⑫日本の韓国統治40年まとめ

⑫日本の韓国統治40年まとめ

1、朝鮮王朝末期の混乱とキリスト教の迫害

・朝鮮は清を宗主国として鎖国政策を取っていたが、西洋の列強諸国による解放圧力が加わる。
・李氏朝鮮最後の王高宗の実父大院君と王妃閔妃とが熾烈な政権闘争。
・キリスト教が弾圧され、数多くのキリスト教徒が処刑されていた。
・1876年に日朝修好条規が締結、以降閔氏政権は開国政策に切り替え、米、仏、露とも通商条約を結ぶ。
・プロテスタント諸派が朝鮮に宣教師を派遣。
・朝鮮は宗主国をロシアに変える動きを見せ、閔妃はロシアに近づき、親露政策を取る。
・1903年から1908年には韓国キリスト教のリバイバル(信仰復興)が起こった。
・1904年日露戦争が勃発し、日本が勝利し、1905年に第二次日韓協約が締結。
・1910年日韓併合の後、日本組合基督教会は朝鮮総督府より莫大な資金援助を受けて朝鮮植民地伝道を繰り広げる。

☆日本の朝鮮進出の結果
・キリスト教を迫害していた朝鮮が解放され、韓国キリスト教のリバイバル(信仰復興)が起こった。
・宗主国清国からの独立、南下政策を取っていたロシアを駆逐。
1917年にロシア革命が勃発しロシアは共産化、ソビエト連邦が発足、必然的に朝鮮も共産化されていただろう。
⇒1920年1月6日、文鮮明先生がメシヤとして韓半島に誕生することができただろうか?

2、腐敗した朝鮮王朝と日本の朝鮮統治

・李朝末期のソウル…この世で一番不潔な町、都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい。
・両班制度…両班は公認の吸血鬼であり、ソウルには『盗む側』と『盗まれる側』の二つの身分しかない。
・朝鮮の官僚…多くの者は搾取や不正利得ができなくなるという私利私欲のために改革に反対。
・1871、72年の飢饉…朝鮮政府は利得のために鎖国を固守し、食料買い入れよりも、国民の半数が死んでいくのを放置。

☆日本の朝鮮統治
・30数年間で朝鮮半島につぎ込んだ日本国民の税金は現在の価値で63兆円、民間まで入れると80兆円をはるかに超える。
・社会政策…高等教育や義務教育制度や戸籍制度などの近代的な社会制度の整備が行われた。
・身分解放…1909年に戸籍制度を導入し、白丁など賤民にも姓を名乗らせて戸籍には身分を記載することなく登録させた。
・教育制度…1906年時点で小学校が全国で40校未満、両班の子弟は書堂と呼ばれる私塾で教育。1940年代には各種学校は1000校を超えた。
・宗教政策…李朝はカトリックへの弾圧は断続的に行われた。1895年に公称1590人の信徒が1910年には22万6791名に。
・造林事業…1911年には約4千町、1152万本だったが1922年までの累計は約36万町、10億本に至った。
・経済…鉄道、道路、上水道、下水道、電気、病院、学校、工場など、最新鋭のインフラの整備を行い、近代教育制度や近代医療制度の整備を進めた。1,527件の農業用ダムと410件の水路の建設、砂防ダム建設など水利事業も行われた。
・平均寿命…衛生指導や集団予防接種が行われ、コレラ、天然痘、ペストなどによる乳児死亡率が減少し、平均寿命は24歳から56歳まで伸びた。また農地の開発や農業技術の指導により食糧生産量も激増し、人口は併合時(1910年)13,128,780人、1944年25,120,174人となり、平均寿命も併合時(1910年)24歳だったものが、1942年には45歳まで伸びた。
食糧生産は併合前の1909年には746万石、1918年には1529万石と2倍以上に、更に1942年には2489万石なった。
・資本主義の萌芽…資本主義の萌芽が李氏朝鮮時代には存在せず、日韓併合による日本の政策によって生まれ、特に戦後の韓国の資本主義や工業化は、日本の朝鮮半島での近代化政策を模したものである。(ハーバード大学教授、朝鮮史専門カーター・J・エッカート)

☆日本の朝鮮統治の結果
・両班制度と腐敗した官僚により、李氏朝鮮時代の520年間は文化的、経済的に停滞し、王朝末期には漢陽はこの世で一番不潔な町と言われるようになった。
官僚は私利私欲のために改革に反対し、一般民衆は疲弊し、自力では改革のできるような状況にはなかった。
・日本政府は30数年間で朝鮮半島に現在の価値で63兆円の税金、民間まで入れると80兆円をはるかに超える資金を投入し、朝鮮の近代化に寄与。
・衛生指導や集団予防接種、医療制度の整備、農地開発、農業技術指導、教育改革、身分制度の撤廃等により、民衆の生活は劇的に向上し、人口は併合時(1910年)13,128,780人だったのが、1944年には25,120,174人となり、平均寿命も併合時(1910年)24歳だったものが、1942年には45歳まで伸びた。

3、もし日本が韓国を統治しなかったら…ロシアによる統治
・1904年に日露戦争が勃発し、日本が勝利することによって、ロシアの南下政策に楔を打つことがでた。
・もし日本が朝鮮を統治していなかったら、朝鮮はロシアの支配を受けるようになっていた。
・1917年にロシア革命が勃発し、ロシアは共産化され、ソビエト連邦が発足したので、必然的に朝鮮も共産化されていた。
・1903年から1908年に起こった韓国キリスト教のリバイバルもなく、キリスト教徒たちは迫害の中に身をさらすようになっていた。
・このような環境の中で真のお父様が韓半島に生まれていたかどうか、またはメシヤとしての道を歩むことができたかどうか、非常に疑わしいと言わざるを得ません。
・再臨の主を韓半島に誕生させるためには、日本が朝鮮を統治するのが、最もふさわしい政治状況だったと言えます。
 日本でなければ、人類の真の父母様をこの地上に誕生させることが難しかったかもしれません。

4、大韓民国臨時政府

・真のお父様は日本留学時代、抗日運動の中心人物として、上海にある大韓民国臨時政府と連絡を取り合っていました。
・真のお父様の大叔父、文潤國牧師も、文家の財産や村人たちから集めたお金を上海臨時政府に送金していました。
・大韓民国臨時政府の初代大統領は李承晩。
・第二代大統領が『朝鮮独立運動之血史』を著した朴殷植。
・その体制は金九によって引き継がれました。
・李承晩大統領は、今日に至るまで韓国の反日思想の基礎を作り上げた独裁者であり、後の大量殺戮者でした。
・朴殷植は、反日の思想的根拠を捏造によって作り上げた張本人です。
・金九は、今でも独立運動の英雄として、多くの韓国人の尊敬を受けていますが、元々日本人を殺した殺人犯であり、数多くの暗殺を指揮したテロリストでした。
・『朝鮮独立運動之血史』によって、朝鮮統治時代の誇張された日本の迫害の様子が印象付けられました。
・機関紙「独立新聞」の報道で、関東大震災時に日本人自警団によって虐殺された朝鮮人の数が6000人となり、その数字が今でも信じられています。

5、金九

・金九は、朝鮮の民族主義者、韓国の政治家、韓国独立党党首。
・韓人愛国団を率い大韓民国臨時政府主席を務め、1962年、建国勲章大韓民国勲章を追叙された。
・1919年以来、上海で臨時政府に参加し、大韓民国臨時政府の警察本部長、内務大臣、大統領代理、国務領(大統領)などを務めた。
・1940年から1947年まで大韓民国臨時政府の主席であったが、李承晩と対立して1949年6月26日に暗殺された。
・真のお父様は日本での留学時代、韓国人留学生を管理する立場で、上海の臨時政府金九と連絡を取り、地下工作活動をされていました。
・お父様は朝鮮学徒出陣反対運動をやっており、徴兵される朝鮮人留学生を、上海の臨時政府へと派遣していました。

★鴟河浦事件、食事を注文した時に、女給が自分より先に日本人に食膳を与えるのを見て憤慨し、閔妃殺害にはなんら関係がない日本人の土田譲亮を日帝・日本人への懲罰として殺害した。
強盗殺人犯として死刑判決を受けたが、特赦により減刑されたが後に脱獄。

★金九の指揮した暗殺やテロ行為、
・1921年、ソ連の政治資金が臨時政府に上納されていないという理由で、青年たちに韓国人の共産主義者たちの暗殺を指示。
・1922年11月、金九が刺客を放ち、韓国人共産主義者金立が上海で狙撃殺害される。
・1924年、満州の朴喜光と通じ親日派暗殺、主要公館破壊などを指揮。
・1932年、韓人愛国団の李奉昌が昭和天皇暗殺を狙った桜田門事件、尹奉吉による上海天長節爆弾事件などのテロを指令。
・1947年12月、韓民党の党首・張徳秀を暗殺した疑いで米軍の法廷に召喚される。

★国時先生の真とのお父様の秘史「救国への奇跡」、金九は真のお父様をも暗殺しようとしました。
「1946年5月27日のお父様が急にお米を買いに行ったその帰り道に啓示を受けて、急に北に行ったということは、蒋介石の手先の金九の一味が、お父様の命に狙いをつけていたということです。」

・金九に対しする否定的な評価
池萬元氏「金九は現代版に解釈すればウサマ・ビンラディンのような人間。国を経営できる人間ではない。実力が足りないながらも李承晩に嫉妬した人間」
・金完燮氏「偏狭な儒教思想に凝り固まった無知蒙昧な人物」「金九については生まれつきの殺人鬼だと思わずにはいられない」

6、『朝鮮独立運動之血史』

・2019年3月19日、第100周年3.1節記念式における文在寅大統領の演説。
「朝鮮半島の全人口の10%におよぶ202万人が万歳運動に参加しました。7,500余人の朝鮮人が殺害され、16,000余人が負傷しました。逮捕・拘禁された人の数は、46,000人に達しました。」
・『朝鮮独立運動之血史』にある犠牲者数、集会参加者延べ約202万、死傷者が7,509名、負傷者が15,961名。
・文在寅大統領自身の反日の思想的原点が大韓民国臨時政府にあり、『朝鮮独立運動之血史』にあるということを示唆。
・韓国の天安にある韓国独立記念館の展示物の中にある、拷問を受けてるおぞましい蝋人形の数々は、『朝鮮独立運動之血史』で描かれた拷問の様子をリアルに再現したもの。
・『朝鮮独立運動之血史』は、大韓民国臨時政府の第2代大統領朴殷植による著作物。
朝鮮人の民族意識鼓舞の目的で1919年から1920年にかけて、亡命先の上海で、文献や伝聞、新聞資料等の資料から作成された。数値や事実関係の検証が徹底しておらず、多数の誤りが(韓国人の歴史家によって)指摘されている。

『朝鮮独立運動之血史』より
・日本について
「日本では母子が性交する」
「日本は国や個人財産に至るまで、みな狡猾と暴力によって奪った」
「日本はその野蛮な習慣を我が民族に強制し、倫理を冒涜した」

・1919年に起こった韓国独立運動(三一運動)について
「平和的なデモをしていた朝鮮人たちを、日本軍警察が無差別に虐殺し、日本の軍警察は、馬に乗り剣をふるって横行し、デモ隊を乱撃した。また人の目を刺し、人の耳をもぎ、人の腕を切り落とし、人の鼻をそぐなどの残虐性をはっきした、一般市民も、少女とか、女性の性器を切リ、股裂きをした」
「日本は独立を妨害するために、あらゆる悪行を犯した。日本は独立を叫ぶ人々に向かって銃を撃ち、民家、教会、学校に火をつけた」
「10歳にならない少女と婦女子らが恥辱的な扱いを受け、身体を殴られ、幼い少女たちも残酷に殴られ、7歳以下の幼い少女ら300余命が殺害された」

「歴史を偽造する韓国」 中川八洋 2002年 徳間書店より
「女子高等普通学校(当時の女子中等学校の名称)の廬永烈は、裸体で十字架の上に仰臥させられた。日本人は、後列の十字架の傍に炭炉を置き、鉄線を真っ赤に焼いて廬永烈の乳頭を三、四回刺してからその縄を解き、刀で四肢を断ちおとし、まるでまこも(菰)のように分切した。血が雨のようにしたたりおちた。…が質問して、「お前はこれでもなお『万歳』を叫ぶつもりか」と言った。彼女はこれに答えて、「独立が達成できなければたとえ死んでもやめない」と言った。…数日間も食事を与えないで、三日目にふたたび拷問を加えた。…やむをえず、衣服を抛(ほう)りかえしてよこし、きびしく警責を加えた後に釈放された。……」(231~2頁、212頁)

★三・一運動の犠牲者数

・『朝鮮独立運動之血史』
3月~5月に集会参加者延べ約202万、死傷者が7,509名、負傷者が15,961名としている。
・日本警察の集計
3~4月11日、参加人数約49万、死者357名、負傷者802名となっている。
三・一運動期間中、6月30日までに逮捕され起訴された総数は26,865人、第一審判決で最高15年から最低3月未満までの受刑者が22,275名であった。死刑を一人も求刑せず、15年以上の実刑もなく、3年以上の懲役はわずか80人に過ぎなかった。
・朝鮮総督府による公式数字は、参加人数106万人、死者553人。
・(朝鮮日報日本語版) 三・一節:国史編さん委が初の公式集計「運動参加者103万人・死者934人」
2019.2.21(木) 11:02配信 朝鮮日報日本語版
韓国の国史編さん委員会は20日、1919年3月1日に起きた日本からの独立運動である三・一運動の当時、80~103万人がデモに参加し、725~934人が死亡したとする集計を明らかにした。日帝(日本帝国主義)による既存資料に基づくデモ参加者数58万人、死者553人を最大で1.7倍上回る数値だ。
・襲撃による日本側の被害:官憲の死者8名、負傷者158名、駐在所159(警官のもの87、憲兵のもの72)、軍・面事務所77、郵便局15、その他諸々27。

7、李承晩大統領

・李承晩博士は、大韓民国臨時政府と、大韓民国の初代大統領。
・1919年4月10日、上海で結成された「大韓民国臨時政府」の初代大統領に就任。
・1948年8月15日、アメリカ合衆国後援の下、大韓民国政府樹立を宣言し、初代大統領に就任。

・独島(竹島)問題の発端となった李承晩ラインをはじめとして、今日まで日本と韓国間に横たわる問題の多くが、李承晩時代に端を発しています。
・李承晩大統領時代に朝鮮戦争が勃発し、共産主義者の粛清のため保導連盟事件をおこした。
・済州島四・三事件、国民防衛軍事件のような失政から国民の目をそらすべく、反日政策をいたずらに煽った。

★摂理的に見た場合、1945年当時李承晩大統領は、2000年かけて神が準備したキリスト教の基盤の上に立つカイン側の中心人物でしたので、真のお父様をお迎えし、神のみ旨をなす重要な役割を担っていました。

・「真のお父様の大叔父文潤國牧師は、李承晩博士と友達でした。
李承晩博士が韓国に帰国し国を立てた時、文潤國大叔父を必要とし、旌善にヘリコプターで三度も迎えに来たのです。
しかし文潤國牧師は「あー、私は政治はしないよ。信仰する人が政治をすることは……」こう言いました。
もし李博士と一つになっていれば、私が理論を中心として私が大叔父を説得しさえすれば、李博士一族と環境与件、キリスト教幹部のすべてのことを消化するのは問題なかったでしょう。」『真の御父母様の生涯路程2』より

・金百文牧師も、李承晩大統領と近い立場にありましたから、金百文牧師の集団がお父様と一つになっていたら、それが完成段階の集団となり、既成教会の牧師を連結し、政府と連結できました。

・梨花女子大事件当時、梨花女子大の副総長朴瑪利亜は李承晩大統領の夫人フランチェスカと繋がっていた。
また朴瑪利亜の夫李起鵬は、李承晩大統領の遠縁にあたる側近で、副大統領候補でした。
さらに李承晩大統領は、フランチェスカ夫人との間に実子がいなかったため、李起鵬の長男・李康石を養子に迎えていた。
そこで朴瑪利亜と李起鵬を中心として、総長金活蘭と統一教会が完全に一つになり、米国宣教師を屈服していたら、李承晩大統領、政府と一つとなり、一気にキリスト教文化圏であるアメリカに渡っていくことができた。

・これらの摂理はことごとく失敗し、真のお父様と李承晩大統領は直接繋がることはできず、2000年かけて神が用意したキリスト教のすべての基盤は失われてしまった。
・最終的には梨花女子大事件を通じ、李承晩政権によって統一教会は、国を挙げての迫害を受けることとなった。

★保導連盟事件
1950年6月25日朝鮮戦争が勃発、27日に李承晩大統領は保導連盟員や南朝鮮労働党関係者を処刑するよう命令。
韓国軍、警察は釜山にまで後退する一方、保導連盟に登録していた人民を危険分子と見なして大虐殺を行う。

★済州島四・三事件
1948年4月3日から1954年9月21日までの期間に、アメリカ陸軍支配下にある済州島で起こった島民の蜂起に伴う一連の島民虐殺事件。

★国民防衛軍事件
朝鮮戦争中に、韓国の国民防衛軍司令部の幹部らが、国民防衛軍に供給された軍事物資や兵糧米などを横領した事件。

8、朝鮮王朝末期から今日までの朝鮮民族の受難

★朝鮮王朝末期のカトリック弾圧
・1801年、辛酉教獄(しんゆう):清国人宣教師ほか300名あまりを処刑。数万人が犠牲になった。
・1839年、己亥教獄(きがい):フランス人宣教師ほか200名あまりを処刑。
・1846年、丙午教獄(へいご):金大建ほか20名あまりを処刑。
・1866年、丙寅教獄(へいいん):大院君政権はカトリックへの弾圧を強化し、1872年までに8000人あまりの信徒を殺害。

★三・一独立運動
・『朝鮮独立運動の血史』…集会参加者延べ約202万、死傷者が7509名、負傷者が15961名。
・日本警察の集計…参加人数約49万、死者357名、負傷者802名。
・朝鮮総督府による公式数字は、参加人数106万人、死者553人。
・三・一節:国史編さん委が初の公式集計…運動参加者103万人・死者934人(2019.2.21 朝鮮日報日本語版)

★保導連盟事件
朝鮮戦争時、韓国軍、警察は釜山にまで後退する一方、保導連盟に登録していた人民を危険分子と見なして大虐殺を行う。
・被害者は公式に確認されているもので4934人。
・「朝鮮戦争前後民間人虐殺真相糾明と名誉回復のための汎国民委員会」:虐殺された人数 60万人~120万人。
・1960年4月、全国血虐殺者遺族会が遺族の申告をもとに作成した報告書:虐殺された人数 114万人。
・韓国政府の「真実・和解のための過去史整理委員会」:子供を含む少なくとも10万人以上の人々を殺害、遺棄。

★済州島四・三事件
島民の5人に1人にあたる6万人が虐殺された。また、済州島の村々の70%が焼き尽くされた。

★国民防衛軍事件
9万名余りの韓国軍兵士が餓死したとされる。

★朝鮮動乱
韓国軍は約20万人、アメリカ軍は約14万人、国連軍全体では36万人の死傷者を出したといわれ、民間人の犠牲者の数は100万人とも200万人とも言われている。
また中国軍は10万から150万人(多くの推計では約40万人)、北朝鮮軍は29万人の犠牲を出したといわれている。

★その他の事件・事故
・1983年9月1日のソ連による大韓航空機撃墜事件での犠牲者は269人
・1987年11月28日の北朝鮮による大韓航空機爆破事件での犠牲者は115人。
・1995年6月29日の三豊百貨店崩壊事故での死者は502人。
・北朝鮮による拉致被害者の数は、公式認定された数だけでも486人。

私たちは統一教会に入教することにより、日本は韓国に対し許されざる罪を犯したと教えられ、その蕩減として経済に対して責任を持たなければいけないと教育され、一方的にその言葉を信じてきました。
しかし日本による朝鮮統治時代の真実を調べると、日本が朝鮮を統治しなかったら、朝鮮半島にキリスト教は根付かず、ロシアの共産化とともに朝鮮半島も共産化され、真のお父様をメシヤとして朝鮮半島にお迎えすることは難しかっただろうことがわかります。もし迎えることができたとしてもメシヤとして成長し、使命を完遂することも難しかったのではないでしょうか?

それだけでなく、520年間の統治により腐敗した朝鮮王朝を開放し、身分制度を破棄し、短期間のうちに近代化を果たした日本による統治時代は、暗黒の時代というよりは希望の時代でした。
その証拠が、朝鮮半島各地に建設された近代的建造物であり、人口は約2倍に増え、平均寿命も約2倍に伸びました。
日本による統治時代の負の歴史として今でも問題視される従軍慰安婦問題、強制徴用工問題は、捏造された事実に基づき、今でも賠償を請求されていますが、朝鮮、韓国の本当の負の歴史は、朝鮮王朝末期および、李承晩時代にありました。

朝鮮王朝末期には、キリスト教の弾圧が行われ、数十万人もの命が失われました。
大韓民国が建国されてからも李承晩大統領は一説によると、共産主義者として100万人以上もの無垢の国民を殺害し、近年までその事実は隠蔽されたままでした。
一方韓国人が国を挙げて攻撃し、謝罪を要求し続ける日本による統治時代は、三・一運動期間中、日本警察の集計で死者は357名、今年発表された国史編さん委の公式集計では死者934人とされています。
キリスト教徒の弾圧や、李承晩大統領による虐殺に比べると、桁違いに少ない人数と言わざるを得ません。

こうした客観的資料を比べると、日本は罪深いと言われ続けてきた内容は、確かに否定することはできない部分もありますが、日本以上に罪深い存在は他にもあった事実がわかります。
再臨主を迎える選民韓国人を迫害し、キリスト教徒を迫害したのは同じ朝鮮人であり、李承晩大統領であり、北朝鮮でした。
一方日本は、再臨主を誕生させるために韓国を保護し、キリスト教の土台を作り、再臨主を共産主義から守り、育成し、韓国の近代化に寄与しました。
見方を変えると、全く違ったものが見えてきます。
日本の罪について否定できない部分はありますが、罪の程度も正しく評価されるべきであると同時に、再臨主を迎えるために日本が積んだ功績も正しく評価されるべきなのです。

====================================

このブログ記事は、このサイト『驕りし選民 繰り返される摂理の失敗』の一部を掲載したものです。

『驕りし選民 繰り返される摂理の失敗』は、今まで罪深いサタン国家と教育され、献金の無間地獄へと追いやられていた日本人を解放するためのサイトです。
実際は罪深いどころか、日本無くして1920年に真のお父様を韓半島へとお迎えすることはできませんでした。
日本が朝鮮半島に進出することにより、朝鮮にキリスト教が復興し、ロシアの侵略による共産化を防ぐことができました。
このサイトではこのような歴史的真実を明らかにすることにより、神と真のお父様の真の願いを追い求めたいと思います。

同時にこのサイトでは、本当に罪深く、自ら滅びの道を歩んでいるのは誰なのかを明らかにしていきます。 ここで明らかにされることにより、自ら悔い改め、滅びの運命から逃れることを期待するものです。

今回の記事は、 日本の韓国統治40年 の一部です。
ご興味を持っていただけましたら、本文をお読みいただければ幸いです。

※テーマ一覧

サタン国家日本、罪の呪縛からの解放
日本の韓国統治40年
日本はサタン側のエバ国への疑問
真のお父様 6度の監獄生活
驕りし選民 繰り返される摂理の失敗
再臨摂理を失敗したのは誰か?

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