(ニ)大航海時代から第二次世界大戦に至るまでの詳細
1、大航海時代(1400~1600年代前半)
1400年代以前のヨーロッパは、イスラム教の勢力からの侵攻と、聖地奪還のための十字軍による、キリスト教対イスラム教社会という宗教対立の様相を呈していました。
肉食であるヨーロッパ人にとって、インドをはじめとするアジアの国々でしか栽培がされていなかった「胡椒」などの香辛料が、食肉の保存に欠かせない必需品となっていました。
しかし1400年代後半になると、オスマン帝国というイスラム教勢力が拡大し、ヨーロッパ人はアジアまで陸路を旅することができなくなっっていきました。そこで陸路をあきらめ、海路を利用することで大航海時代が始まりました。
大航海時代は、1600年代中頃まではスペインとポルトガルの二大強国の時代でした。
両国は先を競ってインドを目指しましたが、スペインは大西洋を西へ、ポルトガルはアフリカ大陸にそって南下することでインドに先に到着しようとします。
1-1 トルデシリャス条約
1494年にローマ教皇アレクサンデル6世の仲裁によってスペインとポルトガルの間にトルデシリャス条約が結ばれ、スペインは「新大陸」における征服の優先権を認められました。
トルデシリャス条約では新たに征服される土地と住民はスペイン国王に属すこととされました。
スペインによるアメリカ大陸制圧を担った者達はコンキスタドール(征服者)と呼ばれました。
コロンブス、ヴァスコ・ダ・ガマ、マゼラン、彼らは大航海時代の偉大な冒険家、あるいは英雄として語り継がれています。
コロンブスたちが新大陸や新たな未知の大地を発見したことで、ヨーロッパは大きく繁栄したからです。
しかし、新大陸にしても新たに発見された土地にしても、すでにそこには先祖代々住み着いている先住民がいました。先住民から見れば、コロンブスたちはまさに災厄を運ぶ者でした。
白人征服者たちは鉄砲と十字架を持って新たに発見した島に上陸すると、小高い丘に十字架を立て、神の名によってこの地を本国の国王の土地であると一方的に宣言しました。
自国領土となったその地にある資源や宝物、住民はすべて国王の物です。
鉄砲という先住民が見たこともない武器で脅し、征服者たちは島の金銀や財宝などを根こそぎ奪いました。少しでも反抗する者は即座に撃ち殺すことで、恐怖によって先住民を支配したのです。
当時、ローマ法王庁は、スペイン・ポルトガル両国の貿易事業に莫大な資金を提供する代わりに、宣教師を同行させ、世界中にキリスト教を布教するよう命じていました。異教徒をキリスト教に改宗させ、キリスト教勢力の拡大を図るための事業だったのです。
こうしたローマ法王による公認があったため、スペイン人やポルトガル人は、原住民から富を収奪することにも、奴隷化することにも、殺害することにもほとんど罪悪感を感じることがなかったのです。
スペインとポルトガルは、本国からアフリカへ物資を輸出し、売ったお金で黒人奴隷を買い、その奴隷たちをアメリカ大陸へ連行して中南米の開拓に従事させ、さらにそこで得られた富を本国へ送るという、「三角貿易」と呼ばれる貿易形態を確立して莫大な富を得ました。
現在の中南米では、ブラジルがポルトガル語、その他の国ではスペイン語が公用語になっていますが、それはこの時代の両国による植民地政策の名残りです。
では具体的に神に選ばれたかれら白人征服者たちは、実際どのように南北アメリカ大陸、アフリカ大陸、アジアを植民地として行ったのかを見ていきたいと思います。
1-2 1492年、コロンブスの新大陸発見
コロンブスたちを乗せた船が座礁して浜に打ち上げられると、島の先住民たちは支援と看護を行い、厚くもてなしました。島にはタイノ族と呼ばれる民族が農耕と交易を行いながら、平和に暮らしていました。
心地よい歓迎を受けたことに感動したコロンブスは、手記にこう記しています。
「さほど欲もなく…こちらのことにはなんにでも合わせてくれる愛すべき人々だ。これほどすばらしい土地も人もほかにない。隣人も自分のことと同じように愛し、言葉も世界でもっとも甘く、やさしく、いつも笑顔を絶やさない」
(「人種差別から読み解く大東亜戦争」岩田温著、彩図社)
しかしコロンブルを喜ばせたのは、善良な人々に出会えたこと以上に、島に黄金があったことでした。
座礁して危ないところを助けてもらった恩義に対して、コロンブスはいったんスペインに帰ってから軍隊を引き連れて戻り、彼が「愛すべき人々」と呼んだタイノ族の人々を奴隷化することで応えました。
逆らう者は容赦なく殺され、金鉱の採掘のためにタイノ族の人々は奴隷として強制労働を強いられました。
やがて島全体に伝染病と飢餓が広がりました。天然痘やチフスなどの伝染病が白人たちによってもたらされたのです。
また、食糧の供出を命じられ、飢餓の発生も広範囲に及んでいます。
堪りかねたタイノ族の人々が抵抗しようとすると、コロンブスは軍隊を差し向け殺戮とともに帰順させました。
多くのタイノ族がスペイン兵の手にかかって殺され、伝染病と飢餓で死亡し、生き残った者たちには過酷な強制労働と抑圧が続きました。
あまりの暴虐に耐えきれず、タイノ族のなかには服従よりも死を選ぶ者が多数いました。
あるスペイン兵は綴っています。
「我々の目の前には木で首を吊った人々が並んでいた。彼らは悲惨な状態で子供を残すよりも殺すほうがましだと言って、子供を殺してから自殺していた。ある人たちは高い断崖から身を投げた。ある人たちは海に身を投げた。ある人たちは刃物で自らを刺して死んだ」
穏和な気候に恵まれ、家族とともに幸せに暮らしていたタイノ族の人々の暮らしは、コロンブスたち征服者の出現によって、地獄と化しました。
ちなみに冒険家と称されるコロンブスの本当の職業は奴隷商人です。航海の先々で上陸した土地で略奪を行うとともに先住民の多くを虐殺し、奴隷として持ち帰り、私腹を肥やしました。
それでもヨーロッパから見れば、これも英雄的な行為として讃えられています。
コロンブス以来、白人が有色人種を侵略するのは文明化という善行であり、劣っている有色人種がたとえ自衛のためであろうとも白人に逆らって攻撃することは犯罪とみなされました。
1-3 中南米における征服
①インカ帝国
インカ帝国は最盛期には、80の民族と1,600万人の人口をかかえ、現在のチリ北部から中部、アルゼンチン北西部、コロンビア南部にまで広がっていましたが、スペイン人のピサロに滅ぼされるまで約200年間続きました。
インカ帝国はまず、スペイン人がもたらした天然痘によって、わずか数年間で人口の60%から94%が死に至りました。
その後わずか168名の兵士のピサロ隊によって1533年に滅ぼされました。
②アステカ文明
アステカは、1428年頃から1521年までの約95年間北米のメキシコ中央部に栄えたメソアメリカ文明の国家です。
アステカは、コルテスによって首都テノチティトランが攻略され、1521年に滅亡しました。
③マヤ文明
中央アメリカでは、アルバラードがグアテマラのマヤ系諸王国(マヤ文明)の征服を開始し、1525年現エルサルバドルに相当する地域を征服し、1527年にコントレーラスによってニカラグアは征服されました。
中央アメリカの征服後、1697年にマヤ文明の全域がスペインに併合されました。
中南米地域においても土地を征服する過程で、そして征服した後も、スペインやポルトガルの兵は先住民族を情け容赦なく殺しています。
スペイン軍による残虐な行為を、征服者から回心して聖職者となったラス・カサスという一人の司祭が克明に書き留めた手記「インディアスの破壊についての簡潔な報告」が現在でも残っています。
具体的にどんな行為が行われていたのかをしばし見て行きたいと思います。
1-4、 『インディアスの破壊についての簡潔な報告』(1552年スペイン ラス・カサス著)
①インディオという人びと
「大勢のスペイン人がインディアスに渡ってから本年(1542年)で49年になる。彼らが植民するために最初に侵入したのはエスパニョーラ島(現在のハイチ、ドミニカ)であった。
神はその地方一帯に住む無数の人びとをことごとく素朴で、悪意のない、また、陰ひなたのない人間として創られた。彼らは土地の領主たちに対しても実に恭順で忠実である。彼らは世界でもっとも謙虚で辛抱強く、また、温厚で口数の少ない人たちで、諍いや騒動を起こすこともなく、喧嘩や争いもしない。そればかりか、彼らは怨みや憎しみや復讐心すら抱かない。この人たちは体格的には細くて華奢でひ弱く、そのため、ほかの人びとと比べると、余り仕事に耐えられず、軽い病気にでも罹ると、たちまち死んでしまうほどである。インディオたちは財産を所有しておらず、また、所有しようとも思っていない。したがって、彼らが贅沢になったり、野心や欲望を抱いたりすることは決してない。」<同書 p.17-18>
②スペイン人の破壊行為
「この40年の間、スペイン人たちはかつて人が見たことも読んだことも聞いたこともない種々様々な新しい残虐きわまりない手口を用いて、ひたすらインディオたちを斬り刻み、殺害し、苦しめ、拷問し、破滅へと追いやっている。例えば、われわれがはじめてエスパニョーラ島に上陸した時、島には約300万人のインディオが暮らしていたが、今では僅か200人ぐらいしか生き残っていないのである。この40年間にキリスト教徒たちの暴虐的で極悪無慙な所行のために男女、子供合わせて1200万人以上の人が残虐非道にも殺されたのはまったく確かなことである。それどころか、私は、1500万人以上のインディオが犠牲になったと言っても、真実間違いではないと思う。」<同書 p.19-21>
③エスパニョーラ島にて
「彼らは、誰が一太刀で真二つに斬れるかとか、誰が一撃のもとに首を斬り落とせるかとか、内臓を破裂させることができるかとか言って賭をした。彼らは母親から乳飲み子を奪い、その子の足をつかんで岩に頭を叩きつけたりした。また、ある者たちは冷酷な笑みを浮かべて、幼子を背後から川へ突き落とし、水中に落ちる音を聞いて、「さあ、泳いでみな」と叫んだ。彼らはまたそのほかの幼子を母親もろとも突き殺したりした。こうして彼らはその場に居合わせた人たち全員にそのような酷い仕打ちを加えた。さらに、彼らは漸く足が地につくぐらいの大きな絞首台を作り、こともあろうに、われらが救世主と12人の使徒を称え崇めるためだと言って、13人ずつその絞首台に吊し、その下に薪をおいて火をつけた。こうして、彼らはインディオたちを生きたまま火あぶりにした。
私はこれまで述べたことをことごとく、また、そのほか数えきれないほど多くの出来事をつぶさに目撃した。キリスト教徒たちはまるで猛り狂った獣と変わらず、人類を破滅へと追いやる人々であり、人類最大の敵であった。逃げのびたインディオたちはみな山に籠もったり、山の奥深くへ逃げ込んだりして、身を守った。すると、キリスト教徒たちは彼らを狩り出すために猟犬を獰猛な犬に仕込んだ。犬はインディオをひとりでも見つけると、瞬く間に彼を八つ裂きにした。
インディオたちが数人のキリスト教徒を殺害するのは実に希有なことであったが、それは正当な理由と正義にもとづく行為であった。しかし、キリスト教徒たちは、それを口実にして、インディオがひとりのキリスト教徒を殺せば、その仕返しに100人のインディオを殺すべしという掟を定めた。」<同書 p.26-28>
④レケリミエント(催告)の欺瞞
「彼らはインディオたちに対して、キリストの信仰を受け容れ、カスティーリャの国王に臣従するよう、もしそうしなければ、彼らに情容赦なく戦いをしかけ、彼らを殺したり捕らえたりすることになろう云々、という催告(レケリミエント)を行った。人間ひとりびとりの身代わりとなってみずから犠牲になられた神の子イエスは「全世界に行って、すべての人々に福音をのべ伝えよ」(マルコによる福音書16・15)と語られた。スペイン人たちは、その御詞は自分たちの土地で平和に穏やかに暮らしている異教徒たちに対して今述べたその催告を行なうよう掟として命じられたものであると解釈した。
彼は金を持っている村の情報を入手してその村を襲撃し、金を強奪しに行くことになった時、盗賊と変わらない部下たちを先に派遣し、彼らにその催告を行うように命じた。彼らは、自分たちだけしかいないところで、その催告を触れ回った。
スペイン人たちは村へ侵入し、大半が藁造りのインディオたちの家に火を放った。インディオたちが気付いた時は既に手遅れで、女、子供、そのほか大勢のインディオが生きたまま焼き殺された。」<同書 p.46-49>
⑤征服者は「人類最大の敵」
「1518年4月18日にヌエバ=エスパーニャに侵入してから1530年にいたる12年の間ずっと、スペイン人たちはメキシコの町とその周縁部で、つまり、豊饒な王国が4つも5つもあった領土で血なまぐさい残忍な手と剣とでたえず殺戮と破壊を行った。結局彼らは400万以上の人々を虐殺し、征服(コンキスタ)を行いつづけた。征服(コンキスタ)とは残忍な無法者たちが行う暴力による侵略のことであり、それは神の法のみならず、あらゆる人定の法にも背馳したひどい行為である。しかも、その400万の中には、既述したような奴隷状態の中で日々迫害や圧政を加えられた結果、死んでしまったインディオや、今なおそのような状態の中で殺されているインディオの数は含まれていないのである。」<同書 p.60-61>
⑥食人を強制する
「村や地方へ戦いをしかけに行くとき、すでにスペイン人たちに降服していたインディオたちをできるだけ大勢連れて行き、彼らを他のインディオたちと戦わせた。だいたい1万人か2万人のインディオを連れて行ったが、彼らには食事を与えなかった。その代わりそのインディオたちに、捕らえたインディオたちを食べるのを許していた。陣営の中には人肉を売る店が現われ、そこでは子供が殺され、焼かれ、また、男が手足を切断されて殺された。人体の中でもっとも美味とされるのが手足であったからである。<同書 p.81>
コロンブスが中南米に達した1492年頃、それらの地方にどれだけの先住民族が住んでいたのかについては諸説あります。もっとも低く見積もっても4千万人、もっとも多い推計は1億1千万人です。
ところがインカ帝国が滅亡した1570年頃の人口は、およそ1千万人とされています。つまり最低でも3千万人、最大推計で1億人の先住民族がヨーロッパの征服者の犠牲になったと考えられます。
もちろん、伝染病による死もかなりの割合を占めています。しかし、それとて鉱山や農園で奴隷として過酷な労働を強いられたことで体力を奪われた結果です。
男は金の採掘、女は畑仕事で酷使され、食物は雑草のような粗末なものしか与えられませんでした。
荷物の運搬にも先住民たちが牛馬のように使われました。重い荷物を背負わされたまま100キロもの距離を歩かされ、休むと鞭や棒で打たれ、家畜同様に扱われていたとカサスは記しています。
コロンブスも綴っています。
「エスパニョーラのインディアスこそ富そのものである。なぜなら彼らは地を堀り、われらキリスト教徒のパンやその他の糧食をつくり、鉱山から黄金を取り出し、人間と荷役動物の労役のすべてをするのが彼らだからだ」
16世紀のスペインの人口は500万、ポルトガルは100万人ほどに過ぎない小さな国でした。
その小さな国の征服軍に対して非白人は防衛という観念さえなかったため、たやすく侵略を許し、数世紀にわたって辛酸を舐めることになったのです。
1-5 「先占の権限」
「先占の権限」とは、「ある程度の社会的・政治的組織を具えた先住民が居住していても、いまだ西欧文明に類する段階(文明国)に達していない地域」と見なすと、その地域を無主地(主のいない土地)として、占有することが認められるという理論です。
当時のヨーロッパの白人は、西欧文明こそが世界でもっとも優秀だと信じていました。それゆえに西欧文明以外の北米・中南米・アジア・アフリカに人が住んでいても文明度が低いゆえにそれを認めず、先占の権限というルールを勝手に作ることでヨーロッパの白人が自由に占有してもよいと宣言したのです。
まさに「白人でなければ人間にあらず」といった究極の白人至上主義が、先占の権限に表れています。
有色人種の住む島を侵略する際の表向きの大義名分は、キリスト教の布教活動です。
原始キリスト教では異教徒を悪魔同然とみなします。
インカ帝国をはじめとして略奪と殺戮に宣教師が積極的に加担している例は、数え切れないほどあります。
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