(3)再臨摂理を失敗したのは誰か?
6000年の聖書歴史の期間、神の復帰摂理はたった一人の中心人物、メシヤを迎えるための歴史でした。
アダムとエバの堕落以来、堕落した人間が原罪を清算し、本然の神の子へと復帰するためには、原罪を持たない存在、メシヤを通してしかなされないからです。
聖書66巻は、イエスをメシヤと証しするための書物であり、イエスをメシヤとして認めることによって初めて人類に救いがもたらされるようになっていました。
つまり歴史の結実体がイエスであったわけですし、今日においては文鮮明先生、真のお父様でした。
ですからイエス、または真のお父様と同時代に生まれることが、人類にとっての最大の恵みであり、摂理に参画することが、人類史上最大の恵みであるわけです。
そのような前にもなく後にもない貴重な時代に生まれ、何らかの形で摂理に関わり、貢献することができればそれは最高の恵みとなりますが、逆に摂理に反対し、妨害までしてしまったとしたら、それはとてつもない罪となってしまいます。
摂理に直接関わるということはそれほどまでに両極端な結果を招いてしまうわけですが、神が4000年かけて用意された中心人物、中心宗教、中心民族たちは、1945年当時の摂理においてどのような結果をもたらしたのでしょうか?
それについては既に(1)イエス降臨時と再臨時、(2)文鮮明先生の摂理路程において詳細に見てきました。
よってここではもう一度簡単にまとめてみたいと思います。
1、1945年当時の神の摂理
・サタン世界においては、女一人で国家を中心として戦ってはならず、必ず男と二人で一つとなって共同作戦で、一つの基盤を成さなければいけませんでした。
・韓半島の東側の元山を中心として男性たちの神霊役事、白南柱牧師、李龍道牧師、そして金百文牧師につながりました。
・西側の鉄山では婦人たちが神霊役事、金聖道女史、許孝彬女史、そして朴ウルリョンハルモニにつながりました。
★白南柱牧師は金聖道女史、「聖主教」と完全に一つになるべきであったのに、分かれてしまいました。
⇒牧師たちの告発によって、金聖道女史は投獄され、100日以上の獄中生活の末、釈放後に1944年4月1日、62歳で病死しました。
★二つの教会、許孝彬女史の「腹中教」と李龍道牧師の「新イエス教会」を統一せよという、天からの教えがありました。
西側集団「腹中教」が東側集団「新イエス教会」の所に行ったのですが、東側集団は受け入れませんでした。
⇒二つの集団の統一を成すことに失敗。神の摂理、霊的な運動も金百文氏に移り、許孝彬女史も文先生を受け入れませんでした。
・李龍道牧師は1933年にイエス様の年齢と同じ33歳で死亡。
・1950年に韓国戦争が起きた時、許孝彬女史以下すべての監獄にいた人々を、共産党たちが後退する時、連れていって全部虐殺してしまいました。
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このブログ記事は、このサイト『驕りし選民 繰り返される摂理の失敗』の一部を掲載したものです。
『驕りし選民 繰り返される摂理の失敗』は、今まで罪深いサタン国家と教育され、献金の無間地獄へと追いやられていた日本人を解放するためのサイトです。
実際は罪深いどころか、日本無くして1920年に真のお父様を韓半島へとお迎えすることはできませんでした。
日本が朝鮮半島に進出することにより、朝鮮にキリスト教が復興し、ロシアの侵略による共産化を防ぐことができました。
このサイトではこのような歴史的真実を明らかにすることにより、神と真のお父様の真の願いを追い求めたいと思います。
同時にこのサイトでは、本当に罪深く、自ら滅びの道を歩んでいるのは誰なのかを明らかにしていきます。 ここで明らかにされることにより、自ら悔い改め、滅びの運命から逃れることを期待するものです。
今回の記事は、 再臨摂理を失敗したのは誰か? の一部です。
ご興味を持っていただけましたら、本文をお読みいただければ幸いです。
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