5、久保木会長に語られた真のお父様の御言
2000年かけて神が準備された真のお父様を迎えるための基盤は、1945年当時であれば金百文牧師、許孝彬女史、朴ウルリョンハルモニら洗礼ヨハネ使命者たちの失敗により、文先生は再臨主としてキリスト教会に受け入れられることなく、逆に迫害を受けることになったということがわかりました。
そして文先生を北韓の地で、2度にわたり死の寸前まで追い込んだのもキリスト教徒達であり、韓民族であったということがわかりました。
さらには1955年ごろ、最後に残された一縷の望みであった梨花女子大学、延世大学を中心とした摂理においても、その中心人物であった朴マリヤ、李起鵬、金活蘭らが統一教会に反対し、李承晩政権を動かし、国家的な迫害を加えることにより、文先生は西大門刑務所に収監され、最後の望みも絶たれることとなりました。
全ては2000年かけて神が準備されたキリスト教、選民としての韓民族の失敗であり、中心人物たちの不信の結果でした。
これらは2000年前のイエス当時の選民であったユダヤ人たちの失敗であり、洗礼ヨハネの失敗と全く同じ失敗を繰り返してしまっていたのです。
しかし2000年前と違っていたのは、文先生は十字架について死ぬことなく、何度も死の淵にまで追い込まれながらも死を克服し、生きてみ旨を遂行し、数々の勝利圏を打ち立てることにより、み旨の勝利者となられたことです。
しかしこの勝利は、あくまでも文先生の勝利であって、キリスト教や、韓民族の勝利ではありません。
真のお父様の本音が語られていると感じさせられる証しを、777の大先輩である師観さんのブログより抜粋し紹介したいと思います。
師観のブログ 久保木会長から聞いた話(日本が韓国に代わって代理蕩減している)より
基元節の為に同じ宿泊所で宿泊した777双の者達の中には久保木会長のそばでみ旨に従事していた者がいましてあまり知られていないみ言を語ってくれました。
本来ならば韓国はメシヤを受け入れなかった時点でイスラエルのように選民ではないと言うのです。
それでも尚、選民の位置を保っていられるのは、アダム国家の失敗をエバ国家である日本に韓国に代わって代理蕩減してもらっているからだという。
これは久保木会長がじきじきにアボジから会長としてしなければならない使命として言われた事だと言う。韓国のすべての失敗をエバである日本に蕩減させるのでどうか韓国を選民からはずさないように神に懇願したと言う。
そう言うことならアダム国家を救う為に人肌脱いでも良いかという気持ちになりますが、そのことも知らずに当然の顔をして、韓国を併合した贖罪と思い込み威張ってごり押しをするとどうでしょう。
それが30年以上も続くと堪忍袋の尾が切れる人も出てくるでしょう。人に自分の借金を払ってもらっているのに、その人に感謝もせず、当然の顔をされると気持ちの良いものではないでしょう。
この間、777双と1800双を教会に招いて慰労会をお母様の計らいで開催していただきましたが、一人の古参の食口が10年間も教会に来なかった理由を語ってくれました。
それは自分のアベルである韓国のリーダーがその人の知り合いに、「お前も統一教会に入らないか。ここでは日本人を顎で使えるよ」と言った言葉に切れてしまったという。
これは彼の自己紹介の時に話したので、前宋会長も地区長も教区長も教会長も聞くハメになったのです。
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このブログ記事は、このサイト『驕りし選民 繰り返される摂理の失敗』の一部を掲載したものです。
『驕りし選民 繰り返される摂理の失敗』は、今まで罪深いサタン国家と教育され、献金の無間地獄へと追いやられていた日本人を解放するためのサイトです。
実際は罪深いどころか、日本無くして1920年に真のお父様を韓半島へとお迎えすることはできませんでした。
日本が朝鮮半島に進出することにより、朝鮮にキリスト教が復興し、ロシアの侵略による共産化を防ぐことができました。
このサイトではこのような歴史的真実を明らかにすることにより、神と真のお父様の真の願いを追い求めたいと思います。
同時にこのサイトでは、本当に罪深く、自ら滅びの道を歩んでいるのは誰なのかを明らかにしていきます。 ここで明らかにされることにより、自ら悔い改め、滅びの運命から逃れることを期待するものです。
今回の記事は、 再臨摂理を失敗したのは誰か? の一部です。
ご興味を持っていただけましたら、本文をお読みいただければ幸いです。
※テーマ一覧
サタン国家日本、罪の呪縛からの解放
日本の韓国統治40年
本来の摂理的エバ国家は日本!?
真のお父様 の監獄生活
驕りし選民 繰り返される摂理の失敗
文鮮明先生の摂理路程
再臨摂理を失敗したのは誰か?
再臨主を中心とした実体的復帰路程
それで日本はアダム国家の蕩減を背負ったので、お父様は苦労する日本を愛さざるを得なかったし、事実 韓国以上に日本を愛して来られたのですね。お父様が、日本人以上に日本を愛したよと言われる所以ですね。