⑯日本人洗脳工WGIP

(三)自虐史観誕生とWGIPの申し子

1、WGIP(ウォー・ギルド・インフォメーション・プログラム) 百田尚樹の日本国紀 参照

WGIPとは一言で言って日本国民を洗脳し、戦争について「罪の意識」を植え付けるプログラムです。
WGIPによって日本人の精神を粉々にし、二度とアメリカに戦いを挑んでこないようにするためのものでしたが、実際戦後80年近く経った今でも日本人の精神は、このWGIPによって洗脳されたままの状態が続いています。
具体的には、戦後日本を統治したGHQは思想や言論を管理し、出版物の検閲を行ない、意に沿わぬ新聞や書物を発行した新聞社や出版社を厳しく処罰するなど、禁止項目は全部で30もありました。
禁止事項の第一はGHQに対する批判。二番目は東京裁判に対する批判、三番目はGHQが日本国憲法を起草したことに対する批判。そしてアメリカ、イギリス、ソ連、フランス、中華民国、その他の連合国に対する批判も禁じられました。
占領軍兵士による犯罪の報道も禁じられ、ナショナリズムや大東亜共栄圏を評価すること、日本の戦争や戦犯を擁護することも禁じられ、戦後の日本に言論の自由はまったくありませんでした。

GHQが日本人に施した洗脳は、戦時中の中国・延安で、中国共産党が日本人捕虜に行なった洗脳の手法を取り入れたものでした。
このことは近年、イギリス国立公文書館が所蔵する秘密文書で判明しており、延安での工作には後の衆議院議員、日本共産党の議長をも務めた野坂参三の協力があったこともわかっています。
野坂は戦前、グレートブリテン共産党参加を振り出しに、ソ連に渡ってコミンテルン日本代表となった人物です。
戦前のアメリカ共産党とも関係しながら、延安で中国共産党に合流し、日本人兵士に脱走を勧め、日本帝国主義打倒のための洗脳活動を行なっていました。GHQは野坂に洗脳の具体的な方法を学んだと思われます。
洗脳の際、彼らがまず最初に行なうのが、「自己批判」であり、それにより「罪悪感を植え付ける」のですが、GHQもまさに同じ手法を取り入れました。

「GWIP」が、中国共産党の洗脳に倣ったことを伝える文書は、「ノーマン・ファイル」と呼ばれるファイルに残されています。
ノーマンとは、日本で生まれ育ったカナダ人外交官で、1957年、ソ連のスパイとの疑惑をかけられ自殺した人物です。
マルクス思想に傾倒していたノーマンは、GHQの民政局次長を務め、日本国憲法草案作成の中心的役割を担ったチャールズ・ルイス・ケーディスの右腕ともいえる存在であり、マッカーサーの日本占領政策の方向性に大きな影響を与えたといわれています。
「ノーマン.ファイル」を読むと、戦後の日本は、共産主義者たちの一種の「実験場」にされたようにも見えます。
中国共産党が延安で成功させた日本人捕虜への洗脳を、日本国民全体に施し、さらに日本国憲法によって再軍備を禁じ、公職追放によって地位を得た共産主義者とそのシンパがGHQ路線を堅持していったのです。
その結果、日本人に過剰に自己を否定させ、いわゆる自虐史観が蔓延し、「愛国心」まで捨てさせたのでした。

1-1 GHQ焚書坑儒 GHQ焚書坑儒より引用

紀元前三世紀、秦の始皇帝は「焚書坑儒」なる蛮行を行いました。これは、儒教の書物を焼き払い、儒者達を穴に生めて殺した事件です。
戦後、GHQは日本に対して「宣伝用刊行物没収」なる指令で「焚書」を行います。
戦勝国が敗戦国の憲法を創る事、新聞・雑誌・放送の検閲はもちろん、相手国の歴史を消す事、書物の発禁、禁書も国際法上許されません。
しかし「自由と平和」を標榜するアメリカは平然とこれらの行為を行いました。
1945年9月から占領期間中の新聞、雑誌、映画、放送内容、一切の刊行物が「検閲」されます。
しかし「検閲」と「焚書」は別次元の行為です。戦前日本で刊行された7769点が「没収宣伝用刊行物」に指定されました。
本の没収は文明社会が決して行ってはならぬ歴史破壊行為です。
アメリカの政治的意図は「被占領国の歴史を消す」事でしょう。

これだけの行為は、GHQ軍属と日本政府の行政官だけではなしえなかったでしょう。日本の知識階級、学者、言論人の協力が無ければ実行不能なことですが、その協力の中心に東京大学文学部が存在しました。
戦後を代表する社会学者尾高邦雄、後に東京大学文学部長を務めた金子武蔵、東京大学法学部教授として、戦前には学会のカリスマ的存在であった牧野英一、これら社会科学と人文科学を代表する二人の学者が小委員会に参加し、背後に長老格の法律学者が本委員会の委員長として没収テーマを主宰していました。
特に牧野英一は、中央公職適否審査委員会委員を務め公職追放にも協力していました。

日本は戦争に敗れましたが、一国の政治・思想・歴史・文明、そして宗教的な生きる源泉を、他民族から裁かれる理由などありません。
戦後の日本国憲法は「思想の自由」「出版の自由」を謳っていますが、憲法はアメリカから押し付けられたものですが、これ等の権利を真っ先に侵したのはアメリカ自身でした。

1-2 教職追放 百田尚樹の日本国紀 参照

GHQの行なった思想弾圧で、後の日本に最も影響を与えたのは「教職追放」でした。
GHQは占領直後から、帝国大学で指導的立場にあった愛国的な教授、あるいはGHQの政策に批判的な教授を次々に追放しました。
「WGIP」を日本人に完全に植え付けるためには、教育界を押さえなければならないと考えたからでした。
代わってGHQが指名した人物の多くは戦前に共産党員であったり、無政府主義的な論文を書いたりして大学から処分された人たちでした。
戦前は無政府主義として大学を追放され、戦後法政大学総長となった大内兵衛、同じく京都大学総長となった滝川幸辰など、多くの者がGHQの後ろ盾を得て、「WGIP」の推進者となり、最高学府を含む大学を支配していくことになります。
一方、追放を免れた者も、これ以降は、GHQの政策に批判的なことを口にしなくなったばかりか、帝国大学においては、共産主義におもむる教授や社会主義者に転向する者、変節する学者が続出しました。
特にひどかったのは1946年、東京帝国大学で憲法学者の宮澤俊義は「八月革命説」を唱えて、日本国憲法の正当性を論じました。
「八月革命説」とは、「ポツダム宣言の受諾によって、主権原理が天皇主権から国民主権へと革命的に変動したもので、日本国憲法はGHQによって押し付けられたものではなく、日本国民が制定した憲法である」という説です。
現在でも、この説は東大の憲法学の教授たちによって引き継がれ、その教え子たちによって全国の大学の法学部に広く行き渡り、司法試験などの受験界では「宮沢説」は通説となっています。

また国際法学者として東京大学に君臨した横田喜三郎は、東京裁判の正当性を肯定しており、彼の説もその後弟子たちによって東京大学および全国の大学に脈々と継承されています。
東京大学法学部からは、戦後も数多くの官僚が輩出しています。「自虐史観」に染まった教授たちから「日本国憲法は日本人が自主的に作った」「東京裁判は正しい」という教育を受けた人たちが、文部科学省や外務省の官僚になっているのです。

「教職追放」は大学だけでなく、高校、中学、小学校でも行なわれ、最終的に自主的な退職も含めて約12万人もの教職員が教育現場から去りました。
その多くが愛国心を隠さなかったり、保守的な考えを持っていたりした者で、特に戦前の師範学校出身者が多かったといわれています。
その結果、教育界は社会主義者が支配するようになり、1947年に生まれた日本教職員組合(日教組)は、完全に左翼系運動組織となり、戦後の日本の教育界は左翼系の人々に乗っ取られた形となりました。

1-3 公職追放 百田尚樹の 日本国紀 参照

GHQが次に行なったのが「公職追放」でした。
GHQにとって好ましからざる人物と判断した人たちを様々な職場から追放したのです。
対象者は、「戦犯」や「職業軍人」など七項目に該当する人物でしたが、GHQが気に入らない人物は、それだけで追放処分となりました。

自由党総裁鳩山一郎は、首班指名を受ける直前に公職追放により政界から追放されました。
アメリカの原爆投下に批判的ともとれるインタビュー記事が朝日新聞に載ったことで、GHQから睨まれたからでした。
戦後初の総選挙で第一党となった政党の総裁でさえ簡単に追放してしまうGHQの恐ろしさに、以降、GHQの政策に異議を唱える政治家はほとんどいなくなってしまいました。
また朝日新聞も2日間の発行停止処分を受け、それ以降、アメリカやGHQを批判する記事を書かなくなりました。

また名称こそ「公職追放」となっていましたが、実際は公職だけでなく民間企業からも追放されました。当時、日本は貧しく、ほとんどの人が食うや食わずの生活で、社会保障の制度もありませんでしたから、職を失うことは死活問題でした。
GHQは新聞社や出版社からも多くの人物を追放し、言論人や文化人にも及びました。
「文婆春秋」創刊者であり作家の菊池寛凱、読売新聞社社長の正力松太郎、映画監督の円谷英二、作家の山岡荘八などの著名人だけでなく、無名の記者や編集者も多くいました。
代わりにGHQ の指名によって入ってきたのは、彼らの覚えめでたき人物たちでした。
これにより、多くの大学、新聞社、出版社に、「自虐史観」が浸透し、GHQの占領が終わった後も、「WGIP」を積極的に一般国民に植え付けていくことになるのです。

大学や新聞社で追放を免れた人たちの中にも、追放を恐れてGHQの政策に対して批判的なことを口にする者はいなくなりました。
GHQの公職追放はその後も財界、教育界、言論界と広い範囲で行なわれ、その数は約206,000人に及びましたが、追放に協力した日本人が多数いたのは間違いなく、彼らの多くは共産党員ならびにそのシンパであったといわれています。
前述の教職追放の時も、同じ日本人同士の密告や讒訴が頻繁にあり、そうした空気を嫌って多くの教員が自主的に職場を去っています。
また政治家の間でも、GHQを使って政敵を追い落としたケースもありました。
ちなみに前述の焚書にも、左翼系学者や言論人の協力がありました。
こうした事実を見ると、「教職追放」や「公職追放」は、単に思想的な問題だけではなく、日本人の誇りとモラルを破壊したということがわかります。

1-4 『眞相はかうだ』による洗脳 百田尚樹の 日本国紀 参照

GHQの「WGIP」はラジオ放送によっても行なわれ、その方法は非常に獲滑なものでした。
1945年12月からNHKラジオで『眞相はかうだ』という番組の放送が始まりました。
この番組は、大東亜戦争中の政府や軍の腐敗・非道を暴くドキュメンタリーをドラマ風に描いたものでした。
国民は初めて知らされる「真相」に驚くと同時に政府や軍部を激しく憎みました。
しかしこの番組は実はGHQがすべて台本を書いており、放送される内容も占領政策に都合のいいもので、真実でないものも多かったのです。すべては日本人を「国民」対「軍部」という対立構図の中に組み入れるための仕掛けだったのです。
また「太平洋戦争は中国をはじめとするアジアに対する侵略戦争であった」ということを徹底的に刷り込むためのものでもありました。

GHQは翌年も『眞相箱』『質問箱』というタイトルで、2年以上にわたり洗脳番組を放送し続けました。
GHQが巧妙だったのは、番組の中に時折、日本人の良い面を織り交ぜたことです。そうすることで内容に真実味を持たせたのです。
しかし戦前の政府や軍を批判する内容には、多くの虚偽が含まれていました。
しかし疑義を抱く人の声は「占領政策全般に対する破壊的批判」と見倣され、全文削除されました。
言論を完全に統制され、ラジオ放送によって洗脳プログラムを流され続ければ、国民が「戦前の日本」を徹底的に否定し嫌悪するようになるのも無理からぬことでした。
何より恐ろしいのは、この洗脳の深さです。GHQの占領は7年間でしたが、80年近く経った現在でも、多くの日本人が「戦前の政府と軍部は最悪」であり、「太平洋戦争は悪辣非道な侵略戦争であった」と無条件に思い込んでいることです。

もちろん戦前の政府や軍部にも多くの過ちはありました。
しかし大東亜戦争は決して「侵略戦争」などではありませんでした。
日本には中国を占領する意思はありませんでしたし、アジアの人々と戦争をしたわけではありません。
日本はアメリカの巧妙な罠に嵌って戦争に引きずり込まれたのであり、白人の植民地となって苦しんでいたアジアの人々を、白人支配から解放するために大東亜戦争に打って出たのです。
戦後、日本はアジア諸国に賠償金を支払いましたが、その国々を数十年から300年にもわたって支配していたオランダ、イギリス、フランス、アメリカは、賠償金など一切支払っていないばかりか、植民地支配を責められることも、少数の例を除いてはほとんどありません。

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