まずご覧いただきたいのがこちらです。
ドナルドトランプ前アメリカ大統領のツイッターなんですけど、4年前のちょうど11月になります。ハワイを訪れた当時のトランプ大統領が、真珠湾攻撃の追悼施設、戦艦アリゾナの上に建てられた、アリゾナ記念館を訪問した際に、その後自身のツイッターでこうつぶやいたそうです。「リメンバー・パールハーバー」「真珠湾を忘れるな」という意味ですが。
これ見ると、日本は騙し討ちをしたんだ、というような意味で、日本批判されているんだ、みたいな言い方をするんですが、でもこの「リメンバー・パールハーバー」っていうことの意味が、アメリカの中で全然変わってきているんです。もう日本批判ということだけの意味じゃないっていうふうに変わってきてるのに、日本のメディアは「リメンバー・パールハーバー」って言ってるから、「日本は侵略戦争したらけしからん」と、トランプも言ってるじゃないか、みたいな言い方をしています。でも実際はそうじゃないんだということを、今日はお話ししたいと思いました。
真珠湾攻撃が行われたのは、アメリカ時間では12月7日。日本では12月8日です。
今年はそこから80年目の節目の年にあたります。その80年を迎えて火曜大特集、改めてテーマはこちらです。「変わりゆくリメンバー・パールハーバー」その意味と認識の変化ということですが、アメリカ軍の当事者からの証言や、アメリカ国内における保守層の言論・思想・考え方の変遷について、江崎さんにお伺いして参りたいと思います。
江崎さんのご指摘ですが、アメリカの真珠湾攻撃に対する認識は、7つの段階に分けられるということです。
一つ一つ検証していきましょう。
まず1段階目はこちら、1941年、「卑怯な騙し討ち」。
これは攻撃当初ということです。
受け止められ方としては、卑怯な騙し討ちをしたんだと、だから陵辱の日っていう有名な話で、日本は卑怯な騙し討ちをしたけしからんと、侵略戦争やった、ふざけんなという話です。
ところが第2段階がこちらなんです。
1948年に至って、「ルーズベルトの責任」ルーズベルト謀略論が登場してきた。
国内は戦争は嫌だという反戦の空気だったので、ルーズベルトは戦争をしないという公約で三選されたので、アメリカは一貫して日本を追い詰めようとしてきたんじゃないかという論が出てきた。
実際は日本に対して圧力をかけて、日米戦争を起こそうというふうにしていたんじゃないのかということを、チャールズ・ビアードっていう人が本を書いたんです。
チャールズ・ビアードは、アメリカの歴史学会の会長をやっていた人だから、アメリカの近現代史のトップだったんです。その人が1948年にこのルーズベルトは、アメリカの世論を騙して、日米戦争を挑発したんじゃないのかという本を書いて、アメリカで大騒ぎしたんです。これは1948年、戦後3年目の話です。
何でそうなったのかというと、日本が真珠湾攻撃をした時、キンメルとかハワイの長官たちが、攻撃受けた時お前ら怠慢じゃないかって、アメリカの海軍の上層部たちが、徹底的に糾弾されたんです。現場の指揮官たちが。
これに対してアメリカ海軍のメンバーたちは、ホワイトハウスは日本の通信情報を把握しててわかってたのに、俺たちに教えなかっただけじないかと言っているんです。アメリカ海軍の人たちは、ルーズベルト政権はふざけんな、俺たち現場の責任にすんな、お前らの問題だろうと、軍の人間はものすごい反発してたんです。
そのような動きの中でビアード博士は、そういう実態を海軍の調査部で出しているものを踏まえて、ルーズベルト民主党政権はアメリカ海軍も含めて、ハメたんじゃないかというような議論になったわけです。
だからそういう議論があってビヤード博士、プラスアメリカ海軍の人たちが、ルーズベルト民主党政権ふざけんなと、そこに共和党、軍と共和党は近いので、共和党の人たちもルーズベルト民主党政権、こいつら何考えてたんだということで、反発するという構図の中で、この「リメンバー・パールハーバー」というのは、結局ルーズベルト政権のやっていることを隠蔽するためのプロパガンダじゃないのかという議論が出たんです。
ルーズベルトは戦争反対、戦争はやらないという公約で大統領になったんですから、だから日本を追い込んで、日本に先に手を出させて戦争をやったんですから、ルーズベルトはこれをアメリカ人にプロパガンダしたんです。日本はこんな卑怯な奴、許せない「リメンバー・パールハーバー」と言って、一夜のうちに世論を変えてしまった。
実は戦争というのはほとんどのケース宣戦布告なしにやるんです。今からお前のところと戦争しますと言ってから戦争するケースなんて、近代以前は全くないんですけど、近代、20世紀になってもほとんどないです。
アメリカは20世紀に何度も戦争をしてますけど、宣戦布告なんかしてません。
だからそういう実態を考えれば、パールハーバーの問題を言うのおかしいわけです。
これはっきりしていることは、この時東京裁判が行われていたんです。東京裁判が行われていたにも関わらず、真珠湾攻撃の責任が追求されなかったんです。
要はアメリカ海軍からすれば、ルーズベルトが情報隠蔽して、日本が攻撃するの分かっていながら自分たちがやられたと言っている。なおかつアメリカ海軍の責任にさせられた。ふざけんなっていう状況のなかで、軍の側と歴史学界の人たちも、ルーズベイトのやってること違うんじゃないと言うようになった。
だから東京裁判で真珠湾攻撃の責任について追及出来なかったんです。
それぐらい1948年の段階で、状況変わってきてるんです。戦争終わってたった3年です。
「リメンバー・パールハーバー」というのは、ルーズベルトが国内向けにやったプロパガンダです。国民世論を戦争に駆り立てるために宣伝した。繰り返しますけどアメリカは何度も戦争してますけど、ほとんど宣戦布告をしていません。
では続いて第3段階の認識の変化を見ていきましょう。
今度は1971年、昭和で言いますと46年になりますが、「アメリカ海兵隊が建てた日本兵記念碑に見るアメリカの揺らぎ」とあります。どんな記念碑なのかこちらをご覧ください。
これハワイのカネオへ海兵隊基地に、飯田房太という海軍大尉、パールハーバー攻撃の時に戦闘機で攻撃してるわけですけども、燃料タンク撃たれてしまって、もう母艦に戻れないということで、海兵隊の基地に突っ込んだんです。
事実上最初の特攻隊とも言われているんですが、その慰霊碑・記念碑を、アメリカ海兵隊、攻撃された側が、ハワイに建てたんです。
飯田房太海軍中佐、戦死後昇進された。
零戦のパイロットとして真珠湾攻撃に参加。
燃料タンクに被弾し、燃料切れを意味する手信号を送った後、カネオへ海兵隊基地格納庫に向かって突入。いわば特攻攻撃の第一号。アメリカの海兵隊は「敵ながらがら天晴」と彼の死を高く評価し、丁重に葬って1971年敬意を表しカネオへ米海軍基地滑走路の脇に、この記念碑を建立した。
これ尖閣とか沖縄の問題があって、ハワイにあるペイコム太平洋軍司令部って言うんですが、太平洋軍司令部でこの尖閣防衛に関する協議でハワイに行って、向こうの人と話をしてたんですが、その時に将校クラブで飯食ってたら、お前日本人なんだから、案内するからお参りしろと言われて、日本兵を祀っている慰霊碑に手を合わせて、ホントにありがとうと、こうやって皆さんやってくれたんだって言ったら、そうなんだよって、俺たちはやっぱり敵ながらあっぱれだと思ってるんだと言っていたんです。
実はこれあまり言いたくないですけど、日本の民主党政権の時に、民主党の政治家たちがハワイに来てるわけです。
その時にこの慰霊碑のことを話してお参りしませんかって言ったら、忙しいからっていいって断られたという話なんです。
僕が行った時は基地の中なので、セキュリティの問題があって観光客は来これないんです。日本人がこうやってお参りしてくれて嬉しいよって。これ1971年なんです。
一貫してアメリカ軍人たちは、日本を侵略国家と思ってなくて、敵ながらあっぱれって、大したもんだと思ってるから、自分たちで慰霊碑を作って、掃除して綺麗にしてるし、定期的にお花をやってるんです。大したもんです。
この時第一次、第二次攻撃で、日本人のパイロット、搭乗員は全部で29人亡くなるんですけど、この時日本の攻撃隊はひたすら軍事施設だけ攻撃しているんです。民間人、民間施設は一切手を出さなかったんです。
これは攻撃隊に厳重に、日本の司令官が指示してたんです。一切民間施設、民間人含めて手を出すなと。
日本人は偉いと。もう母艦に帰還できないって考えたら、命かけても軍事基地を攻撃する。やっぱりそういう国は敬意を表すべきだしっていうことです。
もっとアメリカがキャンペーンしないのかて言ったら、キャンペーンする話じゃないだろ。我々が敬意を表しているから祀っているだけだということなんです。
そして第4段階の変化見ていきましょう。
1991年、真珠湾で50周年の式典が行われたのですが、そこで議論が巻き起こった。
「真珠湾攻撃五十年式典」とするのか、単純に「真珠湾五十年式典」とするのかとここで議論が分かれたということです。
真珠湾五十年の式典があるということで、1991年にハワイに取材に行ったんです。
真珠湾の五十年式典の会場が、アリゾナ記念館というところなんです。その館長さんにもインタビューしてしたら、館長さんが言うには、この式典の名称をどうするのか、真珠湾攻撃五十年式典にするのか、真珠湾五十年式典にするのか。
何でかって言うと、英語で言うとアタックです。攻撃って言葉を入れるべきかどうかという話です。
まず対ソ連という意味でのこの式典だから、最終的にアタックていう言葉がないんです。アリゾナ記念館の五十周年式典のこの名称なんですが、このアタックって言葉外したんです。
理由は大きく三つあるんですが、一つ目はこの館長が言ってたのは、日本は同盟国だ。同盟国を批判するのはどうなんだというような話があった。
二つ目が真珠湾攻撃を巡る歴史的な経緯は、歴史の研究が進んで、日本を非難するって話じゃないだろと、正直に言うんです。一方的に日本を批判するという話じゃない。歴史的な研究のことを知ったら、日本を一方的に批判するという、ルーズベルトのプロパガンダとは言わないけど、ルーズベルトの言ってることを、真に受けるっていう状況じゃないというか、すでに1950年にマッカーサーがは上院で日本の戦争は自衛のための戦争だった、セキュリティのためだったっていう言い方をしているわけだから、そういう事実関係考えると、そんなこと言うべきじゃないという話です。
あと三つ目には、ハワイって日本人観光客がメインなんです。そのこともあるので、ハワイの州政府側が日本人のおかげでハワイはこんなに発展しているのに、その日本人を批判するような式典をするのかということも現実的な問題としてあるんです。
こういった三つの理由があったために、式典の名称からアタックを外そうという話になったんです。
しかし一番大きな問題は、同盟国の日本を批判するのか、あと歴史的にもおかしいという話です。
だからこそ当時のジョージ・ブッシュ、お父さんの方のジョージ・ブッシュ大統領の記念演説にも、日本を批判するような文言はなかった。あくまで国防の重要性、国の防衛の重要性を強調するものだったということなんです。
その式典の際に、外ではあるデモが行われていたそうです。どんなデモなのか見ていきましょう。リメンバー広島です。
マギー館長とのインタビューが終わったあと、出て行こうとしたら外が騒がしいわけです。
騒がしいから何やってるかと思ったら、アメリカの人々がデモやってたわけです。 REMENBER 広島、 REMENBER 東京、 REMENBER 長崎っていうような形の横断幕作ってデモをしてるんです。
真珠湾より、東京・広島・長崎の方がひどいじゃないかと言っているんです。
だから REMENBER パールハーバーって言うなら、REMENBER 広島、 REMENBER 東京、 REMENBER 長崎、東京大空襲ですね、そういうことを言うべきだ、アメリカが行った虐殺行為を言うべきだとやってたんです。
ちなみにこの人たちアメリカの中でいう左翼です。
認識の変化第五段階を見て行きたいと思います。
アリゾナ記念館の入り口の『迫りくる危機』の掲示板。
こんなことが書かれてあるそうです。
『迫り来る危機』
アジアで対立が起きつつある。
旧世界の秩序が変わりつつある。
アメリカ合衆国と日本という2つの新興大国が、世界を舞台に主導的役割を取ろうと台頭してくる。
両国ともに国益を推進しようとする。
両国ともに戦争を避けることを望んでいる。
両国が一連の行動を取り、それが真珠湾でぶつかることになる。
これアリゾナ記念館で真珠湾攻撃の拠点のところの資料館です。戦争博物館です。この戦争博物館のところの一番最初にところにこういう展示が書いてあるんです。
ここに書いてあるように、「national interest」国益のために日本は戦ったと書いてあるんです。侵略とか言ってないんです。
今から4年前に行った時にこれ見せられて、その責任者にこの展示って、どういう立場で作ってるんです。民間施設なのかと言ったら、これはアメリカ国立公園局っていう政府の施設です。だから政府の施設、国の施設なんです。
この展示内容はどうやって決まっているのか聞いたら、アメリカ国立公園局のもとに審議会が開かれていて、その審議会のメンバーというのは国立公園局メンバー、それからペンタゴン、国防総省、軍の施設もあるのでペンタゴン、それからハワイ州政府、もう一つがその関係から選ばれている歴史家たち。この4者が審議会を作って、どういう記述にするのかの議論をしています。4者の合意のもとでこういう記述になりました。選びぬかれた言葉なわけです。
悪の帝国どころか、日本は国家利益のために戦っていると書いてわけです。
この監修を担当した歴史家に会わせろと言って、その翌年の春ハワイに行ったときに、その歴史家に会ったんです。
会って詳しく事情を聞いたら、日本は国益のために先の大東亜戦争戦ったんだということに関して、英文の資料とかを色々持ってきて、その歴史家たちにずーっと議論してたのが、自衛隊のOBたちだったんです。自衛隊のOBたちが自腹でハワイに行って、ハワイの歴史家たちとずーっと議論していたんです。軍人同士っていうのは理解するわけです。
元々ハワイにいる海軍は、ルーズベルトにやられたと思っているしで、結果的にこういう風な展示になっているということです。
続いてまいりましょう第6段階の変化。
2013年から2016年にかけての安倍外交で変わった歴史認識もある。
靖国神社参拝に対する認識で、当時の安倍総理と、当時副大統領だったバイデンさんとの間での話です。
2013年12月、安倍総理が靖国神社に参拝した際、在日アメリカ大使館は失望したという旨のコメントを公表しましたが、このコメントを出すよう指示したのは当時オバマ民主党政権での副大統領だったジョーバイデン氏、つまり現大統領だったと言われているという話です。
実際にそういう状況で、オバマ民主党政権のときに安倍政権は軍国主義政権だと言われて、日米関係もご存知の通り物凄く悪かったんです。
という中で靖国参拝したのも失望したと言われて、アメリカはどっち見てんだよというような話で、本当に厳しい状況だった。この靖国参拝した当初です。これひっくり返すのが大変だったんです。
アメリカという国は同盟国だとなれば批判しなくなるんです。だから阿部さんは、2015年の4月にアメリカを訪問して、日米ガイドラインを改定したわけです。
このガイドラインで何を言ったのかというと大きく3つあります。
1つは尖閣諸島を念頭に、離島防衛の協力をやりましょう。
2つ目が日米関係でグレーゾーンというんですが、平時から戦争まで、切れ目のない軍事協力をやりましょう。
そうやって尖閣や台湾、沖縄を守るために、アメリカに協力してもらう代わりに、地球規模での日米協力と言って、米軍がアジア太平洋地域で動くのに対して、後方支援も含めた協力はしますという、ギブアンドテイクをやるというような形をして、同盟関係を強化するという形で、まずオバマ政権の取り込みをやったんです。
軍も味方にするというのが2015年の4月の話なんです。
そして翌2016年12月26日に当時の安倍総理は、先ほどの写真が出ました飯田中佐の記念碑を、日本の総理大臣としては初めて訪問したということです。
初めて訪問して総理としてハワイに行ってもこの海兵隊基地ってちょっと外れにあるんです。ここまで行くの大変なんです。1時間くらいかかるんです。そこにわざわざ行って献花するわけです。
これ後ろにいるのが岸田さん、衛藤晟一さん、稲田さんたちを連れて行って献花しているんです。
翌日オバマ大統領やアメリカ軍の幹部に対し演説してるんです。
「彼の墜落地点に碑を建てたのは日本人ではありません。攻撃を受けていた側にいた米軍の人々です。死者の勇気をたたえ石碑を建ててくれた。碑には祖国のために命を捧げた軍人への敬意を込め、日本帝国海軍大尉と当時の階級を刻んであります。『 The brave respect thebrave 』勇者は勇者を敬う。アンブローズ・ビアスの詩は言います。戦い合った敵であっても敬意を表する。憎しみ合った敵であっても理解しようとする。そこにあるのはアメリカ国民の寛容の心です。」
要は日本は靖国神社にお参りして、軍人への敬意を込めているんだと、その軍人の敬意という意味で、靖国をお参りしたことに対して、当時のオバマ、バイデンは失望したって言ったんだけど、果たしてそれでいいのかという話です。
アメリカ軍側が我が国の軍人に対してこうやって敬意を込めて碑まで作ってくれている。それに感謝するというような話をわざわざして、だから靖国のようなことも含めて、日米は共通の価値観を持っているんでしょうっていう演説をしてるんです。
これやっぱり大した戦略だと思います。
こういう風な形でこの歴史認識の問題で、日本はすぐに謝れとか、靖国なんか行くなとか、何かそういうバカなこと言う奴いっぱいいるんですけど、過去を断罪するんじゃなくて、日本軍の兵士の勇気を称えてくれたアメリカ海兵隊は素晴らしいというやり方で、歴史認識の問題での日米関係のねじれを、解きほぐすというやり方をしたんです。
そして最後の愛7段階がこちらです。
近現代史の決定的な見直しの加速につながったヴェノナ文書の公開。
ヴェノナ文書とは、1943年から1980年までの、アメリカ陸軍情報部とイギリスの政府暗号大学校が、ソ連のスパイの暗号を解読し、その膨大な量をまとめたもので、今もまだ研究はずっと継続中です。それが極秘だったのが、1995年以降情報公開がなされているそうです。
これをアメリカの保守派とかが研究して、コミンテルンやソ連、共産主義と真珠湾攻撃に関する関係についてもずっと研究をしている。なんでしているのかというと、チャールズビアード以来、もっと言えばアメリカ海軍の人たち以来、ルーズベルトは俺たち海軍を悪者にしてきている。軍のせいだというふうにやっている。それおかしいだろうという中で、何でルーズベルトはあんなことやったんだと、そこにソ連との影響があるんじゃないのかというようなことを、軍側、保守派側は一生懸命に研究してるんです。ルーズベルトは共和党からいえば敵だから。
ヴェノナ文書の研究書である「スターリンの秘密工作員」という書籍には、真珠湾攻撃の背後にはソ連の工作があったという指摘までなされている。
その内容を具体的に見ていきましょう。
「ソ連による政治工作は、ソ連が我々の同盟国であり、反共防護措置が事実上存在しなかった第二次世界対戦中に、最も顕著であった。これはぞっとするほどタイミングが良かった。親ソ派の陰謀がアメリカの参戦に決定的役割を果たしたのだから」とあります。
だからルーズベルトは、戦争したかっただけではなくて、ソ連の影響を受けていたんじゃないか。このスタントン・エバースというのは、日本でいうと中西輝政先生みたいな人なんです。アメリカの本当に有名な国際政治学者。ハーバートロマースタインていうのは、べノナ文書研究の第一人者。
2人ともアメリカで有名な国際政治学の専門家なんですが、この2人がスターリンの秘密のエージェントとか言うと、なんか陰謀論みたいになるんですが、陰謀論じゃなくて、アメリカの政府が出している公文書を研究すると、こういう事実関係が明らかになったという話で、これは本当に陰謀論の本じゃありません。
「この意味で注目すべきなのは、真珠湾攻撃に先立って、共産主義者と親ソ派が行った複雑な作戦である。この1941年12月7日の日本軍の奇襲攻撃により、2000人以上のアメリカ人が命を失い、アメリカは悲惨な戦いを始めることになったのである。」
蔣介石政権と、ホワイトハウスと、東京とを、3カ所で共産主義者のスパイたち、工作員が日米戦争を行う方向で働きかけをやっていたということです。3カ所同時で行われていた。
こういう状況というのを理解しておかなきゃいけないという、アメリカの保守派の人たちが、軍部と一生懸命言っている。
歴史的経緯というのがアメリカはリメンバーパールハーバーは卑怯な騙し討ちだというルーズベルト主義者も依然として言っています。
保守派や軍の中には、こういうことを言っている議論の人たちもいるし、その真ん中には日米はお互い国益のために戦ったんだという人たちがいる。
だからパールハーバーといってもその意味が、もう全然違ってきてるんです。全然変わってきているんだということを、理解していくことが大事だと思うんです。
合理的に考えても、歴史的な背景を見ても、ルーズベルトは日米戦争を望んでいたと思わざるを得ないというような話になる。そ辺の情報を持っておきながらホワイトハウスは、太平洋軍司令部にそういうことを隠蔽して、アメリカ海軍が悪いんだみたいな話をして、軍は駄目なんだみたいに軍を叩いていたわけです。
今回の火曜大特集は、変化するリメンバーパールハーバーと題して、アメリカの歴史認識の変化の歴史につい江崎道夫さんに解説していただきました。
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