⑭アジア解放の現実

9、アジア解放の理想と現実

第二次世界大戦における日本の敵は、植民地を通じてアジア人を搾取したアメリカ、イギリス、オランダ、フランス等であり、アジア人と戦ったわけではありませんでした。
日本は電光石火の勢いでアジアから欧米諸国の軍を追い出し、武力をもってアジアの解放を成し遂げました。

その際、石油をはじめとする資源を本土に送り届けることが、なによりも優先されました。
その一方、後回しとされたのが民族自決です。
インドネシアには日本がもっとも欲していた石油資源があったため、マレー、スマトラ、ジャワ、セレベスは帝国領土とされ、インドネシアの独立は許されず、日本の領土に組み入れられたのです。

資源確保を優先する日本の統治は、欧米諸国による植民地支配よりも厳しかったとの証言も多々あります。
戦時中は日本国内においても、国民の暮らしは困窮を極めました。
列強を追い出した後のアジア諸国の管理が過酷を極めたことも、戦時下ゆえのやむを得ない面がありました。
占領下の人々に我慢ばかりを強いたことにより、現地の人々の反発を招いたことも、否定できない事実なのです。

9-1 なにがアジア解放をもたらしたのか

歴史は常に勝者によって紡がれます。第二次世界大戦に勝利した連合国側を正義、敗れた枢軸国側を悪として戦後の世界秩序がつくられました。
日本を悪の帝国として位置づけるためには、日本の掲げたアジア解放の大義を否定する必要があります。
戦勝国側がこだわったのは、日本をアジア解放の殉教者としないことでした。
そのためアジア解放の大義を含んだ「大東亜戦争」という呼称の使用がGHQによって禁じられ、「太平洋戦争」という言葉に置き換えられたのです。
「日本はアジアを侵略したのであって、解放したのではない」それが戦勝国によって確定された世界共通の歴史認識です。

教科書でも戦後の植民地の独立について次のように説明されています。
「アジア・アフリカなどの枢軸国の占領地域で民族主義運動が高まった。この民族主義運動はファシズム諸国の過酷な支配に対する抵抗運動として始まったのであるが、戦後、欧米諸国に対する植民地の解放運動にかたちを変えた」(『新・もういちど読む山川世界史』木谷勤著 山川出版社)

軍事力に優れていたとはいえ、少数に過ぎない白人による植民地支配が可能だったのは、その地に暮らすアジアの人々が従順だったからです。白人には適わないというあきらめの境地が、植民地支配を支えていた原理でした。
ところが、半神の如く君臨していた白人をあっという間に追い出したのは、彼らと同じ黄色人種に過ぎない日本人でした。
それを目にしたアジアの民衆は、黄色人種も白人も同じ人間に過ぎないことをはじめて知ります。
日本の圧倒的な勝利は、数百年間にわたって植民地を支配していた「被支配者としての従順さ」をものの見事に粉砕しました。
日本の勝利は、アジアに暮らす人々の意識を根底から変えました。大航海時代から続く「白人の優越」が雪崩を打って崩壊し、あらゆる人種が平等であるとする新たな理念が、多くのアジア人の心に灯りました。

高名な歴史家、ア-ノルド・J・トインビ-は、次のように語っています。
「第二次大戦において、日本人は日本のためと言うよりも、むしろ戦争によって利益を得た国のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命な理想である大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。イギリス人もフランス人もアメリカ人も、ともかく我々はみな将棋倒しにパタパタやられてしまった。そして最後にアメリカ人だけが軍事上の栄誉を保ちえたのである。他の三国は不面目な敗北を記録したことは、疑うべくもない。」(『世界が語る大東亜戦争と東京裁判―アジア・西欧諸国の指導者・識者たちの名言集』吉本貞昭著ハート出版)

9-2 日本統治下の現地軍の創設・育成が果たした役割

日本統治下において、これまで独立運動を指導してきた人々を支援し、白人による植民地支配のもとでは許されなかった軍隊を、それぞれの地域において創設し、実際に戦えるまで訓練を施し、知識と教育を伝授したことは、日本軍が去ったあとの独立運動における大きな土台となり、各国の独立に決定的な影響を及ぼしました。
再び植民地支配をしようと舞い戻ってきた旧宗主国の軍と独立をかけて戦った主力は、日本統治下で育てられた国民軍でした。
また、直接交戦には至らなかったまでも、やがて独立へと至る有利な条件を引き出せたのは、かつて欧米諸国が植民地支配をしていた頃とは異なり、まがりなりにも現地の軍隊が組織されていたからこそです。
また、独立を果たした後の政府要人には、日本統治下で独立意識を高め、育てられた人物が多く含まれていたことも事実です。

日本は資源を確保することを第一の目的として、アジアに居座る欧米諸国の軍を蹴散らしました。
しかし、日本が為したことは、単に欧米の軍を撃破したことに留まりません。数世紀にわたって維持されてきた「白人の優越性」を覆したことこそが、アジア復興の端緒となりました。
アジアの解放と復興は、白人の優越性の神話が崩壊することではじめて為せたのです。
日本の掲げたアジア解放の大義は、日本の思惑を超えて一人歩きをはじめ、日本が敗れてもなお命脈を保ち続け、ついには現実の世界を変革することに成功したのです。

連合国軍東南アジア最高司令官であったマウントバッテン元帥も次のように語っています。
「それは史学の権威トインビーが、いみじくも喝破した通りである。もし、『日本について、神が使命を与えたものだったら、それは強権をわがもの顔の西欧人を、アジアのその地位から追い落とすことにあったのだ』」

9-3 邪悪な日本のイメージとアメリカの戦争犯罪

日本には大義があったとは言っても、大東亜戦争に対してなんの反省もなく、手放しで賞賛し、正当化することはできません。大東亜戦争では多くの人命が失われ、アジア解放の美名のもとに数々の蛮行が為され、数え切れないほどの悲劇が生まれたのも事実です。
皇軍の兵士と言っても、すべてが人格者の集まりだったということではありません。
特に戦時中という極限状況にあっては、どんな蛮行も許されるような心理状態にありましたから、人としてとうてい許されないような蛮行に走った兵士も数多くいたでしょうし、そのために犠牲となったアジアの人々も数えきれないほどいただろうことは想像に難くありません。
そのことに関しては私たちも日本人として真摯に向き合い、反省しなければいけない内容です。

しかし、戦前・戦中の日本の大義を隠蔽し、邪悪さのみを強調することによって、自分たちこそが正義であると事実を捏造し、イメージ操作してきたのは、戦勝国である連合国側、特にアメリカでした。
アメリカは、東京大空襲をはじめとする非戦闘員の殺傷である、日本の各都市への無差別爆撃や、広島・長崎へ原爆投下をすることで、日本人を大量虐殺しましたが、これらは明らかな戦争犯罪行為でした。
日本を悪者に仕立てることで「無差別爆撃を受けたり、原爆を落とされても仕方ない、日本はそれだけの悪いことをしたのだから」とのロジックにより、アメリカの免罪符に使われれているのです。
戦後の日本占領下において、GHQが日本人に対する洗脳を徹底的に行い、日本人自らが反省し、原爆を投下されてもやむを得ないと納得させることで、アメリカは自らの戦争犯罪行為を隠蔽してきたのです。

日本軍がアジア各地で為した蛮行と原爆投下の関連性については、満州事変を決行した石原莞爾が、戦後次のように述べています。
「戦時中、日本の軍隊が多くの悪いことをしたことは否定しない。私は特に東亜諸民族に対しては、平身低頭、謝罪する。しかし、戦場の興奮によって、非戦闘員を侵害することは往々にしてあり得ることだ。むろん忌むべき行為であるが、これらの偶発的な事件と、計画的な大虐殺とは根本的に違う。トルーマンの行為こそ、戦犯第一級中の第一級の行為である。今日いかに戦勝国がこれを抗弁しようとも、公正な第三者と、後世の人類によって、歴史的な審判を受けることはまぬがれ得ない。一国の大統領ともあろう者が、かかる野蛮行為をあえてして、しかも少しも恥ずるところがない。我々は、このような者を相手にして戦ったことは、なんとも恥ずかしい」(『アメリカの戦争責任』竹田恒泰著)

東京裁判において、米国による原爆投下こそが、国家による非戦闘員の生命財産の無差別破壊としてナチスによるホロコーストに比せる唯一のものであると主張したラダビノッド・パ-ル判事も、講演において次のように語っています。
「私は1928年から1945年までの18年の歴史を2年8ヶ月かけて調べた。とても普通では求められないような各方面の貴重な資料を集めて研究した。この中には、おそらく日本人も知らなかった問題もある。それを私は判決文の中で綴った。この私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることが分かるはずだ。然るに日本の多くの知識人たちは、ほとんどそれを読んでいない。そして自分らの子弟に「日本は罪を犯したのだ」「日本は侵略の暴挙をあえてしたのだ」と教えている。満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分に研究していただきたい。」(昭和27年11月6日の広島高等裁判所での講演より)

9-4 人種平等の世界が訪れた

戦後、アジア諸国が独立戦争を戦い抜き次々に独立を果たすと、アフリカ諸国もこれに続き、世界から植民地がほぼ一掃されました。
大東亜戦争前に日本が提議した人種差別撤廃条項は否決されましたが、現在は「人種差別が悪である」との認識が世界的に定着しています。その意味では日本は大東亜戦争に敗れたものの、その目的として掲げた「アジア解放の大義」、引いては人種平等の世界を実現したと言えるでしょう。

高名な経済学者のピータ-・F・ドラッカーは次のように語っています。
「結局のところ、最後に勝ったのは日本だった。軍事的には、日本は第二次世界大戦において、歴史上もっとも決定的な敗北を喫した。しかし、その後の推移では、政治的に敗北したのは西洋だった。日本は、西洋をアジアから追い出し、西洋の植民地勢力の権威を失墜させることに成功した。その結果西洋は、アジア、ついでアフリカからの西洋化された非西洋世界に対する支配権を放棄せざるをえなくなった。」

日本帝国史研究で高名なスタンフォード大学名誉教授のピーター・ドウスは、大東亜戦争について次のように語っています。
「日本人は西洋の脅威から自分を守るために、近代国家の道を歩んだ。白人の奴隷になり、植民地支配を受けることへの恐怖だった。この脅威から多くの日本国民は『白人の優越』を覆さねばならないと、心底から思った。そのスケールは、『平民』を解放したフランス革命や、『労働者』を解放したロシア革命よりもはるかに壮大なものだった。それは、有色の民の解放という『人類史の大革命』だったと呼んでも過言ではない」(『人種戦争─レイス・ウォー太平洋戦争 もう一つの真実』ジェラルド・ホーン 著)

タイのククリット・プラモード元首相は次のように語っています。
「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、一体だれのおかげであるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決意された日である。さらに8月15日は、われわれの大切なお母さんが、病の床に伏した日である。われわれはこの2つの日を忘れてはならない。」

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