2015年、7年前になります。4月にメキシコの連邦上院議会で厳粛な式典が行われたそうなんです。
その場でメキシコ人以外で初めて、ある一人の日本人に対する感謝の記念プレートが、上院の議場中庭、栄誉の壁に掲げられることとなりました。
そこにはこう記載されていたそうです。
「1913年2月の苦難の日々における、模範的な生き方とマテロ大統領、当時のメキシコの大統領の家族に対する保護に関して、堀口九萬一と偉大な日本国民に捧げる」とメキシコ上院議場栄誉の壁に掲げれたそうです。
堀口九萬一さんという人物こそ、門田さんが最初に選ぶ英雄的な日本人1人目ということで、まずは堀口九萬一氏のプロフィールから拝見していきましょう。
堀口九萬一、越後長岡藩の足軽の子に生まれた人物なんです。
3歳の時父は戊辰戦争で戦死を遂げました。
母の手一つで育てられ、東京帝国大学法科大学トップ合格。
1894年(明治27年)、外交官試験に合格しました。
詩人堀口大学の父にあたる人物で、自身も外交官のみならず、漢詩人。そして随筆家としても名前も高かった。
日本がロシアを打ち破った日露戦争が終わってしばらくして、在メキシコ臨時代理公使として、外交官としてメキシコに着任されていた人物なんです。
堀口九萬一氏のメキシコ在任中、背景がこうなっております。
1913年2月、メキシコ悲劇の10日間と呼ばれるクーデターで、無残な方法でメキシコ人がものすごく殺されているので、悲劇の10日間って今でも語り伝えられている歴史の事象があるんですけど、この時の事です。
フランシスコ・マデロ大統領を打倒するクーデターが勃発してしまう。
鎮圧を任されたウェルタ将軍がクーデーター側に寝返って、マデロ大統領を殺害。
そのままウェルタ将軍が独裁政権を樹立するという事態に至りました。
この時殺害されたマデロ大統領の夫人と子供が、保護を求めて日本公使館に駆け込んだんです。
日露戦争で1904年から5年にかけて、強国ロシアと戦争して、そして日本は勝ったわけです。
これは世界が驚愕したわけなんだけど、このクーデターが起こった時に、アメリカの大使館が、クーデタ側とくっついてるわけです。
マデロ大統領の殺され方も悲惨なんですけど、連行されて行って刑務所のところまで行って、そのまま殺害されているんです。
側近たちも殺されて、家族も殺されようとした時に、どこかの大使館、当時で言えば公使館に逃げ込まなきゃいけないんだけど、その時この母子が目指したのが日本だったんです。
日本はロシアを撃ち破ってるし、イメージとして毅然としている。
私たちを守ってくれるというふうに日本は思われてたわけです。
それで日本の公使館を目指して駆け込む訳なんです。
そうするとクーデターの軍勢が追ってきます。
その時に立ちはだかったのが、その時臨時公司だった堀口九萬一だったわけなんです。
その時のことを今だにメキシコ人が何故語り継ぐかというと、公使館の日章旗を後ろに掲げて、その前に立ちはだかってこういうことを言うわけです。
「大統領夫人と子供たちを殺したいならその前に私を殺せ!そしてこの日章旗を踏みつけて乱入するがいい。その代わり日本は絶対に君たちを許さない。その覚悟でやれい!」っていうことで立ちはだかったのが、この堀口九萬一なんです。
今なら誰だって、大使館・公使館っていうのは治外法権だから、一国の領土だから入ることができませんっていうのをわかっています。
当時はそんなのが通用するような時代と違いますから、勢い込んでクーデター軍が入って来た時に、それを気迫で押し返した人がこの人なんです。
その時に日本は君たちを絶対に許さないということを言ってるわけです。
日本という国はお前たちを許すような国ではないと。
その覚悟でこの日章旗を踏みつけて、私を殺してからやれっていうことで、それで軍勢が怯むわけです。
そうやって一喝して侵入を防ぐわけなんですけど、それから先もあるんです。
堀口九萬一氏がクーデター後に、独裁政権を樹立したウェルタ将軍、後の大統領に面会を求めて直談判に及んだんです。
そのときに独裁者ですから、新しく将軍がクーデターで大統領になってますから、そのままだと前大統領夫人と子どもは殺されます。
それで堀口九萬一は単独でウェルタ大統領と面会して、「窮鳥懐に入らば猟師も殺さず」っていう言葉が日本にはあるっていう風に交渉するわけです。
どんな理由があろうと、窮地に陥ったものが助けを求めてきたならば、その人は助けるものである。
それが人であり人道である。
貴国にはこれに類する言葉や精神はあるかっていうことを、ウェルタ大統領に言うわけです。
それでウェルタ大統領の方も、さすがに詰まって、安全の確約を直接取るわけです。
要するに下の人間に確約取っても、それは確約にはなりません。
上の人間の確約と、下の人間の約束では全然違いますから、それをやって脱出させることになるわけなんです。
船が港に泊まっているところまで自ら送るんですけど、もし約束が違えられて、途中で襲撃される場合が怖いわけです。
その時は自分が身を挺して奮戦して、この母子の命を守るということを決意しているわけです。
それで彼は堀口大學、息子も一緒に連れていくんです。
その時もしかの時は親子で死ぬかもしれなかったんですけど、守り通して船で出るまでちゃんと見届けたというのが堀口九萬一です。
この事をメキシコの人がいまだに忘れないでいて、勲章も何年か経ってから貰ってるんです。
2015年が来ても、日本でいうと国会の栄誉の壁に、メキシコ人以外でたった一人堀口九萬一が、日本国民の栄誉を称えるというプレートが掲げられたんです。
これが日本人ですよということを知って欲しいわけです。
去年のアフガニスタンでは大使以下大使館員が皆我先に逃げ出しました。
協力者は見捨てましたから、緊急連絡網もそのまま生かすことができず、そして自衛隊機が飛んだにもかかわらず、あれだけ救出人数が少なかったというのは、大使館の人間が毅然としてなかったからです。こういうことを教えてないから。
そういう外交官なんかでも日本の国益を守り、命を守り、そして外国から尊敬を受けるような人たちがたくさんいたんです。
杉原千畝なんかは有名なんだけど、こういう堀口九萬一のような人をまったく検証しないじゃないですか。
ちょっとおかしいなと思います。
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