④西大門刑務所の受難 (7・4事件、1955.7.4~10.49)
■ソウル中部警察署(治安局特殊情報課)連行
・1955年7月4日に監獄に入っていったのです。彼らは一つになって「文鮮明を捕まえて殺せ」と言ったのです。その時「共産党だ、何だ」と言いながら、この世の悪いことをすべて先生に負わせたのです。
・イエス様が十字架にかかっていったのと同じように、最後にサタンに引かれていく出来事まで起こりました。7・4事件がその代表的な例です。
・その時に、ばかにされ冷遇されたことは、先生は今でも忘れられません。彼らがしたことが先生の骨髄にしみ込んで、いまだに忘れられないのです。先生一人が苦痛を受け迫害を受けることはかまわないのですが、神様が数千年間準備した国と民主世界のすべての基台が崩壊してしまったというのです。
■事件をけしかけた最終的背後勢力
・西大門刑務所事件の時、李博士が五大長官と一つになり、朴マリヤと梨花女子大とフランチェスカの威信を立てるため、あらゆることをしたのです。
・文教部と、文公部(その時は公報部)、それから内務部、法務部、外務部の五大長官が一つとなって、権力で文総裁を捕まえようとしたのです。その五大長官が、「文総裁を除去しろ」という指示を受けたことは知っています。
■兵役法違反容疑
・1955年の梨花女子大事件。東亜日報が支持すると、それに対して政治的圧力が加えられました。そうして五代長官が文総裁を捕らえて殺そうと計画したのです。
・あらゆる怪しいうわさを立てて先生を調べたが、調査してみると何もない。それで「兵役回避だ」というのです。先生は北韓から監獄生活をして出てきたので、兵役の年齢は過ぎていたのです。それをもって兵役回避だと起訴したのです。
■拷問の取り調べ
・先生は、神様に侍っていくなかにおいて、「私」というものを考えたことがありません。むしろ先生が同情しなければならない神様であると思いました。西大門警察署に引かれていく場においても、牢獄の身、鉄格子に閉じ込められる身になってもそうでした。
・み旨の道を行くための最初の歩みを出発したときから、「このように命が残っているので感謝します」と言って、むしろ神様を慰めてさしあげました。
・今日の統一教会の伝統的思想をもってきた歴史的な蕩減基準を残すために、そのような道を歩んできたのです。
・私は西大門刑務所に入っていきながら、大韓民国に対して「滅びろ」とは思いませんでした。「既成教会よ、滅びろ」とは思いませんでした。「彼らが分かっていない罪をお許しください。かわいそうな大韓民国が罪を犯したことを蕩減するように、私にすべてを負わせてください。」と、そのような気持ちをもっていました。
■ソウル地方検察庁送検(1955.7.13) 西大門刑務所入監
■ある平壌の婦人の嘲笑と厳しい非難
・先生が1955年度に監獄にいた時、昔先生に従っていたある婦人が訪ねてきて、「文さん、まだそんなことをしているのか」と言うのです。一時は「先生」と言って従っていたのに、監獄に入っていったので、「神の息子であり、神が愛しているならば、なぜ監獄に入るのか」と言いながら、背いて出ていった人です。
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このブログ記事は、このサイト『驕りし選民 繰り返される摂理の失敗』の一部を掲載したものです。
『驕りし選民 繰り返される摂理の失敗』は、今まで罪深いサタン国家と教育され、献金の無間地獄へと追いやられていた日本人を解放するためのサイトです。
実際は罪深いどころか、日本無くして1920年に真のお父様を韓半島へとお迎えすることはできませんでした。
日本が朝鮮半島に進出することにより、朝鮮にキリスト教が復興し、ロシアの侵略による共産化を防ぐことができました。
このサイトではこのような歴史的真実を明らかにすることにより、神と真のお父様の真の願いを追い求めたいと思います。
同時にこのサイトでは、本当に罪深く、自ら滅びの道を歩んでいるのは誰なのかを明らかにしていきます。 ここで明らかにされることにより、自ら悔い改め、滅びの運命から逃れることを期待するものです。
今回の記事は、文鮮明先生の摂理路程 の一部です。
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