日本は中国に対してあまりにも気を使う。
直接的な非難をしたら中国を刺激するって言うんだけど、中国を刺激しないようにやった政策で、今まで大失敗した例が天安門事件であるわけです。
天安門事件は1989年6月に起きました。
6月4日その日のうちに、日本国外務省は中国のメンツを潰すようなことはしないと決めて、各国の制裁には加わらないということを内部で決めるわけです。
翌月7月にフランスのアルシュというところで、アルシュ・サミットが行われて、その時の日本国総理大臣は宇野宗佑さんで、まったく見識のない方だったんです。
だから外務省の意向で全部動いたと思うんですけど、この7カ国の中では日本だけがすごく中国を擁護して、それでも国際社会は制裁をするんです。
でも少しでも弱くするようにということをやって、その裏で日本は中国に、いろんな密使を送ったりして、どういう文言で中国がこの天安門事件を説明したら、よりよく西側社会に受け入れられるかという、そういう指南まで首相としてしているわけです。
日本はそういうふうにやったわけなんですが、92年になったらその日本を裏切るような事が起きました。
中国は領海法というのを作って、尖閣諸島も南シナ海も、全部中国のものだという中国の国内法を作っちゃって、国内法によって我が国の領土である尖閣諸島が、全部中国のものに国内法ではなっちゃったわけです。
これは日本に対する大変な裏切りです。
にもかかわらずその年の10月には日本国は天皇皇后両陛下、今の上皇陛下と上皇皇后陛下の御訪中をお願いして、無理やり行ってもらったんです。
でもこの間に日本もアメリカも騙されていたんだけども、中国がすごい戦略の大転換をしているわけです。
なんで天安門事件が起きたのかと鄧小平は考えるわけです。
今まで1978年の改革開放以降、すごく経済的に中国が成長して、人民の生活はよくなったはずで、満足しているはずなのに、この天安門に100万人や200万人もの学生や市民が集ったのはなんでだと鄧小平は考えて、その時に発表した有名な言葉があって、中国は教育を間違えていたというんです。
国民に中国について、中国共産党が辿った苦難の道筋を、全く教えてなかった、中国共産党はあの日本軍をやっつけた、これもやっつけた、アメリカもやっつけた素晴らしい働きをしたという、共産党の英雄的な、本当は日本軍とは戦ってないから全部そ嘘なんです。
嘘の歴史ですけど、共産党すごく勇気がある存在で、我々はこんなに輝かしい闘争の時代を生きてきたんだという教育ばっかりしてたんですが、鄧小平は共産党および中国が、どんなに列強からいじめられたか、我々は実は被害者だったんだ、加害者の一番悪いのが日本だというふうに教えなければ、こんなふうに民主化要求をしたり、この素晴らしい中国共産党に向かって要求を突きつけることはないはずだったんだと、この鄧小平がガラッと変えるんです
それ以前は日本に対してもそんなに悪い事は言ってませんでした。
毛沢東だって日本軍のこと全然悪く言ってなかったです。
社会党の人たちが中国に訪問団で行った時に、まずすいません。こんな悪い戦争をしてと中国に行って言ったら、いやいやそんな事ありません。日本軍はよく戦ってくれました。国民党軍をやっつけてくれて、もっと戦ってくれてもよかったんですよみたいなことを毛沢東は実際に言っているんです。
鄧小平もそうで、日本に対して悪いことはあまりしなかったんだけども、天安門事件の時から、被害者なんだ我々はという方針転換をして、そこから皆さんもよくご存知の、愛国主義教育が始まるわけです。
愛国教育が本格的になったのが、89年の6月の天安門を受けて90年~91年ぐらいから本格的な愛国主義教育をやって、それは反日教育をやるわけです。
その事に日本は気がつかない。アメリカも気がつかない。
アメリカはその後も中国を国際社会に入れてあげて、世界貿易機関、WTOに入れてあげて、中国はそれでもっと経済的に繁栄していくわけです。
その道筋を付けたのがクリントンです。
日本はその後もずーっと中国に申し訳ないと、中国を刺激してはいけないんだとずーっと言って、天安門でも騙されて、尖閣諸島でも騙されて、中国共産党という政党が、中国人が、どういう気持ちで外交をやってるか、嘘も方便なんです。
本当に彼らは嘘を付くのを全然ためらわない。
だからその嘘に私たちが騙され続けている。
今回の北京五輪も日本国政府の中には、とりわけ公明党と言っていいと思いますが、中国を刺激してはならないと。
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