国家・国益と人権

◆国家・国益と人権

日本人が信じ込まされている自虐史観によれば、戦前の日本は、天皇陛下を現人神として崇め奉る全体主義国家であり、若い男性はみなお国の為、天皇陛下の為にと言われて、本人の意思とは関わりなく侵略戦争に駆り出され、本来国民を守るべき国が、国民に命までも犠牲を強いた、人権を蔑ろにした時代でした。
また日本には食料や金属、生活物資も枯渇し、武器の製造に必要な金属製品は没収され、残された家族も配給米だけでは足りず、ヤミ米などを頼りとするしかないような生活苦を強いられる、お国の野望の為に個人の権利は極端に蔑ろにされた時代であったというイメージです。
そのように国民を犠牲にしながら、日本を中心とした大東亜共栄圏を築くためにアジア諸国を侵略し、中国・朝鮮をはじめとした、アジアの人々を苦しめた、侵略国家であると教わってきました。
そんな日本は、戦争の終盤には燃料も底をついたため、神風特攻隊や人間魚雷のような、兵士の命を犠牲にすることで、相手に最大限のダメージを与えるような作戦を次々と敢行し、最後は一億総玉砕と唱えるほどに、人間の命を疎かにする国家であったと信じ込まされています。
そのような自虐史観を信じることで、国を優先するという考え方には、人間の命を軽んじる戦前の日本を彷彿させるというトラウマが生まれ、日本国民は他の国々以上に、人権よりも国家・国益を優先するという考え方に対しても、強烈なアレルギーを持つようになってしまいました。

新型コロナウィルスの世界的パンデミックに際しても、日本は中国や韓国はもちろん、欧米諸国と比べても、国家を優先し、個人に犠牲を強いる政策は一切行えず、グダグダなコロナ対策しかできなかったことは記憶に新しいところです。
例えば日本以外の国では緊急事態宣言を発令することによって、感染者が出た地区を強制的に隔離したり、外出は一切認めず、それを破った人には法外な罰金が命じられたりと、日本人の感覚とは全く違った対策が取られていました。
一方日本では、諸外国のような強引な対策はほとんど行われず、全てがお願いベースでしかできない、国家の力の弱さばかりが目立ったコロナ対策でした。
その結果、最初の緊急事態宣言の時だけは、さすがに日本人も真面目に家にこもり、外出は極力避けるという対応を行いましたが、何度も緊急事態宣言を繰り返すたびにその効力は薄れ、最後の方では緊急事態宣言が行われているのか、行われていないのかさえもよく分からなくなるほど、ゆるゆるの宣言でしかありませんでした。

このように国家・国益を優先するか、個人を優先するかという場面でよく使われる言葉が『人権』です。
日本人には第二次世界大戦という大きなトラウマがあるために、国家・国益を優先し、個人を犠牲にするという考え方には強烈なアレルギーがあります。そのため国家・国益を最優先にしなければいけないような緊急事態時だったとしても、人権と言われるとそれ以上何もできなくなる、グダグダな国家となってしまいました。
しかし本来国家・国益と人権とは、決して対立する関係などではありません。国家が成り立って初めて人権は守られるものであり、国益を侵害する人権もあり得ないのです。国家は国民のために存在するものであり、国家には国民を守る義務があるように、国民もまた法律を守り、国家を守る義務があるのです。

自虐史観で言うように、日本はアジアを侵略するために第二次大戦を戦ったわけではなく、あくまでも日本に触手を伸ばしてきた欧米列強の脅威から、日本を守るために戦った防衛戦争であったのであり、国民に犠牲を強いたのも、アジアの他の国々同様欧米列強の植民地となって、奴隷のように虐げられることから日本の国民を守るため、国民の人権を守るために戦った防衛戦争だったのです。
つまり国民を犠牲にしながら侵略戦争を行ったのではなく、国民を守るために、国民にも犠牲を強いらざるを得なかったのが第二次大戦の真相です。
国家は国民が守らなければ誰も守ってはくれません。国家には国民を守る義務があるように、国民もまた国家を守る義務があるということです。

自由な国家に生まれた私たちは、いつしか自由の定義をはき違え、勝手気ままにふるまうこともまた、自由であると勘違いするようになってしまいました。
しかし自分勝手に、自分の欲望のままに振舞うことは、単なる我がままに過ぎません。自由の範疇には入らないのです。
自由はあくまでも、国民として、人としてのルールを守ったうえでの自由であり、他人に迷惑をかけてまで、自分の思い通りに我を通すことも、自由にできるわけではありません。

国家と人権、国益と人権の間にも、同じような関係性があります。
人権も国家・国益を守ったうえで保証されるものであり、国家・国益を侵害する権利などは最初から存在しないのです。
国家・国益を侵害する者は、国家・国民の敵であり、排除されるべき対象でしかありません。

例えば革新的な技術を開発した研究者がいたとします。
その革新的な技術は今の社会を変える程の力を持つばかりか、軍事的に応用されれば、今の世界の軍事的バランスをも崩しかねないほどの技術だったとします。
その研究者を例えばC国がスカウトし、最高の待遇で迎えたいとしたとき、日本はそれを黙って容認してもよいものでしょうか?
その研究者がその研究は自分のものだから自分の好きにする、国の干渉など受けたくないと言った時、その研究者の人権を優先し、C国に行くのを黙って見過ごしてもいいのかという問題が発生します。
答えはもちろんノーです。その研究者がC国へ行ったらば、日本の国益が失われるばかりか、日本の脅威ともなってしまうからです。その研究者が日本人である限り、決して日本の国益を犯してはいけないのです。
C国がその技術者を迎える時、日本には危害は加えないなどと約束していたとしても、その約束は永遠に守られるという保証はどこにもありません。C国がその革新的な技術をもって、いつか日本を攻撃してくる可能性がある以上、その研究者がその技術を持ってC国に行くことを許可できるはずもありません。いくら人権を主張したとしても、国益に反する人権など認めるわけにはいかないのです。
研究者の立場で言えば、日本人である以上、いくら人権は大事だとは言っても、その前に国益を守る義務がある、人権の上に国益があるということです。
たった一人の我がままを優先し、国民全体を危険にさらす権利などないということです。
このように人権の上位に国益があるのであり、人権を守ることは大切ですが、国益に反する人権は認められるべきものではないということです。

別の見方をすれば、国益が損なわれ、国家が危機に瀕したらば、国は国民を守ることなどできなくなるということです。もちろん人権を守ることもできなければ、生存権さえも守ることができなくなるのです。
ですから人権の上位に国益が来るということなのです。
国が守られ、存続する前提に立った上で、人権は擁護されるべきであり、尊重されるべきものなのです。
このような国益と人権の関係性をはっきりと認識することが重要です。
国益を犯す人権はあり得ず、国益を守る範囲でのみ、国家によって人権は尊重されるということです。

日本人には国家を優先することにいくらアレルギーがあると言っても、国家や国益を守らなければ、国民も守られないということは、はっきりと認識しておく必要があるのです。
今の日本では、国民は国の為に個人の権利を犠牲にすることに対して、強烈なアレルギーがあるため、少しでも個人の権利が侵されるような問題があると、いわゆる人権派弁護士のような人や、政治家が『人権』を振りかざし、国を優先することに対して反対してきます。
しかしそのような場合でも、その主張は国益にかなっているものなのか否かを、まずは考える必要があるのです。
その人権を優先した結果国益が損なわれ、より多くの国民の人権を危険にさらしてしまわないかと考えることで、その主張が正しいものか否か、答えは自ずから明らかになることと思います。
例として挙げた研究者の場合を見ても、新型コロナ感染拡大時の対応の問題を見ても、個人の権利を優先することは、より多くの国民を危険にさらすことに繋がるのです。
国益を犯す人権はあり得ず、国益を守る範囲でのみ、国家によって人権は尊重されるということなのです。

・自虐史観は間違い

日本人には国家・国益を優先するということに対して、トラウマがあると最初に申し上げました。
戦前の日本は天皇を中心とした全体主義国家であり、全体を優先した結果アジアを侵略し、アジアの人々に取り返しのつかない罪を犯してしまった、国家は国民の命を蔑ろにしたという、自虐史観に縛られているということを申し上げました。
しかしそもそもそんな自虐史観が間違いであることは、多くの証拠と証人によって既に証明されている明らかな事実です。
【Japan First 通信】の立場としては、百田尚樹氏による『日本国紀』に代表されるような日本の国史を支持しています。
詳細は【Japan First 通信】学習編にある日本の歴史の項をお読みいただくこととして、ここでも簡単に触れておきたいと思います。

自虐史観を信じると、戦前の日本は全体主義国家であり、国民には自由は無かったかのごとき錯覚に陥ってしまいますが、戦前の日本も立派な民主主義国家でした。
確かに戦争の終盤は召集令状が来ることで、多くの若者は戦争に強制的に駆り出されていましたから、兵役を避けることができなかったことも事実です。
しかしそもそも日本は、自虐史観で言っているような侵略戦争を起こすことなど考えてもいなかったし、自国を守るために戦争に巻き込まれたにすぎませんでした。

日本が大陸に進出したのは、ロシアの南下政策に脅威を感じていた明治政府が、清と朝鮮にロシアの脅威に対抗し、共にアジアを守るよう働きかけたにもかかわらず、清も朝鮮も国際情勢にも、ロシアの脅威にも無関心で、近代化の必要性も感じていなかったために、日本は結果的に清と戦い、ついには単独でロシアとの間で日露戦争を戦うことによって、日本防衛の為に、朝鮮半島を守る戦いを行わなければいけなくなったからです。
幸い日本は、日露戦争には勝利することはできましたが、ロシアは革命によってソ連となった後も、共産主義国・ソ連南下の脅威はそのまま継続したため、日本は大陸から撤退することもできずに、朝鮮を併合し、満州国を建国し、治安の乱れた支那からも撤退することができなかったのです。

当時の日本は、早く支那を平定し、撤退することを望んでいましたが、国民党政府はソ連をはじめとして、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ等からの支援を受け、日本との戦闘を長引かせるように仕向けられていたため、日本はさらに支那事変の泥沼へと引きづり込まれていったのです。
またソ連・コミンテルンによる対外工作によって、日本とアメリカの政府内には、コミンテルンの工作員が暗躍し、日本にはソ連との交戦に向かわせないようにし、同時にアメリカとの間で戦争を起こすように、ありとあらゆる工作活動が行われていたのです。
一方アメリカ・ルーズベルト政権は日本との戦争を画策し、実質的に宣戦布告に等しい挑発行為を何度も繰り返し、日本を戦争をせざるを得ないところまで追い詰めたため、窮鼠猫を噛むかのごとくに、日本はアメリカに対し宣戦布告無き先制攻撃、つまり真珠湾奇襲攻撃を行ってしまいました。
日本はアメリカとの戦争に突入しても、あくまでも戦争には大義が必要であると考え、アジアの盟主として、欧米による植民地支配からのアジア諸国の解放を目標にし、大東亜共栄圏の建設を掲げて、アジアの各地へと進軍しました。つまり日本が戦ったのはアジア諸国とではなく、大航海時代以来、アジア諸国を植民地として虐げ、搾取し続けてきた、欧米列強と戦ったのです。
このようにして日本は、あくまでも戦争を避けようとしていたにもかかわらず、ソ連や欧米列強の策略に嵌り、第二次世界大戦を戦うことになったのです。

そんな日本に対してアメリカは、必要もなかった原子爆弾まで投下することで、国際法を破って、民間人の大量虐殺を行うなどして、日本を徹底的に叩き潰したのです。
さらに終戦後には日本人洗脳プログラムWGIP(War Guilt Information Program)を実行し、その上東京裁判を行うことで、日本はアジアの侵略戦争を行った戦争犯罪国家であるという烙印を押し、日本に冤罪を着せたのです。
しかし真実は、日本は戦争を起こした加害者などではなく、日本防衛の為に戦争に巻き込まれた、被害者でしかありませんでした。
GHQの司令官だったマッカーサー元帥も、1951年5月3日、米国上院軍事・外交合同委員会で「日本が戦争を始めた目的は、大部分が安全保障のためだったのです。」と、日本は自衛のために戦ったと証言しています。

しかしだからと言って日本には罪はなかったとは言いません。巻き込まれたとはいえ戦争を行った当事者となった以上は、日本にも罪があることは明白です。
例えば喧嘩両成敗と言われるように、言いがかりをつけられ、喧嘩に巻き込まれた側であったとしても、一緒になって喧嘩をしてしまえば、当事者として罰せられるのは当然のことです。
日本も策略に嵌り、戦争せざるを得ないところまで追い詰められたとは言っても、アメリカをはじめとした欧米諸国と、戦争を行ってしまったという事実に変わりはありません。その結果戦禍は拡大し、アジア全体を巻き込む第二次世界大戦へと発展し、多くの犠牲者を出してしまいましたから、その罪から逃れることはできないのです。

しかし日本は全体主義国家としてアジアを侵略した、取り返しのつかない罪を犯した侵略国家だったという自虐史観は明らかに間違いなのです。
第二次世界大戦に勝利した戦勝国側が日本に押し付けた、捏造された歴史であり冤罪なのです。
日本人は歴史の真実を知り、まずは自虐史観の呪縛から解放されなければ、本当の日本を取り戻すことは永遠にできないことでしょう。

・欧米が恐れた日本の精神

何故戦勝国側は、日本を戦争で叩きのめすだけでは飽き足らず、戦後WGIPなる洗脳工作を行ってまで、日本人に自虐史観を植え付ける必要があったのでしょうか。最も大きな理由は、正義の欠片もなかった自分達を正当化するためには、日本を悪者に仕立てる必要があったからだといえます。それと同時に、日本が心底恐ろしかったからではないでしょうか。

第二次大戦は大きく分けて、ナチス・ドイツのヒットラーが引き起こした「ヨーロッパ戦線」と、日本を中心とした「アジア・太平洋戦線」とに分けることができます。
「ヨーロッパ戦線」と「アジア・太平洋戦線」では、性格が全く違ったものでしたので、ここでは「アジア・太平洋戦線」についてのみ言及すると、日本の戦争はあくまでもソ連の南下に対抗する自国防衛のための戦いであり、それは同時に共産主義の拡大を防ぐための戦いであり、アジア各国を植民地から解放するための戦いでした。
一方日本に対抗したアメリカ、イギリス、オランダ、フランス、ソ連の中で、アメリカ、イギリスは主に中華民国での利権を獲得するために、邪魔な日本を謀略を持って支那事変の泥沼へと引きづり込んでいきました。
ソ連は日本との戦争を避け、共産主義圏の拡大を図るために中国共産党を設立し、アメリカと日本には工作員を送り込むことで、日米戦争を画策しました。
その結果アメリカ、イギリス、中華民国、オランダによるABCD包囲網が敷かれたため、日本は経済的にも追い詰められ、石油資源の獲得と、大東亜共栄圏の建設を大義として掲げることで、インドネシアの解放をめぐりオランダと戦いました。
そしてアジアの解放の為にフランス、イギリスとも戦い、一時的ではありましたがアジア諸国の解放にも成功しました。
このように日本は自国の防衛と、アジアの植民地の解放の為に戦ったのに対して、欧米列強の戦いは、アジアにおける植民地利権を守り、拡大するための戦いであり、ソ連にとっては共産圏の拡大のための戦いでした。
つまり連合国側にとっての第二次大戦は、植民地としてアジアを搾取し続けるための戦いであり、植民地を拡大するための戦いであって、自国の利益のみを追求するために戦った連合国側には、正義は全く存在しなかったのです。
そればかりかアメリカは、敢えて人口密集地帯の広島、長崎に原子爆弾を投下することで、日本人非戦闘員の大量虐殺を行うという、明らかな国際法違反、戦争犯罪を犯したため、自分たちの罪を隠蔽する必要がありました。
そのため東京裁判を行い、日本に全ての戦争責任を押し付け、戦犯国家とする必要があったのであり、さらには日本人に戦犯国家としての罪を自覚させるために、日本人洗脳プログラム・WGIPを実行する必要があったのです。

しかしそれ以上に欧米列強が恐れたのが、日本人の精神であり、魂だったのかもしれません。
日本は日露戦争に勝利することで、白人支配の時代に終止符を打ちました。
有色人であり、小さな体の日本人の勝利は、アジアとアフリカの植民地として虐げられていた有色人たちに、大いなる勇気と希望を与えるものでした。
その後第一次世界大戦における日本の活躍も、白人社会にとっては脅威ととらえられたのではないでしょうか。
また国際社会で認められるようになった日本は、パリ講和会議の場では、『人種平等法案』を提出するなどして、世界の白人支配体制に真っ向から立ち向かうようになりました。
そんな白人支配体制の敵日本を、欧米諸国は謀略を持って第二次世界大戦へと引きずり込み、日本を叩きのめすことにしたのです。

彼ら欧米諸国にとって、小さな体の日本人の強さの源を研究すると、それはニ千数百年間続いた天皇制の故であり、神として崇め奉る天皇陛下のためになら、命をも喜んで捧げることのできる日本人の精神にあるとの結論を得たのではないでしょうか。
無私の犠牲精神ほど恐ろしいものはありません。お金や権力で懐柔することなどできませんし、力で押さえつけることもできません。純粋に愛する者の為に自らを喜んで捧げることのできる無私の犠牲精神には、恐れるものは何もありませんし、何物にも屈することもありません。
そんな無私の犠牲精神を、日本人は誰でも普通に持っており、天皇陛下の為に、日本の為に、愛する家族の為にと言って、喜んで自らを捧げる日本人の姿に、欧米の白人たちは心底恐怖を感じたことでしょう。
第二次世界大戦で日本を叩き潰すことには成功したとしても、日本人の精神、日本人の魂までも粉砕しない限り、いつか再び欧米列強にとっての脅威となる日が来るのではないかと考えると、日本の強さの源、日本人の魂までも破壊しなければいけないと考えるのは必然です。
そのため日本人洗脳プログラム・WGIPが考案され、実行されたのではないでしょうか。

・日本人洗脳プログラムWGIP

WGIPではまず、事実を捏造してまでも、戦前の日本軍部の不正腐敗を徹底的に暴き、日本人の国に対する信頼と愛国心を破壊することから始めました。
そして国を愛する指導者を公職・教職から追放し、その代わりに反日的思想を持った人々を登用し、戦勝国側にとって都合の悪い書物や、愛国心を高揚させるありとあらゆる書物を廃棄し、戦争放棄を謳った憲法を押し付け、東京裁判を行うことによって、日本を一方的に戦犯国家に仕立て上げ、歴史を改竄することに成功したのです。
その結果日本人からは愛国心が失われ、反日的思想がはびこり、欧米列強が恐れた日本人の魂までもが失われてしまいました。

日本人から愛国心や、公的犠牲精神を奪うために彼らが利用した言葉が、『平和』であり、『人権』という言葉でした。
日本は『平和』を求め戦争を放棄する。戦争を放棄するので軍事力をも放棄する。軍事力の放棄こそが平和の礎というような理屈を作り、軍事力に繋がるすべての行為を悪と考えるように洗脳したのです。

またお国の為に自分を犠牲にするという、公的犠牲精神を破壊するために用いたのが『人権』です。
国を優先するということに、戦前の日本の姿を重ね合わせることによって悪いイメージを作り上げ、何よりも優先されなければいけないものとして『人権』を主張するようになりました。

確かに第二次大戦の終盤は、日本は人権を考えることなく、日本人兵士を犠牲にすることで戦争の継続を模索しました。
しかし元々日本は、世界中のどこの国よりも人権を大切にする国であり、世界を一つの家のように考える『八紘一宇』の精神をもってして、アジアの解放のための戦いをしたのであり、天皇陛下を親として、全ての日本国民は天皇の子供のように考えるのが日本でした。
このような親のような天皇陛下の心情は、戦後マッカーサーのもとを訪ねた時の会見の中身に現れています。
「終戦直後、天皇と初めて会見したマッカーサーは、天皇が命乞いをするためにやって来たと思った。ところが、天皇の口から語られた言葉は、『私は、国民が戦争遂行にあたって行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためお訪ねした』というものだった」。
それに対しマッカーサーは、「私は大きい感動にゆすぶられた。この勇気に満ちた態度は、私の骨のズイまでもゆり動かした」と『マッカーサー回想記』の中に記されています。

全体主義国家の元首はほとんど例外なく、自国民を犠牲にしてまでも自分の野望を果たそうとする独裁者であり、戦争に負けたときは、自国民を見捨てて自分だけ逃げ出すのが当たり前で、自分の身を捨ててまでも自国民を守ろうとする元首など、ほとんどありえませんでした。
そのうえ日本は、天皇自らが主導して戦争を行ったわけではなく、軍部が暴走し戦争に向かったということもマッカーサーは知っていたため、本来ならば責任を追及されるべき存在ではない天皇が、戦争責任を一身に背負われて、自国民を救ってほしいと嘆願してきたことに対して感動を覚えたのでした。
マッカーサー自身もフィリピン戦において戦況が悪化した際、大統領の指示ではありましたが、10万余りのアメリカ・フィリピン軍の兵士を見捨てて、単身フィリピンを脱出した過去を持っていたため、天皇陛下の高潔な姿には、なおさら感動したのでしょう。

このような天皇陛下の姿にも見られるように、日本は決して人権を蔑ろにする国などではなく、むしろどの国よりも人権を大切にする国でした。
実際に数百年間人権を踏みにじってきたのは、アジア・アフリカを植民地として搾取してきた欧米白人国家でした。
そんな欧米白人国家に、アジアの解放を謳い、戦いを挑んだのが日本だったのです。
自虐史観によって国家・国益を優先する思考を停止させ、個人の権利のみをクローズアップさせる人権主義は、美しい日本人の精神、魂をも破壊してしまうということを肝に銘じなければいけません。
何度も申し上げますが、国益を犯す人権はあり得ず、国益を守る範囲でのみ、人権は尊重されるということです。

・美しき犠牲精神

本来、愛する者の為に自らを犠牲にすること、より公の目的の為に自らを犠牲にすることは、誰にでもできることではない、人間として最も美しい行為です。
例えば2020年に公開された映画『Fukushima 50』(フクシマ フィフティ)をご覧になった方は多いことと思います。
東日本大震災時、福島の原子力発電所のメルトダウンの際、福島原発に最後まで残って、原発の爆発事故を防いだ福島原発職員たちの実話です。
彼らはこのままでいくと福島原発は爆発してしまう、日本の大半は放射能で汚染されてしまうという危機的状況において、自分たちの命を顧みず、日本と日本の国民、自分たちの愛する家族を守るため、自分の命を投げうって最後まで爆発を防ぐために戦った英雄たちです。
爆発を避けることができ、爆死することはなかったとしても、放射能に汚染されてしまえば、命を失う危険性が高かったにもかかわらず、現場から決して逃げ出そうとはせず、最後まで職務を全うした彼らは、英雄以外の何者でもありません。
彼らの英雄的行為によって日本は守られたのであり、私たちの生活も日常を取り戻すことができたのです。
日本人として彼らを姿を、決して忘れてはいけないのではないでしょうか。

しかし私たちが忘れ去り、それどころか日本の歴史の汚点のように考えてしまっているのが、第二次大戦時の日本軍です。
自虐史観によって日本を侵略国家とすることによって、第二次大戦時に犠牲となった2百万人の兵士はもちろん、お国の為に命を懸けて戦った全ての日本軍軍人を罪人扱いしてしまっているのです。
彼らは罪人などではなく、『Fukushima 50』の英雄たちと同じ犠牲精神を持って、愛する者の為に命を捧げようとした英雄たちなのです。彼らは純粋に日本の為、天皇陛下の為に犠牲となって、自らの一身を捧げた英雄たちなのです。
そんな英雄たちを東京裁判では冤罪を着せ、罪人に仕立て上げ、戦争犯罪人のレッテルを貼って裁いたのです。
そんな東京裁判を受け入れ、自虐史観を信じているのが私たち現代の日本人なのです。

想像してみてください。若くして戦争に駆り立てられ、戦場で敵の砲弾に晒されながらも、決してその場から逃げ出すこともなく、命を懸けて勇敢に戦った日本人兵士の姿を。
神風特攻隊などでは自ら志願し、お国のためといいながら、命を捧げる覚悟を持って敵地に向かって飛び立っていった彼らの雄姿を。
彼らを突き動かしたのは、決して鬼畜米英に対する憎しみなどではなかったと思います。天皇陛下に対する忠誠心と、日本と自分たちの故郷に残した家族を守るために、自らの命を捧げたのです。
命を捧げたその瞬間、彼らの脳裏には日本と家族に対する愛情しか無かったのではないでしょうか。
彼らの愛情は、『Fukushima 50』の英雄たちと全く同じであり、そんな彼らを私たちは決して忘れてはいけないのではないでしょうか。
私たちは彼らの犠牲の上に生かされているのであり、彼らに代わって日本と故郷を守らなければいけないのではないでしょうか。

自虐史観はそんな彼らの愛情、美しき犠牲精神さえも否定してしまうものです。
日本はアジアを侵略し、日本の植民地とすることによって、日本を中心とした大東亜共栄圏を作るために、第二次世界大戦を戦ったんだとすることによって、日本の正義を破壊するために行われた東京裁判史観を受け入れ、戦前のすべては悪だったという常識を植え付けたものです。
日本を守った英雄たちに冤罪を着せ、犯罪者としてのレッテルを貼ることで、日本人の精神までも奪ってしまったのです。
国を愛する心こそが、日本の強さの原点であることを知った欧米列強は、日本人から国を愛する愛国心を奪う必要がありました。そのために自虐史観を植え付け、戦前のすべてを悪と定義し、国を愛する心の代わりに人権の重要性を訴えることで、日本人の精神を、魂を破壊してしまったのです。
私たち日本人こそが自虐史観は誤りであり、第二次世界大戦は日本の防衛のための、やむを得ない戦いだったという真実の歴史を知ることによって、戦争犯罪人の汚名を着せられた、数百万人もの若き日本人兵士たちの冤罪をも晴らさなければいけないのではないでしょうか。

・正義の勝利

日本は第二次世界大戦に負け、原子爆弾まで投下され、さらにはWGIPによって洗脳され、日本人の魂までも奪われてしまいました。
しかし日本の戦いはあくまでも正義のための戦いであり、戦争には負けてしまいましたが、日本人が示した正義はその後の世界を変えることになります。
日本が占領したアジアの諸国は、日本人によって訓練された現地人を中心として独立義勇軍が編成され、日本が戦争に負け撤退した後にやってきた旧宗主国に対して戦いを挑み、次々と独立を果たしたのです。

日本の敗戦によって再びアメリカの植民地となったフィリピンでは、1946年に独立が認められ、イギリスの植民地だったミヤンマーでも、1948年に独立が認められることになります。
インドネシアに再びやってきた旧宗主国オランダに対しては、旧日本兵3,000名が加わったインドネシア独立軍が戦いを挑み、1950年にようやく独立が認められました。
インドシナにやってきた旧宗主国フランスに対しては、ベトナム、カンボジア、ラオスが立ち上がり、インドシナ戦争を戦うことで1954年に独立を果たしました。
イギリスの植民地だったマレー半島では、日本の敗戦後再びイギリスによる支配を受けますが、マレー人を中心とした独立運動が活発化し、1957年にマラヤ連邦が独立し後に国名をマレーシアとし、華僑を中心として1965年にはシンガポールが独立を果たします。
また日本軍によって解放されることはありませんでしたが、大国インドも1947年にはイギリスの圧政から解放され、独立を果たしています。

戦争には負けましたが、日本が掲げたアジアの解放が次々と果たされる様を見た歴史家たちは次のように評価しています。

高名な歴史家、ア-ノルド・J・トインビ-。
「第二次大戦において、日本人は日本のためと言うよりも、むしろ戦争によって利益を得た国のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命な理想である大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。イギリス人もフランス人もアメリカ人も、ともかく我々はみな将棋倒しにパタパタやられてしまった。そして最後にアメリカ人だけが軍事上の栄誉を保ちえたのである。他の三国は不面目な敗北を記録したことは、疑うべくもない。」

タイのククリット・プラモード元首相。
「日本のおかげで、アジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が、アメリカやイギリスと対等に話ができるのは、一体だれのおかげであるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあったためである。12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大決意された日である。さらに8月15日は、われわれの大切なお母さんが、病の床に伏した日である。われわれはこの2つの日を忘れてはならない。」

経済学者のピータ-・F・ドラッカー。
「結局のところ、最後に勝ったのは日本だった。軍事的には、日本は第二次世界大戦において、歴史上もっとも決定的な敗北を喫した。しかし、その後の推移では、政治的に敗北したのは西洋だった。日本は、西洋をアジアから追い出し、西洋の植民地勢力の権威を失墜させることに成功した。その結果西洋は、アジア、ついでアフリカからの西洋化された非西洋世界に対する支配権を放棄せざるをえなくなった。」

日本帝国史研究で高名なスタンフォード大学名誉教授のピーター・ドウス。
「日本人は西洋の脅威から自分を守るために、近代国家の道を歩んだ。白人の奴隷になり、植民地支配を受けることへの恐怖だった。この脅威から多くの日本国民は『白人の優越』を覆さねばならないと、心底から思った。そのスケールは、『平民』を解放したフランス革命や、『労働者』を解放したロシア革命よりもはるかに壮大なものだった。それは、有色の民の解放という『人類史の大革命』だったと呼んでも過言ではない」

こうして第二次大戦後の世界を見ると、日本は確かに世界の歴史を変えたということが分かります。
大戦前は、白人のみが人間としての人権が守られ、有色人種は人間以下の存在として、家畜同様の扱いを受けるような時代でした。
日本はそんな白人支配の世界に真っ向から立ち向かい、白人が支配する世界秩序を変え、有色人もまた白人と同じ人間であるという、有色人の人権をも守る世界が誕生したのです。
日本の戦いはあくまでも日本の防衛のための戦いであり、欧米列強からアジアを解放する、正義のための戦いだったのです。
しかしそんな日本の正義を認めたのでは、欧米列強は自分たちの植民地政策をも否定されかねないため、日本の正義を否定し、日本に冤罪を着せる必要が生じ、自虐史観を植え付けることにしたのです。
こうして自虐史観を定着させ、日本人に戦争を放棄させ、日本人の魂を破壊するために利用された言葉が『平和』であり『人権』でした。

人権を訴える人たちの中には、国に対する恨みに満ちた人たちもいます。
国を弱体化するために人権を主張し、人権という言葉を利用しては、国の弱体化を図っているような方もいるのです。
つまり人権活動家や人権派弁護士の中には、国家転覆をはかる、多くの極左の活動家が紛れ込んでいるのです。
もちろん人権派と言われる弁護士や活動家のほとんどは、純粋に人権擁護のために働いておられる、立派な方々ではあるのですが、そんな方々の純粋な思いまで、国家弱体化のために利用されてしまっているのではないかと危惧されるのです。
もちろん人権は尊重されなければいけませんが、あくまでも国益を犯す人権などあり得ず、国益を守る範囲でのみ、人権は尊重されるべきということを肝に銘じなくてはいけません。
この人権と国益の関係性を明確にすることで初めて、人権を尊重しながら、同時に国益を守ることができるようになることでしょう。
国益と人権はあくまでも対立するものなどではなく、国益を守ることによって初めて人権も守ることができるのです。国益が失われると人権も失われるのであり、国益を犯す人権はあり得ず、国益を守る範囲でのみ、人権は尊重されるということなのです。

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