⑨金九

真のお父様は日本での早稲田留学時代、韓国人留学生を管理する立場で、地下工作活動をされていました。
お父様は朝鮮学徒出陣反対運動をやっており、徴兵される朝鮮人留学生を、上海の臨時政府へと派遣していました。
北京で金九の指揮下に入った人たちは、後に中国でも有名になった人も多いといいます。
このように真のお父様とも関係が深かった金九ですが、その人となりを調べると、全く違った姿が見えてきました。

金九は、朝鮮の民族主義者、韓国の政治家、韓国独立党党首。
韓人愛国団を率い大韓民国臨時政府主席を務め、1962年、建国勲章大韓民国勲章を追叙された。
1919年以来、上海で臨時政府に参加し、大韓民国臨時政府の警察本部長、内務大臣、大統領代理、国務領(大統領)などを務めた。
1940年から1947年まで大韓民国臨時政府の主席であったが、李承晩と対立して1949年6月26日に暗殺された。

★鴟河浦(チハポ)事件 金九の起こした殺人事件
1896年、金九は鴟河浦の宿に宿泊した時、早朝に朝飯を終えて旅に出ようと思ったが、短髮で刀のようなものをさした人が食膳を先に要求すると女店員がその人に先に食膳を与えるので心で甚だしく憤慨した。
その人の本貫を調べると日本人なので『不倶戴天の仇』と思い胸の血が騒いだ。
日本人がわき目をしているうちに足で蹴り倒し、手で撲殺し凍った川に捨てた。
腹にあった財布からのお金で宿賃を支払った。
同年3月に家に帰って来てから海州巡使に逮捕された
強盗殺人犯として死刑判決を受けたが、特赦により減刑されたが後に脱獄。

・金九の証言(『白凡逸志』日本語版 平凡社(1973年)79ページ)
倭奴(ウェノム)の頭から足の先まであちこちを切りつけた。
二月の寒い明けがたのことで、氷が張っていた地面に、血が泉の湧くように流れた。
わたしは手でその血を掬って飲み、またその倭(ウェ)の血をわたしの顔に塗り付け…

今でも金九は、独立運動を指揮した英雄として、文在寅大統領をはじめとして、多くの韓国人からの尊敬を受けています。
金九は、1896年の閔妃殺害事件に憤り鴟河浦事件を起こし、日本人を敵視し、殺害したと言われています。
しかしこの殺人は、食事を注文した時に、女給が自分より先に日本人に食膳を与えるのを見て憤慨し、閔妃殺害にはなんら関係がない日本人の土田譲亮を日帝・日本人への懲罰として殺害したとのことです。
軍人でもないただの商人であった日本人を、いかなる理由があったとしても殺していいはずがありません。
朝鮮における1896年が、どれほど混とんとした年だったとしても、殺人はあくまでも殺人です。許されるものではありません。
しかも金九の証言を見ると、殺人を自慢げに証言している感じさえあり、実に猟奇的な臭いを漂わせています。

金九の指揮した暗殺やテロ行為を列挙してみると、

1921年、ソ連の政治資金が臨時政府に上納されていないという理由で、青年たちに韓国人の共産主義者たちの暗殺を指示。
1922年11月、金九が刺客を放ち、韓国人共産主義者金立が上海で狙撃殺害される。
1924年、満州の朴喜光と通じ親日派暗殺、主要公館破壊などを指揮。
1932年、韓人愛国団の李奉昌が昭和天皇暗殺を狙った桜田門事件、尹奉吉による上海天長節爆弾事件などのテロを指令。
1947年12月、韓民党の党首・張徳秀を暗殺した疑いで米軍の法廷に召喚される。

このように金九はいくつかの暗殺を指揮しただけでなく、国時先生の真とのお父様の秘史「救国への奇跡」を見ると、真のお父様をも暗殺しようとしたということが述べられています。

救国への奇跡-大東亜戦争の陰で-国時先生米国講演より
「1946年5月27日のお父様が急にお米を買いに行ったその帰り道に啓示を受けて、急に北に行ったということは、蒋介石の手先の金九の一味が、お父様の命に狙いをつけていたということです。」

金九というと、今でも韓国で最も英雄視される人物ですが、否定的な評価も現れてきました。
韓国の右翼論客の池萬元氏は「金九は現代版に解釈すればウサマ・ビンラディンのような人間。国を経営できる人間ではない。実力が足りないながらも李承晩に嫉妬した人間」と評論しています。

ジャーナリストの金完燮氏も「偏狭な儒教思想に凝り固まった無知蒙昧な人物」「金九については生まれつきの殺人鬼だと思わずにはいられない」と評論しています。

主の路程にも再三登場する金九は、真のお父様も認める独立運動の指導者というイメージでしたが、その実像を知ると意外な姿があったばかりではなく、お父様をも暗殺しようとした人物であった可能性が高いということです。
今改めて正しい歴史解釈の必要性を感じざるを得ません。

≪参考≫

金九(Wikipedia)
金九は、朝鮮の民族主義者、韓国の政治家、韓国独立党党首。韓人愛国団を率い大韓民国臨時政府主席を務めた。

1919年以来、上海で臨時政府に参加し、大韓民国臨時政府の警察本部長、内務大臣、大統領代理、国務領(大統領)などを務めた。1924年、満州の朴喜光と通じ親日派暗殺、主要公館破壊などを指揮し、韓人愛国団を組織して李奉昌の桜田門事件、尹奉吉の上海天長節爆弾事件を指示した。1940年から1947年まで大韓民国臨時政府の主席であったが、李承晩と対立して1949年6月26日に暗殺された。

1896年鴟河浦事件。食事を注文した時に女給が自分より先に食膳を与えるのを見て憤慨し、閔妃殺害にはなんら関係がない日本人の土田譲亮を日帝・日本人への懲罰として殺害した。金九は後に土田のことを日本陸軍中尉と記しているが、被害者の土田は長崎県出身の商人であった。殺害後金品を奪って逃走、捕縛され、強盗殺人犯として死刑判決を受けた。後に特赦により減刑され、さらにのち、脱獄する。

資料

倭奴(ウェノム)の頭から足の先まであちこちを切りつけた。二月の寒い明けがたのことで、氷が張っていた地面に、血が泉の湧くように流れた。わたしは手でその血を掬って飲み、またその倭(ウェ)の血をわたしの顔に塗り付け…
—金九、『白凡逸志』日本語版 平凡社(1973年)79ページ

1921年、ソ連の政治資金が臨時政府に上納されていないという理由で、青年たちに韓国人の共産主義者たちの暗殺を指示。
1922年11月、金九が刺客として放った呉冕稙と盧鍾均により韓国人の共産主義者・金立が上海で狙撃殺害される。
1932年、韓人愛国団の李奉昌が昭和天皇暗殺を狙った桜田門事件、尹奉吉による上海天長節爆弾事件などのテロを指令する。
1947年12月、韓民党の党首・張徳秀を暗殺した疑いで米軍の法廷に召喚される。

評価

肯定的評価
抗日独立活動が長期に渡ったことや右翼でありながら反共よりも統一志向に基づく活動をつづけたことに加えて、独立後早くに暗殺されたことも関係してか、南北朝鮮・左右両翼から比較的尊敬されている人物として稀有な存在となっている。

否定的評価
韓国の右翼論客であり軍事評論家の池萬元社会発展システム研究所長は「金九は現代版に解釈すればウサマ・ビンラディンのような人間。国を経営できる人間ではない。実力が足りないながらも李承晩に嫉妬した人間」と評論している。
2004年7月27日、ジャーナリストの金完燮も「偏狭な儒教思想に凝り固まった無知蒙昧な人物」「金九については生まれつきの殺人鬼だと思わずにはいられない」と評論して、ソウル高等検察庁に起訴された。

真の御父母様の生涯路程 1 より
韓国人留学生会地下活動
私は、日帝時代に地下工作をした人なのです。私はその時、留学生を管理していました。責任者だったのです。
玄界灘を渡り、釜山から安東まで列車の下に張りついて行くようにして、上海の臨時政府に派遣する、そのようなこともしました。そうして北京で金九先生の指揮下に入った者たちは、最近の情報によると、中国でも有名な人たちになりました。そのような地下運動をしたのです。

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このブログ記事は、このサイト『驕りし選民 繰り返される摂理の失敗』の一部を掲載したものです。

『驕りし選民 繰り返される摂理の失敗』は、今まで罪深いサタン国家と教育され、献金の無間地獄へと追いやられていた日本人を解放するためのサイトです。
実際は罪深いどころか、日本無くして1920年に真のお父様を韓半島へとお迎えすることはできませんでした。
日本が朝鮮半島に進出することにより、朝鮮にキリスト教が復興し、ロシアの侵略による共産化を防ぐことができました。
このサイトではこのような歴史的真実を明らかにすることにより、神と真のお父様の真の願いを追い求めたいと思います。

同時にこのサイトでは、本当に罪深く、自ら滅びの道を歩んでいるのは誰なのかを明らかにしていきます。 ここで明らかにされることにより、自ら悔い改め、滅びの運命から逃れることを期待するものです。

今回の記事は、 日本の韓国統治40年 の一部です。
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