国民性
~歴史に現れる、環境・思想によって形成された国民性~
1、地理的環境の違い
私たちが人を判断するとき、その判断の基準は常に自分にあります。
私が感動するものには誰もが感動するだろうと思いますし、私が嫌なことは誰もが嫌だろうと考えます。
それは私たち人間が生まれながらにして持っている、心が希求する価値観には共通するものがあり、それが認識上の真と、倫理上の善と、審美上の美、つまり人間は同じ真・美・善を追求する存在だという共通認識があるからです。
しかしそんな人類共通の価値観にも、国民性による差異があることもまた現実です。
つまりそれぞれの国民の民度の高さによって、真・美・善を追求する思いが強いか、それとも自分の欲望のままに生きようとするかの違いが生じてしまうからです。
それはそれぞれの国が置かれた地理的環境、民族が直面してきた歴史によって違うものとなっており、生き延びるために獲得してきた、民族の知恵と言ってもいいのかもしれません。
例えば日本は誕生以来ずっと島国として、単一民族として守られてきた地理的環境にあり、祭祀を行う天皇を、神と人とを繋ぐ神の代身者として、日本民族の親のような存在として、いわば一つの大家族のような社会を形成してきました。
それ故日本で起こる戦争と言えば、民族全体で見れば兄弟喧嘩のようなものでしかなく、どんなに大きな戦争が起こったとしても、親のような存在である天皇に対する畏敬の念は、いつの時代においても変わることなく、天皇の地位を脅かそうとする存在もありませんでした。
例えば武士が台頭し、天下を手に入れたとしても、天皇家を滅ぼし、自らが天皇の地位を奪おうと考えた武将は一人もいませんでした。逆に戦いに勝利することで権力を手に入れた武将は、天皇に関白や征夷大将軍に任命されることによって、自らの権威付けを行ってきたのです。
このように日本では、国を治める為政者が替わったとしても、天皇の権威は常に揺るぐことなく、あくまでも実質的に日本を統治する権力者の交代が起きるに過ぎませんでした。
また日本を実質的に統治する権力者の交代とは言っても、それはあくまでも日本人の中だけでの出来事であり、日本民族の存亡にかかわるような危険には、ほとんどさらされることもありませんでした。
一方中国大陸などでは、領土が広い分民族も多く、一つの民族が他の民族を征服し、領土を獲得するということは、征服された民族の滅亡をも意味しました。征服した民族は征服された民族の財産と女を戦利品として奪い、男たちは皆殺しにされるか、奴隷として売り払われるかという過酷な環境に常に置かれてきたからです。
そのような環境に生まれた民族は、力をつけ周りの民族を征服するか、または最初から力ある民族に媚びへつらい、従属しながら生き延びるかしか、その民族が生き残る術はありませんでした。
周りが攻撃的な民族か、狡猾な民族ばかりだった場合、優しく、正直で、協調性の高い、非攻撃的な民族などは、力によって征服されるか、騙されて征服されるしかなく、到底長い歴史を生き延びることができる環境にはなかったからです。
常にそのような過酷な環境に置かれ、今日まで生き延びることができた民族は当然、傲慢で強圧的な民族性を帯びるか、または狡猾で腹黒い民族性になるかしか、民族が生き延びる術はなかったのではないでしょうか。
このように民族性も、各民族が置かれてきた歴史的な環境によって当然変わるものであり、価値観も当然変わってくるものなのです。そのような民族性や価値観を理解しない限り、今日の世界においても、正しく外国とは付き合うこともできないのではないでしょうか。
(参考 変化する階級闘争理論)
2、宗教・思想による影響
また歴史的に見た場合、それぞれの民族に影響を与えるものは、地理的環境以外にも、宗教や思想による影響も無視することはできません。
例えば大航海時代、西洋列強による植民地争奪過程における略奪・虐殺の歴史には、キリスト教思想が大きく影響していました。
当時のキリスト教白人国家は、キリスト教を信じるものを神に祝福された特別な存在とし、あたかも自分たち白人キリスト教徒は神に選ばれた選民と考え、キリスト教を信じないものは異教徒として、神の祝福には預かれない、人間以下の存在としてとらえる人種差別思想が生まれ、世界中を植民地にする過程で多くの悲劇を生み出しました。
またキリスト教以外にも、マルクスによって共産主義思想が体系化されることにより、世界中で革命の嵐が吹き荒れ、恐怖の歴史が綴られるようになりました。
共産主義を信じる者にとって、全ての人が平等な社会である共産主義世界こそが、人類が行きつく理想の世界であり、共産主義世界の実現こそが、人類が目指すべき絶対的正義であると考えるようになりました。
また共産主義世界の実現のためには、暴力革命が必然であるという考えのもと、多くの国で暴力による革命が行われ、第二次世界大戦以降の大量虐殺が、世界中で密かに行われてきたのです。
しかし現実は、共産主義世界の実現を目指し、暴力革命に明け暮れた社会は例外なく、万人平等な社会となるどころか、独裁者が支配する、恐怖による絶対的階級社会が形成され、大部分を占める民衆は貧しく虐げられる、理想とは真逆な社会となってしまいました。
キリスト教思想においても共産主義思想においても、彼ら自身は絶対的な正義という立場に立っていたために、自分たちが行う行為もまた全てが正義であると、自分たちを正当化することができました。そのため彼らに反対する勢力は、必然的に悪と規定されることとなり、悪を滅ぼすことは当然正義であるため、良心の呵責など感じることもなく、彼らはどんな残虐行為でも平気で行うことができるようになってしまったのです。
こうしてそれぞれの国の国民が持つ信仰や思想によっても、価値観が全く違ったものになってしまうため、それぞれの宗教や思想を理解せずして、お互いを理解することはできないのです。
例えばキリスト教と共産主義の例で考えるならば、キリスト教は神を信じ、神を中心とした理想世界を描いており、一方の共産主義は神を否定しているため、神無き物質中心の理想世界を描いています。
両者は一見同じ理想世界を目指しているように見えても、その理想世界の姿は全く違った価値観の、全く異なった世界になってしまうのです。
同時にキリスト教も共産主義思想も、自分たちこそが正義であり、自分たちとは違う異質な存在は、敵または征服すべき存在と認識しているため、お互いがお互いを認め、共存できる世界を作るなどということは、ほとんど不可能に近いと言えるのではないでしょうか。
ですから国家間の関係を考えた場合、そのような宗教・思想による価値観の違いも認識しなければ、正しい関係を築くことはできないと言えるのです。
3、歴史的な教訓
国と国との良好な関係を構築しようとする際、よく使われる言葉が未来志向という言葉です。
歴史問題は一旦棚に上げて、つまり過去は一旦水に流して、良好なる未来の関係を築くことの方が大切だということです。
しかし過去に学ばないお人好しな国・日本は、この未来志向という言葉に何度も騙されてきました。
過去何度も騙されてきた相手に、今度こそは良い関係を築きましょうと言われると、その言葉を鵜呑みにして、全く同じ過ちを繰り返してしまうのです。
騙すことを悪とは考えず、騙される方が悪いと考える国の場合、過去に学ぶことなく、何度も騙され続ける日本の方が悪いと考えるのは当然のことです。価値観が違っているわけですから、相手も日本と同じ価値観を持っているなどと、勝手に思い込んでしまっている日本の方が悪いのです。
日本人は民度が高く、良識的ですから、約束はどんなことがあっても、絶対に守らなければいけないと考えますが、多くの国にとって国際的な約束などは、臨機応変に変わってしまうものでしかありません。極端に言えば約束は破るためにあるとまで言い切る国もあるほどです。
また日本は約束を守るお人好しの国であるため、利用するだけ利用しようとする国もあります。
経済的に発展している日本から、可能な限りの経済的援助を引き出し、日本の技術を提供してもらう一方、裏では反日教育を徹底したり、日本の技術を盗んでは、その盗んだ技術を使って軍事力を強化し、日本を攻撃しようとしている国々も存在しているのが現実です。
このような過ちを繰り返さないためには、歴史に学ぶことこそが重要になってくるのです。歴史を学ぶことによって、相手の国はどんな民族性を持つ国なのかを正しく理解し、二度と再び同じ過ちを繰り返さないことこそが、正しい二国間関係を築く基本となるのです。
4、歴史から見た対日関係
歴史的に日本に対し、どのような姿勢で対してきたのかを、韓国・北朝鮮、中国、ロシア、アメリカなどの具体的な例から見ていきたいと思います。
①韓国・北朝鮮
まずは韓国(北朝鮮)の場合を見てみます。
韓国(北朝鮮)は、日本による朝鮮統治時代、日本から民間も含めて80兆円をはるかに超える資本が投入され、日本は朝鮮の近代化に大きく貢献しました。その結果朝鮮は、40年にも満たない統治期間中に、人口は2倍に増え、平均寿命も約2倍に伸び、インフラは整備され、国民の生活は飛躍的に向上しました。
しかし韓国人は歴史を改竄し、日本統治時代を屈辱の時代、虐げられた時代として反日感情を煽り、ことあるごとに日本から賠償金をせしめようとして、日本に対して捏造された歴史問題を突きつけてきました。
例えば1965年の日韓請求権協定締結の際には、無償3億ドル、有償2億ドルを供与する協定を、「完全かつ最終的に解決した」として締結しました。ちなみに当時の韓国の国家予算は3.5億ドル程度でしたので、合計5億ドルという金額は、どれほど大規模な資金供与が行われたかが分かります。
しかし今問題になっている徴用工問題は、締結から50年経って、日韓請求権協定を個人には適用されないと、韓国側が勝手に解釈を変えたところが発端となっています。
慰安婦問題にしても、2015年の慰安婦問題日韓合意において、「最終的かつ不可逆的な解決」を確認したにもかかわらず、韓国ではその後も慰安婦像を作り続けては、韓国国内ばかりか世界中に慰安婦問題を波及させ、反日感情を煽ろうと躍起になっています。
そもそも日韓の正しい歴史を知れば、もともと徴用工問題も慰安婦問題も、日韓の間には存在していなかったことがわかります。全ては日本にいる反日勢力が問題を作り出し、それを受けて韓国側が歴史を捏造することで、後世に意図的に作り出された問題でしかありません。
このように日本人と韓国人の間には、根本的に価値観や民族性の違いがあることは否めません。いくら未来志向といって、日韓間でどのような重要な取り決めを結んでも、結局はその場限りの取り決めでしかなく、約束は決して守られることはないのです。つまり韓国との間で、どんなに「完全かつ最終的、不可逆的解決」として国家間の条約を結んだとしても、そんな条約は完全でも、最終的でも、不可逆的でも何でも無く、単なる言葉遊びに過ぎず、何の意味も持たないということなのです。
このような韓国人の民族性を理解しない限り、日韓の正しい未来の構築など、あり得ないということなのです。
②中国
次に中国の場合を考えてみます。
中国は鄧小平が最高権力者となって以来『改革開放路線』を敷くことによって、今日の経済的発展の土台を作りました。
この時期から日本は中国に対し、3兆円余りのODAや経済支援を行うことで、中国の経済発展に直接大きく貢献することになります。
中国は急激な経済発展の結果、深刻な経済腐敗や格差拡大、物価の高騰を引き起こし、人民の不満の矛先は政府に向かい、1989年には天安門事件が発生しました。
天安門事件では戒厳軍が、集まった学生や市民に対し無差別に発砲し、数百人から数万人に及ぶ犠牲者を出すことで、中国政府は西側諸国から非難されることとなります。
西側諸国は武器輸出の禁止、融資の停止などの経済制裁や、政府高官訪問禁止などの外交制裁を発令しましたが、日本だけは中国を擁護し、円借款を再開し、首相が訪中し、天皇陛下も中国を訪問されるなどして、常に中国側に配慮し、西側諸国の制裁解除を後押ししました。
それに対し中国は、国民の不満の矛先を変えるため、歴史を捏造し、反日教育を徹底することで、国民に愛国教育を行い、反日感情を高めるように政策を転換しました。
また同時期に領海法を制定し、沖縄県・尖閣諸島を中国領として領海法に明記することで、今日に至る尖閣諸島問題の火種を作りました。
このように日中国交正常化以来日本は、常に中国を支援し続け、中国の経済発展にも大きく貢献してきたにもかかわらず、中国は表面的には日中友好を掲げることによって、日本から経済援助を引き出し、日本を利用するだけ利用して、裏では反日教育を徹底し、隙あらば日本を飲み込むことだけを考えてきたのです。
また日本の学術界を巧妙に利用し、日本の国費を使って留学生を送り込んでは日本の技術を盗み出し、日本の教授や技術者を好待遇で招いては技術を提供させ、そうやって手に入れた技術を使って軍拡に励み、強大な軍事力を背景にして今まさしく日本の平和を脅かす存在となったのです。
中国は本音では、日本との友好などは一切考えていないばかりか、隙あらば日本を支配しようと、虎視眈々と狙っている国であるということがよくわかります。
③ソ連・ロシア
ソ連・ロシアは、歴史的に常に不凍港を求めては南下政策をとり、日本の安全を脅かしてきました。
日本は明治維新以来常にロシアの脅威に晒されてきましたが、日露戦争ではついに直接対決することになります。
日露戦争で日本は、日英同盟のおかげもあって、思いがけない大勝利をおさめることができましたが、日本の勝利はロシアの恨みをかうことになります。
ソ連との間では、第二次大戦当時は「日ソ中立条約」を締結していました。
しかしソ連は、1945年4月5日に日ソ中立条約の破棄を一方的に通告し、終戦直前の8月9日、日本に対して突然宣戦布告を行うと満州に攻め入り、南樺太を奪い、北方4島を占領し、北海道まで侵攻しようとしました。
また終戦後に捕らえられた約65~70万人もの日本人捕虜は、長い間シベリアに抑留され、苛酷な強制労働を強いられ、約6万人もの死亡者を出しています。
こうしてソ連・ロシアは、一方的に条約を破棄したばかりか、終戦のどさくさに紛れて、火事場泥棒のように日本古来の領土北方4島を奪い取り、今日に至る北方領土問題の火種を作り出したのです。日露戦争に負けた恨みを、このような騙し討ちという形で晴らしたのです。
ロシアは日本からの経済支援を受けるために、北方領土の返還を匂わせることで、表面的には日露関係の改善を模索しているように見せながらも、本音では日露戦争に負けた恨みを、未だに抱いていることが見え隠れしているのです。
④アメリカ
アメリカはかつてルーズベルト大統領が日本との戦争を画策し、謀略を持って日本からの宣戦布告、真珠湾攻撃を引き出し、大東亜戦争が勃発したことが明らかとなっています。
また日本の敗戦後、日本弱体化の為に、戦争放棄を謳う日本国憲法を押し付け、原爆投下等自分たちの戦争犯罪行為を隠蔽するために東京裁判を行い、アジアを侵略した戦犯国家日本という、捏造された歴史を日本に押し付け、今日に至るまで日本を、実質的な植民地に近い状態に置いてきました。
アメリカはまた、環境問題を改善するために行われた地球温暖化防止京都会議(COP3)においては、「京都議定書」に合意しながらも、そんなことは守れないとして結局は離脱してしまいました。
環太平洋パートナーシップ(TPP)協定においてもアメリカは、日本に参加を促しながらも、政権が代わることで結局はアメリカ自身がTPPから離脱してしまいました。
遡れば国際連盟も、アメリカのウイルソン大統領が提案したものであったにもかかわらず、議会の承認を得ることができなかったため、言い出したアメリカ自身は結局国際連盟には参加しませんでした。
アメリカは日米安全保障条約を結ぶ、日本にとって最も重要なパートナーであることは間違いありませんが、アメリカには民主党と共和党に代表されるように、リベラルと保守の大きな2つの流れがあることを念頭に置かなければいけません。
リベラルである民主党側が政権を握っていた時は、日本との戦争を画策したルーズベルト大統領、日本に原爆を落としたトルーマン大統領に代表されるように、日本との関係は悪いことが多く、一方保守である共和党が政権を握っていた時は、レーガン大統領と中曽根首相、ブッシュ大統領と小泉首相、トランプ大統領と安倍首相のように、日米首脳も蜜月関係を築き、日本との関係も比較的良好なものとなっています。
しかし当然のことながら、アメリカもアメリカンファーストが基本ですから、日本はいつまでもアメリカに依存し、振り回されるばかりではなく、一日も早く自立すべき時に来ていると言えます。
このように歴史を遡ることで、韓国・北朝鮮、中国、ロシア、アメリカ等、それぞれの国の姿勢、国民性を理解することができるのです。信用できる国なのか、それとも信用してはいけない国なのか、歴史を見れば明らかなのです。
上にあげた例とは違い、日本に対して恩義を感じ、私たち日本人が思っている以上に、日本に対して好意を抱いている親日国家もいくつも存在しています。
そのような親日国家がどのようにして親日となったのかも見てみたいと思います。
⑤台湾
台湾は、日清戦争の結果下関条約によって清朝から日本に割譲された1895年から、日本が大戦に敗れた1945年までの50年間、日本の統治下にありました。
日本統治の初期は、台湾総督府は強硬な統治政策を打ち出したため、台湾人の抵抗運動を招いてしまいましたが、その時の反省も踏まえ、台湾総督府は同化政策を推進するようになり、台湾人への差別を無くすための政策を実現しました。
また鉄道や水利事業では、港・鉄道・道路・学校・ダムなどのインフラを整備し、学校教育に力を入れ、農作物の品種改良などが行われたため、台湾人の生活水準は次第に向上していくこととなります。
また皇民化政策を行うことで日本語教育も進められ、日本語を教えると同時に日本の道徳教育も行われるようになり、 「約束を守り、礼節を重んじ、嘘をつかず、浪費しない品性、法を守り、勤勉である」という「日本精神」も根付き、今では日本人以上に日本人の精神を受け継いでいるとまで言われるようになりました。
このように日本統治時代のおかげで台湾はインフラが整備され、国民の生活が豊かになったということで、日本に対する感謝の思いが強く、今日でも一番の親日国と言われるようになったのです。
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⑥トルコ
1890年、明治天皇への親書を携えた当時のオスマン帝国の親善大使が、軍艦エルトゥールル号で日本に訪れました。
しかし帰国の途中、台風による暴風雨のため、和歌山県大島村(現在の串本町)樫野崎付近で沈没してしまいました。
その時大島の人たちは、エルトゥールル号の船員たちを献身的に救護し、乗船していた656人のうち69人を救出しました。この出来事はトルコの歴史教科書にも掲載され、トルコで広く知られるようになり、トルコが親日国となるきっかけとなりました。
そんなトルコは、1985年のイラン・イラク戦争の際、イランにトルコ航空機を派遣し、215人の在留日本人全員を救出してくれました。エルトゥールル号の遭難時に救助してくれた日本(大島)の人たちへの感謝の思いから、トルコ政府が飛行機をチャーターし、日本人救出に動いてくれたのです。
⑦ポーランド
ポーランドは18世紀末にロシア、プロイセン、オーストリアに分割され独立を失いました。そのため日露戦争で投降した捕虜の中には、「ロシア軍兵士」として半強制的に徴兵されたポーランド人兵士が多数いたのです。
日本で捕虜生活を送った数千人のポーランド人たちは、日本赤十字の看護師の献身的な働きはもちろんのこと、市民からのもてなしを受けるなどしてとても癒やされたと言います。この時の日本への好印象が、ポーランドにおいての親日感情の原点となりました。彼らは、日露戦争での日本の勝利をまるで自国の勝利のごとく狂喜乱舞しました。
シベリアは長い間、ポーランド愛国者の流刑の地でした。また極東地域には政治犯の家族や、混乱を逃れて東に逃避した難民を含めて、十数万人のポーランド人が住んでいたとされます。彼らは飢餓と疫病の中で、苦しい生活を送っていました。とくに両親と生き別れ、死に別れた子供たちは極めて悲惨な状態に置かれていました。
ポーランド人はそんな環境の中でも、せめて子供達だけでも祖国に送り届けたいと、欧米諸国に援助を求めましたが、ことごとく拒否され、窮余の一策として日本政府に援助を要請しました。
日本赤十字は、シベリア出兵中の帝国陸軍の支援を受けて、すぐさま救援活動に乗り出し、合計765名のポーランド人孤児を日本に迎え入れ、病気を治療し、厚くもてなし、祖国ポーランドに送り届けました。
このような歴史を経て東欧の大国ポーランドは、ヨーロッパ随一の親日国となったのです。
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⑧パラオ
太平洋のミクロネシア地域に位置するパラオは、19世紀後半にスペイン、その後ドイツの支配地域となっていました。
そして第一次世界大戦後、日本はドイツから南洋群島を引き継ぎ、第二次世界大戦の終わりまで統治しました。
ドイツによる支配時代は、パラオ人は奴隷のように強制労働を強いられたためにしばしば暴動が起こり、暴動を起こしたパラオ人は虐殺されるという恐怖による支配が行われ、人口は90%も減少したといいます。
日本がパラオを統治するようになると、学校を造り、病院、道路、水道、電気などさまざまなインフラ整備を行い、パラオの人々に対し医療・教育の支援を行い、日本人とパラオ人は共に生活するようになりました。
戦後、パラオはアメリカに統治されますが、1994年10月にようやく独立を果たします。
しかし今でもパラオの人々は、日本統治時代は良かったと言って、子供たちに日本人の名前を付けるほどの親日国家となっています。
そんなパラオのペリリュー島では、1944年9月日米対戦が勃発しました。
パラオに駐留する日本兵は約1万、しかし圧倒的戦力差のあるアメリカは、2~3日もあれば戦いに決着が着くだろうと攻撃をはじめましたが、日本兵は73日間にもわたる死闘を繰り広げた末に全員玉砕してしまいました。
このペリリュー島の戦いでは、パラオ人は自分たちも日本軍と一緒に戦いたいと申し出ましたが、日本軍は決して一緒に戦うことを許さず、他の島に疎開させることで、パラオ人の被害者は一人も出しませんでした。
大戦が終了してから島に戻ってきた島民は、多くの日本兵の亡骸を見て涙するとともに、一緒に戦うことを許さなかった日本人の本意を知り、感謝し、戦死した1万人の日本兵を祀る「西太平洋戦没者の碑」が造られたと言います。
参照 「大日本帝国時代は本当にいい時代だった」 パラオの人はなぜ今も親日なのか
パラオで日本兵1万人が玉砕した。しかし島民が1人も死ななかったという謎。
5、国民性と親日国
このように歴史を見れば、それぞれの国が信頼できる国なのか、それとも信頼してはいけない国なのかが明確にわかります。
どんなに尽くし、発展に貢献したとしても恨みしか抱かず、反日感情を持ち続ける国もあれば、長い歴史から見ればほんの些細な支援に対してもものすごい恩義を感じ、いつまでも親日でいてくれるばかりか、日本が困った時には自らの危険をも顧みず、日本の為に恩義を返そうとする国もあるのです。
歴史はあくまでも過去の話であって、未来とは関係が無いと考える方もいるかもしれませんが、そんなことはありません。
人間は簡単には変われないように、国民性も簡単には変わることはできないのです。
ここ10~20年の問題ではなく、それぞれの民族が誕生して以来今日に至るまでの、長い歴史の積み重ねによって培われた民族性ですから、簡単に生まれ変わることなどできるはずもないのです。
そのような歴史的に培われた民族性を理解し、正しい関係を築かない限り、真の友好関係を築くことはできるはずもありません。
実に人間的な感覚ではありますが、人間関係においても、自分のことを好きになってくれる人と付き合った方が、お互いが幸せになれるのです。
いくら仲良くなりたいと願っても、自分を恨んでいる人、嫌っている人と無理に付き合おうとしても、お互いが不幸になるだけではないでしょうか。
一方的に好意を抱いたとしても、相手にとっては迷惑なだけかもしれません。それこそストーカーのように思われて、嫌がられるのが関の山で、良好な関係を築くのは難しいのではないでしょうか。
ましてや見下している人から仲良くなりたいと近寄られてきたら、迷惑以外の何物でもなく、拒絶されるのは当たり前です。利用するだけ利用して、貢がせるだけ貢がせて、利用価値が無くなったら捨ててしまえばいいくらいに考えるのではないでしょうか。
このように自分を見下し、利用するだけ利用し、一切その恩に応えようとしない人、陰で悪口ばかり言っているような人とは、できるだけ関わらない方がいいのではないでしょうか。付き合いが深くなればなるほど枯れてしまうばかりで、本性に気づいたときには傷ついてしまうのが落ちです。どんなに一生懸命尽くしたとしても、決して報われることなどありません。
どうしても必要な時にだけ、上辺だけの最低限のお付き合いに留めておけばいいのであって、積極的に深く付き合う必要などないのではないでしょうか。
最近問題になることが多い隣人トラブルのように、付き合ってはいけないタイプの人も確実に存在します。
引っ越すことができない場合は、出来るだけ深くは関わらないように気を付け、程よい距離感を保ってお付き合いするしかないのではないでしょうか。
人間関係と同じように、付き合うべき国と、深く関わってはいけない国とが存在します。
それを判断するためには、過去における対日関係を学ぶことが重要になるのです。
同じように35~50年間統治した、朝鮮と台湾を比較すれば明らかなことです。
朝鮮や台湾において、日本が統治した初期はどちらも、日本は強引な政策を取ったため、多くの人々の反発を買い、反日感情を生んでしまいました。
その反省を踏まえどちらにおいても統治政策を転換し、多額の日本国民の税金を投入し、港・鉄道・道路・学校・ダムなどのインフラ整備を行い、植林・農業・学校教育に力を入れることで、住民の生活水準を高める政策を推進しました。
その結果どちらにおいても住民の生活は飛躍的に向上しましたが、一方は世界でも最も強烈な反日国家となり、もう片方は世界でも最も強力な親日国家となりました。
この違いはどこからくるのかと考えると、国民性の違いとしか考えようがありません。
豊かになれたことに対する感謝の心は抱かず、初期における強引な統治政策で生まれた反日感情だけが残った朝鮮と、反日的な感情は忘れ、豊かにしてくれたことに対する感謝の思いしか抱かない台湾との違いです。
このように歴史的な対日関係を知ることで、今後より深く、より密接に交流することで、共に繁栄すべき国と、必要以上には関わるべきではない国とが明確になるのではないでしょうか。
ここでは世界中のすべての国家について検証することは難しいので、まずは日本人の国民性を考察してみるとともに、日本と関係の深い韓国・北朝鮮、中国人からその国民性について検証してみることにします。
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