代化していった
鉄道路線は幹線ばかりでなく生活用の支線も多くが敷設され地方経済を活性化させた。
朝鮮総督府からの補助金による1,527件の農業用ダムと410件の水路の建設、5億9千万本以上の植林や砂防ダム建設などの水利事業も行われた。
右の写真は水豊ダム。
ダムによって形成された水豊湖は琵琶湖のほぼ半分に相当する。
1944年3月に竣工した水豊水力発電所の発電規模は60万 kW 。当時の世界最大級。
ちなみに1940年当時の日本国内の水力発電規模は280万 kWだった。
1920から30年代の朝鮮半島の経済成長率は年間約4%で、同じ期間の欧州(1%台)や日本・アメリカ(3%)に比べて、より高い成長をしている。

平均寿命
衛生面では、生活面における衛生指導や集団予防接種が行われ、当時朝鮮半島で流行していたコレラ、天然痘、ペストなどの伝染病による乳児死亡率が減少し、平均寿命は24歳から56歳まで伸びた。
また農地の開発や農業技術の指導により食糧生産量も激増したことで、人口は併合時(1910年)の調査では13,128,780人、1944年の調査では25,120,174人となり、平均寿命も併合時(1910年)24歳だったものが、1942年には45歳まで伸びた
食糧生産は年々増加し、併合前の1909年には746万石であった収穫高は、1918年には1529万石と2倍以上に、更に1942年には2489万石なった、

資本主義の萌芽
韓国や北朝鮮では、現在も朝鮮の資本主義の萌芽を李氏朝鮮時代に求め、「芽生えた朝鮮の資本主義は成長する前に日韓併合による植民地化によって1945年まで大きく抑制されていた」という説が通説となっている。
これに対し、ハーバード大学教授で朝鮮史が専門のカーター・J・エッカートは、李氏朝鮮時代の経済規模は同時代の日本や中国と比べて小さく、当時の商人と後の時代の資本家とのつながりがほとんど無いため、資本主義の萌芽が李氏朝鮮時代には存在せず、日韓併合による日本の政策によって生まれ、特に戦後の韓国の資本主義や工業化は、日本の朝鮮半島での近代化政策を模したものであると発表している。

朝鮮人の独立運動
1919年には三・一独立運動が起こって大規模な暴動にまで発展し、朝鮮中を巻き込んだ。この独立運動は約一年間続き、暴動と総督府側による取締りによって多くの死傷者がでた(運動家に殺害された者も多い)。事件直後に行われた調査結果を記した資料によれば、8,437人が逮捕された。しかし逮捕者への刑罰は主犯でも最高で懲役3年以下という軽いものであった。死者数は553人、負傷数は1,409人である。
当時上海に亡命中の朴殷植は『韓国独立運動之血史』に46,948人が逮捕され、7,509人が死亡し、15,961人が負傷したと記している。
女学生・柳寛順は三・一独立運動を扇動した罪で投獄、16才で西大門刑務所内で獄死した。

こうした中、いくつかの悲劇が発生した。最も有名な「堤岩里事件」は、4月15日に小学校焼き討ちと警察官2名の殺害の容疑で堤岩里の成人男性住民30余名を教会堂に集めたところ、取調べ中に容疑者1名が逃げようとし憲兵に斬殺され、それを見た他の容疑者が暴徒化した為に全員が射殺され、放火などにより15村落317戸が延焼し、39人が死亡した事件である。

朝鮮半島の人口推移

西暦朝鮮半島居住の朝鮮人
1753年730万人
1850年750万人
1864年802万人
1885年897万人
1891年788万人
1904年710万人
1907年1167万人
1910年1313万人
1942年2553万人

日韓併合とともに朝鮮人の人口は、驚異的に増加した。たとえば、韓国の教師用国定歴史(国史)教科書によると、1777年、総人口は1,804万人であったが、100年後の1844年には1,689万人で6.79%減少した。
さらに日韓併合時の1910年には、1,313万人となった。それが、32年後の1942年の人口は2,553万人で、併合時の倍近くになった。
このことは、李朝518年の統治がいかにひどいものであったかを如実に証明している。

――崔基鎬著 『歴史再検証 日韓併合の真実』より

≪参考≫

朝鮮併合の真実

日本統治時代の朝鮮(Wikipedia)より

李氏朝鮮(Wikipedia)

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このブログ記事は、このサイト『驕りし選民 繰り返される摂理の失敗』の一部を掲載したものです。

『驕りし選民 繰り返される摂理の失敗』は、今まで罪深いサタン国家と教育され、献金の無間地獄へと追いやられていた日本人を解放するためのサイトです。
実際は罪深いどころか、日本無くして1920年に真のお父様を韓半島へとお迎えすることはできませんでした。
日本が朝鮮半島に進出することにより、朝鮮にキリスト教が復興し、ロシアの侵略による共産化を防ぐことができました。
このサイトではこのような歴史的真実を明らかにすることにより、神と真のお父様の真の願いを追い求めたいと思います。

同時にこのサイトでは、本当に罪深く、自ら滅びの道を歩んでいるのは誰なのかを明らかにしていきます。 ここで明らかにされることにより、自ら悔い改め、滅びの運命から逃れることを期待するものです。

今回の記事は、 日本の韓国統治40年 の一部です。
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