2019年3月19日、第100周年3.1節記念式において文在寅大統領は次のように演説しました。
「朝鮮半島の全人口の10%におよぶ202万人が万歳運動に参加しました。7,500余人の朝鮮人が殺害され、16,000余人が負傷しました。逮捕・拘禁された人の数は、46,000人に達しました。」
この文在寅大統領による、第100周年3.1節記念式という歴史的な場においてなされたこの演説は、『 朝鮮独立運動之血史 』を元にして語られたものでした。
『朝鮮独立運動之血史』には犠牲者数がそれぞれ、集会参加者延べ約202万、死傷者が7,509名、負傷者が15,961名と書いてあります。
それはとりもなおさず、文在寅大統領自身の反日の思想的原点が大韓民国臨時政府にあり、『 朝鮮独立運動之血史 』にあるということを端的に物語っております。
また韓国の天安にある韓国独立記念館の展示物の中にある、拷問を受けてるおぞましい蝋人形の数々は、『朝鮮独立運動之血史』で描かれた拷問の様子を、リアルに再現したものだといわれています。
この韓国における反日・抗日運動のバイブルともいえる『朝鮮独立運動之血史』 は、大韓民国臨時政府の第2代大統領朴殷植による著作物で、朝鮮人の民族意識鼓舞の目的で、1919年から1920年にかけて、亡命先の上海で、文献や伝聞、新聞資料等の資料から作成されたものです。そのため数値や事実関係の検証が徹底しておらず、多数の誤りが(韓国人の歴史家によって)指摘されています。内容については、民族主義を鼓舞するための記述であって、考証を意識した記述ではないとの指摘もあります。
つまり戦後最悪と言われる今の日韓関係は、朴殷植大韓民国臨時政府第2代大統領の、事実的根拠の薄弱な創作物によって引き起こされているといっても過言ではありません。
そればかりか日韓の良好な関係は、神の摂理にとっても、地上天国天上天国を建設するための要となるものでもあるため、 『朝鮮独立運動之血史』 は日韓の関係を破壊するサタンのバイブル以外の何物でもないといえるのではないでしょうか?
韓国人はよく、日本人は歴史を謙虚に学ばなければいけないと言います。
実際今の日本人は、日本の近現代史に弱く、特に日韓関係史に関してはほとんど知りません。
日本は韓国を36年間併合していたということも知らなければ、関東大震災時に韓国人の虐殺があったということも知りません。知らなかったからこそ韓国人に歴史問題を指摘されても何も言い返せずに、日本人が悪かったということで納得してしまいます。
韓国人ばかりか今の左傾化したマスコミによっても、自虐史観が当たり前のように語られているため、内からも外からも責められる状況では、自らが進んで正しい歴史を研究しない限り、反論することもできません。
しかし韓国人が知る日韓併合史は、韓国の義務教育で学ぶ教科書も含め、『朝鮮独立運動之血史』がその原点にあるので、虚構の上につくられた歴史でしかありません。
特に韓国人は自己正当化のためには当たり前のように嘘をつく民族性を持っていますので、自分たちの主張に合った話は、たとえその話が間違いであることを知っていたとしても事実として受け入れてしまいます。
一方自分の主張に合わない話は、それが真実であったとしても決して受け入れようとはしません。
今の文在寅政権は、その韓国人の特性を如実に現わしていますので、全く話が通じません。
日本の主張に耳を傾け、対話に応じる様子は全くなく、自分に都合の良い真実を一方的に押し付けようとします。
このような日韓の対立の原点がまさしく『朝鮮独立運動之血史』にあるのです。
「敵を知り、己を知りてこそ百戦危うからず」というように、まずは反日の原点を知ることで新しい一歩を踏みだすことができるのではないでしょうか?
『朝鮮独立運動之血史』 より
・日本について
「日本では母子が性交する」
「日本は国や個人財産に至るまで、みな狡猾と暴力によって奪った」
「日本はその野蛮な習慣を我が民族に強制し、倫理を冒涜した」
・1919年に起こった韓国独立運動(三一運動)について
「平和的なデモをしていた朝鮮人たちを、日本軍警察が無差別に虐殺し、日本の軍警察は、馬に乗り剣をふるって横行し、デモ隊を乱撃した。また人の目を刺し、人の耳をもぎ、人の腕を切り落とし、人の鼻をそぐなどの残虐性をはっきした、一般市民も、少女とか、女性の性器を切リ、股裂きをした」
「日本は独立を妨害するために、あらゆる悪行を犯した。日本は独立を叫ぶ人々に向かって銃を撃ち、民家、教会、学校に火をつけた」
「10歳にならない少女と婦女子らが恥辱的な扱いを受け、身体を殴られ、幼い少女たちも残酷に殴られ、7歳以下の幼い少女ら300余命が殺害された」
・「歴史を偽造する韓国」 中川八洋 2002年 徳間書店より
「女子高等普通学校(当時の女子中等学校の名称)の廬永烈は、裸体で十字架の上に仰臥させられた。日本人は、後列の十字架の傍に炭炉を置き、鉄線を真っ赤に焼いて廬永烈の乳頭を三、四回刺してからその縄を解き、刀で四肢を断ちおとし、まるでまこも(菰)のように分切した。血が雨のようにしたたりおちた。…が質問して、「お前はこれでもなお『万歳』を叫ぶつもりか」と言った。彼女はこれに答えて、「独立が達成できなければたとえ死んでもやめない」と言った。…数日間も食事を与えないで、三日目にふたたび拷問を加えた。…やむをえず、衣服を抛(ほう)りかえしてよこし、きびしく警責を加えた後に釈放された。……」(231~2頁、212頁)
両手・両足を切断された人間が即死しない、そればかりか手がないのに自分で衣服を着ることができる、足がないのに自分で歩いて帰宅できる、というのである。また、手足を切られたあと3日間も食事を与えられずとも元気で官憲を罵倒しつづけたという。
上記 『朝鮮独立運動之血史』 を見てわかるように、実に具体的で残虐な表現がなされています。
しかしどこか違和感が残ります。
「日本では母子が性交する」とだけ書いてあれば、日本人はみな母子が性交しているととらえられてしまいます。
一般の日本人には到底考えられない内容ですが、真偽は定かではありませんが、「試し腹」といった風習があったとされる朝鮮では、母子の性交という発想もあったのかもしれません。
「日本は国や個人財産に至るまで、みな狡猾と暴力によって奪った」
朝鮮ではもともと、両班以外は個人財産はほとんど持っていませんでした。もし持っていようものなら、両班は庶民の財産をみな狡猾と暴力によって奪っていってました。
イザベラ・バードの『朝鮮紀行』にある両班についての記述を見ると、
「(両班に仕える)従者たちは近くの住民を脅して飼っている鶏や卵を奪い、金を払わない。
非特権階級であり、年貢という重い負担をかけられているおびただしい数の民衆が、代価を払いもせずにその労働力を利用するばかりか、借金という名目の無慈悲な取り立てを行う両班から過酷な圧迫を受けているのは疑いない。商人なり農民なりがある程度の穴あき銭を貯めたという評判がたてば、両班か官吏が借金を求めにくる。これは実質的に徴税であり、もしも断ろうものなら、その男は偽の負債をでっちあげられて投獄され、本人または身内の者が要求額を支払うまで毎朝鞭で打たれる。」
朝鮮時代、狡猾と暴力によって個人の財産を奪っていたのは両班でした。
日本は朝鮮を併合することで、朝鮮の諸問題の根源の一つが身分制度にあるとみて、1909年に戸籍制度を導入し、白丁などの賤民にも姓を名乗らせて、戸籍には身分を記載することなく登録させました。
これにより、白丁の子弟も学校に通えるようになりました。
つまり戸籍制度を導入し、身分制度を廃止したことを受けて「日本はその野蛮な習慣を我が民族に強制し、倫理を冒涜した」と言っているのでしょう。朝鮮時代を支えてきた根幹である身分制度を廃止することで、万人平等という野蛮な習慣を韓民族に強制することによって、倫理を冒とくしたと訴えているのです。
こう考えると、両班から見たとき日本は、両班の特権社会を破壊する侵略者ととらえ、日本に反対する抗日運動を起こすのは必然と言えます。実際身分解放に反発する両班は激しい抗議デモを繰り広げたといいます。
つまり 『朝鮮独立運動之血史』 にあるこれら表現は、特権を剥奪された両班にだけ当てはまるもので、朝鮮の近代化のためには必要不可避な改革であったと考えられます。
韓国独立運動時における表現、一般市民の少女とか、女性の性器を切リ、股裂きなどの蛮行を日本人は本当に行ったのか?
拷問を加えるときに、女性は乳頭を刺し、性的暴行を加え、刀で四肢を断ちおとすというようなことを本当に行ったのか?
これらの表現は、日本人が行った蛮行としては、かなり違和感が残るものです。
日本の戦国時代、また第二次世界大戦時においても、日本人が行った蛮行としては、 『朝鮮独立運動之血史』 以外ではほとんど見ることのできない蛮行らしいです。
独立運動を主導した一人、柳寛順烈士が西大門刑務所内で獄死したときも、後に修正されたとは思いますが、四肢が切り落とされたと韓国の教科書にも載っていましたが、梨花学堂時代の柳寛順の級友の証言によると、実際には四肢は切断されてはいなかったという話です。
一方朝鮮半島や中国などでは、結構よく見る蛮行という話もあります。
つまり 『朝鮮独立運動之血史』 に書いてある日本人の残虐さ、蛮行も、実際に行われたものというよりは、著者である朴殷植の創作物にすぎない可能性が高いということです。日本人がいかに残虐で非道な民族であるかという印象付けを行うために、敢えてその残虐性を際立たせるような表現で描いているのです。
しかし今の韓国人には 『朝鮮独立運動之血史』 はそのまま信じられています。
数値や事実関係の検証が徹底しておらず、信憑性が低いと韓国人の歴史家によって指摘されながらも、反日で凝り固まった韓国人にとっては、真実か否かはどうでもいいことなのかもしれません。とにかく日本を叩く材料となるのであれば、捏造された虚偽の真実であったとしてもそれで十分なのです。
文在寅大統領の第100周年3.1節記念式での講演は、そのことを端的に物語っています。
『朝鮮独立運動之血史』 には本文の中にも、亡命先の上海で、文献や伝聞、新聞資料等の資料から作成されたものと書いてあるにもかかわらず、文大統領は一つ一つの内容や数値をちゃんと検証することもなく、『朝鮮独立運動之血史』に書いてある数値そのままを事実として演説しました。
文大統領は日本人に対し、「謙遜な姿勢で歴史を学ぶように」と語っていましたが、その言葉をそっくりそなまま自分にあてはめるべきなのではないでしょうか。自分が語る言葉は、いつか必ず自分に返ってきます。
ちなみに三・一運動の犠牲者の数は、 『朝鮮独立運動之血史』 では、集会参加者延べ約202万、死傷者が7509名、負傷者が15961名と書いてありますが、日本警察の集計では、参加人数約49万、死者357名、負傷者802名となっており、朝鮮総督府による公式数字は、参加人数106万人、死者553人となっています。
この三つを比べるとどれが正しいのか判断が難しいことでしょう。
しかし、日本人の憲兵6名と警察官2名が虐殺され、多くの建物が放火されたにもかかわらず、死刑を一人も求刑せず、15年以上の実刑もなく、3年以上の懲役はわずか80人に過ぎなかった事実から考えると、日本の対応は比較的冷静で、公平なものだったことがうかがわれます。
そう考えると日本の警察や朝鮮総督府側の発表の数字の方が比較的正しかったのではないだろうかと考えてしまいます。
今年、2019年の2月21日の朝鮮日報日本語版に、「韓国の国史編さん委員会は20日、1919年3月1日に起きた日本からの独立運動である三・一運動の当時、80~103万人がデモに参加し、725~934人が死亡したとする集計を明らかにした。」との記事が掲載されました。
これは、「日帝による既存資料に基づくデモ参加者数58万人、死者553人を最大で1.7倍上回る数値だ」とのことですので、当時の警察発表や総督府発表よりは多いものの、 『朝鮮独立運動之血史』 の死傷者が7509名という数字とはけた違いの数字となっています。
この話を聞いた反日の人はこう反論するかもしれません。
犠牲者の人数が問題なのではなく、これだけの犠牲者を出したという事実が問題なのだと。
しかし三一運動が過激化する中で、日本人の憲兵と警察官も8名が犠牲になっています。
まず最初に暴動によって日本人の犠牲者が出て、その結果暴動を鎮圧する過程で韓国人の犠牲者を出してしまったというのが事の真相でしょう。
日本の朝鮮統治の方法も三・一運動を招いた反省から、武断的な統治を改め、文化統治へ大きく切り替えた結果、以降は日本統治に対する抵抗といえる抵抗がまったくみられなくなったといいます。
『朝鮮独立運動之血史』 は、今日に至るまでの反日運動の原点ともいえる書籍です。
しかし本文にもあるように、「亡命先の上海で、文献や伝聞、新聞資料等の資料から作成された」ものであることは間違いのない真実です。ですから盲目的に一方的に信じるのではなく、歴史の検証を重ねることにより、何が真実で何が間違いであったかを謙遜な姿勢で判断し、正しい日韓関係を築いていくことが神の願いでもあると感じます。
★三・一運動の犠牲者の数
・ 『朝鮮独立運動之血史』
3月~5月に集会参加者延べ約202万、死傷者が7509名、負傷者が15961名としている。
・日本警察の集計
3~4月11日、参加人数約49万、死者357名、負傷者802名となっている。
三・一運動期間中、6月30日までに逮捕され起訴された総数は26865人、第一審判決で最高15年から最低3月未満までの受刑者が22275名であった。
日本人の憲兵6名と警察官2名が虐殺され、多くの建物が放火されたにもかかわらず、死刑を一人も求刑せず、15年以上の実刑もなく、3年以上の懲役はわずか80人に過ぎなかった。
・朝鮮総督府による公式数字は、参加人数106万人、死者553人。
・(朝鮮日報日本語版) 三・一節:国史編さん委が初の公式集計「運動参加者103万人・死者934人」
2019.2.21(木) 11:02配信 朝鮮日報日本語版
韓国の国史編さん委員会は20日、1919年3月1日に起きた日本からの独立運動である三・一運動の当時、80~103万人がデモに参加し、725~934人が死亡したとする集計を明らかにした。日帝(日本帝国主義)による既存資料に基づくデモ参加者数58万人、死者553人を最大で1.7倍上回る数値だ。
・襲撃による日本側の被害を挙げると、人的なものは官憲の死者8名、負傷者158名であり、物的なものは駐在所159(警官のもの87、憲兵のもの72)、軍・面事務所77、郵便局15、その他諸々27であったといわれる。
≪参考≫
・朴殷植(Wikipedia)
朴 殷植は、朝鮮の歴史家、作家、民族主義運動家、政治家。
大韓民国臨時政府の第2代大統領(1925年3月~7月)を務めた。
・三・一運動:文大統領演説全文「7500人殺害」のソースが伝聞だった件
上記報告を見ると、三・一運動犠牲者の記述は矛盾だらけということで、三・一運動犠牲者数のカウントが矛盾だらけであることを暴露しています。
・「柳寛順への日本の蛮行、誇張多い」
柳寛順は小学校の教科書にあるように「検事に椅子を投げつけたため法廷冒とく罪が追加され、7年の刑を宣告された」のではなく、3年の刑を受けたという。その後、柳寛順は高等裁判所(現在の最高裁)に上告せず、これが最終刑量になったという。
「梨花学堂時代、柳寛順の級友だったポガック(99、僧侶)さんの証言によると、死亡して20日余り過ぎた後、柳寛順の死体を受け取ったそうです。その時、死体は腐っていましたが、四肢は切断されてはいなかったという話です」。
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このブログ記事は、このサイト『驕りし選民 繰り返される摂理の失敗』の一部を掲載したものです。
『驕りし選民 繰り返される摂理の失敗』は、今まで罪深いサタン国家と教育され、献金の無間地獄へと追いやられていた日本人を解放するためのサイトです。
実際は罪深いどころか、日本無くして1920年に真のお父様を韓半島へとお迎えすることはできませんでした。
日本が朝鮮半島に進出することにより、朝鮮にキリスト教が復興し、ロシアの侵略による共産化を防ぐことができました。
このサイトではこのような歴史的真実を明らかにすることにより、神と真のお父様の真の願いを追い求めたいと思います。
同時にこのサイトでは、本当に罪深く、自ら滅びの道を歩んでいるのは誰なのかを明らかにしていきます。 ここで明らかにされることにより、自ら悔い改め、滅びの運命から逃れることを期待するものです。
今回の記事は、 日本の韓国統治40年 の一部です。
ご興味を持っていただけましたら、本文をお読みいただければ幸いです。
※テーマ一覧
サタン国家日本、罪の呪縛からの解放
日本の韓国統治40年
日本はサタン側のエバ国への疑問
真のお父様 6度の監獄生活
驕りし選民 繰り返される摂理の失敗
再臨摂理を失敗したのは誰か?
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