③堤岩里事件
原理講論
「日本軍は、このような韓国民族の多くの村落を探索しては、老人から幼児に至るまで全住民を一つの建物の中に監禁して放火し、皆殺しにした。日本はこのような圧政を帝国が滅亡する日まで続けたのであった。」
⇒1919年4月15日の堤岩里事件のことを指すと思われる。
3・1運動が全国規模で拡大し、華城地域では暴動の様相を見せ、警察の駐在所が破壊され、日本人警官2人が殺害されたり、面事務所、郵便局、駅、金融組合、日本人小学校、日本人家屋が襲撃、破壊もしくは放火されるなどの被害が出た。
デモの首謀者逮捕の目的で、成人男性22人を堤岩里教会に集め、取り調べの過程で反抗、逃亡があったので全員を射殺。証拠隠滅のために教会および付近の家屋に火を放った。総犠牲者は23人(近隣での殺害を含めると29人)。
この事件が日本統治下での朝鮮人弾圧の最大の悲劇。
原理講論には、同様の事件が統治期間中継続的に、各地で続いたかのごとくに書いてあるが、実際は3・1運動を機に朝鮮総督府による統治体制が、武断的なものから文治的なものへと方針転換される契機となり、日本敗戦に至るまで大規模な運動は起こらなかったといいます。
≪参考≫
「堤岩里3・1運動殉国記念館」のHP
3月1日に始まり、全国規模で広がった独立運動は、華城地域では暴動の様相を見せ、警察の駐在所が襲撃、破壊され、日本人警官2人が殺害されたり、面事務所、郵便局、駅、金融組合、日本人小学校、日本人家屋が襲撃、破壊もしくは放火されるなどの被害が出た。また、頻繁にデモや演説が行なわれ、山では篝火がたかれ、日本人住民が避難するまでになっていた。
取り締まりの過程で、朝鮮人にも相当数の犠牲者が出ていた。
首謀者は、主にその地域のキリスト教徒、天道教徒であり、他の村では首謀者が逮捕されていたが、堤岩里ではまだ逮捕されていなかった。
そこに治安維持目的で派遣された有田中尉の歩兵部隊が、デモの首謀者逮捕の目的で、住民のうち成人男性(15歳もしくは20歳以上)22人を堤岩里教会に集め、取り調べの過程で反抗、逃亡があったので全員を射殺(うち1人は逃亡)、教会の外で犠牲者の夫人も2人殺害、証拠隠滅のために教会および付近の家屋に火を放った。総犠牲者は23人(それ以外に近隣の古洲里村で6人殺害。これを含めると29人)。
≪参考≫
三・一運動 (Wikipedia)
三・一運動は、1919年3月1日に日本統治時代の朝鮮で起こった日本からの朝鮮独立運動。独立万歳運動や万歳事件とも。
中心となったのは天道教やキリスト教、そして仏教の指導者たちである。彼等は会合を重ねて大衆化・一元化・非暴力の三原則を取り決めた。
3月1日午後、京城(ソウル)中心部のパゴダ公園に宗教指導者らが集い、「独立宣言」を読み上げることを計画した。
運動の広がり
発端となった民族代表33人は逮捕されたものの、本来独立宣言を読み上げるはずであったパゴダ公園には数千人規模の学生が集まり、その後市内をデモ行進した。道々「独立万歳」と叫ぶデモには、次々に市民が参加し、数万人規模となったという。以降、運動は朝鮮半島全体に広がり、数ヶ月に渡って示威行動が展開された。これに対し朝鮮総督府は、警察に加え軍隊も投入して治安維持に当たった。
被害
襲撃による日本側の被害を挙げると、人的なものは官憲の死者8名、負傷者158名であり、物的なものは駐在所159、軍・面事務所77、郵便局15、その他諸々27であったといわれる。
日本の対応
日本側は憲兵や巡査、軍隊を増強し、一層の鎮圧強化を行った。
こうした中、いくつかの悲劇が発生した。最も有名なのは堤岩里事件である。この事件は4月15日に堤岩里の住民30余名を教会堂に集めて一斉射撃の後放火焼殺され、他にも日本側が放火し15村落317戸が延焼し、39人が亡くなったというのが全貌である。
運動の終息
朝鮮総督府当局による武力による鎮圧(弾圧)の結果、運動は次第に終息していった。
逮捕・送検された被疑者12,668名。このうち有罪判決を受けたのは3,967名。死刑・無期懲役になった者、懲役15年以上の実刑になった者はいない。3年以上の懲役は80名。
影響と意義
三・一運動は、憲兵警察制度を廃止し、集会や言論、出版に一定の自由を認めるなど、朝鮮総督府による統治体制が武断的なものから文治的なものへと方針転換される契機となった。朝鮮人による国外での独立運動が活発化する契機となったことや、国内での合法的民族運動を展開する道が開けることになった。
三・一運動を招いた反省から、武断的な統治を文化統治へ大きく改めた結果、以降は日本統治に対する抵抗といえる抵抗がまったくみられなくなった。
犠牲者
・朴殷植著『朝鮮独立運動の血史』
3月~5月に集会参加者延べ約202万、死傷者が7509名、負傷者が15961名としている。
・日本警察の集計
3~4月11日、参加人数約49万、死者357名、負傷者802名。
三・一運動期間中、6月30日までに逮捕され起訴された総数は26865人、第一審判決で最高15年から最低3月未満までの受刑者が22275名であった。
日本人の憲兵6名と警察官2名が虐殺され、多くの建物が放火されたにもかかわらず、死刑を一人も求刑せず、15年以上の実刑もなく、3年以上の懲役はわずか80人に過ぎなかった。
・朝鮮総督府資料から、参加人数約106万名、死者553名、負傷者1409名
・(朝鮮日報日本語版) 三・一節:国史編さん委が初の公式集計「運動参加者103万人・死者934人」
2019.2.21(木) 11:02配信 朝鮮日報日本語版
韓国の国史編さん委員会は20日、1919年3月1日に起きた日本からの独立運動である三・一運動の当時、80~103万人がデモに参加し、725~934人が死亡したとする集計を明らかにした。日帝(日本帝国主義)による既存資料に基づくデモ参加者数58万人、死者553人を最大で1.7倍上回る数値だ。
====================================
このブログ記事は、このサイト『驕りし選民 繰り返される摂理の失敗』の一部を掲載したものです。
『驕りし選民 繰り返される摂理の失敗』は、今まで罪深いサタン国家と教育され、献金の無間地獄へと追いやられていた日本人を解放するためのサイトです。
実際は罪深いどころか、日本無くして1920年に真のお父様を韓半島へとお迎えすることはできませんでした。
日本が朝鮮半島に進出することにより、朝鮮にキリスト教が復興し、ロシアの侵略による共産化を防ぐことができました。
このサイトではこのような歴史的真実を明らかにすることにより、神と真のお父様の真の願いを追い求めたいと思います。
同時にこのサイトでは、本当に罪深く、自ら滅びの道を歩んでいるのは誰なのかを明らかにしていきます。 ここで明らかにされることにより、自ら悔い改め、滅びの運命から逃れることを期待するものです。
今回の記事は、『サタン国家日本、罪の呪縛からの解放』の一部です。
ご興味を持っていただけましたら、本文をお読みいただければ幸いです。
※テーマ一覧
サタン国家日本、罪の呪縛からの解放
日本の韓国統治40年
日本はサタン側のエバ国への疑問
真のお父様を最初に迫害し拷問を加えたのは日本人
神が準備した韓国とキリスト教の罪
再臨摂理を失敗したのは神が準備された韓国人とキリスト教
この記事へのコメントはありません。