(三)再臨主を中心とする復帰摂理
(三)再臨主を中心とする復帰摂理(1)第一次路程1、信仰基台①金百文牧師と「イエス教イスラエル修道院」②「腹中教」教主、許孝彬女史③「主なる神の夫人」朴…
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私たちは統一教会に入信すると、日本人は主の国韓国を迫害した罪深い民族である。
元々サタン国家であった日本を、真のお父様が許し、愛し、祝福まで与えてくださった。
再臨主として降臨された真のお父様を最初に迫害し、拷問を加えたのも日本人である。
よって日本人は世界中の誰よりも蕩減の道を歩まなければいけない。
私たちは入教以来、このような教育を徹底的に受けてきました。
しかしこれだけの教育を受けながらも、実際はどのような罪を行ったのかということについては、ほとんどの食口は自分で調べることはありませんでした。
自分で調べることもないまま、何十年とこのような自虐史観を受け入れ、言われるままに伝道し、献金を続けてきました。
自分たちが犠牲の道を行くことによって、神の摂理が進み、先祖が救われていくのなら、それが最高の幸福への道だと信じてきました。
果たして本当にそれが正解だったのでしょうか?
最近の教会の活動は常に訳の分からない摂理への献金路程のみで、具体的にこの地に神の国を創建しようなどという意思は全く感じられませんでした。
日本人食口の献金の多くは、箱モノを作るのに使われ、多くの不正を生み、幹部たちの懐を潤してきました。
今は大きく3つに分裂してしまい、自分たちの教団を守ることが最大のミッションとなっています。
教団を守るためのエンドレス献金はこれからも続き、日本の罪も晴れることはないでしょう。
もし日本の蕩減が晴れたら、日本からの献金はなくなり、教団はあっという間に崩壊します。
ですから日本にはいつまでも罪深い国でいてもらわなければいけません。
それゆえ教会は、今の韓国のように事実を捏造してでも日本を糾弾し続けなければいけません。
決して真実の歴史を知られては困るのです。
今回教会にとって最も恐れる歴史の真実を明らかにするために、このサイトを立ち上げました。
日本は罪深い国どころか、日本が無かったら再臨の主を韓半島の地に迎えることはできませんでした
このような歴史的真実を明らかにすると同時に、本当に罪深い人物は誰で、罪深い民族はどの民族なのかということを明らかにしました。
今までいわれなき罪を着せられ、自虐史観を植え付けられてきた私たちも、今こそ真実を知り、新しい一歩を踏み出せることを願ってやみません。
私たちは統一教会に入ると、まず第一に教えられたのは日本はもともとサタン側のエバ国家だったが、恩讐をも愛する真のお父様の愛によって許され、神側のエバ国となることができたということです。
そして本来ならば神側のエバ国として、再臨摂理の大前線に立つことなどということは許されるはずもない罪深い日本人が、こうして真のお父様の愛によって許され、主の民韓民族と共に摂理を担うことが許されたわけですから、日本民族としての罪を悔い改め、誰よりも苦難の道を歩み、僕の僕となって摂理に貢献しなければいけない。神の摂理を担う万物と人材を天の前に責任をもって捧げなければいけないと教育されてきました。
全ては堕落の張本人、エバの蕩減であり、主の国韓国と、真のお父様を直接に迫害した罪深い民族としての、民族的蕩減条件を立てなければいけないということを、ことあるごとに徹底的に教育されてきました。
そしてその教育を受けた日本人食口たちは、その教育に疑問を抱くこともなく、ただ素直に、純粋にそのみ言を信じてきました。そして一生懸命に伝道し、自分の家や畑を売り払い、子供たちの教育資金をも摂理の名目で天に捧げてきました。
時にはヤコブの知恵を使えと教育され、霊感商法や訪問販売等で多くの人々を騙したとしても、全ては天のみ旨のためだと自己正当化してきました。たとえ騙されたとしても結果的に天のみ旨に貢献出来たらば、それが条件となって本人または子孫が必ず救われると信じて、非合法的な活動にまで手を染めてきた人もいます。
さらには親をも騙し、お金を借りれるだけ借りては教会に献金してきました。カード時代になってからは可能な限りカードキャッシングを行って献金し、挙句の果ては自己破産にまで追い込まれ、最終的に生活保護を受けざるを得ない貧困にあえぐ食口たちを生み出してきました。
実際統一教会食口の生活保護受給率は、一般人の生活保護世帯の受給率よりもはるかに高いと言われています。
そんな統一教会の実情は国の知るところとなり、今では統一教会員と知れると、生活保護さえも受けることはできないと言われています。
統一原理を知り、真の御父母様と出会い、統一教会員として祝福を受けることにより、誰よりも幸せな人生を送ることができると信じみ旨の道を歩んできたら、誰よりも惨めで、貧しい生活が待っていたのです。
しかしこんな惨めな人生、生きているときだけならばまだいいのですが、もし今まで教わった内容が間違いで、天に積んだはずの功労も実際は積まれていなかったとしたらどうなるのでしょうか?
さらには自らの人生を犠牲にしてまで捧げてきた献金が、天に積まれるどころか、サタンの活動資金になっていたとしたら、それは功労ではなく、逆に罪になってしまうのではないでしょうか?
ここではまず、私たちが統一教会に入ることによってまっさきに教えられてきた、日本はサタン側のエバ国であり、主の国韓国を40年間迫害してきた罪深い国という内容は本当なのかを、日本による朝鮮統治時代の真実を解明することにより、明らかにしていきたいと思います。
そして真のお父様を最初に迫害し、拷問を加えた罪深い日本人という内容も精査し、そこから浮かび上がる真実を明らかにしていきたいと思います。
私たちは原理講論は永遠不滅の真理であると教わり、神山先生などはまるまる暗記したとも聞きました。
劉孝元先生が3年6ヵ月もの間、毎日16時間の原理講義を行うという精誠を捧げることによって書き上げた原理講論は、完全無欠の真理と思っていました。
しかし1966年に発刊された原理講論は、50年以上経った今、一部の内容は古くなり、今の時代には合わない部分も多くなってきました。
再臨論にあるサタン側の国家日本に関する記述も、下に示すように、明らかに事実とは違う記述が多く見られます。
それは真のお父様自身が抗日運動の闘志であり、上海臨時政府金九先生と連絡を取り合っていたという事実から見て、思想的に朴殷植著『朝鮮独立運動の血史』や上海臨時政府の機関紙「独立新聞」の影響を受けていたためだと思われます。
また劉孝元先生ももともとクリスチャンであったという事実から、やはり抗日運動家であった可能性も高く、真のお父様と情報を共有し、原理講論を書き上げたとみるべきでしょう。
今のようにインターネットが発達し、正確な情報を得ることの可能な時代と違って、自分の身近な情報にしか接することのできない環境にありましたので致し方ないことでもあります。
しかしいつまでも間違った情報をもって、事の真偽を判断することはできません。
たとえ原理講論にあったとしても、間違った内容はただの間違いでしかありません。私たちは正しい知識を学ばなければいけないのです。
特に原理を一般の人たちに述べ伝え、真理の伝道者となるのであったら、明らかに間違っている内容を伝えるなどということはできません。ただの無恥で非常識な人間となってしまいます。たとえ原理講論にあったとしても、間違いを認める勇気を持たなければいけないのです。
原理講論を勉強しないなどという食口は食口ではありません。
原理講論をそのまま丸暗記するのもいいでしょう。
しかし大人の信仰者としては、原理講論の内容を自らが体恤し、自由自在に語り、生活の中で実践できる者とならなければいけません。
そのような段階になったら、原理を学び感じた疑問には、自らが明確な回答を持たなければいけません。
今回ここで取り上げるサタン側国家日本に対する考察は、そんな大人の信仰者になるための一つのきっかけを与えてくれるかもしれません。
原理講論 再臨論
(三)東方のその国は、すなわち韓国である
韓国民族も、「40日サタン分立基台」を立てるためには、サタン側のある国家で、40数に該当する年数の苦役を受けなければならないのであり、これが日本帝国に属国とされ、迫害を受けた40年期間であった。
1905年に、日本の伊藤博文と当時の韓国学部大臣であった親日派李完用らによって、韓国の外交権一切を日本帝国の外務省に一任する条約が成立した。そうして、日本は韓国にその統監(のちの総督)をおき、必要な地域ごとに理事官をおいて、一切の内政に干渉することによって、日本は事実上韓国から政治、外交、経済などすべての主要部門の権利を剥奪したのであるが、これがすなわち乙巳保護条約であった。
西暦1910年、日本が強制的に韓国を合併した後には、韓国民族の自由を完全に剥奪し、数多くの愛国者を投獄、虐殺し、甚だしくは、皇宮に侵入して王妃を虐殺するなど、残虐無道な行為をほしいままにし、1919年3月1日韓国独立運動のときには、全国至る所で多数の良民を殺戮した。
さらに、1923年に発生した日本の関東大震災のときには、根も葉もない謀略をもって東京に居住していた無辜の韓国人たちを数知れず虐殺したのであった。
一方、数多くの韓国人たちは日本の圧政に耐えることができず、肥沃な故国の山河を日本人に明け渡し、自由を求めて荒漠たる満州の広野に移民し、臥薪嘗胆の試練を経て、祖国の解放に尽力したのであった。日本軍は、このような韓国民族の多くの村落を探索しては、老人から幼児に至るまで全住民を一つの建物の中に監禁して放火し、皆殺しにした。日本はこのような圧政を帝国が滅亡する日まで続けたのであった。このように、三・一独立運動で、あるいは満州広野で倒れた民衆は主としてキリスト教信徒たちであったのであり、さらに帝国末期にはキリスト教信徒に神社参拝を強要し、これに応じない数多くの信徒を投獄、または虐殺した。それだけではなく、8・15解放直前の日本帝国主義の韓国キリスト教弾圧政策は、実に極悪非道なものであった。しかし、日本の天皇が第二次大戦において敗戦を宣言することによって韓国民族は、ついにその軛から解放されたのである。
このように韓国民族は、1905年の乙巳保護条約以後1945年解放されるときまで40年間、第一、第二イスラエル選民が、エジプトやローマ帝国で受けたそれに劣らない迫害を受けたのである。そして、この独立運動が主に国内外のキリスト教信徒たちを中心として起こったので、迫害を受けたのが主としてキリスト教信徒たちであったことはいうまでもない。
原理講論
「西暦1910年、日本が強制的に韓国を合併した後には、韓国民族の自由を完全に剥奪し、数多くの愛国者を投獄、虐殺し、甚だしくは、皇宮に侵入して王妃を虐殺するなど、残虐無道な行為をほしいままにし」
⇒1895年10月8日に起こった「閔妃暗殺事件(乙未事変(いつびじへん))」のことを指すと思われる。
閔妃暗殺事件は、日本陸軍軍人三浦梧楼らの計画に基づいて、王宮に乱入した日本軍守備隊らによって王妃閔妃が暗殺された事件。
しかしこの事件は、王妃閔妃の政敵であった高宗の父興宣大院君(こうせんだいいんくん)が三浦公使と共謀して起こしたクーデターとの説も多く、複数の学説が存在している。
この事件は、日本による朝鮮統治期間以前の事件であり、日本人単独による蛮行でもなく、当時の李氏朝鮮内の政治闘争の一環であるにも関わらず、原理講論には全ては日本による残虐無道な行為のごとくに書いてある。
原理講論
「さらに、1923年に発生した日本の関東大震災のときには、根も葉もない謀略をもって東京に居住していた無辜の韓国人たちを数知れず虐殺したのであった。」
⇒関東大震災時に、数千人の朝鮮人を虐殺したというのは、今では常識的な内容となっています。
しかしこのことに関しても、史実を時系列に従い忠実に検証してみると、全く違ったものが見えてきました。
①在日朝鮮人たちによる暴動や火事場泥棒が多発。
②そのことを新聞記事によって注意喚起。
③その結果自警団を結成。
④自警団による多数の朝鮮人の虐殺。
⑤政府は、それ以上虐殺が起きないよう報道の規制措置を取る。
しかもこの在日朝鮮人たちによる暴動も、その背後には当時の共産党による共産革命のためのテロ行為があった可能性があり、そこには共産党と根元が同じ在日朝鮮統一民主戦線の朝鮮人が関与していた可能性もあるというのです。
しかし左傾化した日本では不都合な真実は隠され、歪曲され、無実の朝鮮人に対する日本人による一方的な虐殺と定着し、原理講論にも同じような主張が真理のごとく記載されているのです。
原理講論
「日本軍は、このような韓国民族の多くの村落を探索しては、老人から幼児に至るまで全住民を一つの建物の中に監禁して放火し、皆殺しにした。日本はこのような圧政を帝国が滅亡する日まで続けたのであった。」
⇒1919年4月15日の堤岩里事件のことを指すと思われる。
3・1運動が全国規模で拡大し、華城地域では暴動の様相を見せ、警察の駐在所が破壊され、日本人警官2人が殺害されたり、面事務所、郵便局、駅、金融組合、日本人小学校、日本人家屋が襲撃、破壊もしくは放火されるなどの被害が出た。
デモの首謀者逮捕の目的で、成人男性22人を堤岩里教会に集め、取り調べの過程で反抗、逃亡があったので全員を射殺。証拠隠滅のために教会および付近の家屋に火を放った。総犠牲者は23人(近隣での殺害を含めると29人)。
この事件が日本統治下での朝鮮人弾圧の最大の悲劇。
原理講論には、同様の事件が統治期間中継続的に、各地で続いたかのごとくに書いてあるが、実際は3・1運動を機に朝鮮総督府による統治体制が、武断的なものから文治的なものへと方針転換される契機となり、日本敗戦に至るまで大規模な運動は起こらなかったといいます。
原理講論
「さらに帝国末期にはキリスト教信徒に神社参拝を強要し、これに応じない数多くの信徒を投獄、または虐殺した。それだけではなく、8・15解放直前の日本帝国主義の韓国キリスト教弾圧政策は、実に極悪非道なものであった。」
⇒日韓併合下ではキリスト教徒が抗日運動を担うようになり、1919年に発生した三・一運動ではキリスト教徒が主要な役割を果たした。
1937年皇国臣民ノ誓詞が発せられ、総督府は公然とキリスト教会への神社参拝を強要した。
このような事実は確認できるが、8・15解放直前の日本帝国主義の韓国キリスト教弾圧政策は確認できない。
原理講論にある日本による迫害の多くは、その根拠があいまいなところが多く、その思想は朴殷植著『朝鮮独立運動の血史』に近いところが多いことを考えると、帝国末期の実に極悪非道な韓国キリスト教弾圧政策も、その信憑性はかなり低いのかもしれない。
日本にいて朝鮮末期の状況を調べるとき、最も客観的な資料というものは、日本人や韓国人による資料ではなく、全く利害関係のない外国人による資料が最も信頼できるものと思われます。
そんな前提条件のもと、ここではよくネットでも取り上げられているイザベラ・バードの『朝鮮紀行』と
シャルル・ダレの『朝鮮事情』を参考に李朝末期の朝鮮の様子を見てみたいと思います。
・李朝末期のソウル
「路地の多くは荷物を積んだ牛どうしがすれちがえず、荷牛と人間ならかろうじてすれちがえる程度の幅しかなく、
おまけにその幅は家家から出た固体および液体の汚物を受ける穴かみぞで挟められている。
悪臭ふんぷんのその穴やみぞの横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子どもたち、
疥癬持ちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げ回ったり、ひなたでまばたきしたりしている。」
「冬にはぬかるみ、ならしてない場合はでこぼこの地面と、突き出た岩の上をわだちが通っている。
道と言っても獣や人間の通行でどうやら識別可能な程度についた通路に過ぎない」
・文化的建造物
「ソウルには芸術品はまったくなく、古代の遺跡もわずかで、公園もなければ、まれな例外を除けば見るべきイベントも劇場もなく、
旧跡も図書館も文献もなく、宗教におよそ無関心であったため寺院もなく、迷信が影響力をもつため墓地もない」
・両班制度について
「両班は公認の吸血鬼であり、ソウルには『盗む側』と『盗まれる側』の二つの身分しかない」
「朝鮮の災いのもとのひとつにこの両班つまり貴族という特権階級の存在があるからである。
両班はみずからの生活のために働いてはならないものの、身内に生活を支えてもらうのは恥とはならず、
妻がこっそりよその縫い物や洗濯をして生活を支えている場合も少なくない。
両班は自分ではなにも持たない。自分のキセルですらである。
(中略)慣例上、この階級に属する者は旅行をするとき、おおぜいのお供をかき集めれるだけかき集めて引き連れて行くことになっている。
本人は従僕に引かせた馬に乗るのであるが、伝統上、両班に求められるのは究極の無能さ加減である。
従者たちは近くの住民を脅して買っている鶏や卵を奪い、金を払わない。」
・朝鮮の官僚
「日本の発展に興味を持つ者も少数はいたものの、多くの者は搾取や不正利得ができなくなるという私利私欲のために改革に反対していたとし、
堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手したが、それは困難きわまりなかった」
・非特権階級(民衆)
「年貢という重い負担をかけられているおびただしい数の民衆が、代価を払いもせずにその労働力を利用するばかりか、
借金という名目の無慈悲な取り立てを行う両班から過酷な圧迫を受けているのは疑いない。
商人なり農民なりがある程度の穴あき銭を貯めたという評判がたてば、両班か官吏が借金を求めにくる。
これは実質的に徴税であり、もしも断ろうものなら、その男は偽の負債をでっちあげられて投獄され、
本人または身内の者が要求額を支払うまで毎朝鞭で打たれる。」
①朝鮮王朝末期の混乱とキリスト教の迫害
・朝鮮は清を宗主国として鎖国政策を取っていたが、西洋の列強諸国による解放圧力。
・李氏朝鮮最後の王高宗の実父大院君と王妃閔妃との熾烈な政権闘争。
・キリスト教が弾圧され、数多くのキリスト教徒が処刑されていた。
・1876年に日朝修好条規が締結、以降閔氏政権は開国政策に切り替え、米、仏、露とも通商条約を結ぶ。
・プロテスタント諸派が朝鮮に宣教師を派遣。
・朝鮮は宗主国をロシアに変える動きを見せ、閔妃はロシアに近づき、親露政策を取る。
・1903年から1908年には韓国キリスト教のリバイバル(信仰復興)が起こった。
・1904年日露戦争が勃発し、日本が勝利し、1905年に第二次日韓協約が締結。
・1910年日韓併合の後、日本組合基督教会は朝鮮総督府より莫大な資金援助を受けて朝鮮植民地伝道を繰り広げる。
☆日本の朝鮮進出の結果
・キリスト教を迫害していた朝鮮が解放され、韓国キリスト教のリバイバル(信仰復興)が起こった。
・宗主国清国からの独立、南下政策を取っていたロシアを駆逐。
1917年にロシア革命が勃発しロシアは共産化、ソビエト連邦が発足、必然的に朝鮮も共産化されていた。
⇒1920年1月6日、文鮮明先生がメシヤとして韓半島に誕生することができただろうか?
②腐敗した朝鮮王朝と日本の朝鮮統治
・李朝末期のソウル…この世で一番不潔な町、都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい。
・両班制度…両班は公認の吸血鬼であり、ソウルには『盗む側』と『盗まれる側』の二つの身分しかない。
・朝鮮の官僚…多くの者は搾取や不正利得ができなくなるという私利私欲のために改革に反対。
・1871、72年の飢饉…朝鮮政府は利得のために鎖国を固守し、食料買い入れよりも、国民の半数が死んでいくのを放置。
☆日本の朝鮮統治
・30数年間で朝鮮半島につぎ込んだ日本国民の税金は現在の価値で63兆円、民間まで入れると80兆円をはるかに超える。
・社会政策…高等教育や義務教育制度や戸籍制度などの近代的な社会制度の整備が行われた。
・身分解放…1909年に戸籍制度を導入し、白丁など賤民にも姓を名乗らせて戸籍には身分を記載することなく登録させた。
・教育制度…1906年時点で小学校が全国で40校未満、両班の子弟は書堂と呼ばれる私塾で教育。1940年代には各種学校は1000校を超えた。
・宗教政策…李朝はカトリックへの弾圧は断続的に行われた。1895年に公称1590人の信徒が1910年には22万6791名に。
・造林事業…1911年には約4千町、1152万本だったが1922年までの累計は約36万町、10億本に至った。
・経済…鉄道、道路、上水道、下水道、電気インフラ、病院、学校、工場など、最新鋭のインフラの整備を行い、近代教育制度や近代医療制度の整備を進めた。1,527件の農業用ダムと410件の水路の建設、砂防ダム建設など水利事業も行われた。
・平均寿命…衛生指導や集団予防接種が行われ、コレラ、天然痘、ペストなどによる乳児死亡率が減少し、平均寿命は24歳から56歳まで伸びた。また農地の開発や農業技術の指導により食糧生産量も激増し、人口は併合時(1910年)13,128,780人、1944年25,120,174人となり、平均寿命も併合時(1910年)24歳だったものが、1942年には45歳まで伸びた。
食糧生産は併合前の1909年には746万石、1918年には1529万石と2倍以上に、更に1942年には2489万石なった。
・資本主義の萌芽…資本主義の萌芽が李氏朝鮮時代には存在せず、日韓併合による日本の政策によって生まれ、特に戦後の韓国の資本主義や工業化は、日本の朝鮮半島での近代化政策を模したものである。(ハーバード大学教授、朝鮮史専門カーター・J・エッカート)
☆日本の朝鮮統治の結果
・両班制度と腐敗した官僚により、李氏朝鮮時代の520年間は文化的、経済的に停滞し、王朝末期には漢陽はこの世で一番不潔な町と言われるようになり、一般民衆は疲弊し、自力では改革のできるような状況にはなかった。
・日本政府は30数年間で朝鮮半島に現在の価値で63兆円の税金、民間まで入れると80兆円をはるかに超える資金を投入し、朝鮮の近代化に寄与。
・衛生指導や集団予防接種、医療制度の整備、農地開発、農業技術指導、教育改革、身分制度の撤廃等により、民衆の生活は劇的に向上し、人口は併合時(1910年)13,128,780人だったのが、1944年には25,120,174人となり、平均寿命も併合時(1910年)24歳だったものが、1942年には45歳まで伸びた。
③もし日本が韓国を統治しなかったら…ロシアによる統治
・1904年に日露戦争が勃発し、日本が勝利することによって、ロシアの南下政策に楔を打つことがでた。
・もし日本が朝鮮を統治していなかったら、朝鮮はロシアの支配を受けるようになっていた。
・1917年にロシア革命が勃発し、ロシアは共産化され、ソビエト連邦が発足したので、必然的に朝鮮も共産化されていた。
・1903年から1908年に起こった韓国キリスト教のリバイバルもなく、キリスト教徒たちは迫害の中に身をさらすようになっていた。
・このような環境の中で真のお父様が韓半島に生まれていたかどうか、またはメシヤとしての道を歩むことができたかどうか、非常に疑わしいと言わざるを得ません。
・再臨の主を韓半島に誕生させるためには、日本が朝鮮を統治するのが、最もふさわしい政治状況だったと言えます。
日本でなければ、人類の真の父母様をこの地上に誕生させることが難しかったかもしれません。
④大韓民国臨時政府
・真のお父様は日本留学時代、抗日運動の中心人物として、上海にある大韓民国臨時政府と連絡を取り合っていました。
・真のお父様の大叔父、文潤國牧師も、文家の財産や村人たちから集めたお金を上海臨時政府に送金していました。
・大韓民国臨時政府の初代大統領は李承晩。
・第二代大統領が『朝鮮独立運動之血史』を著した朴殷植。
・その体制は金九によって引き継がれました。
・李承晩大統領は、今日に至るまで韓国の反日思想の基礎を作り上げた独裁者であり、後の大量殺戮者でした。
・朴殷植は、反日の思想的根拠を捏造によって作り上げた張本人です。
・金九は、今でも独立運動の英雄として、多くの韓国人の尊敬を受けていますが、元々日本人を殺した殺人犯であり、数多くの暗殺を指揮したテロリストでした。
・『朝鮮独立運動之血史』によって、朝鮮統治時代の誇張された日本の迫害の様子が印象付けられました。
・機関紙「独立新聞」の報道で、関東大震災時に日本人自警団によって虐殺された朝鮮人の数が6000人となり、その数字が今でも信じられています。
⑤金九
・金九は、朝鮮の民族主義者、韓国の政治家、韓国独立党党首。
・韓人愛国団を率い大韓民国臨時政府主席を務め、1962年、建国勲章大韓民国勲章を追叙された。
・1919年以来、上海で臨時政府に参加し、大韓民国臨時政府の警察本部長、内務大臣、大統領代理、国務領(大統領)などを務めた。
・1940年から1947年まで大韓民国臨時政府の主席であったが、李承晩と対立して1949年6月26日に暗殺された。
・真のお父様は日本での留学時代、韓国人留学生を管理する立場で、上海の臨時政府金九と連絡を取り、地下工作活動をされていました。
・お父様は朝鮮学徒出陣反対運動をやっており、徴兵される朝鮮人留学生を、上海の臨時政府へと派遣していました。
★鴟河浦事件、食事を注文した時に、女給が自分より先に日本人に食膳を与えるのを見て憤慨し、閔妃殺害にはなんら関係がない日本人の土田譲亮を日帝・日本人への懲罰として殺害した。
強盗殺人犯として死刑判決を受けたが、特赦により減刑されたが後に脱獄。
★金九の指揮した暗殺やテロ行為、
・1921年、ソ連の政治資金が臨時政府に上納されていないという理由で、青年たちに韓国人の共産主義者たちの暗殺を指示。
・1922年11月、金九が刺客を放ち、韓国人共産主義者金立が上海で狙撃殺害される。
・1924年、満州の朴喜光と通じ親日派暗殺、主要公館破壊などを指揮。
・1932年、韓人愛国団の李奉昌が昭和天皇暗殺を狙った桜田門事件、尹奉吉による上海天長節爆弾事件などのテロを指令。
・1947年12月、韓民党の党首・張徳秀を暗殺した疑いで米軍の法廷に召喚される。
★国時先生の真とのお父様の秘史「救国への奇跡」、金九は真のお父様をも暗殺しようとしました。
「1946年5月27日のお父様が急にお米を買いに行ったその帰り道に啓示を受けて、急に北に行ったということは、蒋介石の手先の金九の一味が、お父様の命に狙いをつけていたということです。」
・金九に対しする否定的な評価
池萬元氏「金九は現代版に解釈すればウサマ・ビンラディンのような人間。国を経営できる人間ではない。実力が足りないながらも李承晩に嫉妬した人間」
・金完燮氏「偏狭な儒教思想に凝り固まった無知蒙昧な人物」「金九については生まれつきの殺人鬼だと思わずにはいられない」
⑥『朝鮮独立運動之血史』
・2019年3月19日、第100周年3.1節記念式における文在寅大統領の演説。
「朝鮮半島の全人口の10%におよぶ202万人が万歳運動に参加しました。7,500余人の朝鮮人が殺害され、16,000余人が負傷しました。逮捕・拘禁された人の数は、46,000人に達しました。」
・『朝鮮独立運動之血史』にある犠牲者数、集会参加者延べ約202万、死傷者が7,509名、負傷者が15,961名。
・文在寅大統領自身の反日の思想的原点が大韓民国臨時政府にあり、『朝鮮独立運動之血史』にあるということを示唆。
・韓国の天安にある韓国独立記念館の展示物の中にある、拷問を受けてるおぞましい蝋人形の数々は、『朝鮮独立運動之血史』で描かれた拷問の様子をリアルに再現したもの。
・『朝鮮独立運動之血史』は、大韓民国臨時政府の第2代大統領朴殷植による著作物。
朝鮮人の民族意識鼓舞の目的で1919年から1920年にかけて、亡命先の上海で、文献や伝聞、新聞資料等の資料から作成された。数値や事実関係の検証が徹底しておらず、多数の誤りが(韓国人の歴史家によって)指摘されている。
『朝鮮独立運動之血史』より
・日本について
「日本では母子が性交する」
「日本は国や個人財産に至るまで、みな狡猾と暴力によって奪った」
「日本はその野蛮な習慣を我が民族に強制し、倫理を冒涜した」
・1919年に起こった韓国独立運動(三一運動)について
「平和的なデモをしていた朝鮮人たちを、日本軍警察が無差別に虐殺し、日本の軍警察は、馬に乗り剣をふるって横行し、デモ隊を乱撃した。また人の目を刺し、人の耳をもぎ、人の腕を切り落とし、人の鼻をそぐなどの残虐性をはっきした、一般市民も、少女とか、女性の性器を切リ、股裂きをした」
「日本は独立を妨害するために、あらゆる悪行を犯した。日本は独立を叫ぶ人々に向かって銃を撃ち、民家、教会、学校に火をつけた」
「10歳にならない少女と婦女子らが恥辱的な扱いを受け、身体を殴られ、幼い少女たちも残酷に殴られ、7歳以下の幼い少女ら300余命が殺害された」
・「歴史を偽造する韓国」 中川八洋 2002年 徳間書店より
「女子高等普通学校(当時の女子中等学校の名称)の廬永烈は、裸体で十字架の上に仰臥させられた。日本人は、後列の十字架の傍に炭炉を置き、鉄線を真っ赤に焼いて廬永烈の乳頭を三、四回刺してからその縄を解き、刀で四肢を断ちおとし、まるでまこも(菰)のように分切した。血が雨のようにしたたりおちた。…が質問して、「お前はこれでもなお『万歳』を叫ぶつもりか」と言った。彼女はこれに答えて、「独立が達成できなければたとえ死んでもやめない」と言った。…数日間も食事を与えないで、三日目にふたたび拷問を加えた。…やむをえず、衣服を抛(ほう)りかえしてよこし、きびしく警責を加えた後に釈放された。……」(231~2頁、212頁)
★三・一運動の犠牲者数
・『朝鮮独立運動之血史』
3月~5月に集会参加者延べ約202万、死傷者が7,509名、負傷者が15,961名としている。
・日本警察の集計
3~4月11日、参加人数約49万、死者357名、負傷者802名となっている。
三・一運動期間中、6月30日までに逮捕され起訴された総数は26,865人、第一審判決で最高15年から最低3月未満までの受刑者が22,275名であった。死刑を一人も求刑せず、15年以上の実刑もなく、3年以上の懲役はわずか80人に過ぎなかった。
・朝鮮総督府による公式数字は、参加人数106万人、死者553人。
・(朝鮮日報日本語版) 三・一節:国史編さん委が初の公式集計「運動参加者103万人・死者934人」
2019.2.21(木) 11:02配信 朝鮮日報日本語版
韓国の国史編さん委員会は20日、1919年3月1日に起きた日本からの独立運動である三・一運動の当時、80~103万人がデモに参加し、725~934人が死亡したとする集計を明らかにした。日帝(日本帝国主義)による既存資料に基づくデモ参加者数58万人、死者553人を最大で1.7倍上回る数値だ。
・襲撃による日本側の被害:官憲の死者8名、負傷者158名、駐在所159(警官のもの87、憲兵のもの72)、軍・面事務所77、郵便局15、その他諸々27。
⑦李承晩大統領
・李承晩博士は、大韓民国臨時政府と、大韓民国の初代大統領。
・1919年4月10日、上海で結成された「大韓民国臨時政府」の初代大統領に就任。
・1948年8月15日、アメリカ合衆国後援の下、大韓民国政府樹立を宣言し、初代大統領に就任。
・独島(竹島)問題の発端となった李承晩ラインをはじめとして、今日まで日本と韓国間に横たわる問題の多くが、李承晩時代に端を発しています。
・李承晩大統領時代に朝鮮戦争が勃発し、共産主義者の粛清のため保導連盟事件をおこした。
・済州島四・三事件、国民防衛軍事件のような失政から国民の目をそらすべく、反日政策をいたずらに煽った。
★摂理的に見た場合、1945年当時李承晩大統領は、2000年かけて神が準備したキリスト教の基盤の上に立つカイン側の中心人物でしたので、真のお父様をお迎えし、神のみ旨をなす重要な役割を担っていました。
・「真のお父様の大叔父文潤國牧師は、李承晩博士と友達でした。
李承晩博士が韓国に帰国し国を立てた時、文潤國大叔父を必要とし、旌善にヘリコプターで三度も迎えに来たのです。
しかし文潤國牧師は「あー、私は政治はしないよ。信仰する人が政治をすることは……」こう言いました。
もし李博士と一つになっていれば、私が理論を中心として私が大叔父を説得しさえすれば、李博士一族と環境与件、キリスト教幹部のすべてのことを消化するのは問題なかったでしょう。」『真の御父母様の生涯路程2』より
・金百文牧師も、李承晩大統領と近い立場にありましたから、金百文牧師の集団がお父様と一つになっていたら、それが完成段階の集団となり、既成教会の牧師を連結し、政府と連結できました。
・梨花女子大事件当時、梨花女子大の副総長朴瑪利亜は李承晩大統領の夫人フランチェスカと繋がっていた。
また朴瑪利亜の夫李起鵬は、李承晩大統領の遠縁にあたる側近で、副大統領候補でした。
さらに李承晩大統領は、フランチェスカ夫人との間に実子がいなかったため、李起鵬の長男・李康石を養子に迎えていた。
そこで朴瑪利亜と李起鵬を中心として、総長金活蘭と統一教会が完全に一つになり、米国宣教師を屈服していたら、李承晩大統領、政府と一つとなり、一気にキリスト教文化圏であるアメリカに渡っていくことができた。
・これらの摂理はことごとく失敗し、真のお父様と李承晩大統領は直接繋がることはできず、2000年かけて神が用意したキリスト教のすべての基盤は失われてしまった。
・最終的には梨花女子大事件を通じ、李承晩政権によって統一教会は、国を挙げての迫害を受けることとなった。
★保導連盟事件
1950年6月25日朝鮮戦争が勃発、27日に李承晩大統領は保導連盟員や南朝鮮労働党関係者を処刑するよう命令。
韓国軍、警察は釜山にまで後退する一方、保導連盟に登録していた人民を危険分子と見なして大虐殺を行う。
★済州島四・三事件
1948年4月3日から1954年9月21日までの期間に、アメリカ陸軍支配下にある済州島で起こった島民の蜂起に伴う一連の島民虐殺事件。
★国民防衛軍事件
朝鮮戦争中に、韓国の国民防衛軍司令部の幹部らが、国民防衛軍に供給された軍事物資や兵糧米などを横領した事件。
⑧朝鮮王朝末期から今日までの朝鮮民族の受難
★朝鮮王朝末期のカトリック弾圧
・1801年、辛酉教獄(しんゆう):清国人宣教師ほか300名あまりを処刑。数万人が犠牲になった。
・1839年、己亥教獄(きがい):フランス人宣教師ほか200名あまりを処刑。
・1846年、丙午教獄(へいご):金大建ほか20名あまりを処刑。
・1866年、丙寅教獄(へいいん):大院君政権はカトリックへの弾圧を強化し、1872年までに8000人あまりの信徒を殺害。
★三・一独立運動
・『朝鮮独立運動の血史』…集会参加者延べ約202万、死傷者が7509名、負傷者が15961名。
・日本警察の集計…参加人数約49万、死者357名、負傷者802名。
・朝鮮総督府による公式数字は、参加人数106万人、死者553人。
・三・一節:国史編さん委が初の公式集計…運動参加者103万人・死者934人(2019.2.21 朝鮮日報日本語版)
★保導連盟事件
朝鮮戦争時、韓国軍、警察は釜山にまで後退する一方、保導連盟に登録していた人民を危険分子と見なして大虐殺を行う。
・被害者は公式に確認されているもので4934人。
・「朝鮮戦争前後民間人虐殺真相糾明と名誉回復のための汎国民委員会」:虐殺された人数 60万人~120万人。
・1960年4月、全国血虐殺者遺族会が遺族の申告をもとに作成した報告書:虐殺された人数 114万人。
・韓国政府の「真実・和解のための過去史整理委員会」:子供を含む少なくとも10万人以上の人々を殺害、遺棄。
★済州島四・三事件
島民の5人に1人にあたる6万人が虐殺された。また、済州島の村々の70%が焼き尽くされた。
★国民防衛軍事件
9万名余りの韓国軍兵士が餓死したとされる。
★朝鮮動乱
韓国軍は約20万人、アメリカ軍は約14万人、国連軍全体では36万人の死傷者を出したといわれ、民間人の犠牲者の数は100万人とも200万人とも言われている。
また中国軍は10万から150万人(多くの推計では約40万人)、北朝鮮軍は29万人の犠牲を出したといわれている。
★その他の事件・事故
・1983年9月1日のソ連による大韓航空機撃墜事件での犠牲者は269人
・1987年11月28日の北朝鮮による大韓航空機爆破事件での犠牲者は115人。
・1995年6月29日の三豊百貨店崩壊事故での死者は502人。
・北朝鮮による拉致被害者の数は、公式認定された数だけでも486人。
私たちは統一教会に入教することにより、日本は韓国に対し許されざる罪を犯したと教えられ、その蕩減として経済に対して責任を持たなければいけないと教育され、一方的にその言葉を信じてきました。
しかし日本による朝鮮統治時代の真実を調べると、日本が朝鮮を統治しなかったら、朝鮮半島にキリスト教は根付かず、ロシアの共産化とともに朝鮮半島も共産化され、真のお父様をメシヤとして朝鮮半島にお迎えすることは難しかっただろうことがわかります。もし迎えることができたとしてもメシヤとして成長し、使命を完遂することも難しかったのではないでしょうか?
それだけでなく、520年間の統治により腐敗した朝鮮王朝を開放し、身分制度を破棄し、短期間のうちに近代化を果たした日本による統治時代は、暗黒の時代というよりは希望の時代でした。
その証拠が、朝鮮半島各地に建設された近代的建造物であり、人口は約2倍に増え、平均寿命も約2倍に伸びました。
日本による統治時代の負の歴史として今でも問題視される従軍慰安婦問題、強制徴用工問題は、捏造された事実に基づき、今でも賠償を請求されていますが、朝鮮、韓国の本当の負の歴史は、朝鮮王朝末期および、李承晩時代にありました。
朝鮮王朝末期には、キリスト教の弾圧が行われ、数十万人もの命が失われました。
大韓民国が建国されてからも李承晩大統領は一説によると、共産主義者として100万人以上もの無垢の国民を殺害し、近年までその事実は隠蔽されたままでした。
一方韓国人が国を挙げて攻撃し、謝罪を要求し続ける日本による統治時代は、三・一運動期間中、日本警察の集計で死者は357名、今年発表された国史編さん委の公式集計では死者934人とされています。
キリスト教徒の弾圧や、李承晩大統領による虐殺に比べると、桁違いに少ない人数と言わざるを得ません。
こうした客観的資料を比べると、日本は罪深いと言われ続けてきた内容は、確かに否定することはできない部分もありますが、日本以上に罪深い存在は他にもあった事実がわかります。
再臨主を迎える選民韓国人を迫害し、キリスト教徒を迫害したのは同じ朝鮮人であり、李承晩大統領であり、北朝鮮でした。
一方日本は、再臨主を誕生させるために韓国を保護し、キリスト教の土台を作り、再臨主を共産主義から守り、育成し、韓国の近代化に寄与しました。
見方を変えると、全く違ったものが見えてきます。
日本の罪について否定できない部分はありますが、罪の程度も正しく評価されるべきであると同時に、再臨主を迎えるために日本が積んだ功績も正しく評価されるべきなのです。
原理講論の第二次世界大戦の項目を見ると、神側の連合国、サタン側の枢軸国を次のように書いています。
神側の連合国(米、英、仏):民主主義、アベル型人生観、キリスト教支持
サタン側の枢軸国(独、日、伊):全体主義、カイン型人生観、反キリスト教的立場
そしてサタン側枢軸国を形成している日本を「大戦当時の日本の軍閥は、韓国の各教会に神道の神棚を強制的に設置させ、キリスト教信徒たちを強制的に引っ張りだして日本の神社に参拝させ、これに応じない信徒たちを投獄、殺傷した。」と表記されています。つまりこれらが日本がサタン側に区分された原理的根拠となります。
またみ言を通じ、主の国韓国は建国以来、900回以上も他国から侵略され続けても、一度たりとも他国を侵略することはなく、最後の侵略とも言える、日帝36年の時代には、日本によって歴史上最も過酷な迫害を受けてきたと教わりました。
この1905年の第二次日韓協約(乙巳保護条約)から40年間、主の国韓国を迫害したことが、日本がサタン側のエバ国となった最も大きな要因と言えるでしょう。
しかし日本による朝鮮統治時代を歴史的資料に従い、できるだけ中立の立場で詳細を見てみると、キリスト教国家である欧米列強による植民地支配とは全く違った統治の様子がわかりました。
キリスト教国家であり、神側国家である欧米列強による植民地支配は、迫害と搾取による統治で、植民地とされたアジア人やアフリカ人は虐殺され、奴隷として売られ、欧米人と同じ人間として扱われることはありませんでした。
欧米人と同等に扱われ、人としての権利が与えられたのは、日本によって欧米から解放され、第二次世界大戦が終了してから後のことでした。
また日本による朝鮮の統治は原理講論にもあるように、大東亜共栄圏構想の一環として、皇民化政策を行うことによって、神社参拝を強制したり、創氏改名などの政策も行っていました。それは朝鮮人、台湾人を大日本帝国の忠実な臣民として戦時動員体制に組み込むために実施されたものでした。
しかし一方では、当時の朝鮮には今のお金に換算すると80兆円もの多額な税金や民間からの資金を投入し、道路や鉄道、生活用インフラを整備し、ダムの建設、植林、農地の開拓等国土を整備して農産物を増産し、学校を建設し、身分制度を廃止することで、結果として512年間の李氏朝鮮時代、減ることがあっても増えることのなかった人口が、一気に2倍に増えたという事実からも、朝鮮人の生活が豊かになったことがわかります。
さらには日本が朝鮮半島に進出し、統治しなかったら、李氏朝鮮時代に迫害されていたキリスト教は朝鮮に根付かなかった可能性も高かったばかりか、ロシアによって統治されていた可能性が高かったことでしょう。もしロシアによって統治されていたら、ロシア革命によってロシアが共産化されると同時に韓半島も共産化され、キリスト教が根付くどころか排除され、再臨主を迎えることさえもできなかった可能性が高かったと言えます。
石原慎太郎氏と朴正煕大統領(当時)の対話を見ると次のようにあります。
朴氏:「しかしあのとき、われわれは自分たちで選択したんだ。日本が侵略したんじゃない。私たちの先祖が選択した。もし清国を選んでいたら、清はすぐ滅びて、もっと大きな混乱が朝鮮半島に起こったろう。もしロシアを選んでいたら、ロシアはそのあと倒れて半島全体が共産主義国家になっていた。そしたら北も南も完全に共産化された半島になっていた。日本を選んだということは、ベストとはいわないけど、仕方なしに選ばざるを得なかったならば、セコンド・ベストとして私は評価もしている」(拍手)。
「石原さん、大事なのは教育だ。このことに限ってみても、日本人は非常に冷静に、本国でやってるのと同じ教育をこの朝鮮でもやった。これは多とすべきだ。私がそのいい例ですよ」
「私は貧農の息子で、学校に行きたいなと思っても行けなかった。日本人がやってきて義務教育の制度を敷いて子供を学校に送らない親は処罰するといった。日本人にしかられるからというんで学校に行けた。その後、師範学校、軍官学校に進み、そこの日本人教官が、お前よくできるな。日本の市谷の士官学校に推薦するから行けといって入学。首席で卒業し、言葉も完璧でなかったかもしれないが、生徒を代表して答辞を読んだ。私はこのことを非常に多とする。相対的に白人がやった植民地支配に比べて日本は教育ひとつとってみても、かなり公平な、水準の高い政策をやったと思う」・・・
師観のブログ 「無知から知への解放(朴正煕元大統領のお話)」より
真のお父様が日本はサタン側のエバ国家だったと言われれば、それに対して反論はできません。
摂理的に見たときそれは間違いのない事実だったのでしょう。
しかしそれは一方では神の摂理だった、日本がサタン側のエバ国家となることによって初めてなされる神のみ旨があったと考えることはできないでしょうか?
それゆえ摂理的にはサタン側に属していたとしても、神のみ旨を妨害し、摂理を失敗せようとするのではなく、メシヤを迎える基台を作り、主を迎える韓国の基盤を整備し、将来韓国がアダム国家として摂理の中心として立った時にはその相対として、神側のエバ国として立つため、あえてサタン側のエバ国家という過程を踏ませたと捉えることはできないでしょうか?
ここではこのような大胆な仮説のもとに、統一教会では語られることのなかった、活字として残ってはいないみ言を中心に推察を進めていきたいと思います。
韓国は40数サタン分立の民族的な基台を立てることによって再臨主を迎えることができ、神側のアダム国家となることができました。
実は原理講論にあるこの内容も、厳密にいうと間違いだとよく指摘される部分です。
真のお父様が誕生されたのが1920年、原理講論には1905年から40年間、サタン分立の民族的な基台を立てたとありますので、真のお父様が誕生された1920年には、まだ40数サタン分立の民族的な基台を立てることはできていませんでした。
そこを無理に解釈するならば、40数サタン分立の民族的な基台を立てることができたのち、1945年当時のキリスト教を中心とした、洗礼ヨハネ使命者たちとの摂理が展開したと解釈すればいいのでしょうか?
とにかく韓国に再臨主を迎え、韓国が神側のアダム国家として立ち、その相対にはイギリスがエバ国家となるように摂理は進んでいました。
ところが1945年当時の摂理で、真のお父様を迎えるべきであった洗礼ヨハネ使命者やキリスト教徒たちがお父様を受け入れず、キリスト教会がお父様を迫害することによって摂理に失敗し、イギリスをエバ国家に立てることができなくなりました。
その結果サタンが最も愛した怨讐の国日本をエバ国家に選ばれたということです。
天聖教 ②日本をエバ国家に選んだ理由 (P1881~P1882,1989.2.10)
「韓国という国を生かそうとするなら、アダム国家の前にエバ国家がなければならないのです。キリスト教が反対したので、イギリスをエバ国家に立てることができないのです。ですから、サタンが最も愛した怨讐の国を立てるしかありません。サタンがキリスト教文化圏をすべて自分の側にしたので、天の側がそれを取ろうとするとすべて反対するのです。それで仕方なく日本をエバ国家に選ぶのです。」
韓国が人類が待ち望んだメシヤ降臨の主の国であり、アダム国家とするならば、当然その相対としてのエバ国家は、あらゆる面から見てアダムの相対的な位置に立たなければいけないと考えられます。
そうすると、エバ国がイギリスであった場合、何から何まで相対関係が成立するのは難しいと感じてしまいます。
その具体例をいろいろな角度から考えてみたいと思います。
1、言語学的観点から
日本語の単語の多くは、中国語がその語源となっているものが多く、中国 ⇒ 韓国 ⇒ 日本 へと人が流れてくるに従い、言葉も同じ経路を伝わって流れてきたと考えられております。
例えば日本語の音読漢字は、そのまま韓国でも、中国でも、今でも通用するものが多いのです。
しかし、中国語は、韓国語、日本語というよりは語順から言っても英語に近いのに対して、韓国語と日本語は語順も同じで、文法的にも近いものがあります。
ですから日本人にとってもっとも習いやすい外国語は韓国語であり、韓国人にとってもっとも習いやすい外国語は日本語なのです。
2、民族的観点から
日本人のルーツを調べると、いろいろなルーツを見出すことができるのですが、その中でも有力な説の一つが、韓半島から来た渡来人であるというものがあります。
もともと日本にいた原日本人は、韓半島からの渡来人に追いやられ、今では北海道のアイヌ民族や、沖縄方面のみに見られるとも言います。
実際、彫が深く、毛深く、がっちりしたタイプの人達がそれに相当し、今の本州や日本列島全体に住んでいる人の多くは、韓半島から流れてきた渡来人であったとする説が有力なのです。
3、文化的観点から
日本人のルーツを示す例の一つとして挙げられるのが、天皇家のルーツです。
天皇家のルーツは、文先生のみ言でも、近海金氏だと言われております。
また他にも百済が新羅に敗れたとき、百済の王族が日本に逃げ延びて、日本の天皇家となったというような説もあります。
そのため天皇家で行われる宮中行事の多くは、百済式だとも言われます。
それだけでなく、高松塚古墳をはじめとして、日本にある古墳の中に描かれている絵を見ても、韓半島から文化が伝わってきたことを示すような、多くの壁画が残されています。
最近では、日本固有の古墳形式と思われていた前方後円墳が、韓国でも多く発見されています。
4、歴史的観点から
日本の歴史を見たときに、日本人のルーツも、日本語のルーツも、文化的影響も全て韓半島を抜きには考えられません。
日本の書物の中でも最も古い書物の一つと言われている万葉集も、韓国語で解釈すると違った解釈ができるとも言います。
その当時の日本では、当たり前のように韓国語が語られていたというような説もあり、歴史的にも日本と韓国は深い関係を保ったまま、今日まで歴史が流れてきています。
5、地理的観点から
文先生のみ言に、韓半島は男性性器を象徴し、日本列島は女性性器を象徴しているというものがあります。
実際地理的に見て、韓半島のすぐ隣に日本があるわけですし、韓国の相対に位置している国は日本と見ることができます。
以上のような観点から見たときに、もしエバ国が日本ではなく、イギリスだったらと考えると、言語的にも、民族的にも、文化的にも、歴史的にも、地理的にも、韓国の相対というのは、違和感を感じざるを得ません。
6、日韓トンネル
1981年11月、韓国のソウルで開催された、第10回「科学の統一に関する国際会議」において真のお父様は、人類一家族理想実現のために全世界を高速道路で結び、経済や文化交流を促進するとした「国際ハイウェイプロジェクト」を提唱しました。そしてその「国際ハイウェイ」の最初の起点となるものとして、「日韓トンネル」の建設を提案しました。
また真のお父様はみ言の中で、韓半島は男性性器を、日本列島は女性性器を象徴していると語られています。
男性性器を象徴する韓半島と、女性性器を象徴する日本を結びつける日韓トンネルが完成し、そこを車が往来するということは、それはあたかも精子が交流するかのごとき印象を受けます。つまり日韓トンネルの完成は、男女の結婚、つまりアダム国家韓国とエバ国家日本の結婚を意味するのです。
原理講論P61を見ると、「アダムとエバが完成された夫婦として一体となったその位置が、まさに、愛の主体であられる神と、美の対象である人間とが一体化して、創造目的を完成した善の中心となる位置なのである。ここにおいて、はじめて父母なる神は、子女として完成された人間に臨在されて、永遠に安息されるようになるのである。」
とあるように、日韓が一体化したその位置が、まさしく神が臨在し、永遠に安息される、創造目的を完成した善の中心となるのです。
神が臨在し、永遠に安息される、創造目的を完成した善の中心が日韓トンネルだとすれば、アダム国家韓国の相対として立つのは日本以外にはあり得ません。
つまり神の摂理として、本来予定された創造本然の中心位置が日本と韓国であり、日韓トンネルであったとするならば、日本は神側のエバ国として元々予定されていた国であったと考えるしかないのです。
日本がサタン国家となってしまったことに関して、初めて納得できたみ言が、1988年に受けたみ言の報告ででした。
その年、真のお父様のみ言を直接受けてきたという、当時カープの責任者だった太田洪量会長が、最新のみ言として、それまで語られたことのない内容のみ言を受けてきたということで報告してくださったのでした。
そのみ言とは、神様は人類の恩讐関係、つまり対立と闘争の姿を見たとき、その対立の中でも最も乗り越えることの困難な対立は、国家と国家の対立であると思われたというのです。
例えば100年戦争を戦ったイギリスとフランスの対立、歴史的なユダヤとアラブの対立など、どの国の対立を見ても、歴史的な恩讐を超えて、一つとなることのできる国家と国家というものを見出すことができなかったと言うのです。
しかしもし国家と国家の恩讐を超え、一つとなることのできる国があるとしたら、それは韓国と日本以外にはないと思われたのだそうです。
その結論として神様は、日本をサタンの手に委ね、日本をして40年間韓国を統治せしめたというのです。
つまり歴史的な恩讐を超え、国と国が一つとなる道を切り開くためには、韓国と日本をして、歴史的に最も恩讐関係になる必要があったため、日本をサタンの手に委ね、歴史上最大の迫害を行い、どの国の恩讐関係よりも、最も悲惨な恩讐関係を作らせたというのです。
例えば恩讐関係と言っても、ちょっと喧嘩しただけの恩讐関係の人が、先祖3代にわたっていがみ合い、憎しみ合っていた人たちに対して、「いつまでも恩讐関係でいるのはよくない。もうこの辺で恨みを忘れ仲直りしなさい。」などと言っても全く説得力もなく、先祖3代に渡る恩讐を解消しようなどとは決して思わないでしょう。
しかし、何十代にもわたっていがみ合い、時には殺しあうほどの恩讐関係の人、しかも自分の妻と子供まで殺されてしまったというような人が、神様の愛に出合い、「恨みは恨みしか生み出さない、愛をもって恩讐関係を清算しよう」と決意し、全ての恨みを忘れ、許したとします。
そんな人が3代に渡って恩讐関係だった人に、「私も苦しかったが許してやったんだから、何とかあなたも許してやりなさい」と言ったとき、3代に渡って恩讐関係だった人も許さざるを得ない立場に立つのです。
そのように、極と極の恩讐関係が、その恩讐を超えて一つになることができたら、その中間にある恩讐関係は、自動的に無くなるというのです。
そこで神様は、日本をサタンの手に委ね、40年間韓国を統治し、迫害することで、歴史上最大の国家間の恩讐関係を作ったというのです。
真のお父様は、そんな神様の意図と願いを知り、それまで摂理的サタン国家だった日本をして、神側のエバ国家として立てたというのです。
この時の真のお父様のみ言は、後にみ言として、活字になったものを読むことはできません。
(会議の中で語られたようなことを言っていたため活字にはなっていないためか?)
疑問に思われた場合は、直接太田会長にご質問いただけると感謝です。
統一教会に入教すると、日本人はまず最初に、日本は元々サタン側のエバ国で、再臨主を迎えた主の国韓国を40年間迫害した。
再臨主、メシヤである真のお父様を最初に迫害し、拷問を加えたのも日本人だった。
それゆえ日本人は歴史上最も罪深い民族だということを徹底的に教育され、自虐史観を植え付けられます。
さらにそんな罪深い日本人を真のお父様は真の愛で許され、さらには祝福まで与えてくださった。
エバ国日本が経済的に栄え、世界第2位の経済大国になれたのも、真のお父様のおかげだ。
そんな真のお父様の愛に応えるためにも、摂理に貢献できる人材を天の前に捧げなければいけない。
そのためにはまずは人材復帰の前に象徴献祭として万物を捧げなければいけない。
世界第2位の経済大国になれたのは、日本が万物を捧げ、み旨を推し進めるために神が祝福してくれた結果なのだからと教わり、日本の蕩減のためなりふり構わず献金路程に明け暮れてきました。
そこで献金のノルマを果たすため、ヤコブの知恵を用いなさいとも教わります。
ヤコブは兄エサウから、パンとレンズマメで長子の嗣業を奪い、母リベカの協助のもとエサウと偽り、父イサクから祝福を奪いました。
つまり神のみ旨を達成するためには、イサクを騙すという小さな悪は容認される。
み旨成就という大義があれば、たとえ人を騙そうが、何をしようが、全ての行為は善であるという概念を教わりました。
同時にアベルカインの教育が徹底的になされ、アベルの言うことは神の声であり絶対である。
アベルは神の代身であり、真の御父母様の代身である。
アベルを通さないと神は絶対に働けないと教育されてきました。
それゆえ自分自身で考えることはカインの考えであり、サタンが働いてしまうと教育されます。
つまり自分で考え、自分で行動するという自立の精神が否定され、アベルに従属することこそが信仰の道を全うする唯一の道であると洗脳されます。
その結果日本人は自分で考えることをやめ、アベルの言うことだけを絶対的に信じ、ただの操り人形となり、言われるままに献金こそがみ旨であり、献金し続けることで救われると信じ込んでしまっています。
逆に言えば、今までどんなに献金してきたとしても、今の摂理、今の天の願いに応えられないことは罪であり、地獄に落ちてしまうと思い込み、恐怖観念に囚われ、献金の無間地獄に陥ってしまっています。
しかし今回エバ国日本の罪について改めて考察したとき、40年にわたる日本による朝鮮統治時代は、欧米列強による植民地支配とは違い、腐敗し発展の止まった李氏朝鮮時代に終止符を打ち、近代化への道筋を作り、韓半島の発展に大きく寄与していたという事実がわかりました。
同時に朝鮮へのキリスト教の伝播に寄与し、清やロシアからの占領を阻止し、韓半島の共産化を食い止めることによって、韓半島に再臨主、真のお父様を迎える基盤を造成することに大きく貢献していたという事実もわかりました。
つまり日本による朝鮮統治がなかったら、真のお父様を韓半島に迎えることはできなかった可能性が高かったということです。
そんな事実を裏付けるようなみ言も、真のお父様によって語られていたという報告も太田会長によってなされていました。
つまり神様は、人類の恩讐関係を乗り越えるために、日本をサタンの手に委ね、日本をして40年間韓国を統治せしめたと語られていたと言います。
つまりは日本がサタン側のエバ国家となってしまったのも、全ては神の摂理であり、み旨成就のために通過せざるを得ない一つの路程であったというのです。
その事実を知っておられたがゆえに真のお父様も、サタン国家日本を神側のエバ国家にしたのであり、恩讐国家日本を愛するという真の愛を実践することもできたのでしょう。
神様の摂理を多少理解できた今、私たちが洗脳され必死に行ってきたエバ国の使命としての献金は、天に功労を積むことができているかどうかを少し考えてみたいと思います。
統一教会で言うみ旨とは何でしょうか?
以前、サタンの最後の発悪ともいえる共産主義が全世界を席巻しようとしていた時、世界的に勝共運動を展開し、世界中の政治家、宗教者、科学者、言論人に対し影響力を持とうと、各界の有名人たちを集め、各種会議を主催し、啓蒙活動を行ってきました。
同時に主要国にワシントンタイムズ、世界日報をはじめとした各種メディアを持ち、保守陣営の最後の砦とも言うべき言論機関を創設することで、地道に草の根的な啓蒙活動も行ってきました。
そのような世界的な活動を展開し、維持するためには、膨大な資金が必要となり、そのために日本からの献金は必要不可欠なものとなっていました。
実際そのような運動の成果として、共産主義の本陣であったソ連は崩壊し、国際共産主義による世界征服を防ぐことに成功しました。
我々日本人の献金が巡り巡って実を結び、サタン勢力から世界を守ることができたのです。
しかしその後、統一教会の活動で、神のみ旨と言える活動は何があったでしょうか?
共産主義が崩壊した後の1990年代以降、教会の摂理はほとんど箱モノの建設と解怨献金に変わってしまいました。
その時々で、これが最後の戦いというような煽り文句で、いくつもの箱モノを作ってきましたが、今となっては何があったのかもよく思い出せません。
天正宮のように教会の象徴的建物もありますが、麗水のホテル「ジ・オーシャンホテル」やラスベガスの「ピースパレス」等次々と箱モノ建設のためと称して献金路程を強いてきました。
その時はこの献金こそは勝利しなければいけないと一大決心をし献金をしたとしても、結局それら箱モノは作ったはいいものの維持できず、買いたたかれて安値で人の手に渡ってしまったものも多いとも聞きます。
箱モノ自体に価値があるのではなく、箱モノを作ることによって多くの幹部たちの懐を潤してくれるため、次々と献金で箱モノを作ってきたのではないかと考えてしまいます。
実際名のある幹部たちの不正蓄財は、それぞれが億単位の金額に上るともいいます。
また肥大化した組織を維持するためにも相当なお金がかかるため、教団の人件費を賄うためにも当然献金は必要となります。
さらには教会が分裂し、お互いがお互いを訴えては裁判となり、その訴訟費用もばかになりません。
汝矣島裁判のように、工事遅延の損賠賠償として、数百億円もの賠償金が発生したケースもありました。
去年聞いた噂では、その賠償金も支払っていなかったため、利子が利子を呼び、1000億円以上になっているということです。
これらもすべて献金で支払うしかありません。
そして今主流となっている先祖解怨も、神の摂理とどのような関係があるのかよくわかりません。
もちろん先祖供養は大切ですし、先祖に救われてほしいと願うのは、誰もの願いです。
先祖供養ももちろん大きな意味では世界の平和のためにも寄与することでしょう。
しかしこれはあくまでも、個人のレベルでの救いですし、家庭のレベル、氏族のレベルでの救いでしかありません。
天宙復帰を目指し、家を捨て、学校を中退し、献身者としての道を歩んだあの頃とは時代が変わってしまいました。
教団自体が自分を犠牲にし、神のみ旨のため、世界のために犠牲の道を歩んだ時代は当の昔に過ぎ去りました。
公の目的のために献金が使われれば、それはもちろん精誠条件となります。
しかし今の教会のように、自分の救いのための解怨献金、教団維持のための定例献金、箱モノを作るための特別献金等は、結局は自分のための献金でしかありません。
教団が神のみ旨を行っていない限り、それは神のみ前に精誠条件とはなりません。
自分が所属する趣味のサークルや、勉強会の会費、学校の授業料と同じ意味しか持ちません。
逆にその所属する集団が犯罪集団だったら、お金を出すことで犯罪に加担したことになり、罪になってしまいます。
教会に献金すれば無条件精誠条件を積むことができるなどと信じていてもいいのでしょうか?
今一度献金について、教会のあり方について、自分の頭で考えてみてもいい時なのではないでしょうか?
真のお父様を最初に逮捕し、拷問を加え、迫害したのは日本人であるとして、私たち日本人は最も罪深き民族と言われ続けてきました。
確かにお父様に最初に拷問を加えたのは日本人であり、日本人は同じ日本人としての連帯罪を有しているという事実は認めざるを得ません。
それゆえ私たちは、日本民族としての罪深さを悔い改めなくてはいけません。
しかし真のお父様の6度の監獄生活を、その原因と神の摂理上どのような意味を持っていたのかを、
より深く探求すると全く違ったものが見えてきました。
神の摂理を妨害し、真のお父様を迫害し、死の寸前にまで追いやり、2000年前のイエス降臨時と同じ過ちを犯し、
真のお父様を十字架に付けた摂理的中心人物たち、民族、勢力とは、いったい誰だったのか?
その結果、神の摂理にどのような結果をもたらしたのか?
それらの内容をはっきりとさせることにより、神の摂理を妨害した真の犯人とその罪を明らかにしていきます。
真のお父様は、生涯6度の監獄生活を経験されました。
もちろんそのすべてが、無実の罪で投獄されたものであり、文先生を良く思わなかった人たちによって受けた迫害でした。
しかし真のお父様の監獄生活にも、個人として受けられた迫害と、メシヤとして、再臨主として受けられた迫害がありました。
そのような観点でここではもう一度、6度の監獄生活を具体的にみて行こうと思います。
★韓国人留学生会地下活動
早稲田大学の政経科に通っている友達がいましたが、その友達は共産主義を勉強していました。
日本の帝国主義を打倒するために、共同戦線を広げていきました。
先生も日帝時代に地下工作をし、留学生を管理していた責任者でした。そこで「何か問題があれば、全部私に罪を押しつけなさい」と言いました。
★京畿道警察部に連行
1944年10月、新婚の家に突然日本の警察がやってきて、「早稲田大学の経済学部に通っていた誰それを知っているか」と尋ねるなり、先生を京畿道警察部に連行しました。共産主義者として引っ張られていった友人の口から、先生の名前が出たことが理由でした。(自叙伝92P)
★日警の苛酷な拷問
日本の高等刑事や特課刑事たちにむち打たれて、水を飲まされ、ありとあらゆることをされました。
先生は血を吐いて、生死の境を何度も行き来しました。
しかし監獄では、共に仕事をした同志たちに対する責任と義理のために、命を懸けて「私一人で戦った」と言いました。 殺すと威嚇されても口を割らなかったのです。百余名の命が私一人にかかり、生死の問題がかかっているので、話すことができますか。話さないのです。
北側に行って、監獄に入って出てくるのが3度です。3度まで監獄暮らしをしましたが、その時は、お金のために引っ掛かって入ったのです。貨幣問題のために引っ掛かったのです。それはお金に対する未練を、全部切るためなのです。一切を否定させるための神様の作戦でした。
★大同保安署に拘束(1946.8.11)
1946年6月、共産党は北韓全域において新しい宗教団体に対する弾圧を始め、許孝彬氏の集団が摘発されました。
そして1946年8月11日、その神霊集団の許孝彬氏ゆえに、文先生が引っ張られて入ったのです。
★腹中教徒釈放のための獄中措置
監獄に入ると、その教団全体に責任をもっていた黄元信という人がいました。
それで私は「このようにして、許孝彬氏に早く出るように言いなさい」と言ったのです。しかし、信徒たちはいくら勧告しても聞こうとはしませんでした。
許夫人の夫が先生の部屋に来たので同じ話をしましたが「自分は妻に従うつもりだ」と言い受け入れませんでした。
9月18日の朝、最後に先生自身が一通の手紙を書きました。
彼女は、その手紙を読んでから破いてしまおうとしたが、共産党の監視員に見つかってしまい、先生は拷問を受けました。
★釈放(1946.11.21)と腹中教の結末
その時、先生は韓国にいる米軍のスパイとして告発されて、ソ連の調査官によって尋問を受けましたが、無罪だということが判明し、11月21日に門の外に放り出されて釈放されました。
そのころ、大同保安署の回りをエリコ城のように7回まわれば先生に会えるという啓示を受けた弟子たちが、祈りながら回っていると、先生が放り出されてきました。その時の先生は、口も利けず、血を吐き、全身を殴られたため思うように動けず、とても生きた人間の姿ではありませんでした。
弟子たちは先生を教会まで連れて帰り、いろいろ治療を施し、漢方薬を飲ませ、手を尽くしましたが、ついに先生は意識を失ってしまわれました。
そのような姿を見ながら弟子たちは、「これでは先生は死んでしまう。もうおしまいだ」と叫びながら泣いていました。
しばらくして、奇跡的に先生は意識を回復されたのです。先生が再び生き返ったことは、一つの奇跡でした。
★腹中教の結末
許孝彬集団の失敗のゆえに、1950年に韓国戦争が起きた時、彼らはすべて虐殺されました。
許孝彬氏以下、すべての監獄にいた人々を、共産党たちが全部虐殺してしまったのです。
★平壌での三ヵ月受難と興南移送(1948.2.22~5.20)
・「平壌内務署」拘束(1948.2.22、日曜日午前10時)
その当時、北韓政府の政策は、すべての宗教を抹殺することでした。また、既成教会の牧師たちは、彼らの教会の多くの信徒たちが先生の所に来たために、先生を告発しました。それで先生は、(北韓で)三度目の投獄をされました。
★興南肥料工場での強制労働
・興南徳里特別労務者収容所に投獄(1948.6.21~1950.10.14)
先生は北韓の共産党の監獄に入っていき、2年8ヵ月の間、重労働をしました。肥料工場の仕事でした。
金日成はソ連の経験を見本にして、すべての囚人を三年の間、困難な労働に動員し、彼らを死ぬまでそのままにしておきました。
★韓国動乱勃発と興南監獄出監(1950.10.14)
・韓国動乱勃発(950.5.25)
メシヤが生まれる場所は祖国なのです。韓国動乱は、神様の摂理から見るとき、祖国の主権回復に血を流すための世界的な動員であったという結論が出るのです。イエス様の顕現とともに、韓国動乱は、神様の聖殿を取り戻すための神聖な戦争なのです。
・国連軍の興南上陸と劇的な出獄(1950.10.14、深夜2時ごろ)
国連軍は、ここ興南を北韓地域の中で一番先に奪還しました。それは、神様が急いで救わなければならない一人の息子が、そこにいるためでした。
10月12日、刑期が7年以上である囚人、およそ70名ほどを、山の中で全部殺してしまいました。
その当時、先生の刑期は5年であったために、その次の次の日が私が引っ張られていく番でした。
13日、マッカーサー元帥の国連軍が興南に上陸し、総攻撃があって、10月14日、共産軍が退いて、夜中の2時ごろから先生たちは監獄から抜け出てきました。それは全く神様の恩寵でした。
★キリスト教二世の集結地である梨花女子大と延世大
延世大学と梨花女子大学は、一つは長老派の協助を受け、もう一つはメソジスト教団の協助を受けていました。
当時、梨花女子大は副総長の朴マリヤを中心として、李承晩大統領の夫人と連結していました。それゆえその時政府と完全に一つとなることができるようになっていたのです。
その時、金活蘭と白南柱の二人が一つとなって、統一教会を完全に迎えていたなら、先生が一気にキリスト教文化圏であるアメリカに渡っていくのです。李承晩を通し、国を中心としていくらでもできるというのです。
★梨花女子大、延世大退職退学事件(1955.3~7)
・梨花女子大、延世大事件の主導勢力
金活蘭と朴マリヤが主導となって、景武台(大統領官邸)に行って偽りの証言をし、五つの部署の長官を動かして、統一教会をなくしてしまい、先生を完全に埋葬してしまおうとしました。
韓国において、梨花女子大学、延世大学が統一教会を除去するように、宣教師らが背後で操って、金活蘭を動かしてきたのです。
・一方的な退職退学処分(梨花女子大教授5名、学生14名、延世大教授1名、学生2名)
梨花女子大は緊急措置として、学校を取るのか、統一教会と文先生を取るのか、二者択一を迫ったのです。
五大科長たちを全部追放し、統一教会の主謀者となった学生たちを何の相談もなく、一方的に退学処分にしたのです。その時、5人の教授と学生14人が退学になり、歴史にない事件が起きたのです。
★梨花女子大、延世大事件の結果と影響
・再出発基盤の瓦解
1955年度までに最初の摂理から10年がたっていましたが、遅くはなかったのです。
ところがその時、退学事件が起きたことにより、先生は監獄に行くことになり、完全に排除されるようになったのでした。
イエス様の時代にユダヤ教が反対したのと同じようになったのです。4000年の間、天が準備したすべてのことを失ってしまいました。
国家と既成教会が一つになって、李承晩主権下の五大長官が、統一教会をなくすために挙国的に総動員されたのです。
・事件の主導者たちの結末
朴マリヤと李起鵬を中心として、大韓民国大統領の李博士、フランチェスカ、金活蘭が国を滅ぼす元祖となったのです。
李起鵬と朴マリヤは、息子によって天罰を受けました。
李博士も朴マリヤも、一家は、全部死んだのです。
天に反対した者たちの行く末は、悲惨なものです。李博士の末路が哀れでしょう。
金活蘭がどうなりましたか。雷に打たれるようになったのです。どうして天国に行けるでしょうか。
※ウィキペディアより
李起鵬は1960年に、不正選挙を通じて副大統領に当選したが、四月革命で失脚し、景武台(現青瓦台)に身を避けたが、長男の李康石(陸軍将校で、李承晩の養子だった)の手によって、朴瑪利亜夫人や次男(李康旭)とともに射殺された(長男も自決した)。
★ソウル中部警察署(治安局特殊情報課)連行
・7・4事件(1955.7.4午後5時、奨忠洞教会)
1954年に韓国は国家的な反対をしました。それで1955年7月4日に監獄に入っていったのです。
彼らは一つになって「文鮮明を捕まえて殺せ」と言ったのです。
神様が数千年間準備した国と民主世界のすべての基台が崩壊してしまったのです。
★西大門刑務所出監(1955.10.4)
・無罪の言い渡しと釈放
公判廷で無罪釈放となることにより、新しい統一教会の歴史は始まったのです。
あらゆる調査をしても何も出てこないので、10月4日に無罪釈放となりました。
★文先生に対する裁判
アメリカでは、宗教団体の財産は最高責任者の名義で管理されるのが普通で、このことはアメリカの憲法によって保証されています。そのため、統一教会も、その資金を文鮮明先生の名義で銀行に預金していました。
ところが、1981年10月に、1973年から75年の3年間、文先生名義の銀行預金の利息について納税申告を怠っていたという脱税容疑で、ニューヨーク州連邦地方裁判所に起訴されたのでした。
また、その預金を担当していたアメリカの伝道責任者の神山威氏も起訴されました。
1982年7月16日に第一審の連邦地方裁で、懲役10か月、罰金2万5000ドルの有罪判決が下されました。
★ダンベリー収監
1984年5月14日、アメリカの連邦最高裁は文先生の上告申請を却下しました。
7月20日の午後11時、文先生と神山威氏は、コネチカット州にあるダンベリー連邦刑務所に収監されました。
★荒野40年路程終結のための摂理
文先生は、第一次の摂理の失敗以後、それを蕩減復帰するため、キリスト教とアメリカを中心とする民主世界の失敗を蕩減復帰しようとしてこられました。
そのために、全米の30万の牧師たちに原理のビデオテープと文先生の説教集などを配布され、原理の研修ゼミに参加するよう呼びかけました。その結果、4万名の人々がゼミに参加し、7000名以上の牧師たちが日本と韓国の統一教会を訪問するに至りました。
先生を中心としたご家庭と、祝福家庭の二世と、一世と、教会員とが一つとなり、統一教会とキリスト教会、アメリカを中心とする民主世界が一体化した荒野路程終結のための条件が立てられました。そして、8月15日を超えた16日に一勝日が宣布されたのでした。
文先生は、1985年8月20日に釈放されました。その日の夜、「神と自由のバンケット」が開催され、全米から60以上の教派から2000名の牧師と聖職者が参加しました。
改めて真のお父様の6度の監獄路程を見ると、いつも無実の罪で収監され、時には死の直前まで追いやられながらも奇跡的に復活し、今日に至るまでの摂理を展開してこられたことがわかります。
ここでもう一度この6度の監獄生活を整理したいと思います。
①1944年10月 | 京畿道警察部、共産主義者の疑いをかけられ、日本の警察による拷問。 |
原因者 | 抗日闘争時の共産主義者の友人が文先生の名前を出し、共産主義者の疑いをかけられ逮捕。 |
執行者 | 日本の警察 |
結 果 | 拷問を受けながらも、友人の名前を吐かずに解放。 |
②1945年10月 | 定州において約1週間収監され、過酷な牢獄生活。 |
理 由 | 貨幣問題のため。お金に対する未練を全部切るため。 |
③1946年 8月11日 | 北朝鮮平城の大同保安署、キリスト教指導者の反感と李承晩のスパイの容疑で拘束。 |
迫害者 | 共産党の宗教弾圧。キリスト教指導者の反感。 |
執行者 | 北朝鮮の共産党員、ソ連の調査官。 |
結 果 | 文先生はほとんど死んだような状態で門の外に放り出されて釈放。奇跡的に生き返る。 文先生を受入れなかった許孝彬集団は、1950年に韓国戦争が起きた時、共産党によりすべて虐殺。 |
④1948年 2月22日 | キリスト教既成教団の嫉視と共産党当局の宗教抹殺政策により内務署拘束。 5年刑の宣告で平城刑務所に収監。興南特別労務者収容所にて強制労働。 |
迫害者 | 既成教会の牧師たちによる告発。 |
執行者 | 北朝鮮の共産党。 |
結 果 | 文先生は2年8ヵ月の間、興南肥料工場で強制労働。 国連軍の興南爆撃により、2日の違いで死を免れ解放。 |
⑤1955年 7月 4日 | 異端的信仰を理由にソウル中部警察署に拘束、西大門刑務所に収監・・・梨花女子大学事件。 |
迫害者 | 梨花女子大総長金活蘭、副総長朴マリヤ、李起鵬長官、大統領夫人フランチェスカ、米国宣教師たち、李承晩主権下の五大長官、崔ソンモ、韓国既成教会と政府等の国家的な反対。 |
執行者 | 韓国警察 |
結 果 | 文先生は無罪釈放。 迫害の中心人物であった朴マリヤ、李起鵬夫婦は、長男の手によって次男とともに射殺。 李博士、金活蘭も哀れな末路。 |
⑥1984年 7月20日 | 脱税容疑でアメリカ、コネチカット州ダンベリー連邦刑務所に収監。 |
迫害者 | 政府権力の濫用と宗教的迫害。 |
執行者 | アメリカ政府 |
結 果 | 『宗教の自由』の名にかけて、アメリカのキリスト教会が統一教会と一体化。 |
①の最初の獄中生活では、文先生は日本留学時代、一緒に抗日運動をしていた共産主義者の学生によって名前を出され、共産主義者の疑いをかけられて、筆舌に尽くすような拷問を受けられました。
これはいわば、イスカりオテのユダのような立場に立つのが、日本留学時代の同志であった、共産主義者の韓国人留学生であったと思われます。その同志によって共産主義者の疑いをかけられた文先生は、日本人によって拷問にかけられたわけですから、日本人はイエスに槍を刺したローマ兵のような立場に立ちます。
同時に日本の警察は、共産主義の正体を知り、共産主義が世界に拡大するのを恐れ、文先生を逮捕したわけですから、神側かサタン側かといえば、摂理的には神側の立場での逮捕でした。
このように分析することにより、1回目の日本の警察による獄中生活において、より罪深い立場に立つのは、文先生と共に日本に留学していた、共産主義を信じる韓国人留学生であったということがわかります。
同時に日本はメシヤとしての文先生を迫害し、拷問まで加えたのではなく、あくまでも共産主義の拡大を防ぐという、神の摂理の方向での逮捕であり、尋問であったので、相対的には罪の程度は軽微なものと判断することができると思います。
②の牢獄生活は、韓国が主権を取り戻した後でありましたので、文先生に過酷な牢獄生活を強いたのは韓国人だったと思われます。
③と④の北韓での獄中生活は、文先生がメシヤとして、再臨主としてそのみ言を述べ伝えることにより、脅威を感じた既存教会の指導者たちと、共産党当局による宗教弾圧によるものでした。
よって文先生を直接に迫害したものは、北朝鮮のキリスト教指導者たちであり、北韓の共産党、すなわち文先生と同族の韓民族によるものでした。
しかもこの時の迫害は、③の時は、あまりにもひどい拷問によって、生死の境を彷徨うほどの拷問でありましたし、④の時は、あと2日解放が遅れたら、共産党によって文先生の命も奪われていたであろうギリギリのところでの解放でした。
これらの迫害は、2000年前のイエスが、洗礼ヨハネの失敗によって引き起こされたユダヤ人たち、律法学者やパリサイ人らによる迫害や、イエスの十字架を彷彿させるものです。
⑤の西大門刑務所での獄中生活は、梨花女子大総長金活蘭、副総長朴マリヤ、夫の李起鵬長官、大統領夫人フランチェスカ、米国宣教師たち、李承晩主権下の五大長官らによる、韓国既成教会と政府による国家的な迫害でした。
彼らはイエス当時の律法学者、パリサイ人らに相当するような人物たちでした。つまり神が用意した韓国人の摂理的重要人物たちであり、アメリカ人宣教師たちでした。彼らが直接文先生を迫害することで、2000年かけて神が用意したすべての基台が、最終的に失われてしまった決定的事件でした。
⑥のアメリカコネチカット州ダンべりーでの獄中生活は、アメリカ政府が文先生を直接に迫害したものでした。
こうして分析的にみてみると、6度にわたる牢獄生活のうちの4回は、神が6000年かけて用意した摂理的中心人物たち、つまり神の選民として立てられた韓民族、キリスト教徒、それにアメリカによる迫害の結果であったことがわかります。
確かに真のお父様を最初に迫害し、拷問まで加えたのは日本人でしたが、それは共産主義が世界に拡大するのを食い止めるためという、摂理的にはより神側の動機によるものでした。同時にそれは、日本留学時代に共に抗日運動をしていた韓国人留学生による密告でしたので、真のお父様を日本に売り渡したのは、イスカりオテのユダのような立場に立つ韓国人留学生だったということです。
真のお父様の路程も、日本留学時代、そして韓国に帰国して第一のお母様と結婚し家庭を持つまでは、真理探究時代と位置付けられます。具体的な伝道活動は行わず、教会に通い奉仕活動を行いながら聖書の探求に没頭していました。そんな中で『神様と私たちは父と子の関係である。それゆえ、神様は人類の苦痛をご覧になって、あのように悲しんでいらっしゃるのだと悟り、宇宙のあらゆる秘密が解かれた』と語られています。
1946年5月27日、啓示を受け北朝鮮に向かってからが本格的伝道路程が始まりますので、つまりそこからがメシヤとしての公式路程と見ることができます。そうすると3回目からの牢獄生活が、メシヤに対する迫害と判断することができます。
つまりメシヤとして、再臨主としての真のお父様を迫害し、拷問を加え、死の寸前にまで追いやった人々というのは、神が2000年間かけて準備した選民である韓民族であり、キリスト教徒達であったということです。
2000年前イエスを十字架につけた罪で2000年間、その罪の蕩減を受けなければいけなかったのがまさしく神が準備した選民、ユダヤ人達であったように、韓民族とキリスト教たちは全く同じ過ちを犯してしまっていたのです。
こうしてみると、2000年間待ち望んだメシヤ、再臨主である真のお父様を直接迫害した罪深き人たちというのは、日本人ではなく韓民族であり、キリスト教徒達であったということがわかります。
この事実から見ても、真のお父様を最初に迫害したエバ国日本の罪は、全く無いとは言いませんが、韓民族やキリスト教徒たちの罪に比べると、比較の対象にもならないほどであると結論付けられるのではないでしょうか?
前編「(一)サタン国家日本、罪の呪縛からの解放」では、今まで統一教会に入教すると教育されてきた、
「日本はサタン側エバ国であり、選民国家韓国を40年間迫害してきた罪深い国である。真のお父様を最初に拷問し、迫害したのも日本人だった。」という内容に関して、
日本の韓国併合に関する歴史的事実と、真のお父様の6度の受難に関する事実を分析することにより、日本は教会で言われるような罪深い国ではなかったという事実を明らかにしました。
原理講論の総序には次のようにあります。
「現代人はすべての事物に対して科学的な認識を必要とするようになったにもかかわらず、旧態依然たる宗教の教理には、科学的な解明が全面的に欠如している」
「堕落人間にとって、「知ること」は命の光であり、また蘇生のための力でもある。そして、無知は死の影であり、また破滅の要素ともなるのである。
無知からはいかなる情緒をも生じ得ない。また、無知と無情緒からはいかなる意志も生ずることはできないのである。」
「この歴史上に現されたあらゆる史実が、とりもなおさず、堕落人間を救おうとしてこられた神の心情の反映であった」
原理講論では、新しい真理が現れる前の、主にキリスト教が陥っていた、宗教人が陥りやすい罠に関して、上記のように表現していました。
しかし今、新しい真理として登場したはずの統一教会、統一原理に関しても、キリスト教が陥った罠にズッポリとはまってしまっていた事実に気づかなければいけません。
事実を事実として認め、自らが無知に陥っていたということを認めてこそ、今現在の神の摂理が理解できるのであり、新しく生まれ変わることができるのです。
後編「(ニ)驕りし選民 繰り返される摂理の失敗」では、2000年前のイエス降臨時の時代背景、イエスの路程と、
神が全ての歴史の総決算として準備した1945年当時の摂理、真のお父様の路程との比較から、真のお父様を中心とした摂理は成功したのか失敗したのか?
もし何らかの失敗があったとしたら、いったい誰がどのように失敗し、歴史を通して準備してこられた神の基台を失ってしまったのかを明らかにしていきたいと思います。
2000年前のユダヤ民族は、自分たちがメシヤとして降臨されたイエスを迫害し、十字架に付けた張本人であるということを認めないため、
2000年間国を奪われ、流浪の民として世界中から排斥されてきたばかりではなく、サタンの手に落ち、共産主義を生み出し、世界をサタンに捧げる主体勢力となってきました。
今日、摂理を妨害し、真のお父様を十字架に付けた張本人とその民族、団体も、今のままでは神の摂理を妨害し、自らはサタンの手に堕ちたということも自覚せず、
自らを守るために神の摂理を妨害し、2000年前のユダヤ民族と同じ道を歩もうとしています。
実際年々その兆候は如実となり、今確実に破滅の道を歩みつつあります。
しかし国を失い、民族がバラバラになる前の今ならまだ間に合います。
自らの罪を知り、神の摂理を理解し、悔い改めることができるなら、今からでももう一度やり直すことは可能なのです。
元の神の選民としての栄光の位置はもう既に失われてしまいましたが、神の前にはもう一度復帰する道はまだ残されているのです。
後編「(ニ)驕りし選民 繰り返される摂理の失敗」では、神の摂理に失敗し、サタンの手に堕ちてしまった摂理的中心人物、民族、団体を明らかにすることにより、
彼らがもう一度神の摂理に戻ってこられることを祈りつつ、項を進めていきたいと思います。
★2000年前のイエス降臨時 | ★文先生誕生時の時代背景 |
①ヘロデ大王 紀元前37年、ローマの軍勢の力を借りて、イスラエルのレビ族が祭司王として統治したハスモン朝を破り、ユダヤ地区にヘロデ朝を成立。 |
①朝鮮総督府 朝鮮併合により、大日本帝国領となった朝鮮を統治するための官庁。(1919~1945) |
②ローマ帝国 ユダヤ地区の宗主国 ⇒ 紀元395年東西に分裂。 西ローマ帝国は476年に滅亡。 東ローマ帝国は1453年に滅亡。 |
②日本 日清戦争、日露戦争の勝利により、朝鮮を併合し統治。 ⇒1945年、第二次世界大戦に敗戦。 |
③ユダヤ地区 ガリラヤにイエス誕生 ⇒ 紀元70年にローマ帝国軍に滅ぼされる |
③韓半島 平安北道定州郡徳彦面上思里に再臨主文鮮明先生誕生 ⇒ 1953.7.27.韓国動乱後、韓国と北朝鮮に南北分断。 |
④洗礼ヨハネ 主の道を直くする者。エリヤの使命を持つ者 ⇒ 一旦はイエスを証すも不信し従わず。 ルカ7:28「女の産んだ者の中で、ヨハネより大きい人物はいない。しかし、神の国で最も小さい者も、彼よりは大きい。」 |
④洗礼ヨハネ型人物:金百文、許孝彬、朴ウルリョンハルモニ ⇒ 金百文:文先生にソロモン王の祝福。しかし文先生を不信し従わず。 許孝彬、朴ウルリョンハルモニも文先生を受け入れず。 |
⑤ユダヤ人 神の選民、ユダヤ人の中にイエス誕生 ・イエスを十字架に。 マタイ27:25「その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい」 ⇒ 2000年間流浪の民となり、迫害を受けてきた。 |
⑤韓国人 神の選民、韓民族として文先生誕生 ・北朝鮮においてキリスト教会、北朝鮮政府が、直接的に投獄、拷問…2度にわたる死の危機。 ・韓国キリスト教会、李承晩政権が文先生を迫害。 ・金九が文先生を暗殺未遂。 ⇒ 朝鮮戦争により、韓半島は南北に分断。 |
⑥イエス 神の独り子として降臨されたイエスは、世界的カナン復帰路程を出発。 ⇒ エリヤの使命を持った洗礼ヨハネは、その修道生活により信仰基台を造成し、イエスを証ししましたが、その後イエスを不信し従わなかったために、第一次世界的カナン復帰路程は失敗。 ⇒ イエスは、40日断食と三大試練の勝利により、自らが信仰基台を造成しましたが、イスラエル民族の不信により十字架につけられてしまい、第二次世界的カナン復帰路程も失敗。 ⇒ イエスの40日間の霊的復活とペンテコステ、弟子たちの信仰により、第三次世界的カナン復帰路程は霊的に勝利! ⇒ 再臨主を中心とする実体的カナン復帰路程。 |
⑥文鮮明 文鮮明師は、2000年間神が準備した基台の上で、再臨主としての路程を出発。 ⇒ 金百文、許孝彬をはじめとしてキリスト教会、韓国が挙国的に迫害…死の淵を何度も通過、第一次摂理に失敗。 ⇒ 40年荒野路程の勝利、21年路程を勝利し、神様王権即位式、天宙平和の王・真の父母様戴冠式を勝利したが、韓鶴子オモニの裏切りによりすべての基台を失う。第二次摂理に失敗。 ⇒ 文國進様、文亨進様のカインとアベル一体化宣布によって韓鶴子オモニに入ったサタンを分立、三代王圏摂理出発。 |
イエスキリスト降臨時、イエスはその使命を全うできずに十字架についてしまいました。
しかし多くのキリスト教徒たちは、全知全能なる神のひとり子イエスが、その使命を果たせずに十字架についたなどとは考えることは許されず、結果としての十字架を肯定するために、イエスは十字架につくために来られたと考えています。
十字架につくことにより、私たちの罪を清算し、私たちを罪から解放してくれたと考えているのです。
しかし原理で明らかにされたように、イエスの言行を見ると、決してイエスは十字架につくために来たなどとは言ってはいません。神の国を地上にもたらすために来たと言っています。
その事実を明らかにした文鮮明先生は、イエスは使命を全うすることができなかった。本来イエスを迎えるべく、神が用意した人物、洗礼ヨハネが、その使命を果たすことができなかった。イエスを迎えるために用意された選民、ユダヤ民族も使命を果たせず、イエスを不信し、十字架へと追いやってしまった。
聖母マリアも、その使命を全うすることができなかったと言っておられます。
では文先生が語られるように、イエスがその使命を全うすることができなかったとするならば、どこにその原因があったのでしょうか?
その原因と結果を、より重要なものから簡単に列挙すると、
①洗礼ヨハネがイエスを証ししながらも、イエスを不信し、受け入れなかった。
⇒洗礼ヨハネの悲惨な最期。イエスはサタンから直接試練を受け、律法学者、パリサイ人らユダヤ人からも、不信された。
②ユダヤ人、律法学者、パリサイ人たちがイエスを受入れず、迫害し、十字架に付ける。
⇒ユダヤの地はローマによって滅ぼされ、ユダヤ人は2000年間国を持たない流浪の民になった。
③イスカりオテのユダが、銀貨30枚でイエスを裏切り、売り渡す。
⇒ユダは自分の罪に耐え切れずに自殺。
④ゲッセマネの祈りで弟子は寝てしまい、夜が明ける前にペテロは3度イエスを否認する。
⇒イエスは一人逮捕され、ユダヤ人の祭司長、長老たちは、イエスを十字架にと叫ぶ。
⑤マリヤがイエスの使命を悟れずに、母親としての使命を果たせず。
⇒イエスは最後まで独身となり、家庭を持つことができなかった。
イエス降臨時、イエスがその使命を全うできるように、神が4000年の歳月をかけ準備してきた基盤がその使命を全うできたとき、神が準備してきた基盤にとっても、最高の栄光が待っていたはずです。それはあたかも、イエスが洗礼ヨハネをさして、「女の産んだ者の中で、ヨハネより大きい人物はいない。」と言っていたことからもわります。
しかしその基盤が、イエスを受入れなかったとき、自分の使命を悟れなかっただけでも、それはこの上もない罪になってしまうことも、同じくイエスの言動から理解できます。「神の国で最も小さい者も、彼よりは大きい。」
神の摂理にとって、人類歴史を通じ神が準備した基盤が、イエスを受入れ、その使命を全うできることが、人類にとっての最大の栄光であります。
逆にイエスを受入れることができなかった時、それは最大の罪になってしまいます。
さらに、イエスの使命完遂を妨害し、直接にイエスを迫害などしようものなら、その罪は拭い去ることなどできないほどの大罪になってしまいます。
そのような観点で見たとき、イエス降臨時、最も罪深い存在が、自分の使命を悟れずに、イエスを受入れなかった洗礼ヨハネでした。
そしてイエスを直接に迫害し、十字架に付けるように訴えたユダヤ人の祭司長、長老たちでした。
さらには銀貨30枚でイエスを裏切ったイスカりオテのユダでした。
しかしいくら聖書を見ても、ユダヤの王が誕生したという話を聞き、3歳以下のユダヤ人を皆殺しにするように指示を出したヘロデ王や、イエスを大衆裁判にかけたピラト。イエスを直接槍で突いて殺したローマ兵に関しては、その罪深さを糾弾するような内容は見当たりません。
またキリスト教徒を徹底的に迫害したローマ帝国に関しても、その罪を問うような部分は見当たりません。
それどころかローマ帝国に関しては、世界で最も早くキリスト教を受入れ、国教としたわけですから、最も大きな恵みをいただいた国となったともいえるでしょう。
このような考察の元、再臨の主である真のお父様の路程を分析し、神の摂理から見て罪深いと判断される、イエス降臨時における洗礼ヨハネのような人物は誰であったのか?そしてユダヤ教、ユダヤ人に相当する人物、国はどこだったのか?さらには神の摂理から見て、実際の行為に対して、比較的罪深いとは言えないローマ帝国に相当するところはどこなのかについて考察してみることにします。
まずは2000年前、イエス・キリスト降臨時の状況について見てみることにします。
(Wikipedia『ヘロデ大王』より)
まずは、文先生誕生時の時代背景を見たときの朝鮮総督府に相当する、イエス・キリスト降臨時のヘロデ大王について詳細を見ていくことにします。
朝鮮総督府は、1910年の韓国併合によって大日本帝国領となった朝鮮を統治するために設置された官庁です。
朝鮮総督府の最も大きな功績としては、鉄道、道路、上下水道、電気、病院、学校、工場などのインフラの整備をあげることができます。その結果として、伝染病の予防や出生率の増加等の効果をもたらしました。
一方、皇民化教育、言論の制限や結社の禁止、独立運動などへの取り締まりなども行われたため、韓国人の反発を呼び、今日に至るまでの反日の原因を作ったとも言えます。
一方ヘロデは、ローマに従属することを約束してユダヤの分封王となり、ヘロデ朝を創設しました。
ヘロデ大王の治世を見ていくと、朝鮮総督府と同じように、最も大きな功績として挙げられるのが、都市計画だと言われています。
ソロモンを超える規模で行ったエルサレム神殿の大改築(ヘロデ神殿)、カイサリアの港、マサダ要塞、ヘロディウムなどの大建築は、ローマ帝国を含む当時の世界でも評判になったと言われています。
こうした業績を残す一方、敵対的であったユダヤ教の指導層最高法院のレビ族の祭司たちを迷わず処刑したり、ユダヤの王の誕生を聞くや、ベツレヘムとその附近の地方とにいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺したりと、ユダヤ人に対する厳しい政策も行いました。
■ヘロデ朝の創設
ヘロデ大王は、共和政ローマ末期からローマ帝国初期にユダヤ地区を統治したユダヤ人の王(在位:紀元前37年 – 紀元前4年)である。
ヘロデはローマにおいて元老院にアピール、父の代から続くローマへの忠誠を評価されてローマの軍勢を貸与され、エルサレムへ向かった。
エルサレムにあったイスラエルのレビ族が祭司王として統治したハスモン朝は、ローマ軍の精鋭の前にあえなく陥落。
紀元前37年、ヘロデはついにローマに従属することを約束して、ユダヤの分封王となり、エドム人ヘロデが統治するヘロデ朝を創設。
■ユダヤ人の迫害
王位についたヘロデは、前政権ハスモン朝の血をひくものをすべて抹殺した。
自分に対して敵対的であったユダヤ教の指導層最高法院の指導的なレビ族の祭司たちを迷わず処刑。
■幼児虐殺
2:7そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、星の現れた時について詳しく聞き、
2:8彼らをベツレヘムにつかわして言った、「行って、その幼な子のことを詳しく調べ、見つかったらわたしに知らせてくれ。わたしも拝みに行くから」。
2:9彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。
2:10彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた。
2:11そして、家にはいって、母マリヤのそばにいる幼な子に会い、ひれ伏して拝み、また、宝の箱をあけて、黄金・乳香・没薬などの贈り物をささげた。
2:12そして、夢でヘロデのところに帰るなとのみ告げを受けたので、他の道をとおって自分の国へ帰って行った。
2:13彼らが帰って行ったのち、見よ、主の使が夢でヨセフに現れて言った、「立って、幼な子とその母を連れて、エジプトに逃げなさい。そして、あなたに知らせるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが幼な子を捜し出して、殺そうとしている」。
2:14そこで、ヨセフは立って、夜の間に幼な子とその母とを連れてエジプトへ行き、
2:15ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていた。それは、主が預言者によって「エジプトからわが子を呼び出した」と言われたことが、成就するためである。
2:16さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、非常に立腹した。そして人々をつかわし、博士たちから確かめた時に基いて、ベツレヘムとその附近の地方とにいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺した。
■ヘロデ王の業績
ヘロデは都市計画において業績を残した。
人工港湾都市カイサリア、歴史に名を残す大要塞マサダ、アウグストゥスの名前を冠した新都市セバステ(サマリア)、エルサレムのアントニア要塞、要塞都市ヘロディオン、マカイロスなどはすべてヘロデの時代につくられた計画都市である。それだけでなくヘレニズム君主としてパレスティナや小アジアのユダヤ人が住む多くの都市に多くの公共施設を提供している。
しかし、なんといってもヘロデの名を不朽のものとしたのは、第二神殿の改築(ヘロデ神殿)、カイサリアの港、マサダ要塞、ヘロディウム (Herodium) などの大建築であった。特にヘロデ神殿はソロモンを超える規模で行ったエルサレム神殿の大改築であった。神殿はローマ帝国を含む当時の世界でも評判となり、このヘロデの時代にディアスポラのユダヤ人や非ユダヤ教徒までが神殿に参拝しようとエルサレムをさかんに訪れるようになった。
朝鮮王朝末期、朝鮮は清との長きにわたる冊封体制にありましたが、日清戦争の結果日本の勝利により独立、1897年、大韓帝国に国号を変更しました。
そして1910年には日本に併合されました。
1920年文先生誕生時には、朝鮮半島は日本に併合され、日本の一部という立場にありました。
それと同じように、紀元前142年頃、ユダヤはシリアからの事実上の独立を勝ち取り、ローマの元老院の承認によりハスモン朝が成立しました。
その後紀元前37年、ヘロデはローマに従属することを約束して分封王となり、ヘロデ朝を創設しました。
ヘロデ大王の死後、ユダヤ属州はローマの総督による直轄統治となったため、イエス降臨時は、ユダヤ属州やガリラヤ地方が、全てローマ帝国の支配下にありましした。
■王政期
建国された紀元前753年から紀元前509年までローマは、伝説上の七人の王が治める。
■共和政期
紀元前509年から紀元前27年まで、イタリア半島の一都市国家から地中海の全域に属州を持つ帝政になるまでの期間。
政治は元老院と執政官ら政務官を中心として、民会などで一般ローマ市民の意思も反映されながら運営。
■帝政期
紀元前27年、アウグストゥスのローマ皇帝即位によって、ローマ帝国は共和政から帝政へと移行。
■ユダヤ属州の宗主国
・紀元前142年から紀元前135年にかけて、ユダヤはシリアからの事実上の独立を勝ち取り、ローマの元老院の承認によりハスモン朝が成立。
・紀元前37年、ヘロデはローマ元老院によって「ユダヤ人の王」として認められ、ヘロデ朝を創設。
■ローマによるユダヤ属州統治
ヘロデ大王の死後、ユダヤ属州はローマの総督によって直轄統治。
当時のローマ帝国は基本的に被支配民族の文化を尊重し、統治者としてバランスのとれた巧みな統治政策を示したが、多神教文化であった地中海世界の中で、一神教を奉ずるユダヤは特殊な文化を持った地域だった。
イエス・キリストの時代には、ユダヤ属州やガリラヤ地方が、全てローマ帝国の支配下だった。
■ペテロやパウロなどによるキリスト教の伝播
帝政初期に帝国領内のユダヤ属州で生まれたイエス・キリストの創始したキリスト教はローマ領内に伝えられ、ペテロやパウロなどの布教によって広がっていったが、ローマ帝国は、皇帝崇拝を拒否する異教であるとして、厳しくキリスト教を弾圧した。
■皇帝ネロによる迫害
64年、ローマの大火が起こり、ネロが新しい都市計画を思いついて自らに火をつけたとの風聞がたつと、ネロはローマ大火の原因をキリスト教徒の放火であると断定した。
ネロは捕らえたキリスト教徒を簡単な裁判で死刑に決め、猛獣の餌食にしたり、十字架にかけたり、松明代わりに燃やしたりしたという。
またこのとき、キリスト教の最高指導者として捕らえられたペテロも、逆さまに十字架にかけられ殉教。パウロもこのときローマで殉教したとされている。
■ユダヤ戦争
ローマによって直轄統治されていたユダヤ属州では、独自の民族宗教であるユダヤ教の信仰を続けていたユダヤ人は、ローマの支配に対する不満をつのらせ、66年の春に反乱を起こし、ユダヤ戦争が始まる。
ユダヤ人たちは頑強に抵抗したが、70年に圧倒的なローマ軍の前にエルサレムは陥落し国を失い、神殿は破壊され、ユダヤ人は殺されるか、奴隷として売られるかし、中東世界に離散した。
■皇帝ディオクレティアヌスによるキリスト教の迫害
303年ディオクレティアヌス帝はキリスト教の会合を禁止し、神としての皇帝崇拝と、伝統的なローマの神々への祭儀への参加をキリスト教徒に強要した。
また教会の破壊、聖書の焼き捨て、聖職者全員の逮捕などが行われ、コロッセオでは数千人のキリスト教徒が火あぶりや、ライオンに食わせるなどの処刑が行われた。
■カタコンベ:地下墓坑。
キリスト教は非合法とされ迫害されていたが、社会の下層民にひろがり、さらにローマの市民・上層民にも信者が現れるようになっていった。
キリスト教徒はカタコンベ(地下墓坑)で祈りを捧げるなどして信仰を守り、迫害に耐えた。
■キリスト教の公認と国教化
ローマ帝国の軍人皇帝時代の3世紀の危機といわれた混乱から、帝国支配の安定を回復しようとしていたコンスタンティヌス帝は、キリスト教を認めることに踏み切り、313年にミラノ勅令を発してキリスト教を公認した。
その後392年にテオドシウス帝は、キリスト教以外の宗教を禁止し、キリスト教をローマ帝国での唯一の宗教とし、国教と定めた。
■略歴
・ 30年以降ペテロやパウロなどによるキリスト教の伝播
・ 64年:皇帝ネロによるキリスト教の迫害
・ 70年:ユダヤ戦争
・ 303年:皇帝ディオクレティアヌスによるキリスト教の迫害
・ 313年:ミラノ勅令、皇帝コンスタンティヌスによるキリスト教の公認。
・ 392年:テオドシウス一世によりキリスト教の国教化。
・ 395年:テオドシウス一世の死後、ローマ帝国は東西に分裂。
・ 476年:ゲルマン民族の侵入により西ローマ帝国は滅亡。
・1453年4月:オスマン帝国軍により東ローマ帝国は滅亡。
再臨主を迎える前の韓半島は、李氏朝鮮時代を通し、清を宗主国とする冊封体制にありました。
1894年、日清戦争で日本が清に勝利することにより、朝鮮と清朝の冊封関係は終わり独立国となりました。
1910年8月22日、韓国併合ニ関スル条約が締結され、大韓帝国は日本に併合されました。
一方紀元前142年頃、ローマの元老院の承認を受け、ユダヤはシリアからの事実上の独立を勝ち取り、ハスモン朝が成立しました。
紀元前37年、ヘロデはローマ元老院によって「ユダヤ人の王」として認められ、ヘロデ朝を創設しました。
そしてイエス降臨時は、ユダヤ属州やガリラヤ地方が、全てローマ帝国の支配下でした。
このように文鮮明先生誕生時、韓半島は日本の統治下にあったように、2000年前のイエス降臨時、イエス誕生の地だったユダヤの地もローマ帝国の支配下にありました。
■ハスモン朝
紀元前166年に起きた決起から20年後、紀元前142年から紀元前135年にかけて、ローマの元老院の承認を受け、ユダヤはシリアからの事実上の独立を勝ち取ることに成功し、ハスモン朝が成立。
しかしハスモン朝は、混乱と内紛の時代が続き、晩年、ローマの影響力の前に、すでに名前だけのものになっていた。
■ヘロデとヘロデ朝の成立
ハスモン朝が身内の争いで王座が空位となった際、ハスモン朝の武将の息子ヘロデは、ローマ元老院によって「ユダヤ人の王」として認められ、ヘロデ朝を創設、ローマとの協調関係を構築した。
■ヘロデ大王
ヘロデがユダヤの王として支配した時代は大きく3つに分けられる。
第1期はBC37-BC25年の権威の強化時代
第2期はBC25-BC13年の全盛期
第3期はBC13-BC4年の晩年の家庭の悲惨な時期
ヘロデは紀元前4年に亡くなるまで統治し、ヘロデの死後は3人の息子が分割支配した。
■3分統治時期
ヘロデ・アルケラオス(紀元前4年 – 6年、支配地:ユダヤ、エドム、サマリア)
ヘロデ・フィリッポス(紀元前4年 – 34年、支配地:バタネア、ガウラニティスなど)
ヘロデ・アンティパス(紀元前4年 – 39年、支配地:ガリラヤ、ペレア)
・アグリッパ1世(34年 – 44年):ヘロデ大王が支配していた時期の支配地を回復させた。
・アグリッパ2世(44年 – 93年頃):王国の北部分を承継し、南半分はローマが直轄統治した。
■ユダヤ戦争
ヘロデ大王の死後、ユダヤ属州はローマの総督によって直轄統治されていた。
当時のローマ帝国は基本的に被支配民族の文化を尊重し、統治者としてバランスのとれた巧みな統治政策を示していたが、多神教文化であった地中海世界の中で、一神教を奉ずるユダヤは特殊な文化を持った地域であったため、支配されていたユダヤ人のローマへの反感は日増しに高まっていた。
そんな中、当時のユダヤ属州総督が、エルサレムのインフラ整備のための資金として、神殿の宝物を持ち出したことをきっかけに、エルサレムで過激派による暴動が起こり、「ユダヤ戦争」が勃発した。
ユダヤ側の指導者は、いずれも強硬派・原理主義者に属していたため、事態は過激化した。
ローマ側は暴動の首謀者の逮捕・処刑によって事態を収拾しようとしたが、逆に反ローマの機運を全土に飛び火させてしまい、主導権争いと仲間割れを繰り返し、意思統一ができていなかったユダヤ人たちも反ローマで結束した。
70年、ユダヤ人たちは神殿やアントニウス要塞に拠って頑強に抵抗したが、圧倒的なローマ軍の前に敗北し、エルサレム神殿は火を放たれて炎上し、エルサレムは陥落してしまった。
その結果ユダヤ人は中東世界に離散した。
ユダヤ的なものを一掃しようとしたローマ人は、この土地をユダヤ人の宿敵ペリシテ人にちなんでパレスチナという名前をつけたため、ユダヤという地名は消滅してしまった。
それから約2000年後の1948年、かつてのユダヤの地に建国した新国家は、イスラエル国と命名された。
神はイエスを迎えるために、メシヤの道を直くする者として、サタン分立の使命を担う預言者エリヤの使命を持つ洗礼ヨハネを遣わしました。
洗礼ヨハネの誕生時の奇跡と、荒野での修行により、洗礼ヨハネは「信仰基台」を造成することに成功しました。
同時に当時のユダヤ人たちは、彼こそは神が遣わしたメシヤではないかと思うほどに洗礼ヨハネを信じたため、洗礼ヨハネとユダヤ人たちの間に「実体基台」が復帰され、「メシヤのための基台」が完成しました。
あとは洗礼ヨハネがイエスを信じ、従いさえすれば、全ユダヤ人も自動的にイエスを受け入れ、イエスはメシヤとして、王の王として、人類救済の道を歩むはずでした。
しかし洗礼ヨハネ一人の不信により、神が4000年かけて造成したすべての基台を喪失させ、イエス自らが僕の僕となり、世界的カナン復帰路程をたった一人で出発せざるを得なくなりました。
イエスを信じないというほんの些細な出来事が、人類の命運を決めてしまったのです。
摂理の中心人物の責任の重さを知る、重要な教訓がここにあります。
イエスを中心とする復帰摂理、第一次世界的カナン復帰路程
(1) 信仰基台
★預言者エリヤ
・ユダヤ民族は、メシヤ降臨以前にサタン分立の使命を担って、メシヤの道を直くするために(ヨハネ 1/23)エリヤが再臨すると信じていたため、メシヤ降臨よりもエリヤの再臨をもっと渇望していた。
「見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。」(マラキ 4/5)
・サタン分立の使命を担ってこれを完遂し、メシヤの道を直くするために(ヨハネ1/23)、エリヤとして来た預言者が、洗礼ヨハネであった(マタイ11/14、マタイ17/13)。
★洗礼ヨハネ
・洗礼ヨハネは、荒野でいなごと野蜜とを食べながら、メシヤを迎えるために、天に対する忠孝の道を立てたのであった。それゆえに、祭司たちをはじめとして(ヨハネ1/19)、ユダヤ人たちはみな、洗礼ヨハネがメシヤではないかとまで思うようになったのである(ルカ3/15)。
(2) 実体基台
・イエス当時のユダヤ人たちも、神の奇跡をもって信仰の対象者として立ててくださった洗礼ヨハネを信じ、彼に従ったならば、彼らは「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立て、「実体基台」を復帰することにより、「メシヤのための基台」を復帰することができた。
・洗礼ヨハネは、当時の名門の出である祭司ザカリヤの子として生まれた(ルカ 1/13)。
・ザカリヤは、妻が男の子を懐胎するという天使の言葉を信じなかったために唖となったが、ヨハネが出生するや否や口がきけるようになった(ルカ 1/8~66)奇跡などによって「近所の人々はみな恐れをいだき、またユダヤの山里の至るところに、これらの事がことごとく語り伝えられたので、聞く者たちは皆それを心に留めて、『この子は、いったい、どんな者になるだろう』と語り合った。主のみ手が彼と共にあった」(ルカ 1/65、66)
・イスラエル民族は、洗礼ヨハネが生まれたときから、彼を神がお送りになった預言者であると認めていた。
★洗礼ヨハネはイエスを証した。
・「ヨハネはイエスが自分の方にこられるのを見て言った、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。『わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。』とわたしが言ったのは、この人のことである。
ヨハネは言った、「わたしは、御霊がはとのように天から下って、彼の上にとどまるのを見た。
わたしはこの人を知らなかった。しかし、水でバプテスマを授けるようにと、わたしをおつかわしになったそのかたが、言われた、『ある人の上に、御霊が下ってとどまるのを見たら、その人こそは、御霊によってバプテスマを授けるかたである』。わたしはそれを見たので、このかたこそ神の子であると、あかしをしたのである」。(ヨハネ 1/29~34)
・自分が神のみ旨のために今まで築きあげてきたすべてのものを、イエスの前に引き渡すという一種の儀式。
(3) 第一次世界的カナン復帰路程の失敗
洗礼ヨハネは自らイエスをメシヤとして証したのにもかかわらず、彼を疑うようになり(マタイ11/3)、また、自分がエリヤとして来たのにもかかわらず、それを知らずに否認して(ヨハネ1/21)、ユダヤ人たちがイエスの前に出ていく道をふさいだばかりでなく、彼らがイエスに逆らうような立場にまで押しやった。
★洗礼ヨハネの不信
・自身がエリヤであることを否認
「そこで、彼らは問うた、『それでは、どなたなのですか、あなたはエリヤですか』。彼は『いや、そうではない』と言った。『では、あの預言者ですか』。彼は『いいえ』と答えた。そこで、彼らは言った、『あなたはどなたですか。…あなた自身をだれだと考えるのですか』。彼は言った、『わたしは、預言者イザヤが言ったように、「主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声」である』。」(ヨハネ 1/21~23)
・イエスをも不信
「ヨハネは『きたるべきかたはあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか』と尋ねさせた。
イエスは答えて言われた、『行って、あなたがたが見聞きしたことを、ヨハネに報告しなさい。盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。わたしにつまずかない者は、さいわいである』。
・イエスは洗礼ヨハネを叱責
「イエスはヨハネのことを群衆に語りはじめられた、あなたがたは、何を見に荒野に出てきたのか。風に揺らぐ葦であるか。柔らかい着物をまとった人か。きらびやかに着かざって、ぜいたくに暮している人々なら、宮殿にいる。
では、何を見に出てきたのか。預言者か。そうだ、あなたがたに言うが、預言者以上の者である。見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、あなたの前に、道を整えさせるであろうと書いてあるのは、この人のことである。」(ルカ 7/18~27)
「あなたがたに言っておく。女の産んだ者の中で、ヨハネより大きい人物はいない。しかし、神の国で最も小さい者も、彼よりは大きい。」(ルカ 7/28)
★洗礼ヨハネの最期
「ヘロデの誕生日の祝に、ヘロデヤの娘がその席上で舞をまい、ヘロデを喜ばせたので、彼女の願うものは、なんでも与えようと、彼は誓って約束までした。
すると彼女は『バプテスマのヨハネの首を盆に載せて、ここに持ってきて』と言った。
王は困ったが、人をつかわして、獄中でヨハネの首を切らせた。
その首は盆に載せて運ばれ、少女にわたされ、少女はそれを母のところに持って行った。」(マタイ 11/6~11)
本来洗礼ヨハネがイエスを受け入れていたらば、自動的にユダヤ人たちもイエスを受け入れ、選民としてイエスと共に神の国建設の一翼を担うはずでした。
しかし洗礼ヨハネがイエスを不信したため、イエス自らが信仰基台を造成するためにユダヤ人たちの中に降り、み言を語り、奇跡を行うことにより、多くの民衆がイエスを信じ、従うようになりました。
しかしイエスのもとに集まった民衆は、本来神が用意されたユダヤ教指導者たちではなく、何の力も信仰もない人々だったため、祭司や律法学者たちにより迫害されるようになると、イエスの弟子イスカリオテのユダは銀貨30枚でイエスを売り、イエスは捕らえられてしまい、第一弟子ペテロもイエスを知らないと否定しました。
総督はイエスを許そうと、ユダヤ人たちに誰を許してほしいと言ったとき、祭司長、長老たちに扇動されたユダヤ人たちは、バラバを許して、イエスを『十字架につけよ』と叫び、『その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい』と叫びました。
その結果ユダヤ民族はイエスの血に責任を持ち、西暦70年にローマ軍により国を奪われ、2000年間国を持たざる流浪の民として、世界的に迫害を受けてきました。
(二)第二次世界的カナン復帰路程
(2) 実体基台
第二次世界的カナン復帰路程においては、イエス自身がみ言と奇跡とをもってその「出発のための摂理」をされた。
カインの立場におかれていたユダヤ民族が、アベルの立場に立っていたイエスを信じ、彼に仕え従ったならば、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てて「実体基台」を復帰するようになるので「メシヤのための基台」を造成することができた。
★ユダヤ人の不信を嘆くイエス
・「ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった」(マタイ 23/37)
・「あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。しかも、あなたがたは、命を得るためにわたしのもとにこようともしない」(ヨハネ 5/39、40)
・「もし、あなたがたがモーセを信じたならば、わたしをも信じたであろう。モーセは、わたしについて書いたのである」(ヨハネ 5/43~46)
・「たといわたしを信じなくても、わたしのわざを信じるがよい。そうすれば、父がわたしにおり、また、わたしが父におることを知って悟るであろう」(ヨハネ 10/38)
(3) 第二次世界的カナン復帰路程の失敗
サタンは、不信に陥った祭司たちと律法学者たちを中心とするユダヤ民族、特に、イエスを売った弟子、イスカリオテのユダを通して、再びイエスの前に現れて、対立した。
★イスカリオテのユダ (マタイ26/14~15、47~50、27/1~5)
「十二弟子のひとりイスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところに行って言った、『彼をあなたがたに引き渡せば、いくらくださいますか』。すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。」
「十二弟子のひとりのユダがきた。イエスを裏切った者が、あらかじめ彼らに、『わたしの接吻する者が、その人だ。その人をつかまえろ』と合図をしておいた。彼はすぐイエスに近寄り、『先生、いかがですか』と言って、イエスに接吻した。しかし、イエスは彼に言われた、『友よ、なんのためにきたのか』」
「夜が明けると、祭司長たち、民の長老たち一同は、イエスを殺そうとして協議をこらした上、 イエスを縛って引き出し、総督ピラトに渡した。そのとき、イエスを裏切ったユダは、イエスが罪に定められたのを見て後悔し、銀貨三十枚を祭司長、長老たちに返して言った、『わたしは罪のない人の血を売るようなことをして、罪を犯しました』。しかし彼らは言った、『それは、われわれの知ったことか。自分で始末するがよい』。そこで、彼は銀貨を聖所に投げ込んで出て行き、首をつって死んだ。」
★第一弟子ペテロがイエスを3度否認 (マタイ 26/69~75)
「ペテロは外で中庭にすわっていた。するとひとりの女中が彼のところにきて、『あなたもあのガリラヤ人イエスと一緒だった』と言った。するとペテロは、みんなの前でそれを打ち消して言った、『あなたが何を言っているのか、わからない』。そう言って入口の方に出て行くと、ほかの女中が彼を見て、そこにいる人々にむかって、『この人はナザレ人イエスと一緒だった』と言った。そこで彼は再びそれを打ち消して、『そんな人は知らない』と誓って言った。しばらくして、そこに立っていた人々が近寄ってきて、ペテロに言った、『確かにあなたも彼らの仲間だ。言葉づかいであなたのことがわかる』。彼は『その人のことは何も知らない』と言って、激しく誓いはじめた。するとすぐ鶏が鳴いた。ペテロは『鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう』と言われたイエスの言葉を思い出し、外に出て激しく泣いた。」
★イエスの十字架の死に責任を持つ者 (マタイ 27/15~26)
「さて、祭のたびごとに、総督は群衆が願い出る囚人ひとりを、ゆるしてやる慣例になっていた。それで、彼らが集まったとき、ピラトは言った、『おまえたちは、だれをゆるしてほしいのか。バラバか、それとも、キリストといわれるイエスか』。しかし、祭司長、長老たちは、バラバをゆるして、イエスを殺してもらうようにと、群衆を説き伏せた。総督は彼らにむかって言った、『ふたりのうち、どちらをゆるしてほしいのか』。彼らは『バラバの方を』と言った。ピラトは言った、『それではキリストといわれるイエスは、どうしたらよいか』。彼らはいっせいに『十字架につけよ』と言った。しかし、ピラトは言った、『あの人は、いったい、どんな悪事をしたのか』。すると彼らはいっそう激しく叫んで、『十字架につけよ』と言った。ピラトは手のつけようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、水を取り、群衆の前で手を洗って言った、『この人の血について、わたしには責任がない。おまえたちが自分で始末をするがよい』。すると、民衆全体が答えて言った、『その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい』。そこで、ピラトはバラバをゆるしてやり、イエスをむち打ったのち、十字架につけるために引きわたした。」
人類始祖アダムとエバの堕落以来、神は人類を再び我が手に取り戻すため、復帰摂理歴史を歩まれてきました。
アダム家庭、ノア家庭、アブラハム家庭、モーセ路程と摂理は続き、4000年の歴史の結実体として降臨されたのがまさしくイエス・キリストでした。神の一人子イエスをお迎えすることにより、人類歴史上初めて、人類が親なる神の元に還れる時を迎えることができたのです。つまり人類歴史は、イエスお一人をお迎えするための歴史であったと言って過言ではありませんでした。
しかしサタンが支配するこの地上において、イエスお一人を送られても、神のみ旨を成就することは難しいのが現実でした。よって神はイエスを迎えるための基盤として、イエスの基台となるべき民族、ユダヤ民族を選民として立てられ、その選民とともに神のみ旨を成就すべくありとあらゆる準備をなされました。
サタンが支配する地上からサタンを分立すべく、ユダヤ人たちの中心人物として立てられたのが洗礼ヨハネでした。洗礼ヨハネがイエスを迎え、イエスと一体となり、イエスの第一弟子としてユダヤ人たちを指導していったとき、王の王としてイエスは神のみ旨を成就することができるようになっていました。
そんな王の王となるべくして来られた神の一人子イエスが、33歳の若さで十字架につかれ、非業の最期を遂げられたのは誰もが知る事実です。
今日に至るまでキリスト教徒たちは、全知全能である神の一人子イエスが、摂理に失敗したなどとは考えることが許されませんでした。神の子イエスが摂理に失敗したなどと考えることは、全知全能なる神の否定につながるため、神に対する不敬と考えられたからです。
そのため結果としてのイエスの十字架を肯定するために、イエスは十字架につくために来たのだと、頑なに信じてきました。イエスの十字架を肯定するために、イエスは人類のすべての罪を背負われ、我々の身代わりとなって十字架につかれたのだという論理を構築し、信じ続けてきたのです。
しかし今日、再臨の主として来られた文鮮明先生は、イエスは摂理に失敗したのだ。イエスの十字架は神の予定にはなかったことだと神の摂理を解き明かし、イエスに対する正しい見解を発表されました。
ここでは摂理に失敗したイエスは、どのような路程を歩まれたのか、そして失敗した立場からどのように再び立ち上がり、今日に繋がるどのような歩みをされたのかについて『イエスを中心とする復帰摂理』の概略を見ていきたいと思います。
イエスを中心とする復帰摂理
(一)第一次世界的カナン復帰路程
(1) 信仰基台
サタン分立の使命を担い、メシヤの道を直くするために、エリヤとして来た預言者が洗礼ヨハネであった。
洗礼ヨハネ生誕時の奇跡、輝かしい修道生活などにより、祭司や一般のユダヤ人たちは、彼を神がお送りになった預言者であると認め、メシヤではないかと思うほどに信望は高かった。
(2) 実体基台
当時のユダヤ人たちも、洗礼ヨハネを信じ、従ったならば、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立て、「実体基台」を復帰することにより、「メシヤのための基台」を復帰することができた。
(3) 第一次世界的カナン復帰路程の失敗
洗礼ヨハネは自らイエスをメシヤとして証したにもかかわらず、イエスを疑うようになった。
また、自分がエリヤであることを否認し、ユダヤ人たちがイエスの前に出ていく道をふさぎ、イエスに逆らうような立場にまで押しやった。
(二)第二次世界的カナン復帰路程
(1) 信仰基台
① イエスが洗礼ヨハネの使命を代理する
イエスが荒野で40日間断食をされながら、サタンを分立し、洗礼ヨハネの代理の立場で、「信仰基台」を蕩減復帰された。
② イエスの荒野40日の断食祈祷と三大試練
★40日の断食祈祷 (マタイ 4/1~2)
「さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。そして、40日四40夜、断食をし、そののち空腹になられた。」
★第一試練 第一祝福復帰 (マタイ 4/3~4)
サタン「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」
イエス「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」
★第ニ試練 第ニ祝福復帰 (マタイ 4/6~7)
サタン「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい」
イエス「主なるあなたの神を試みてはならない」
★第三試練 第三祝福復帰 (マタイ 4/9~10)
サタン「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」
イエス「主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ」
③ 40日断食と三大試練とをもってサタンを分立した結果
イエスは、洗礼ヨハネの立場からメシヤの立場に立つための「信仰基台」を造成したので、神の三大祝福を成就して、四位基台を蕩減復帰することができる条件を立てられた。
(2) 実体基台
イエス自身がみ言と奇跡とをもって「出発のための摂理」をされた。
カインの立場であるユダヤ民族が、アベルの立場であるイエスを信じ、仕え従ったならば、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てて「実体基台」を復帰するようになるので「メシヤのための基台」を造成することができた。
(3) 第二次世界的カナン復帰路程の失敗
祭司たちと律法学者たちを中心とするユダヤ民族はイエスを不信し十字架に付けた。
イエスの弟子イスカリオテのユダは、銀貨30枚でイエスを売り、ペテロはイエスを三回否認した。
(三)第三次世界的カナン復帰路程
(1) イエスを中心とする霊的カナン復帰路程
① 霊的な信仰基台
イエスは、すべての人類を救われるために、その肉身を供え物として十字架に引き渡されたのち、復活40日のサタン分立期間をもって、霊的な「信仰基台」を立て、万民の罪を贖罪し得る道を開拓された。
② 霊的な実体基台
復活されたイエスは、弟子たちに一切の奇跡の権威を授けられ(マタイ 28/16~18)、「出発のための摂理」をされた。カインの立場に立っていた信徒たちは、復活されたイエスを信じ、彼に仕え従って、「堕落性を脱ぐための霊的な蕩減条件」を立てることにより、「霊的な実体基台」を復帰することができた。
③ メシヤのための霊的な基台
弟子たちは、復活されたイエスを命懸けて信奉することにより、「霊的な実体基台」を造成し、「メシヤのための霊的な基台」を復帰した。そこでイエスは、霊的なメシヤの立場を確立し、聖霊を復帰することによって、霊的な真の父母となり、重生の摂理をされるようになった。
④ 霊的カナン復帰
キリスト教信徒たちは「メシヤのための霊的基台」の上で霊的メシヤとして立たせられたイエスを信じ侍ることによって、霊的カナン復帰だけを完成するようになった。
信徒たちの肉身は、サタンの侵入を受けることにより、原罪は依然として元のままに残っているので(ロマ 7/25)、信徒たちもまた、キリスト再臨のための、サタン再分立の路程を歩まなければならない。
2000年前、イエス降臨時の状況について見てみると、イエスの降臨に備え、神が4000年の歴史をかけて備えてきた基盤の上に立つ、エリヤの使命を持って神が遣わされた人物が洗礼ヨハネでした。洗礼ヨハネはイエスを「神の子」と証しをし、神のみ旨のために今まで築きあげてきたすべてのものを、イエスに引き渡しました。しかしその後イエスを不信することで、選民として立てられたユダヤ人たちが、イエスの前に行く道が閉ざされてしまいました。
その後イエス自らが洗礼ヨハネの使命を代理し、み言と奇跡によって自らが神が遣わされた神の息子であると証しをしましたが、律法学者やパリサイ人らユダヤ人たちはイエスを受入れず、迫害し、十字架へと追いやることでイエスは摂理に失敗し、十字架についてしまいました。
洗礼ヨハネは領主ヘロデに対し、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤをめとるのはよろしくないと非難したために投獄されました。ヘロデの誕生日の祝に、ヘロデヤの娘が舞をまってヘロデを喜ばせ、その褒美に彼女が願うものは何でも与えようと誓って約束したため、娘は母にそそのかされて、洗礼ヨハネの首を盆に載せて持ってきて欲しいと願いました。そのために洗礼ヨハネは首を切られ、神のみ旨とは全く関係のないことで無駄に命を落としました。
その結果洗礼ヨハネは、イエスにも「女の産んだ者の中で、ヨハネより大きい人物はいない。しかし、神の国で最も小さい者も、彼よりは大きい。」と言われる存在となってしまいました。
またユダヤ人たちも、総督ピラトにイエスを引き渡し、祭司長、長老たちが群衆を説き伏せて「イエスを十字架に付けよ」と激しく叫びました。ピラトは暴動になるのを恐れ「この人の血について、わたしには責任がない。おまえたちが自分で始末をするがよい」と言ったため、民衆全体が答えて「その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい」と言い、イエスは十字架についてしまいました。
その結果ユダヤは、西暦70年に「ユダヤ戦争」で圧倒的なローマ軍の前に敗北し、エルサレム神殿は火を放たれて炎上し、エルサレムは陥落し、ユダヤ人は中東世界に離散してしまいました。
地上からからユダヤという地名は消滅し、ユダヤ人は1948年にイスラエルが建国されるまで、国を持たざる民族として、迫害の中世界中を転々とし、イエスの十字架に対し責任を取らされる形となりました。
こうして神が4000年かけて準備した選民ユダヤ民族と、その上に立つ洗礼ヨハネは、自らの使命に成功したら、永遠なる神の国で最も栄えある立場に立つはずであったにもかかわらず、摂理に失敗したために、歴史上最も悲惨な立場に立ってしまいました。
つまり洗礼ヨハネ、ユダヤ人達が、人類にとっての最も重い罪を犯してしまったことがわかります。
一方、ユダヤ人の王が誕生したという話を聞き、3歳以下のユダヤ人を皆殺しにするように指示を出したヘロデ王や、イエスを直接槍で突いて殺したローマ兵、ユダヤの地を統治していたローマに関しては、その罪深さを糾弾するような内容は、聖書の中には見当たりません。
それはあくまでも、イエスがその使命を全うできるか否かの直接的な責任に関わった人物こそが、洗礼ヨハネであり、ユダヤ人、律法学者やパリサイ人たちであったのに対し、ヘロデ王やローマ兵、ローマは、イエスの使命完遂には直接的には関与せず、結果として刑の執行を命じられただけにすぎなかったからでした。
このような観点を踏まえて、文鮮明先生の路程を分析し、洗礼ヨハネの使命を持った人物は誰だったのか、ユダヤ人、律法学者、パリサイ人たちに相当する人物たちは誰だったのか、またヘロデ王やローマ兵、ローマに相当する人物、国家というのは誰でありどこだったのかについて考えてみることにします。
1910年の韓国併合により、大日本帝国領となった朝鮮を統治するための官庁。(1919~1945年)
1910年、大日本帝国は大韓帝国との間に結ばれた「韓国併合ニ関スル条約」(日韓併合条約)の締結によって大韓帝国を併合し朝鮮総督府の統治下に置いた。日本の同盟国のイギリスやアメリカ、フランスやドイツ、中華民国などの世界の主要国はこれを認めた。
日本による統治期間は、1919年の三・一独立運動までの武断統治期、それ以降日中戦争に至るまでの文化統治期、および日中戦争、太平洋戦争から終戦に至るまでの戦時体制期に大きく分けられる。
併合当初の10年間は所得税の免税措置、インフラ整備、近代教育制度や近代工業の導入など朝鮮半島の開発に力を入れ、開発工事や運営の主な労働力を朝鮮人に求めることで雇用を創出した。
一方で、憲兵警察制度や、内地と同様の言論・結社の自由の厳しい制限などに代表される武断統治により、朝鮮王朝末期から続いていた抗日運動を抑えようとした。
三・一独立運動以後、日中戦争に至るまでの期間は、朝鮮総督府は従来の統治政策を修正し、内地と同様に言論や結社の自由が与えられたため、比較的自由な雰囲気の中で、朝鮮人による様々な民族運動が繰り広げられた。
イエス降臨時、イエスが誕生した地ベツレヘムは、ローマに従属することを約束してユダヤの分封王となったヘロデの王朝、ヘロデ朝の領土でした。
したがって文鮮明先生が誕生した地、平安北道定州郡徳彦面上思里2221番地も、日本統治下の朝鮮半島にありました。
よって、朝鮮半島を統治する朝鮮総督府が、ヘロデ大王、またはヘロデ朝に相当すると考えられます。
★朝鮮総督府による韓民族への迫害とされるもの
・身分解放
統監府は1909年に戸籍制度を導入し、白丁などの賤民にも姓を名乗らせて、戸籍には身分を記載することなく登録させた。
身分解放に反発する両班は激しい抗議デモを繰り広げたが、身分にかかわらず教育機会を与えるべきと考える日本政府によって即座に鎮圧された。
・朝鮮人の独立運動
1919年には三・一独立運動が起こって大規模な暴動にまで発展し、朝鮮中を巻き込んだ。この独立運動は約一年間続き、暴動と総督府側による取締りによって多くの死傷者がでた。
事件直後に行われた調査結果を記した資料によれば、8,437人が逮捕された。しかし逮捕者への刑罰は主犯でも最高で懲役3年以下という軽いものであった。
女学生・柳寛順は三・一独立運動を扇動した罪で投獄、16才で西大門刑務所内で獄死した。
・堤岩里事件
1919年4月15日に小学校焼き討ちと警察官2名の殺害の容疑で堤岩里の成人男性住民30余名を教会堂に集めたところ、取調べ中に容疑者1名が逃げようとし憲兵に斬殺され、それを見た他の容疑者が暴徒化した為に全員が射殺され、放火などにより15村落317戸が延焼し、39人が死亡した事件である。
・三・一独立運動の結果
日本は三・一運動で掲げられた要求を受け、日本及び朝鮮総督府の武断統治を改めさせ、憲兵警察制度を廃止し、集会や言論、出版に一定の自由を認めるなど、朝鮮総督府による統治体制が武断的なものから文治的なものへと方針転換される契機となり、以降は日本統治に対する抵抗といえる抵抗がまったくみられなくなった。
・皇民化政策
皇民化政策は思想と言語統一によって他民族を日本人化することで、日本人と植民地住民を対等に扱おうとするものであった。
・神社参拝
朝鮮総督府は「皇民化政策の一環」として神社参拝を奨励し、各家庭での神棚設置と礼拝を奨励した。
三・一独立運動の主要勢力がキリスト教徒だったため、朝鮮のキリスト教徒に対する圧力も強まっていった。
☆日本の朝鮮統治
・30数年間で朝鮮半島につぎ込んだ日本国民の税金は現在の価値で63兆円、民間まで入れると80兆円をはるかに超える。
・社会政策…高等教育や義務教育制度や戸籍制度などの近代的な社会制度の整備が行われた。
・身分解放…1909年に戸籍制度を導入し、白丁など賤民にも姓を名乗らせて戸籍には身分を記載することなく登録させた。
・教育制度…1906年時点で小学校が全国で40校未満、両班の子弟は書堂と呼ばれる私塾で教育。1940年代には各種学校は1000校を超え、身分開放された白丁の子弟も学校に通えるようになった。
・宗教政策…李朝はカトリックへの弾圧は断続的に行われた。1895年に公称1590人の信徒が1910年には22万6791名に。
・造林事業…1911年には約4千町、1152万本だったが1922年までの累計は約36万町、10億本に至った。
・経済…鉄道、道路、上水道、下水道、電気インフラ、病院、学校、工場など、最新鋭のインフラの整備を行い、近代教育制度や近代医療制度の整備を進めた。1,527件の農業用ダムと410件の水路の建設、砂防ダム建設など水利事業も行われた。
・平均寿命…衛生指導や集団予防接種が行われ、コレラ、天然痘、ペストなどによる乳児死亡率が減少し、平均寿命は24歳から56歳まで伸びた。また農地の開発や農業技術の指導により食糧生産量も激増し、人口はも平均寿命も併合時(1910年)の2倍になった。
食糧生産は併合前の1909年には746万石、1918年には1529万石と2倍以上に、更に1942年には2489万石なった。
・資本主義の萌芽…資本主義の萌芽が李氏朝鮮時代には存在せず、日韓併合による日本の政策によって生まれ、特に戦後の韓国の資本主義や工業化は、日本の朝鮮半島での近代化政策を模したものである。(ハーバード大学教授、朝鮮史専門カーター・J・エッカート)
☆日本の朝鮮統治の結果
・両班制度と腐敗した官僚により、李氏朝鮮時代の520年間は文化的、経済的に停滞し、王朝末期には漢陽はこの世で一番不潔な町と言われるようになり、一般民衆は疲弊し、自力では改革のできるような状況にはなかった。
・日本政府は朝鮮半島に現在の価値で63~80兆円をはるかに超える資金を投入し、朝鮮の近代化に寄与した。
・衛生指導や集団予防接種、医療制度の整備、農地開発、農業技術指導、教育改革、身分制度の撤廃等により、民衆の生活は劇的に向上し、人口は併合時(1910年)13,128,780人だったのが、1944年には25,120,174人となり、平均寿命も併合時(1910年)24歳だったものが、1942年には45歳まで伸びた。
・併合時は4%程度だった識字率が61%を超えた(1944年)
・30年代GDP平均成長率は約4%。(1920年代の世界経済は2%以下、日本は3%強)
・1人当り国民所得が1910年の40ドルから倍増した。
1910年8月22日に、韓国併合条約が調印され、29日に発効、大日本帝国は大韓帝国を併合し、その領土であった朝鮮半島を領有しました。
1920年1月6日(陰暦)、文鮮明先生が誕生された平安北道定州郡徳彦面上思里2221番地は日本によって併合された朝鮮半島にありました。韓国人は決してこのような表現は使わないし、認めようとはしないでしょうが、当時大韓帝国という国も、朝鮮という国も存在しませんでしたから、正確には日本の統治下、つまり日本の地に文先生は誕生されたということになります。
それはあたかも、ユダヤが国を持たずに、ローマの属国としてローマの支配下にあったときにイエスが誕生されたのと同様の状況下にあったと言えます。
1945年8月15日、大日本帝国は第二次世界大戦における連合国に対する敗戦に伴って朝鮮半島に対する実効支配を喪失し、同年9月2日、ポツダム宣言の条項を誠実に履行することを約束した降伏文書調印によって、正式に大日本帝国による朝鮮半島の領有は終了しました。
この日韓併合条約に至るまでの、日韓の関係史を簡単にまとめてみることにします。
★日本と李氏朝鮮との関係 略史
・当時の朝鮮半島を治めていた李氏朝鮮は、清朝中国を中心とした冊封体制を堅持していた。
・1876年の江華島事件を経て、日本は朝鮮と日朝修好条規を締結して国交が結ばれたが、明治政府は条約締結の際に朝鮮を清朝の冊封体制から離脱させるために「朝鮮国は自主の邦にして日本国と平等の権を保有せり」と表現したため、朝鮮を「属邦」とする清国と対立する下地が生まれた。
・1894年、駐留していた清軍と日本軍との間の軋轢から日清戦争が勃発。日本軍が勝利すると、下関条約によって朝鮮と清朝の冊封関係は終わり、朝鮮は清への服属関係を廃棄し独立国となった。
しかしその後、朝鮮は宗主国をロシアに変える動きを見せ、閔妃はロシアに近づき、親露政策を取る事になる。
これにより1895年10月に閔妃が惨殺される(乙未事変)。
・1897年、朝鮮は大韓帝国と国号を改称し、元号を光武とした。
・1904年になると、日露戦争が勃発し、日本が勝利する。
・1905年には第二次日韓協約が締結された。日本は朝鮮(大韓帝国)の外交権を接収し、内政・財政に関しても強い影響力を得て朝鮮の保護国化を推し進めていく。
・1906年、日本は韓国統監府を置き、伊藤博文を初代統監とした。
・1910年8月22日に韓国併合ニ関スル条約が締結、ここに大韓帝国は日本の一部となり、朝鮮半島の国家は完全に消滅した。
当時の日本と韓国の関係、摂理的意義について「神様の摂理から見た南北統一」のみ言で見ていきたいと思います。
★日帝統治下40年の摂理史的意義 (神様の摂理から見た南北統一より)
復帰摂理歴史は、同じ内容と形式が反復されながら、蕩減の路程を通して復帰していく歴史だという事実を知らなければなりません。よって再び来られるメシヤは、独立した国を通しては来ることができないのです。
再臨の一日にそのような立場に立った国が韓国です。
イスラエルの国とキリスト教が、霊肉を中心としてサタン圏で支配されながら戦ってきたように、韓国も40年間肉的な面で怨讐に支配されながら、霊的な面で、この国のために生命を捧げることを覚悟する群れを中心として独立運動をしてきました。そうして民族を糾合し、結束させて、キリスト教を主とした人たちが主導となって国を建てるようになったのです。
キリスト教の信者たちが霊的な面で、日帝40年の弾圧を受け、国もない中で死の道を自ら進んでいきながら国を愛する忠節の道理を立てたのです。
韓国は内的な面でキリスト教を中心として、120年間発展するようになるのです。
韓国が日本から40年間抑圧される時代、内外の40年蕩減期間
=イスラエル民族においては、民族的カナン復帰をするためのエジプトでの400年苦難時代
=キリスト教のローマ帝国迫害時代400年
=アダム以後イエス様までの4000年を蕩減し得る受難ともなる
日本:失敗した英国に相当する立場でアジア的代身国家として立てた国が日本
アジアを育て、アジアのための日本にならなければならないのです。それゆえ世界的な経済大国を築きました。
神様は英国の祝福を蕩減するために日本に祝福を与えたので、日本は英国の立場を蕩減して世界を救わなければなりません。
⇒神社参拝問題を中心としてキリスト教を極度に弾圧。
自分の国のために生きるアジアをつくろうというサタン的な立場になってしまった。
神様の名前を閉め出して、自分の国の民族主義的な女神、天照大神に仕えるのです。
★日本での統一運動略史と反対運動
・1945年 8月15日:光復節。日本による朝鮮の統治時代は終わる。
・1954年 5月 1日:世界基督教統一神霊協会が創立されると、統一教会は世界への宣教も始め、国交の無かった日本にも宣教師が派遣された。
・1955年 8月17日:第二のお母様、金明煕先生がが日本に密入国した直後に、東京で文喜進様を出産。
・1958年 6月 :韓国から西川勝(韓国名は崔奉春)先生が宣教のために、国交のない日本に密入国。
・1959年10月 2日:日本統一教会創立。
・1964年 7月15日:東京都知事の認証で宗教法人となった。
・1965年 7月 7日:朝日新聞が「親泣かせの原理運動」と報じた。
・1967年 9月 :自分の子供は洗脳を受けたから家出したと考える親たちが「原理運動対策全国父母の会」を結成。
・1968年 4月 1日:国際勝共連合創立(日本)
・1974年 9月28日:世界平和教授アカデミー創設(日本)
・1975年 1月 1日:「世界日報」発刊(日本)
・1977年 6月 :早稲田大学で反原理運動が始まり、全国に広がった。
・1980年代 :姓名判断や印相鑑定と絡めたいわゆる「霊感商法」が大きな社会問題となった。
・1987年 2月 :全国の弁護士により「全国霊感商法被害対策弁護士連絡会」が結成された。
・1992年 :「3万組国際合同祝福結婚式」で歌手で女優の桜田淳子、元新体操選手の山崎浩子、元バドミントンの世界チャンピオンの徳田敦子ら有名人が参加。
・1998年 1月 1日:日本が『エバ国家』から『母の国』となる。
・2009年 7月13日:「新世」が霊感商法により特定商取引法違反で摘発。社長以下幹部が逮捕。徳野英治会長が引責辞任。
朝鮮半島は代々、現在の中国の冊封体制下にあり、文先生の生まれる前の李氏朝鮮時代は清の冊封体制下にありました。
冊封とは、中国の歴代王朝の君主たちが、近隣の諸国・諸民族の長との間で取り結ぶ名目的な君臣関係のことを言います。
1894年、日清戦争で日本軍が勝利することにより、朝鮮と清との冊封関係は終わり、朝鮮は清への服属関係を廃棄し独立国となりました。
1897年には朝鮮は大韓帝国と国号を改称しましたが、1910年8月22日に日本との間において「韓国併合ニ関スル条約」が締結され、大韓帝国は日本の一部となりました。
1920年1月6日に文鮮明先生が誕生された平安北道定州郡徳彦面上思里2221番地は、現在の北朝鮮西部にあり、北朝鮮と中国との国境にあたる鴨緑江と平壌を結ぶ中間地点にありますが、当時は日本統治時代にあたります。
それはあたかもイエスを迎えたベツレヘムの地が、ローマの分封王ヘロデの統治するヘロデ朝のもとにあったのと同じ環境下にありました。
日本による統治期間は、1919年の三・一独立運動までは武断統治期と呼ばれ、憲兵警察制度や、内地と同様の言論・結社の自由の厳しい制限など、武断的な統治がなされていました。そのためキリスト教徒を中心とした抗日運動も展開され、1919年には全国的な運動にまで発展した三・一独立運動が発生しました。
三・一独立運動では柳寛順をはじめとして、運動の中心となったキリスト教徒を中心として、数多くの貴い犠牲者を出しました。
しかしその後、日本及び朝鮮総督府は武断統治を改め、文治的な統治へと方針転換したため、それ以降は抗日運動は全く見られなくなりました。
1945年8月15日、大日本帝国は第二次世界大戦における連合国に対する敗戦に伴って実効支配を喪失し、同年9月2日、ポツダム宣言の条項を誠実に履行することを約束した降伏文書に調印することによって、正式に大日本帝国による朝鮮半島の領有は終了しました。
1948年、米ソ両国が南北にそれぞれ自国の傀儡政権、南側では李承晩初代大統領率いる「大韓民国」、北側では金日成首相率いる「朝鮮民主主義人民共和国」(北朝鮮)が樹立宣言し、南北分断の時代が始まりました。
1950年6月25日、北朝鮮の朝鮮人民軍が北緯38度線を南侵することで朝鮮戦争が勃発。
1953年7月27日に板門店で休戦協定が調印され、軍事境界線(DMZ)が確定し、今日に至るまで南北分断の悲哀が続いています。
★み言に見る南北分断の原因「神様の摂理から見た南北統一」より
・南北が分かれたのは、解放直後にキリスト教と先生が一つになることができなかったからです。キリスト教と国家が先生に反対して一つになれなかったからなのです。この南北が分かれたのは何のためなのかといえば、地上のキリスト教と国が責任を果たすことができなかったからです。
・大韓民国が南北に分かれて38度線が生じたのは、解放以後、神様のみ旨を奉じることができなかったことに対する神様の怨恨の応報です。
・復帰歴史を中心として見るとき、既成教会が解放直後にみ旨を奉じて立ち上がったこの若者の後ろに従っていたなら、韓国はこのようにかわいそうなことにはならなかったのです。そうしていたなら38度線がふさがれなかったのです。そして、ソ連はとっくになくなったはずです。1951年4月、トルーマン大統領がマッカーサー将軍を解任してから、韓国は押され始めました。もしその時、マッカーサー将軍の言葉どおりにしていたならば、その年の9月に韓国は蘇満国境に行って戦ったはずです。そのようになれば、日本が受ける祝福を韓国が全部受けるのです。じっと座っていても生きられる国になるということです。ところが、紆余曲折の末に今のように複雑な世界になったのです。
1945年当時の摂理において、神が2000年かけて準備したキリスト教の基盤の上に文先生をお迎えできていたら、朝鮮半島の分断も無かったということです。
つまり洗礼ヨハネの使命を持って生まれた「イスラエル修道院」の金百文牧師、「腹中教」の許孝彬女史、そして「主なる神の夫人」朴ウルリョンハルモニらが使命を果たしていたら、朝鮮半島の分断はなかったということです。
そして当時神の選民として準備された韓民族とキリスト教が責任を果たしていたら、やはり朝鮮半島の分断という悲劇はなかったということなのです。
2000年前イエスを迎えたにもかかわらず、イエスを十字架に追いやり、『その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい』と叫んだユダヤ人は西暦70年、圧倒的なローマ軍の前に敗北し、エルサレムは陥落し、ユダヤ人は国を失い2000年間世界中を彷徨いました。
それと同じように1945年当時の摂理に失敗した韓民族は南北に分断され、未だに祖国統一を実現できずに、分断の悲哀を味わっているのです。
神が2000年の歴史を通し準備されたキリスト教の基盤。そのキリスト教の基盤の上に神は何人かの洗礼ヨハネ使命者を立てて、1920年1月6日に朝鮮半島の地に文鮮明先生をお迎えしました。
神がキリスト教を中心として準備された基盤とは、具体的には韓半島の東側の元山を中心として、男性たちの神霊役事が展開し、その中心人物たちが白南柱牧師であり、李龍道牧師であり、そして金百文牧師につながりました。
同時に西側の鉄山では婦人たちが神霊役事を行い、女性を中心とした摂理として、金聖道女史、許孝彬女史、そして朴ウルリョンハルモニにつながりました。
しかしこれら中心人物たちの中でも洗礼ヨハネ的な使命を持ち、文先生と直接に関わったのが「イスラエル修道院」の金百文牧師、「腹中教」の許孝彬女史、そしてキチガイ女と言われた「主なる神の夫人」朴ウルリョンハルモニでした。
よってここでは、洗礼ヨハネの使命を持って文先生と直接関りを持ったこれら3人の人物たちについてみていくことにします。
1、金百文牧師と「イエス教イスラエル修道院」
・李龍道牧師を中心として三代を継いで続いた人が金百文牧師。この集団は洗礼ヨハネ格の集団。
・彼は天から「一つの修道院をもて」というみ言を聞き、そして「再臨主を迎えることができる勢力を準備しろ」という啓示を受けました。
・金牧師と文先生はカインとアベル、洗礼ヨハネとイエス様のような立場にあったのです。
・金牧師は神霊の面では、当時の既成教会の、最高の信仰基準にありました。
・当時、金牧師は李承晩博士と近い立場にあったので、彼を洗礼ヨハネの立場に立ててみ旨を成すことができたのに、そのようにできませんでした。
・金牧師は、先生に対して「ソロモン王のような使命を受けた方だ」と祝福をしましたが、彼はその真の意味が分かりませんでした。
・金牧師の集団が先生と一つになっていたならば、先生はその集団と既成教会の牧師を連結させ、そののちに政府を連結させなければなりませんでした。
・三人の女性たちが先生を証しし、その後彼らは先生と一つになるべきであったのですが、先生に従わなかったので、先生は北韓に行かなければならなかったのです。
・先生は彼に18枚の手紙を書きましたが、彼はそれをみな破いてしまったのです。その後先生は責任をみな果たした立場で、平壌へ出発しました。
●金百文牧師不信の結果
・韓国キリスト教を中心としたみ旨の基盤がサタン側に帰してしまったがゆえに、それを取り戻すために、サタンの巣窟である北側に行ったのです。
2、「腹中教」許孝彬女史
・許孝彬女史:「腹中教」教主、マリヤ的使命。金聖道女史に精誠を尽くして侍った夫人。
・聖主教団の使命を引き継ぐ。許孝彬女史の娘が主を迎えるように準備された。
・主の新婦だと言って、腹中を通して主が生まれるという。
・先生は1946年8月11日、北韓の共産党により、宗教と称して詐欺をしたという罪名で、大同保安署に投獄されました。
・許孝彬女史の集団が摘発され、その神霊集団の許女史ゆえに、先生が引っ張られて入ったのです。
・南側から来たから、李承晩の手先と疑われたのです。
○文先生は許孝彬女史に3度にわたり勧告
①腹中教に人を送り「先生の集団が何であるか、祈祷して調べなさい」と伝える。
⇒ 許女史は大きな兆候を期待し、一人の若い男などには期待もしなかった。
・1946年6月、許女史は共産党により社会秩序を乱したという罪名で大同保安署に連行され投獄。
8月11日、許女史ゆえに、文先生も拘束。
②全体に責任をもっていた黄元信氏、次に許女史の夫と監獄で会い、許女史に「早く出るように言いなさい」と勧告。
⇒ 信徒たちは勧告を聞こうとせず、夫は「自分は妻に従うつもりだ」と言う。
③9月18日、文先生自身が一通の手紙を送る「私が誰であるか祈ってみなさい。」「すべてを否定してここから出なさい。」
⇒ 許女史はその手紙を読んでから破こうとしたが、共産党の監視員に見つかり、文先生は拷問を受ける。
●許孝彬女史不信の結末
・許女史ゆえに文先生は拷問を受けましたが、無罪だということが判明し釈放されました。
その時先生は、血をあまりにたくさん流していたので、ほとんど死んでいました。
先生に従っていた人々は、先生が死んでいくと考えました。先生が再び生き返ったことは、一つの奇跡でした。
・1950年に韓国戦争が起きた時、許孝彬女史以下、すべての監獄にいた人々を、共産党たちが後退する時、連れていって全部虐殺してしまいました。
3、「主なる神の夫人」朴ウルリョンハルモニを中心とした摂理
○「主なる神の夫人」出現の意義
・韓国全土で神様が築いておいた全ての摂理の基盤を相続するため、男と女から祝福の相続を受けなければならなかった。そのため「私は神様の夫人である」という、神様が直接導ける婦人が出てこなければならなかった。その婦人を神様が直接導くために、神様を中心として連結される霊的世界が動き入っていくようになる。初めて地上に着陸できる基地を、「主なる神の夫人」だという婦人を通してつくるようになる。その婦人が復活したエバであると同時に、堕落直後のエバの身代わりの役事の二つの側の役事をしている朴老婆だった。
●最低の立場から段階的な証と祝福
・僕のように扱われるその位置で、精誠を込めれば、次々に復帰される。「神様が愛する僕が来た」、養子、庶子、息子の位置まで上がって「天の国の総理大臣である」「天国の全権を代表したイエス様の位である」「神様の対象実体である」と証し、その宣布する式が終わった次には、自主権をもって反対にひっくり返す。アダムの権限を蹂躙したのを、蕩減的条件を立てて復帰したので、アダムの位置に立つために完全に反対にする。
・文先生は、証をするその言葉を受け、即座に「敬礼しなさい」と言う。それが、復帰するための主管性転倒。
・それに対し「今まで先生に従い仕えたのに、僕に対するように容赦なく命令することができるのか」とひっくり返った。
●朴ウルリョンハルモニ不信の結果
・朴老婆は精神異常になり「文という人は天国の逆賊であり、世の中のすべてのものを盗んでいった」と言い、完全にサタンが発動し、おじいさん、息子、娘を連れて歩きながら、梶棒で文先生を殴り殺そうとし、そのおじいさんは棺に入れられないくらいに膨れるという恐ろしい死に方で死にました。
・エバは再創造できる原則があるため、朴氏ハルモニが先生に反対したので、代わりに他の人を立てるようになりました。
・家庭的な基準を立てられなかったことにより、先生は平壌で1948年2月22日に収監されて、2年8ヵ月の間獄中にいました。
それは洗礼ヨハネが使命を果たせず、イエス様が十字架の道を行かれたのと同じことでした。
・人類の僕の僕まで取り戻してこいという、それを取り戻すために、最低の場である監獄にまで行くのです。監獄から門を開けて出てくるのです。
⇒ 文先生は興南特別労務者収容所で2年8ヵ月の間強制労働。
文先生を迎えるために神が用意した神霊集団。その中心人物たち、金百文牧師、許孝彬女史、朴ウルリョンハルモニは、文先生に直接侍る機会があったにもかかわらず、文先生を受け入れることができずにその使命に失敗してしまいました。
これらはほんの些細な失敗にすぎませんでしたが、イエス降臨時の洗礼ヨハネと同じで、このようなほんの些細な失敗が、人類史上最も大きな罪となってしまったと言っても過言ではありません。
その結果、朝鮮半島は南北に分断され、今に至るまで韓民族は分断の悲哀を味わっているのです。
1945年当時の韓半島を中心とした摂理について、「神様の摂理から見た南北統一」に従ってまとめてみたいと思います。
・イスラエル民族の失敗は、「メシヤが来ればすぐさまローマ帝国を征服し、さらにはユダヤの国が世界を制覇してしまうだろう」と考えていたことにある。
・神様のみ旨は、イスラエル民族を祭物とし、メシヤ自体も人類の僕の立場に立って、人類のために生きるということだった。
・旧約時代を蕩減復帰する使命をもった男性と女性、信仰団体、新約時代を蕩減復帰した使命をもった男性と女性、信仰団体が現れて、摂理の一翼を担当する役事が展開されていた。
・1945年からの3年間に、キリスト教の最高幹部の数人が反対することにより、全国のキリスト教が反対し得る道が生じた。
・キリスト教を中心として、選民たる民族が先生と分かれることにより、国土が南北に分かれる動機となった。
・韓国がその責任を果たすことができなければ、み旨は他の国家を探して行く。歴史はある一地点にとどまるものではなく流れていく。
このように神が2000年の歴史を通じて準備した韓民族とキリスト教が摂理に失敗したため、韓半島は南北に分断され、み旨は他の国家へと流れていくということが書かれています。つまりこの時点において、韓民族とキリスト教は、摂理に失敗してしまったということが明らかにされています。
それは何故かというと、「イスラエル民族の失敗は、『メシヤが来ればすぐさまローマ帝国を征服し、さらにはユダヤの国が世界を制覇してしまうだろう』と考えていたことにある。」とあるように、神は選民、韓民族の為に働かれ、韓民族を中心とした世界が築かれると勝手に思い込んでいたことにありました。
しかし、「神様のみ旨は、イスラエル民族を祭物とし、メシヤ自体も人類の僕の立場に立って、人類のために生きるということだった。」とあるように、選民とは祭物となる民族であり、僕であるメシヤと共に僕となって、人類の為に生きるべき民族だということを知らなかったため、韓民族も僕となって世界の為に祭物となることができず、摂理に失敗してしまいました。
これまで文先生の路程を見て何度も確認したように、文先生を中心とした摂理が失敗したとき、常に文先生自らが責任を取られ、地獄の底に降りて行き、誰よりも悲惨な苦難の道を歩みながら、復帰の摂理を歩んでこられました。
しかし文先生以上に苦難の道、蕩減の道を歩まなければいけないのは、摂理に失敗した当事者である第三イスラエル選民、韓民族であり、摂理的中心人物たちであるということは当然の話です。
しかしながら彼ら韓民族は、文先生に何度も摂理の失敗を指摘されながらも、自らは摂理に失敗した罪深き民族であるということを自覚せず、自分たちはあくまでも選民であるとして、自分に都合が良い事実だけを頑なに信じています。
それは自分たちに対する自尊心を高めると同時に、結果として韓民族以外の人たちを見下すようになりました。
特に日本人に対しては「お前たちは罪深きサタン側エバ国家だった」として、日本統治時代の恨みを晴らすかのごとくに、日本人に対し自虐史観を植え付け、終わることなき献金の無間地獄へと追いやっています。罪深き日本人からはいくら搾り取っても当然のこと、選民である韓民族に尽くすのは当たり前という感覚は、李氏朝鮮時代の両班と奴婢の関係に酷似しています。両班は奴婢を人とは思わず、奴婢の財産を搾り取るのは当たり前のこと、奴婢の命は両班に属するものという思考をもっており、その思考が歴史的に連綿と受け繋がれていると感じざるを得ません。(参考 イザベラ・バードの『朝鮮紀行』)
そこで実際、神によって2000年かけて選民として立てられた韓民族を中心として、1945年当時、実際はどのような摂理が進められていたのか?そしてその摂理に対して韓国人はどのように貢献したのか?または貢献できなかったのかについて、今一度まとめてみてみたいと思います。
★中心人物たちの不信
1、韓国政界とキリスト教指導者の不信
・大韓民国において、自由党を編成した五人の中の一人が先生でした。
・先生はその時、25、6歳の若者でしたが、この国の高位層の人々と手を結んで出発しようとしました。
その時の国防長官であった申性模を中心として、最高の基準で出発し、世界的な舞台に行こうとしたことが外れました。
李承晩博士とその一派の3人から12人だけでも結束していたならば、必ず民主世界の主導国家であるアメリカが、この国に連結されて動くことができました。
・最高の立場で出発することが神様から許された位置でしたが、二名の牧師ゆえに、すべてふさがれてしまいました。最高の牧師から切られてしまうことにより、最下位の道から復帰しなければならなくなりました。
・先生と因縁を結んで、先頭に立って仕事をした人が既成教会の有名な牧師でしたが、将来権力を握ろうという考えをもったために、先生を裏切りました。
2、氏族の責任、文潤國牧師
・先生の三番目のおじいさんに、政治的な風土があれば良かったが、純真なキリスト教の牧師でした。
・李承晩博士が国を立てた時、先生の三番目のおじいさんを必要とし、当時いた旌善にヘリコプターで三度も迎えに来ました。
・三番目のおじいさんは、「私は政治はしないよ。信仰する人が政治をすることは……」こう言い、李博士と一つになれませんでした。
・先生が理論を中心として従祖父を説得しさえすれば、李博士一族と環境与件、キリスト教幹部のすべてのことを消化するのは問題なかったでしょう。
3、第一のお母様、崔先吉夫人
・大韓民国と既成教会が一つとなって、聖進のお母さんを前に立てて反対しました。自分の母親と組んで「主が人として来るというのは、偽キリストだ」と言ったのです。洗礼ヨハネが天から教えてくれることが信じられなくて、イエス様に従えなかったことと同じようになりました。
4、崔氏一家、韓国の第一人者崔聖模
・聖進の母親の名前は崔先吉です。叔父が崔聖模。韓国が貧しい国家の復興期であった当時において、崔聖模は韓国の第一人者であったというのです。
・崔聖模さえ一つになっていれば、統一教会は迫害を受けることもなく、世界的な宗教になったはずです。梨花女子大事件も起こりはしないし、延世大事件も起こらなかったのです。
・1955年の事件を誰が起こしたかというと、崔聖模が起こしたのです。崔氏が先生を監獄に投げ込んだのです。内務部長官と手を組んで、統一教会をなくしてしまおうとしたのです。その息子の名前が崔淳永。今でも反対しています。
・結局、崔氏のせいで監獄に入ったのです。彼らが告発してそうなってしまったのです。崔氏が問題なのです。
5、梨花女子大、延世大事件 キリスト教と李承晩政府の失敗
・李政権と完全に一つとなれば、キリスト教を中心として国が決定されるのです。そのようになっていたなら、韓国を中心として今日、真の父母の理想は堅固に出発していたはずでした。
・梨花女子大と延世大の二世を立てて、李博士を中心とする家庭圏まで連結させることによって、国家基準まで自然に一つになれるのです。ところが、これに既成教会が反対したのです。
・金活蘭と朴マリヤが主導となって、景武台(大統領官邸)に行って偽りの証言をし、五つの部署の長官を動かして、統一教会をなくしてしまい、完全に埋葬してしまおうとしまいました。
・朴マリヤを中心として、金活蘭が大統領夫人のフランチェスカを中心として、後ろで米国の宣教師たちによって操られていたのです。
そこで宣教師を抑えつけなければならなかったのです。当時、学長級の教授らが五名復帰されていたので、完全に宣教師たちを圧倒することができたのです。
・そうすれば昔のユダヤ教の世界的版図と同じその基盤において、米国とキリスト教が一つとなって統一教会と完全に一つとなることができたのです。金活蘭と完全に一つにならなければなりませんでした。。
・金活蘭が宣教師を完全に屈服させ、李博士と一つとなっていたならば、今ごろは完全に統一教会の天国になっていたのです。環境がすべてそのようになっていました。
・その時でも遅くはなかったのです。1955年度までに最初の摂理から10年がたっていましたが、遅くはなかったというのです。
・ところがその時、退学事件が起きたことにより、先生は監獄に行くことになり、神の摂理に一大問題が生じました。イエス様の時代にユダヤ教が反対したのと同じようになったのです。これによって先生は、荒野に追い出されたのです。4000年の間、天が準備したすべてのことを失ってしまいました。
・1955年の時の梨花女子大学事件は、挙国的であったというのです。国家と既成教会が一つになって、李承晩主権下の五大長官が、統一教会をなくすために総動員されたのです。文教部と、文公部(その時は公報部)、それから内務部、法務部、外務部の五大長官が一つとなって、権力で文総裁を捕まえようとしたのです。その五大長官が、「文総裁を除去しろ」という指示を受けたことは知っています。
・1955年7月4日に監獄に入っていったのです。彼らは一つになって「文鮮明を捕まえて殺せ」と言ったのです。その時「共産党だ、何だ」と言いながら、この世の悪いことをすべて先生に負わせたのです。
・イエス様が十字架にかかっていったのと同じように、最後にサタンに引かれていく出来事まで起こりました。7・4事件がその代表的な例です。
・その時に、ばかにされ冷遇されたことは、先生は今でも忘れられません。彼らがしたことが先生の骨髄にしみ込んで、いまだに忘れられないのです。先生一人が苦痛を受け迫害を受けることはかまわないのですが、神様が数千年間準備した国と民主世界のすべての基台が崩壊してしまったというのです。
6、金九による暗殺指令
「1946年5月27日のお父様が急にお米を買いに行ったその帰り道に啓示を受けて、急に北に行ったということは、蒋介石の手先の金九の一味が、お父様の命に狙いをつけていたということです。」(救国への奇跡-大東亜戦争の陰で-国時先生米国講演より)
このように文先生の路程のクライマックスともいえる部分を分析的にみてみると、6000年の歳月をかけ、神が用意した全ての基盤は、選民として立てられた韓国人によるものであり、その全ての摂理はことごとく失敗に終わったことがわかります。
2000年前、神の選民として立てられたユダヤ民族、そして洗礼ヨハネ等中心人物たちは、摂理に成功していたら最高の栄光が約束されていましたが、摂理に失敗したため、その栄光の位置は奪われ、今日に至るまで悲惨な路程を歩むことになりました。
イエスの路程を教訓として考えると、金百文牧師をはじめとした洗礼ヨハネ使命者たちは、その使命にことごとく失敗し、洗礼ヨハネと同じ「女の産んだ者の中で、ヨハネより大きい人物はいない。しかし、神の国で最も小さい者も、彼よりは大きい。」と評されるような人物となってしまいました。
また韓国の既成教会、その指導者たち、さらには選民として選ばれた韓国人たちも、イエス当時の律法学者やパリサイ人たちと同じように、「イエスを十字架に付けよ」と叫び訴えたように、文先生を告発し、監獄へと追いやり、2度、3度と命を落としてもおかしくないところまで追いつめました。
洗礼ヨハネの悲惨な最期、ユダヤ民族の悲惨な2000年の歴史を見てみたとき、再臨主を迎えるために神が用意した基盤が、その使命を果たさなかった時、彼らにどのような未来が待っているのか?
文先生の路程を見ても、洗礼ヨハネ的人物であった許孝彬集団は、1950年に韓国動乱が起きた時、共産党たちが後退する時に許孝彬をはじめとしてすべての監獄にいた人々を虐殺してしまいました。
朴ウルリョンハルモニは精神異常になり、おじいさんに梶棒で文先生を殴り殺させようとしました。おじいさんは杖を持って出てこようとしたところで倒れて、全身が青くなって、腹が張り裂けて棺に入れられないくらいに膨れて死にました。
北韓で反対した牧師たちは、共産党がすべて殺していなくなりました。
梨花女子大で中心的に迫害を加えた朴マリヤと李起鵬家庭の朴マリヤと李起鵬は、次男の李康旭とともに長男の李康石の手によって射殺され、長男もまた自決するという悲惨な末路を迎えました。
洗礼ヨハネの最期を彷彿させるように、洗礼ヨハネ使命者たちは、悲惨な最期を遂げている人物が多いと感じざるを得ません。
そう考えると、神が立てた選民である韓国、韓民族たちも、イエスを十字架に付けよと叫んだユダヤ人達と同じような未来が待っていないといいのですが、果たしてどうなるのでしょうか?
ユダヤ人達は、自分たちの中に救世主が来ると信じていました。そして現れたイエスを救世主とは認めず、未だに自分たちの中に救世主が現れると信じています。
ユダヤ人達は、イエスを十字架に付けたことを悔い改めることもなく、選民である自分たちの中に、いつか必ず救世主が来ると未だに信じているのです。
しかしイエスが十字架につくことにより、第二イスラエルであるキリスト教徒に摂理は移りました。
キリスト教徒とは、イエスに従ったペテロをはじめとした12弟子たちが、イエスが十字架に付いたとき、自分たちはイエスを知らないと言って裏切ってしまったという悔い改めの心と、ペンテコステにより精霊の力を得て、イエスのみ言を述べ伝えようというところから始まりました。
文先生と共に摂理を担ってきた統一教会の韓国人たちは、どちらの心情を持っているでしょうか?
「文先生の勝利圏を相続した自分たちこそが選民であり、神に愛された民族である。将来韓民族がこそが世界の中心民族になるのであり、日本人をはじめとした他民族は、韓民族に侍るべき民族である。」
または、「神が6000年の歴史をかけ用意してきたすべての韓民族の基盤は失敗し、文先生が一人僕の僕から全ての基盤を蕩減復帰し勝利されたのであり、韓民族は悔い改めて、父母の心情僕の体をもって世界の人々に侍らなければいけない。」
どちらの心情をもって今の時を生きるかによって、韓民族ばかりか、神の摂理も、人類の未来も決まってしまう、そんな重要な時を私たちは生きているんだということを自覚し、正しい道を選ばれることを期待したいと思います。
再臨主を中心とする復帰摂理
文鮮明先生の生涯を改めて整理すると、そこに見えてきたのはイエス路程との相似性でした。
イエスは洗礼ヨハネの不信により第一次路程を失敗し、自らが中心人物として立たれ出発した第二次路程も、神が立てられたユダヤ民族の不信により失敗しましたが、十字架につくことにより最後に霊的な勝利をなされました。
それと同じように、文先生も神が準備された洗礼ヨハネ使命者たちの不信により第一次路程は失敗に終わり、その蕩減を果たすべく苦難の路程を歩みながら自らが中心人物として立ち、メシヤとしての数々の勝利圏を確立しました。
しかし最終的には韓お母様と幹部たちの裏切りにより、文先生を中心とした復帰摂理は完成することはありませんでした。
家庭連合では全て成されたとして、全ての摂理は勝利し、今韓お母様にその摂理は受け継がれているかのごとくに説明していますが、原理的に見ると、旧統一教会が分裂した事実一つをとってみても統一教会は摂理に失敗し、サタンの侵入を許してしまったことが証明できます。
イエスは第二次路程に失敗しましたが、最終的には十字架につくことによって、肉体はサタンに奪われても霊的には勝利し、復活することにより、霊的世界的カナン復帰路程を勝利しました。
本来選民として立てられたユダヤ人を中心として摂理されていたものが、ユダヤ人が失敗したため、霊的に復活したイエスを信じるキリスト教徒を中心として、霊的世界的カナン復帰路程を勝利することができました。
同じように文先生も韓お母様の裏切りと、統一教会の利権を狙う幹部たちの裏切りにより、文先生の勝利圏自体がサタンに奪われてしまい、2013年1月13日(旧)基元節においてなされるべき核となる最も重要な儀式、第三次「真の父母様聖婚式」は行われず、「天地人真の父母様天一国即位式」および「天一国基元節入籍祝福式」のみが行われました。
それでは文先生における十字架とは何であり、イエスにおける復活摂理は文先生の路程においてはどの部分を指すのでしょうか?また選民ユダヤ人の失敗によってキリスト教徒に摂理が移行したように、韓国人、統一教会の失敗により、摂理はどこに移行したのでしょうか?
まずは再臨主を中心とする復帰摂理についてまとめてみたいと思います。
(一)第一次路程
(1) 信仰基台
・1945年当時の洗礼ヨハネ使命者たちが金百文牧師、許孝彬女史、朴ウルリョンハルモニらであった。
・金聖道女史を許孝彬女史が継いで、その娘が主を迎えるように準備された。
李龍道牧師「新イエス教会」と統一せよという天からの教えがあった。
男女の使命者が一つとなって国家を動かさなければいけなかった。
・金百文牧師は神霊の面では、当時の既成教会の最高の信仰基準にあり、李承晩博士と近い立場にあった。
・朴ウルリョンハルモニを通して、神様を中心とした霊的世界が動き入り、地上に着陸できる基地をつくれた。
・梨花女子大は副総長朴マリヤが、李承晩大統領夫人と連結され、政府と完全に一つとなれた。
西洋の宣教師を抑えて、金活蘭と白南柱が一つとなって、統一教会を迎えていたら、李承晩を通し、一気にキリスト教文化圏であるアメリカに渡っていけた。
(2) 実体基台
1945年当時、韓国キリスト教会も金百文牧師、許孝彬女史らを信じ、従ったならば、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立て、「実体基台」を復帰することにより、「メシヤのための基台」を復帰することができた。
(3) 第一次路程の失敗
・金百文は文先生に対して「ソロモン王のような使命を受けた方だ」と祝福をしたが、その真の意味が分からず不信した。
・許孝彬女史は、一つの大きな兆候を期待し、文先生の勧告を聞かなかった。
・朴ウルリョンハルモニは主管性転倒を受け入れられず、サタンが発動した。
・朴マリヤと李起鵬を中心として、李承晩大統領、フランチェスカ夫人、金活蘭が国を滅ぼす元祖となった。
(二)第二次路程
(1) 信仰基台
①文先生が洗礼ヨハネ使命者たちの使命を代理する
・金百文牧師と許孝彬女史の不信により、サタンの巣窟である北側に行く。
・許孝彬女史ゆえに文先生も逮捕され、平壌の大同保安署で拷問。
・朴ウルリョンハルモニの不信により、その後興南監獄で2年8ヵ月の間強制労働。
・朴マリヤ、李起鵬、金活蘭の不信により、天が準備したすべてのことを失い西大門刑務所へ。
② 40年荒野路程と三大祝福復帰
★40年荒野路程(1945~1985年)
1945年当時、民主世界が再臨のメシヤに侍ったならば、7年以内に自動的に神様の世界になっていた。
それが一つになれず、サタンの先頭に立って神の摂理の中心者に対して総攻撃した。
その結果真のお父様 は、1945年から1985年まで40年荒野路程を歩むことになった。
★第一祝福復帰(1985~1992年)
真のお父様、メシヤとして個人の勝利圏確立。
・1985年 8月20日:ダンベリー連邦刑務所出監。「神と自由のバンケット」全米から2000名の牧師と聖職者参加。
・1990年 4月11日:ゴルバチョフ大統領と会談。
・1991年12月 6日:金日成主席と単独会談。
・1991年12月25日:ソ連崩壊。
・1992年 7月 3日:『メシヤ宣言』
★第ニ祝福復帰(1993~1999年)
お母様を中心とした摂理。家庭的勝利圏確立。
・1992年5月10日:『世界女性時代』宣布 ⇒ お母様の時代へ。
・1998年7月19日:文顯進様が「世界平和統一家庭連合」世界副会長に就任。
・1999年3月21日:サタン完全(自然)屈服の日(ルーシェルの謝罪)
・1999年9月9、10日(九・九節と三・十節):『天地父母天宙統一解放圏』宣布。神様の最高の家庭理想を地上に展開⇒神様が天地の主人に。
★第三祝福復帰(2000~2006年)
神様をお迎えし、天一国の出発。天正宮奉献。天宙平和の王・真の父母様戴冠。
・2001年 1月13日:『神様王権即位式』⇒ 天一国の出発。歴史上初めて神様が王の位置に立たれた。
・2004年 5月 5日:『双合十勝日』⇒ 先天時代の終了、後天時代の幕開け。
・2006年 6月13日:天正宮博物館奉献式および天宙平和の王・真の父母様戴冠式。
③40年荒野路程と三大祝福を復帰し、サタンを分立した結果
真のお父様は、洗礼ヨハネの立場で「信仰基台」を造成し、神の三大祝福を成就して、四位基台を蕩減復帰することができる条件を立てられた。
(2) 実体基台
真のお父様自身がみ言と実践をもって「出発のための摂理」をされた。
カインの立場である韓お母様と統一食口が、アベルの立場である真のお父様を信じ、仕え従ったならば、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てて「実体基台」を復帰するようになるので「メシヤのための基台」を造成することができた。
(3) 第二次路程の失敗
韓お母様は取り巻きの幹部たちにより、真のお父様を裏切るように誘惑され、真のお父様との3度目の聖婚式がサタンに奪われた。
その結果2013年1月13日の基元節は、神様の家庭が出発できず、偽基元節となった。
(三)第三次路程
(1) 二代王文亨進様を中心とする復帰路程
① 信仰基台
当時世界会長であった文亨進様は、真のお父様に「お父様のそばにいなさい」と指示され、世界会長としての多忙なスケジュールを全て白紙に戻し、聖和されるまでの2年間、真のお父様と行動を共にし、真のお父様と心情一体となり、「信仰基台」を勝利された。
② 実体基台
2012年1月18日頃、真のお父様不在時、韓お母様は金孝南訓母様主礼の元、神様(悪霊、天の父母様)と結婚式を挙行。
翌1月19日の訓読会時、真のお父様は韓お母様を烈火のごとく怒れら、テーブルの前に呼ばれ、4人の幹部とともに絶対服従を誓わせる特別な役事を行われた。
韓お母様の不信仰と不従順によって真の家庭に侵入したサタンを分立し、再び創造本然の真の家庭を完成させるため、2012年6月5日、真の家庭で初めて文國進様と文亨進様との間において、アベルカイン一体化の宣布をなされた。
③ メシヤのための基台
「実体基台」を勝利した文亨進様と文國進様は偽基元節以降、文信俊様を誘拐するように連れ出し、アメリカの片田舎で2家庭だけでサンクチュアリ教会をスタート。王宮から何も持たずに逃げ出したため、オバマ・ケアを受けるほどだった。
2015年1月18日に文亨進様が説教「沈黙を破って」を発表された。
4月21日、真のお父様の真の後継者文亨進様を信じる、世界中に散らばっていた食口たちが集まり、「真のお父様の権威の下に戻るための聖婚祝福」に参加。2016年2月13日の祝福式までに、約3000組が祝福式に参加した。
2015年8月30日には真のお父様の聖和3周年を迎え、国進様ご夫妻が文亨進二代王戴冠式を執り行うことにより真の基元節が確定勝利した。
④カナン復帰
アメリカ、ペンシルバニア州ニューファンドランドにて、文亨進様と文國進様のアベルカイン勝利の基台の上に立つサンクチュアリ教会が出発。
三代王文信俊様をいただき、二代王文亨進様を中心として、実体的カナン復帰の路程を出発。
既に(1)イエス降臨時と再臨時、(2)文鮮明先生の摂理路程において、再臨摂理を失敗した人物たちについて詳細に見てきました。よってここでは簡単にまとめてみたいと思います。
1、1945年当時の神の摂理
・サタン世界においては、女一人で国家を中心として戦ってはならず、必ず男と二人で一つとなって共同作戦で、一つの基盤を成さなければいけませんでした。
・韓半島の東側の元山を中心として男性たちの神霊役事、白南柱牧師、李龍道牧師、そして金百文牧師につながりました。
・西側の鉄山では婦人たちが神霊役事、金聖道女史、許孝彬女史、そして朴ウルリョンハルモニにつながりました。
★白南柱牧師は金聖道女史、「聖主教」と完全に一つになるべきであったのに、分かれてしまいました。
⇒牧師たちの告発によって、金聖道女史は投獄され、100日以上の獄中生活の末、釈放後に1944年4月1日、62歳で病死しました。
★二つの教会、許孝彬女史の「腹中教」と李龍道牧師の「新イエス教会」を統一せよという、天からの教えがありました。
西側集団「腹中教」が東側集団「新イエス教会」の所に行ったのですが、東側集団は受け入れませんでした。
⇒二つの集団の統一を成すことに失敗。神の摂理、霊的な運動も金百文氏に移り、許孝彬女史も文先生を受け入れませんでした。
・李龍道牧師は1933年にイエス様の年齢と同じ33歳で死亡。
・1950年に韓国戦争が起きた時、許孝彬女史以下すべての監獄にいた人々を、共産党たちが後退する時、連れていって全部虐殺してしまいました。
①金百文牧師と「イエス教イスラエル修道院」
・金牧師と文先生はカインとアベル、洗礼ヨハネとイエス様のような立場にありました。
・金牧師は、先生に対して「ソロモン王のような使命を受けた方だ」と祝福をしましたが、彼はその真の意味が分かりませんでした。
・先生は彼に18枚の手紙を書きましたが、彼はそれをみな破いてしまい、先生は責任をみな果たした立場で、平壌へ出発しました。
★金百文牧師不信の結果
・韓国キリスト教を中心としたみ旨の基盤がサタン側に帰してしまったがゆえに、それを取り戻すために、サタンの巣窟である北側に行ったのです。
②「腹中教」許孝彬女史
☆文先生は許孝彬女史に3度にわたり勧告
1.腹中教に人を送り「先生の集団が何であるか、祈祷して調べなさい」と伝える。
⇒ 許女史は大きな兆候を期待し、一人の若い男などには期待もしなかった。
・1946年6月、許女史は共産党により社会秩序を乱したという罪名で大同保安署に連行され投獄。8月11日、許女史ゆえに文先生も拘束。
2.全体に責任をもっていた黄元信氏、次に許女史の夫と監獄で会い、許女史に「早く出るように言いなさい」と勧告。
⇒ 信徒たちは勧告を聞こうとせず、夫は「自分は妻に従うつもりだ」と言う。
3.9月18日、文先生自身が一通の手紙を送る「私が誰であるか祈ってみなさい。」「すべてを否定してここから出なさい。」
⇒ 許女史はその手紙を読んでから破こうとしたが、共産党の監視員に見つかり、文先生は拷問を受ける。
★許孝彬女史不信の結末
・許女史ゆえに受けた拷問により、釈放された時血をあまりにたくさん流しほとんど死んでいました。先生が再び生き返ったことは一つの奇跡でした。
・1950年に韓国戦争が起きた時、許孝彬女史以下すべての監獄にいた信者を、共産党たちが全部虐殺してしまいました。
③「主なる神の夫人」朴ウルリョンハルモニを中心とした摂理
☆最低の立場から段階的な証と祝福
・僕のような立場から「神様が愛する僕が来た」、養子、庶子、息子の位置まで上がって「天の国の総理大臣である」「天国の全権を代表したイエス様の位である」「神様の対象実体である」と証される。
・文先生は、証をするその言葉を受け、復帰するための主管性転倒を行い即座に「敬礼しなさい」と言う。
・それに対し「今まで先生に従い仕えたのに、僕に対するように容赦なく命令することができるのか」とひっくり返った。
★朴ウルリョンハルモニ不信の結果
・朴老婆は精神異常になり完全にサタンが発動し、梶棒で文先生を殴り殺そうとする。殴り殺そうとした朴老婆のおじいさんは棺に入れられないくらいに膨れるという恐ろしい死に方で死にました。
・家庭的な基準を立てられなかったことにより、先生は平壌で1948年2月22日に収監されて、2年8ヵ月の間獄中にいました。
それは洗礼ヨハネが使命を果たせず、イエス様が十字架の道を行かれたのと同じことでした。
⇒ 文先生は興南特別労務者収容所で2年8ヵ月の間強制労働。
①韓国政界とキリスト教指導者の不信
・大韓民国において、自由党を編成した五人の中の一人が先生でした。国防長官申性模を中心として、最高の基準で出発し、世界的な舞台に行こうとしましたが、二名の牧師ゆえにすべてふさがれてしまいました。
・先生と因縁を結んで、先頭に立って仕事をした人が既成教会の有名な牧師でしたが、将来権力を握ろうという考えをもったために、先生を裏切りました。
②氏族の責任、文潤國牧師
・李承晩博士が国を立てた時、先生の三番目のおじいさんを必要とし、当時いた旌善にヘリコプターで三度も迎えに来ましたが、「私は政治はしないよ。」と言い、李博士と一つになれませんでした。
・先生が理論を中心として従祖父を説得しさえすれば、李博士一族と環境与件、キリスト教幹部のすべてのことを消化するのは問題なかったでしょう。
③金九による暗殺指令
「1946年5月27日、お父様が急にお米を買いに行ったその帰り道に啓示を受けて、急に北に行ったということは、蒋介石の手先の金九の一味が、お父様の命に狙いをつけていたということです。」(救国への奇跡-大東亜戦争の陰で-国時先生米国講演より)
①梨花女子大、延世大事件。
・1955年度までに最初の摂理から10年がたっていましたが、遅くはなかったのです。
・梨花女子大と延世大の二世を立てて、金活蘭と完全に一つになり、李政権と完全に一つとなれば、キリスト教を中心として国が決定されるのです。米国とキリスト教が一つとなって、統一教会と完全に一つとなることができ、韓国を中心として今日、真の父母の理想は堅固に出発していたはずでした。環境がすべてそのようになっていました。
・ところがその時、退学事件が起きたことにより、イエス様の時代にユダヤ教が反対したのと同じようになったのです。
・金活蘭と朴マリヤが主導し、景武台(大統領官邸)に行って偽りの証言をし、文教部、文公部、内務部、法務部、外務部の五つの部署の長官を総動員し、国家と既成教会が一つになって、挙国的に統一教会を完全に埋葬してしまおうとしまいました。後ろで米国の宣教師たちによって操られていたのです。権力で文総裁を捕まえようとしたのです。
・彼らは一つになって「文鮮明を捕まえて殺せ」と言ったのです。その時「共産党だ、何だ」と言いながら、この世の悪いことをすべて先生に負わせたのです。
★梨花女子大、延世大事件の結果
・1955年7月4日、異端的信仰を理由にソウル中部警察署に拘束、西大門刑務所に収監。
・イエス様が十字架にかかっていったのと同じように、最後にサタンに引かれていく出来事まで起こりました。
先生一人が苦痛を受け迫害を受けることはかまわないのですが、神様が数千年間準備した国と民主世界のすべての基台が崩壊してしまったのです。4000年の間、天が準備したすべてのことを失ってしまいました。
・10月4日に無罪放免となりました。
②第一のお母様、崔先吉夫人
・大韓民国と既成教会が一つとなって、聖進のお母さんを前に立てて反対しました。自分の母親と組んで「主が人として来るというのは、偽キリストだ」と言ったのです。洗礼ヨハネが天から教えてくれることが信じられなくて、イエス様に従えなかったことと同じようになりました。
③崔氏一家、韓国の第一人者崔聖模
・聖進の母親の叔父が崔聖模。韓国が貧しい国家の復興期であった当時、崔聖模は韓国の第一人者でした。
・1955年の事件を誰が起こしたかというと、崔聖模が起こしたのです。崔氏が先生を監獄に投げ込んだのです。内務部長官と手を組んで、統一教会をなくしてしまおうとしたのです。
2000年かけて神が準備された真のお父様を迎えるための基盤は、1945年当時であれば金百文牧師、許孝彬女史、朴ウルリョンハルモニら洗礼ヨハネ使命者たちの失敗により、文先生は再臨主としてキリスト教会に受け入れられることなく、逆に迫害を受けることになったということがわかりました。
そして文先生を北韓の地で、2度にわたり死の寸前まで追い込んだのもキリスト教徒達であり、韓民族であったということがわかりました。
さらには1955年ごろ、最後に残された一縷の望みであった梨花女子大学、延世大学を中心とした摂理においても、その中心人物であった朴マリヤ、李起鵬、金活蘭らが統一教会に反対し、李承晩政権を動かし、国家的な迫害を加えることにより、文先生は西大門刑務所に収監され、最後の望みも絶たれることとなりました。
全ては2000年かけて神が準備されたキリスト教、選民としての韓民族の失敗であり、中心人物たちの不信の結果でした。
これらは2000年前のイエス当時の選民であったユダヤ人たちの失敗であり、洗礼ヨハネの失敗と全く同じ失敗を繰り返してしまっていたのです。
しかし2000年前と違っていたのは、文先生は十字架について死ぬことなく、何度も死の淵にまで追い込まれながらも死を克服し、生きてみ旨を遂行し、数々の勝利圏を打ち立てることにより、み旨の勝利者となられたことです。
しかしこの勝利は、あくまでも文先生の勝利であって、キリスト教や、韓民族の勝利ではありません。
真のお父様の本音が語られていると感じさせられる証しを、777の大先輩である師観さんのブログより抜粋し紹介したいと思います。
師観のブログ 久保木会長から聞いた話(日本が韓国に代わって代理蕩減している)より
基元節の為に同じ宿泊所で宿泊した777双の者達の中には久保木会長のそばでみ旨に従事していた者がいましてあまり知られていないみ言を語ってくれました。
本来ならば韓国はメシヤを受け入れなかった時点でイスラエルのように選民ではないと言うのです。
それでも尚、選民の位置を保っていられるのは、アダム国家の失敗をエバ国家である日本に韓国に代わって代理蕩減してもらっているからだという。
これは久保木会長がじきじきにアボジから会長としてしなければならない使命として言われた事だと言う。韓国のすべての失敗をエバである日本に蕩減させるのでどうか韓国を選民からはずさないように神に懇願したと言う。
そう言うことならアダム国家を救う為に人肌脱いでも良いかという気持ちになりますが、そのことも知らずに当然の顔をして、韓国を併合した贖罪と思い込み威張ってごり押しをするとどうでしょう。
それが30年以上も続くと堪忍袋の尾が切れる人も出てくるでしょう。人に自分の借金を払ってもらっているのに、その人に感謝もせず、当然の顔をされると気持ちの良いものではないでしょう。
この間、777双と1800双を教会に招いて慰労会をお母様の計らいで開催していただきましたが、一人の古参の食口が10年間も教会に来なかった理由を語ってくれました。
それは自分のアベルである韓国のリーダーがその人の知り合いに、「お前も統一教会に入らないか。ここでは日本人を顎で使えるよ」と言った言葉に切れてしまったという。
これは彼の自己紹介の時に話したので、前宋会長も地区長も教区長も教会長も聞くハメになったのです。
統一教会に入ると日本はサタン側のエバ国だった。それを真のお父様の愛によって許され、愛され、祝福までも受けることが許された。だから日本は誰よりも犠牲の道を歩み、天に人材と万物を捧げなければいけないと徹底的に教育されてきました。その結果家屋敷を売り払い、ヤコブの知恵と言いながら親族から借金し、さらにはカードを使い自己破産に追い込まれ、そのようにしてまでも食口は今でも終わることなき献金路程を突き進んでいます。
その結果生活保護を受ける祝福家庭も多く、社会的にも公安に目を付けられる程に教会は社会的信用を失いました。
しかしそれでも摂理に貢献し、神のみ旨を成就できるのでしたら食口もまだ本望だと思います。
今の家庭連合は、摂理と言いながら実際は組織の維持が第一目標となっています。
天のみ旨は何も行っていません。組織維持のための伝道であり、大会にすぎません。
食口の精誠は教会維持と、韓国人幹部たちの懐を潤すことに使われるばかりです。
しかし日本人食口による献金が無ければ、組織の維持はできなくなり、そこにたかる韓国人幹部たちも、自分たちの両班のごとき豊かな生活が失われてしまうので、決して真実を語ることはできません。
韓国は摂理に失敗した罪深い民族であり、日本人が罪深いなどと今まで言ってきたことは、摂理的に見たときにはほんの些細なことであるなどとは口が裂けても言うことはできません。
本来選民というのは、神のみ旨を担うために、メシヤと共に最も犠牲の道を歩むべく神が用意された民です。
2000年前ユダヤ人は、メシヤは自分たちを解放し、ユダヤ人中心の地上天国、天上天国を作ってくれるお方だと信じ、イエスを不信し、十字架につけてしまいました。
今日の統一教会においても、韓民族が選民ならば、韓国人食口たちは最も犠牲の道を行き、僕の僕として徹底的に仕える道を歩むべきでした。
しかし韓国人幹部たちは、自分たちを両班のごとくに錯覚し、まるで奴婢でも扱うように日本人食口たちを扱い、終わることなき献金路程を強いています。
真のお父様は何故このような状況を黙認していたのでしょうか?
久保木会長の側近の方の証しにあるように「本来ならば韓国はメシヤを受け入れなかった時点でイスラエルのように選民ではない」と真のお父様は語られているということです。
同時に「神様のみ旨は、イスラエル民族を祭物とし、メシヤ自体も人類の僕の立場に立って、人類のために生きるということ」とみ言にあるように、選民は祭物とならなければいけないと語られています。
1945年当時の摂理に失敗し、さらには梨花女子大学事件で失敗して以降、祭物としての路程を歩んできたのは誰でしょうか?日本人食口ではなかったでしょうか?今日に至るまで日本人食口が最も犠牲の道を歩んできたということに異議を唱える者はいないと思います。
何故日本人食口は、何も言わずにただただ犠牲の道を歩むことができたのでしょうか?
それは日本人食口が、韓国人食口と同じように自分たちは神に選ばれた民だなどと思わないように、常に罪深い民族だと教えられ、最も犠牲の道を行くように徹底的に教育されてきたからではないでしょうか?
もちろん日本人が選民だなどというみ言はありません。エバ国になったとだけ教わっています。
それだけでもこの上ない栄光の位置です。
しかしひょっとしたらもっと意外な事実があるのかもしれません。
真の御父母様の生涯路程の中に次のような一節があります。
「私は種子がちょっと違います。大韓民国の種子とちょっと違うと思うのです。私はそのように考えます。私の先祖がちょっと違うのです。ちょっと残念でしょう。」(真の御父母様の生涯路程 1 第一章 真のお父様の誕生と内的準備 第一節 真のお父様の誕生とその背景(一九二〇・陰一・六) 二 南平文氏の家門の伝統と家庭環境 天が準備した長孫(直系の子女)の血統 より)
このみ言は何を意味するのでしょうか?
真のお父様の種子は大韓民国の種子ではない、先祖がちょっと違うということは、真のお父様の本当のお父様は韓国人ではなかったということを意味するのではないでしょうか?
真のお父様の種子が植えられたのは、たぶん1919年の2月25日(陰暦)頃と計算されます。
そのころお父様のお母様(忠母様)の近くにいた外国人男性というのは何人だったのでしょうか?
当時は日本統治下の朝鮮でしたから、忠母様の身近にいた外国人は、日本人だった可能性が高いのではないでしょうか?
真のお父様の容姿から見て、間違っても西洋人ではありません。
マリアが啓示を受けイエスを懐胎したときの様子を聖書を基に見てみます。
ヨハネによる福音書
1:28御使がマリヤのところにきて言った、「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。
1:30すると御使が言った、「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。 1:31見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。 1:32彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、 1:33彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」。 1:34そこでマリヤは御使に言った、「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」。 1:35御使が答えて言った、「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。
忠母様にもこのような啓示が臨み、その啓示に従って日本人牧師の所に行き、真のお父様を宿すというようなことはありえないことでしょうか?
忠母様は、真のお父様を特別な存在と自覚していたのかしていなかったのかはわかりませんが、お父様に対して特別執着していたように感じます。
真のお父様が日本留学から帰られるとき、関釜連絡船崑崙丸が沈没したと思い、田舎から定州の中心街まで足の裏に太い棘が刺さったことにも気づかずに、裸足のまま8キロの距離を走り、確かな情報を求めました。
その後釜山まで駆け付けお父様を探したという話は有名です。
13人の子供を産み、一人一人に同じように愛情をかけたのかもしれませんが、真のお父様に対しては特別な思いがあったようにも感じられます。
イエス様の血統転換の秘密は、イエスの死後2000年を経て真のお父様によって解かれましたが、真のお父様の血統についても、解明されるまで2000年の歳月を必要とされるのかもしれません。
しかし真のお父様の父親が日本人で、それゆえにお父様は韓国人が犯した失敗を日本人には犯させないために日本の罪を強調され、日本人にサタンが入らないように常に僕の僕となるように指導されていた可能性もあるのではないでしょうか?
こんなことは単なる妄想にすぎませんが、このように考えると犠牲の道を行く日本人であることにも希望を感じられるかもしれません。それどころかメシヤが地上で活動されていたちょうどそのとき、メシヤと共に祭物として、僕の僕の道を歩むことができたということは、最も大きな功労を天に積むことができた、最も恵み多き立場であったということを意味します。
人生の最後の瞬間まで、自分の欲望を優先しサタンに奪われることなく、常に神のみ旨を中心とし、祭物として、僕の僕の道を喜んで歩んでいく者こそが、神の御座で、神と真の御父母様と永遠に栄光ある座につくことが許される者となるのではないでしょうか。
私たち日本人は統一教会に入教すると、日本はサタン国家だったんだと言われ、どこの国よりも罪深いと自虐史観を教育され、その蕩減として神の摂理に貢献するために万物に対してはほとんどすべて責任を持たなければいけないと指導されてきました。しかし前編『サタン国家日本、罪の呪縛からの解放』を見ると、日本は言われるほど罪深くはなかったこと、それどころか日本による朝鮮統治があったからこそ、真のお父様を朝鮮半島にお迎えすることができたのだろうということを明らかにしました。
この辺の事実の復習として、最後にもう一度前編を整理してみたいと思います。
日韓関係の歴史的事実を考察すると、真のお父様を迎えるべくして用意された朝鮮半島では李氏朝鮮末期、為政者は民を顧みず政権闘争に明け暮れ、国を司る官僚や両班は自分たちの私利私欲にばかり走り、国を良くしようなどという者はほんの一握りの人しかいませんでした。そんな国の民は疲弊し、向上心を持つことも忘れ、朝鮮は500年間衰退する一方であったばかりか、キリスト教を迫害し、将来メシヤを迎えようにも迎えることなど到底難しい環境下にありました。(①朝鮮王朝末期の韓国)
そんな中、朝鮮半島に進出した日本は、日清戦争の勝利により、清の冊封体制から朝鮮を独立させ、開国を果たし、その結果キリスト教のリバイバルが起こり、朝鮮半島にメシヤを迎えるキリスト教の基盤が築かれました。(④朝鮮王朝末期の混乱とキリスト教伝播)
また日露戦争の勝利によりロシアの南下を阻止し、朝鮮半島が共産化されるのを防ぎ、将来メシヤが朝鮮半島に誕生してもサタンの攻撃を受けない基盤も作られました。(⑤もし日本が韓国を統治しなかったら…ロシアによる統治)
さらには約40年間にわたる朝鮮併合により、日本政府は現在の価値で63兆円の税金、民間まで入れると80兆円をはるかに超える資金を投入し、朝鮮の近代化に寄与し、身分制度の撤廃、教育改革、衛生指導や集団予防接種、医療制度の整備、農地開発、農業技術指導等により、民衆の生活は劇的に向上し、たった40年にも満たない統治期間で、人口は併合時の約2倍となり、平均寿命も同様に併合時の約2倍にまで伸びました。(③日本の朝鮮統治)
日本による韓民族に対する迫害は、全くなかったとは言いませんが、最も大きな迫害であった三・一独立運動時の犠牲者だけをみると725~934人が死亡という状況でした。
一方、朝鮮動乱による犠牲者は、韓国軍は約20万人、アメリカ軍は約14万人、国連軍全体では36万人の死傷者を出したといわれ、民間人の犠牲者の数は100万人とも200万人とも言われております。また中国軍は約40万人、北朝鮮軍も29万人の犠牲者を出したといわれています。
また大韓民国初代大統領李承晩は、保導連盟事件では少なくとも10万人、多ければ140万人もの自国民を共産主義者として殺害し、その死体は見つけられないように遺棄し、その事実を歴史から抹消しようとしました。
済州島四・三事件では済州島民6万人が虐殺され、国民防衛軍事件では9万名余りの韓国軍兵士が餓死したとされます。
また朝鮮王朝末期のカトリック弾圧では、数百人から数万人ものカトリック教徒が処刑されました。(⑫日本の韓国統治40年まとめ)
これら朝鮮王朝末期から大韓民国成立直後までの期間に韓民族が経験した受難の中で、日本による朝鮮併合時の迫害は、その数字だけを見ると比較的小さな犠牲者と見ることができるのではないでしょうか?
逆にそれよりも、日本への併合によって数百年間停滞していた朝鮮の近代化が一気に進み、身分制度は撤廃され、一般人にまで平等な教育がもたらされ、各地に近代的建築物が建立されました。その結果人口は2倍に増え、寿命も2倍に延びたという事実は、日本は朝鮮の近代化に大きく貢献し、人々の生活水準を一気に高めたと評価されるべき内容と言えます。
つまり日本は罪深いどころか、真のお父様が朝鮮半島に誕生される土壌を醸成するとともに、お父様を迎えるべくして立てられた韓民族をも保護し、神のみ旨に貢献できる民族へと育成していったとみることができるのです。
残念ながら活字になって残っているものはないため、真偽は確認することはできないのですが、このような内容を裏付けるみ言も、お父様によって語られていたという証言もありました。
「桜田淳子さんらが祝福を受けた3万双があったその年だったろうか、777双の金氏が東南アジアの大陸の責任者という立場で、日本にやって来て、アボジの日韓併合の意義の解説を語ってくれた。
何やら、アボジが王の王として、君臨する為には李王朝が障害となるので、神は日本をして、李王朝を取り除いたと言うのである。
これは随分昔の話で、カビが生えている話しかと思っていたら、かって、若くしてUCの会長であったO氏も、アボジは日本が李王朝を排除しなければ自分は殺されていたと言ったという。それが日韓併合の最大の功績だとも言ってのけたという。
そして、これは彼がアボジから直接聞いた言葉であったという。残念ながら、み言葉として印刷されたものとしては残ってはいないようです。恐らく、これはオフレコ扱いになっているのでしょう。」
師観のブログ 日韓併合の意義(アボジは日本が李王朝を排除しなければ自分は殺されていたと言った) より
また、日本人の罪として語られるもう一つの事件が、真のお父様への最初の拷問です。
しかしこの逮捕は、メシヤとしての真のお父様を迫害し、拷問まで加えたのではなく、日本留学時代の同志であった、共産主義者の韓国人留学生による告発によって、独立運動家であった文鮮明青年を共産主義者として逮捕したものでした。
つまり日本の警察は国体護持のためではあったものの、当時脅威となっていた共産主義の拡大を阻止するためにお父様を逮捕したものであり、結果的に摂理的には神側の立場での逮捕といえます。(2、日本人による拷問の真の意味)
そのように分析すると日本によるお父様に対する逮捕、拷問も、その後の5度にわたる北朝鮮、韓国、アメリカにおける逮捕、拷問とは全く意味が異なり、メシヤに対するサタンの迫害の一環ではなかったことがわかります。
結果としてお父様を逮捕し拷問まで加えたということは、やはり罪が無いとは言えないでしょうが、神の摂理に沿った方向性を持った逮捕、拷問であったということも事実なのです。
次に全く違った観点から日本の罪について考えてみました。
つまり2000年前のイエスを中心とした摂理と、1945年当時の真のお父様を中心とした摂理との対比から、日本及び日本人の罪についての考察です。
日本の立場というのは、2000年前のローマ帝国に相当し、朝鮮を統治した朝鮮総督府は、ユダヤを統治したヘロデ王に相当し、ユダヤ地区は朝鮮半島に相当します。
当時ユダヤ属州やガリラヤ地方は、全てローマ帝国の支配下にありました。(③ユダヤ属州)
ヘロデ王はローマに従属することを約束し王位につくと、前政権ハスモン朝の血をひくものをすべて抹殺するなどユダヤ人を迫害しました。
また東方の三博士がユダヤの王が誕生したと語っているのを聞き、ベツレヘムとその附近の地方とにいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺しました。(①ヘロデ大王)
ローマは、ヘロデ朝を通じてユダヤを統治していたばかりか、西暦70年にはユダヤ戦争によりエルサレムを陥落し、ユダヤ人から国を奪いました。
またキリスト教がローマに入ってきたとき、皇帝ネロや皇帝ディオクレティアヌスなどは大々的にキリスト教を迫害し、多くのキリスト教徒に火あぶりや、ライオンに食わせるなどの処刑が行われました。(②ローマ帝国)
さらにユダヤ人たちが「イエスを殺せ、イエスを十字架に付けよ」と言いイエスを十字架に付けたとき、最後にイエスに槍を突き、とどめを刺したのもローマ兵でした。
このようにイエス降臨時、ユダヤを統治し、イエスに最後にとどめを刺し、またキリスト教徒を迫害したローマでしたが、ローマの罪深さを指摘し、讒訴する記述は聖書の中には見あたらず、キリスト教徒も特別言及したりはしません。
それどころかローマは世界で一番最初にキリスト教を国教化しました。
また栄耀栄華を極め、強大だったローマ帝国も395年には分裂し、476年には西ローマ帝国は滅亡しましたが、1453年にオスマン帝国軍によって滅ぼされるまで、長きにわたり東ローマ帝国の繁栄は続きました。
70年にローマによって滅ぼされたユダヤとは、対照的だと言わざるを得ません。ユダヤとローマ、どちらが神に祝福されたかと考えると、結論は明らかにローマであると言わざるを得ません。
またヘロデ王もユダヤ人を迫害したり、二歳以下の男の子をことごとく殺したりと、選民ユダヤ人にとっては恩讐ともいえる存在でしたが、だからと言って神の摂理を妨害した存在として、後世から断罪されることはありませんでした。
逆に第二神殿の改築(ヘロデ神殿)、カイサリアの港、マサダ要塞、ヘロディウムなどの大建築によって、歴史に名を残すユダヤの王となりました。
これら1945年当時における日本や朝鮮総督府に相当するローマやヘロデ王らは、その後の歴史を見ると、イエスを中心とした摂理を妨害し、神の摂理を妨げた存在として、蕩減の道を歩むということはありませんでした。
逆に蕩減の道を歩んだのは、洗礼ヨハネであり、イスカリオテのユダであり、ユダヤ人たちでした。
このような観点で見た時、今後1945年当時の真のお父様の摂理を妨害し、真のお父様を十字架に付けた存在として、歴史的蕩減の道を歩まなければいけない民族というのは、日本人ではないだろうということが理解できたのではないでしょうか?
それどころかローマが何世紀もの間繁栄したように、お父様を朝鮮半島にお迎えするのに貢献し、摂理に対しても最も犠牲の道を行き、条件を積んでいった日本は、ローマのように何世紀もの間繁栄することもあり得るかもしれません。
復帰摂理が完成し、地上天国、天上天国が創建されるべく用意された地というのは本来どこであったのでしょうか?
原理講論61Pを見ると、「アダムとエバが完成された夫婦として一体となったその位置が、まさに、愛の主体であられる神と、美の対象である人間とが一体化して、創造目的を完成した善の中心となる位置なのである。ここにおいて、はじめて父母なる神は、子女として完成された人間に臨在されて、永遠に安息されるようになるのである。」
原理講論にある「アダムとエバが完成された夫婦として一体となったその位置」こそが地上天国、天上天国が創建されるべく神が用意された地であると考えると、アダム国家韓国とエバ国家日本が完成された夫婦として一体となったその地こそが、地上天国、天上天国が建設される地であると結論を出すことができます。
実際日本と韓国は、言語的にも、民族的にも、文化的にも、歴史的にも、地理的にも近い関係にあり、特に真のお父様のみ言に、「韓半島は男性性器を象徴し、日本列島は女性性器を象徴している」とあることから言っても、最初から神が地上天国、天上天国の基地として用意された地であるということに疑いの余地はありません。(②主の国韓国の相対は日本)
しかし現実にこの地上に天国を実現しようとしたとき、乗り越えなければいけない大きな課題として、地上に残されたすべての恩讐関係を清算するということがありました。そのため神は日本と韓国以外に国家間の恩讐を精算できる国はないとみて、日本をサタンの手に委ね、40年間韓国を統治し、迫害することで、歴史上最大の国家間の恩讐関係を作ったといいます。(③1988年太田会長の御言報告)
誰よりも韓国を愛した基準を打ち立てようと抗日運動をしていた真のお父様にとっても、日本はまさしく怨讐国家でした。
しかし真のお父様が恩讐である日本を真の愛で愛し、許し、さらには祝福までも与えたとき、日韓の恩讐関係は溶け、世界の国々が統一される道が開かれました。
つまり日本がサタン側のエバ国となり、主の国韓国を迫害したのも、全ては神のみ旨だったのです。
日韓が一体となった地に地上天国、天上天国を建設するために、必ず通過しなければいけない蕩減復帰の道でした。
日本は罪深きサタン国家だと言われ続け、その蕩減と称して終わることなき献金地獄へと追いやられてきましたが、神の摂理はそうではなかった。日本の罪と言われ続けてきたことは、言われるほどのものではなかった。卑屈になって何も言い返せず、ただ言われるままに献金をし続けるということは、本当に正しいことなのかどうかを今一度考えてほしいのです。
それどころか日本も神の国建設の為に、神が用意されていた国だったということですし、日本は今まで十二分に犠牲の道を歩みながら、天に多くの功労を積むことができたのではないでしょうか?
しかもひょっとしたら、真のお父様の種子は、日本人かもしれません!?
今まで教会から言われるままに捧げてきた献金は献金として、感謝で終わることができればそれで十分です。
しかし問題はこれからです。これからも今まで同様、終わることなき献金路程は、教会組織が続く限りいつまでも続くのは間違いありません。教会が日本からの献金に頼り切る体質である限り、献金路程が終わることはあり得ません。いつまでも名分を変えながら、今まで同様の献金路程は続くのです。ですからこれからも今まで同様、自分も家族もボロボロになりながら献金し続けていくのは正しいことなのかどうかを、ここでいったん立ち止まって考えてほしいということです。
今回『サタン国家日本、罪の呪縛からの解放』と題して一連の記事を書かせていただきましたが、これはあくまでも個人の分析、個人の意見でしかありません。
全く的外れな分析なのかもしれません。
今回の分析を裏付ける決定的なみ言は、残念ながら活字となって残ってはおらず、伝聞によるものしかありません。
しかしそれに近いみ言や歴史的資料は数多く存在します。
もちろん今回まとめ上げた『サタン国家日本、罪の呪縛からの解放』という内容は、絶対間違いはないとは言えません。しかし今まで罪深い罪深いと自虐史観を叩きこまれ、献金の無間地獄へと追いやられていた日本人に、今一度本当の歴史、本当の真のお父様のみ意、本当の神の摂理について考えるきっかけとなることができましたら幸いです。
李氏朝鮮時代の朝鮮王朝末期の様子を、イザベラ・バード『朝鮮紀行』で見ていきます。
★朝鮮の王族たち
・王妃の政治的な影響力がなみはずれてつよいことや、国王に対してもつよい影響力を行使していること、などなどは驚くまでもなかった。王妃は敵に囲まれていた。国王の父大院君を主とする敵対者たちはみな、政府要職のほぼすべてに自分の一族を就けてしまった王妃の才覚と権勢に苦々しい思いをつのらせている。
・王家内部は分裂し、国王は心やさしく温和である分性格が弱く、人の言いなりだった。
★官僚・両班
・日本の発展に興味を持つ者も少数はいたものの、多くの者は搾取や不正利得ができなくなるという私利私欲のために改革に反対していたとし、堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手したが、それは困難きわまりなかった。
・両班は公認の吸血鬼であり、ソウルには『盗む側』と『盗まれる側』の二つの身分しかない
・伝統上、両班に求められるのは究極の無能さ加減である。従者たちは近くの住民を脅して飼っている鶏や卵を奪い、金を払わない。
・朝鮮の重大な宿痾は、何千人もの五体満足な人間が自分たちより暮らし向きのいい親戚や友人にのうのうとたかっている、つまり「人の親切につけこんでいる」その体質にある。そうすることをなんら恥とはとらえず、それを非難する世論もない。ささやかながらもある程度の収入のある男は、多数いる自分の親族と妻の親族、自分の友人、自分の親族の友人を扶養しなければならない。それもあって人々はわれがちに官職に就こうとし、職位は商品として売買される。
★一般朝鮮人
・借金という重荷を背負っていない朝鮮人はまったくまれで、つまり彼らは絶対的に必要なもの以外の金銭や物資に貧窮している。
・彼らは働いても報酬が得られる保証のない制度のもとで暮らしているのであり、「稼いでいる」とうわさされた者、たとえそれが真鍮の食器で食事をとれる程度であっても、ゆとりを得たという評判が流れた者は、強欲な官吏とその配下に目をつけられたり、近くの両班から借金を申し込まれたりするのがおちなのである。
・非特権階級であり、年貢という重い負担をかけられているおびただしい数の民衆が、代価を払いもせずにその労働力を利用するばかりか、借金という名目の無慈悲な取り立てを行う両班から過酷な圧迫を受けているのは疑いない。商人なり農民なりがある程度の穴あき銭を貯めたという評判がたてば、両班か官吏が借金を求めにくる。これは実質的に徴税であり、もしも断ろうものなら、その男は偽の負債をでっちあげられて投獄され、本人または身内の者が要求額を支払うまで毎朝鞭で打たれる。
★イザベラ・バードの提言
・まとめとして、わたしはあえてつぎのように提言する。朝鮮の国民の環境は日本もしくはロシアの援助を得て漸進的に改善されるはずである。
(参考【前編】イザベラ・バード「朝鮮紀行」まとめ)
朝鮮王朝末期の様子を見ると、どこかの団体とそっくりだと思いませんか?
朝鮮王朝末期の様子はまさしく、統一教会の末期、今日の様子に酷似しているように思えてなりません。
王族たちは勢力争いに明け暮れ、国を司る官吏や両班は、搾取や不正利得による自分の利益を第一に考え改革に反対し、その他一般民衆は、みんな借金という重荷を背負っており、「稼いでいる」とうわさされると強欲な官吏とその配下に目をつけられ、近くの両班から借金を申し込まれ、一旦貸してしまったらそのお金は返ってくることはないのです。また働いても報酬が得られる保証もありません。
このような世界では、上からの改革を望んでも、実現されることはありません。
改革してしまったら、自分たちの既得権益も失われてしまいますから、改革などできるはずもありません。
イザベラ・バードも、内部からの改革に期待するのではなく、外部からの改革に期待しています。
今日の統一教会はどうだったでしょうか?
教会で内部改革が行われようとしたのは、文亨進様が世界会長に就任し、文國進様が財団トップとして経済に責任を持っていた時期でした。
しかし既得権益を守ろうとする「韓国のマフィアのような組織」の抵抗を受け、最終的には文亨進様、文國進様が教会を追い出される結果となりました。(⑤教会幹部たちの腐敗)
イザベラ・バードは朝鮮に対しては「日本もしくはロシアの援助を得て漸進的に改善されるはず」と外部からの改革に期待しましたが、今日の教会ではそのような期待は持てるはずがありません。
ではどうしたらいいか?
教会に依存する隷属的信仰を卒業し、せめて信仰的に自立するしか道はないのではないでしょうか?
信仰的自立つまり、アベルの言うことを言われるままに無批判的に全て受け入れるのではなく、信仰とは何か?アベルの言うことは正しいのか?今まで聞いてきた教えは本当に正しいのかどうかということを、自分の頭で考え、原理的に分析し、自分自身が自分の信仰に対し責任を持つことが重要なのではないでしょうか?
そうでもしない限り、隷属的信仰は一生続いていってしまいます。
また信仰的に自立した姿こそが家庭教会というものですし、自分が氏族のメシヤとなって、氏族を正しく導き、希望溢れる教会を作っていくための必要不可欠な信仰姿勢だと思います。
自分で考え、こうだと決めたら勇猛果敢に実践し、実績を残すことができたら天に捧げる、このような主体的信仰こそが今必要とされる信仰姿勢なのではないでしょうか?
全ての判断を教会に委ねる、アベルに委ねるというような隷属的信仰は、自分自身に対し自分は一切責任を持たないという信仰姿勢です。
隷属的信仰のまま人生を終わってしまったら霊界に旅立った時、アベルの言う通りの信仰生活をしたんだから、一生懸命に献金のノルマを果たしたんだから、当然天国に行けるもんだと思っていたら、行きついた先は生きていた時と全く同じような世界だった。喜びにあふれた光輝く世界に行けるもんだと思っていたら、常に食べるものにも、着るものにも、住むところにも不自由し、将来に不安を感じ、常に何らかのノルマに追いかけられ、心が休まることのない世界に行ってしまった。家族とも心が離れ、相対者、主体者とも会えず、親戚は何処を探しても見当たらない、孤独な世界に行ってしまった。周りを見渡すと自分と同じような食口たちが、自分と同じように焦燥した表情で佇み、お互いがお互いを慰め合っている。しかしそんな自分たちに対し教会の上の方からは常に献金のようなノルマが与えられ、自分たちから何らかのものを奪っていこうとする。
いったい何が間違っていたのだろうと振り返ったときに、結局教会に言われるままに生きた結果がこの様だ。教会が悪い、アベルが悪いと言って、教会やアベルを恨み憎み、そんな憎しみに凝り固まったまま永遠に霊界を彷徨う人生が待っているかもしれません。
しかし信仰的に自立した場合、教会の指示、アベルの指示は指示として、あとは自分自身が判断し、行動する。
その行動に対する結果も自分自身が招いた結果ですから、誰も恨むことはない、それだけでも心は穏やかになれるはずです。
日本が罪深いのか、逆に功労が高いのか、判断するのも自分自身。
その結果課せられた献金ノルマを果たすか果たさないか、それを判断するのも自分自身。
自分の良心に従い、神の願いは何処にあるのかを自分自身が考え判断し、自分は何をするべきなのかを考え行動する。
そんな自立的信仰、主体的信仰こそが本来神が願われる信仰姿勢なのではないでしょうか?
献金ノルマに振り回され、四六時中お金の工面だけに時間と労力を割かれてしまったら、本当に大切なことは何もできません。
日本における教会の問題は、献金ノルマを果たそうと無理した結果生まれたものばかりです。
霊感商法が社会問題となり、公安にまで目をつけられたのは、献金のノルマを果たすために、目先の実績にとらわれ、詐欺的手法を使うようになった結果です。
霊感商法等で悪いイメージができてしまったために、日本では教会の社会的信用も失ってしまいました。
真のお父様が入国できなかったのも、霊感商法の親玉として、日本国としては許可することができないのは当たり前です。
経済的問題によって日本の教会は多くのものを失ってしまいました。
今回ここで提起した問題は、まさしくこの日本に課せられた献金ノルマは、果たして本当に正当なものだったのかどうかという根本的な問題です。
日本は元々サタン側国家だった。選民韓国人を迫害し、真のお父様まで逮捕し拷問にかけた罪深い国、民族なんだ。
それゆえ神のみ旨のための万物に対しては日本が全面的に責任を持たなければいけないと教育されてきたその根本が、間違っていたのではないかということを、今回『サタン国家日本、罪の呪縛からの解放』で論証したのです。
あとはこの内容を信じるか信じないかは、読まれた方の判断に委ねられています。
前にも言いましたようにこの内容は、単なる一個人の意見にすぎません。
教会幹部でもなければ、牧会者でもない、権威ある人でないばかりか、教会にもあまり顔を出さないような単なる平信徒一人の意見にすぎません。
今まで教わってきた自虐史観とは真逆な内容ですので、正しいかどうかも判断が難しいでしょう。信用できるかどうかも分からない、取るに足らない人間の意見でしかありませんが、何かしら心に引っかかるものがありましたら、あとはご自身で研究し、分析し、自分なりの正解を導きだすきっかけにしていただきたいのです。
人生はあっという間です。
私たちの人生で与えられた時間は限られており、できることには限界があります。
そんな長くはない時間、何にどのように使うのかで、自分の一生が決まってしまうのです。
他人に振り回されたままの人生で終わってしまって本当に良いのでしょうか?
最後の瞬間に自分の人生に悔いはないと本心から思える、そのような人生を送りたいものです。
私たちが献金をする意義とは何でしょうか?
・罪の蕩減のため。
・摂理に貢献し、天に功労を積むため。
私たちが信仰をする目的は何でしょうか?
・人として、神の子としての人生の目的を知るため。
・真理探求のため。
・神の存在を知り、神の願いに生きるため。
人生の目的、神の願いとは何でしょうか?
・個性を完成し、家庭を完成し、万物主管をなし、神から与えられた三大祝福を完成すること。
・神の子として親なる神の願いに生きること。
⇒ 神との一体化、神と永遠なる世界で、永遠に親子として一緒にいること。
⇒ 神の子として産んでくださった親なる神に、永遠に喜びを返すこと、孝を返すこと。
思いつくままに献金の意義、信仰の目的について書いてみました。
もちろん異論がある方も多いかもしれません。
しかし今思いつく献金の意義、信仰の目的はこのようなものでした。
統一教会に入信し、信仰生活を送り、祝福を受け、家庭を持ち、天寿を全うする。
このようにして天寿を全うし霊界に行ったときに、果たして神の子として神の御側近くに侍り、永遠に神に喜びを返す存在となっているでしょうか?
私にはまったく自信がありません。
では何が足りないのかと考えた時、一番大きいのが真の愛を全然体恤できていないということです。
全然愛が足りていません。
もちろん献金も足りているとは思いませんが、いくら献金し、摂理に貢献できたとしても、真の愛を体恤するために努力していなければ、全く意味がありません。
あともう一つ足りないのが、摂理に貢献できていないということです。
教会に所属し信仰生活をしているとしても、摂理に貢献できているという実感が全くありません。
私たちは統一原理を知ることにより、人生の目的を知ることができました。
真理も知ることができました。
神の実在も知ることができました。
その神が私たちの父であり、堕落した私たち人間を見て、ずっと悲しまれている神であることも知りました。
それゆえ私たちは神の悲しみを解放するために、祝福を受け、原罪を脱ぎ捨て、神の家庭を完成しなければいけないことを知りました。そして祝福を受け、家庭を持ちました。
しかし完成していないのが個性の完成であり、真の愛の体恤です。
家庭も持ちましたが神の家庭とはなり得ていません。やはり真の愛が足りていないからです。
私たちの信仰生活で献金は何故必要なのでしょうか?
それは罪の蕩減のためであり、摂理に貢献するためです。
個人の罪の蕩減、家庭、民族、国家の罪の蕩減、そして遺伝罪、原罪。
こう考えるといくら献金しても、これで十分だということはやはりありません。
ですから最低限十分の一献金は生涯続けていく必要はあります。
あくまでも必要条件であり十分条件ではありません。
摂理献金も当然必要です。
神の悲しみを解放するためには、地上天国天上天国を完成するまでは、最低限摂理は続きますので、摂理成就に寄与するためにも摂理献金も続けていく必要はあります。
摂理献金とは、神の摂理に貢献している個人、団体にすべきでものでありますので、自分が摂理に貢献しているのであれば、自分の活動に献金してもらうこともありでしょう。
ある団体が摂理に貢献しているなと思えば、その団体に献金するもの有効な献金となるでしょう。
しかし摂理と称しながら、摂理を行っていない団体には献金しても意味はありません。
自分が献金している団体が本当に神の摂理を担っているかどうか、はっきりと見極めなければいけません。
統一教会は摂理に貢献できているか?
伝道し、み言を伝え、祝福を与え、祝福家庭を生み出しているという点では、摂理に貢献できているのかもしれません。
しかしこの地上に神を迎え、天国を建設するための活動は、ソ連の崩壊以来何かしている実感はありません。
もちろん真のお父様は個人で勝利すべき摂理はほとんどすべて勝利し、神をこの地上にお迎えすることはできたでしょう。
しかしお父様の勝利圏を私たちが相続できているとは思えません。
清平での先祖解怨、祝福。
確かに連帯罪、遺伝罪の清算のためには多少貢献しているかもしれません。
しかし罪を犯した本人の悔い改めが伴わなければ、清算できているとは言えないのではないでしょうか?
解怨、祝福を受けた霊人たちを、清平で40修をやって教育していると言いますが、確認はできません。
清平の成り立ち、金孝南訓母様の不正蓄財、先祖解怨210代の疑問、興進様と大母様の霊界からのメッセージ等を考えると、何も信じられません。
共産主義の全盛期は、勝共運動を通じ世界を守るために必死の戦いをしました。
しかしソ連の崩壊以降は、清平での先祖解怨と箱ものの建設、単発的な大会以外、神の摂理として何をしていたのかよくわかりません。
以前にもまして献金のノルマは熾烈を極めましたが、何にいくら使われたのかはよくわかりません。
今世界は、ソ連崩壊以来最大の危機的状況に追い込まれています。
アメリカに代わって世界の支配を目論む中国の脅威。北朝鮮の核開発、ミサイル実験。くすぶり続ける中東情勢。
ソ連崩壊以来共産主義の脅威は無くなったと思ったら、表には表れていなかっただけで、水面下で着実に、世界的規模でその基盤を固めてきていました。
韓国はもうほとんどレッドチーム入りしそうなほどに左傾化してしまいました。
中国の世界制覇の野望は留まることなく、東南アジア、アフリカ、オセアニア等、その影響力は拡大の一途をたどっています。
その一方チベットやウイグル地区では歴史に類を見ないほどの人権侵害が行われており、一説には百万人から数百万人もの人々を思想教育という名目で強制収容所に送り、身内とも連絡が取れなくなっていると言います。
中国の宗教、法輪功の弾圧、ウィグル人の弾圧は、そのまま臓器売買へと繋がり、中国では今臓器売買が一つの産業としてすでに確立しているとも言われています。
香港での長期化したデモは、そんな中国に香港も完全に取り込まれてしまうことへの恐怖から、香港市民が徹底抗戦しているのであり、香港は自由主義陣営のマスコミの監視下にあるため、中国がチベットやウィグル地区のように報道管制ができず、世界に情報が発信されている状態です。
日本の政治家は中国、北朝鮮の息のかかった議員が多く、中国共産党のこのような謀略を知ってか知らずか、習近平を国賓として日本に迎えようとしています。
日本でも世界でもマスコミ界は左傾化傾向が強く、このような内容はまともに報道されることもありません。
これ以外にも世界の危機が叫ばれ、世の中が大きく変わろうとしているこの時に統一教会は何をしているのでしょうか?
世界平和のため、地上天国建設のための活動は全く行っていないのではないでしょうか?
そんな教会への献金は功労になるのでしょうか?
よくわかりません。
実際社会貢献活動を実践しているNPO団体に寄付した方が、はるかに天に功労を積むことができるのではないでしょうか?
こう考えると教会から言われるままに教会や清平に献金しつづけるよりも、もっと有効なお金の使い道があるように思えてなりません。
何も社会貢献が必要とされているのは開発途上国ばかりではありません。
日本国内においても、解決されるべき社会的問題は無数に存在します。
母子家庭では、母親が生活費を稼ぐために2つ、3つと仕事を掛け持ち子供を見る時間が無くなり、子供は放置されてしまうネグレクト問題。その結果母子家庭は貧困に陥り、子供の学習機会が失われ進学できず、結果的に子供も貧困に陥ってしまう貧困の連鎖問題。
DVを受けて育った子供が大人となり、やはりDVという形でしか子供を愛せない親になる。
子供の世界だけで注目されていたいじめが、大人の社会でも問題になる。
セクハラ、パワハラ、モラハラ、マタハラ、○○ハラ、諸々のハラスメント問題。
少子高齢化に伴う高齢者の社会保障問題。
引きこもりの高齢化による5080問題。
高齢者による高齢者介護等々最近ニュースとなったものだけ挙げても、このような問題があります。
本気でこの世に地上天国天上天国を築こうとするなら、このような問題一つ一つに対しても真剣に取り組まなければいけません。
しかし現実的にこのような社会的問題に取り組んでいるのは、原理を知らない心ある一般市民たちです。
統一食口がサタンの手先と考えている共産主義者たちも積極的に取り組んでいます。
再臨摂理に失敗したキリスト教徒たちも昔から取り組み、多くの実績を作っています。
旧約レベルと見下している仏教徒たちもお寺を解放し、シェルターと称し、保護の必要としている人たちを積極的に保護している僧侶たちがいます。
神の摂理を担う中心宗教、統一教会では何をやっているのでしょうか?
昔教会本部に、ホームページに「社会貢献活動を一緒に行いませんか」という一文があったので、ぜひ一緒にやりたいので紹介してほしいと問い合わせをしたことがあります。
そしたらすぐには回答が無く、調べて連絡するとのことでした。
そして何日か経ってから、○○教会の青年部が、奉仕活動をやっているみたいなので、そちらに問い合わせをしてくださいとの回答が来ました。
統一教会も社会貢献活動をやってて良かった!とは思えませんでした。
やはり心ある一握りの食口以外、何もやっていないんだなと思いました。
果たしてこれでいいのでしょうか?
自分たちは神のみ旨を担っている中心宗教なんだと自負しながらも、この世の中を良くするための活動はほとんど何も行っていないのです。
世の中の社会的問題には一切関心がないのです。
教会に言われるままに摂理献金さえしていれば、自動的に社会的問題は解決されるとでも思っているのでしょうか?自動的にこの地上に天国が築かれると思っているのでしょうか?
実におめでたい人たちです。
この世の心ある人たちと一緒になって、社会的問題を解決するために、現場で心を込めて一生懸命に取り組んでいったとき、自然と真の愛を少しずつでも体恤できるようになるのではないでしょうか?
テレビを見ていると、私財を投げうって貧困国に飛び込み、その地で子供たちの面倒を見たり、学校を建てたり、水を引いて農地を作り、食料を作ってあげたり、仕事を作ってあげたり、きれいな飲み水がないために病気になりがちな人々に、きれいな水が飲めるように浄水設備を作ってあげたりしている日本人が何人も紹介されています。
彼らを見て感じるのは、本来ならば私たち統一食口が先頭に立ってやらなければいけない活動を、我々に変わってやってくれているんだということです。
同時に原理も知らない人々があれだけ自己犠牲の道を喜んで歩んで行っているのに、我々統一食口はいったい何をやってきたんだと悔い改めざるを得ません。
あのような人たちの周りには、貧しくても目をキラキラと輝かせた、笑顔の子供たちがおり、その子供たちは自分たちも一生懸命に勉強し、医者になって村の人たちを助けたい、教師になって子供たちに勉強を教えたい、技術者になって村を豊かにしたい、村を救ってくれた日本人のようになりたいなどと言って一生懸命に生きています。
そしてそのような子供たちが大きくなって、実際に医者になったり、教師になったり、技術者になったり、村に来た日本人の助手になったりして、自然と人の為に生きる人生を歩んでいます。
そのような生き方をしている日本人と、その周りの人たちの住む世界は、今はまだ貧しくても、既に心は天国になっていることを感じます。
私たちは最終的に真の愛を完成しない限り、個性の完成も無ければ家庭の完成もないですし、万物の主菅主にもなれません。
天国は神によって与えられるのではなく、真のお父様によって与えられるものではなく、私たちが真の愛を完成することによって初めて作られるものです。
真の愛を完成した私の周りに、その愛に満たされた人々が自然と集まり、自然と笑顔の輪が広がっていくのです。
統一教会で苦楽を共にし、共に活動した仲間であったとしても、家庭連合だ、家庭平和教会だ、サンクチュアリ教会だと言って、自分の正当性のみを主張し、お互い攻撃し合い、争っているようでは、決して天国を創ることなどできません。
私が攻撃すれば、必ず相手も攻撃してきます。こうして戦争は始まるのです。
たとえ主義主張が違っていても、一緒になって社会的問題の解決の為に誠心誠意真心を尽くしていったなら、自然とお互い心が通じ合い、天国のような人間関係を創ることができるのではないでしょうか?
それもかつては同じ釜の飯を食った仲間同士、いがみ合うなんて何と愚かなことでしょうか?
私たちに与えられた時間は長いようで残り短いのです。
争っている時間などありません。
真の愛の体恤のため、真の愛を実践する競争をする方が、よほど充実した人生を歩むことができるし、神を喜ばせることができるのではないでしょうか?
人間は死んだら自分の心が丸裸になり、何を思っているのか、何を考えているのかが直接相手に伝わっていく、そんな世界が霊界だと言います。
エマヌエル・スウェーデンボルグは霊界の実相を詳しく明かしましたが、その中にはこのような内容もありました。
ですから心の中では恨みや、憎しみを抱いていたり、また怒ったりしていても、地上で生きている時は表面的には笑顔をたたえてごまかせても、霊界ではその思いが相手に直接伝わってしまうので、自分の思いをごまかすことはできないということです。
多くの人と接すると、どんなことに対してもプラスにとらえ、前向きであったり、積極的であったり、肯定的な発想の人と、どんなことに対してもネガティブにとらえ、攻撃的であったり、批判的であったり、否定的にとらえる人がいます。
どんなこともプラスにとらえ、前向きで肯定的な人とは一緒に居たい、一緒にいるだけで心が癒され心地よいと、誰もが感じるのではないでしょうか?
一方いつも物事をネガティブにとらえ、否定的であり批判的であり、攻撃的な人とは一緒にいても心が休まることはありません。誰も一緒に居たいとは思いませんし、関わりを持つことさえも避けてしまいます。その結果ネガティブな人は誰からも受け入れられなくなって孤独になり、さらにネガティブになり、ネガティブの無限ループに陥ってしまいがちです。
例えば贈り物をもらっても、自分の兄弟と比較をし、自分の方が小さいとか、自分の方が安いとか、自分が欲しいものと違ったとか言って、贈り物をもらったことに感謝もしないどころか、かえって不平を言い、恨みに思う人がいます。
またこの贈り物を包んだ紙が安っぽい、絵柄が気に食わない、包装の仕方が下手だなど、思いもしなかったことにまでケチをつけられ、贈り物を贈ったことでかえって気分を害し、後悔させられることもあるでしょう。
このように、何に対してもネガティブに思う人は、どんなに愛されたとしても、どんなに大切にされたとしてもその愛を愛として感じる感性が欠如し、常に心に不平不満を抱え、どんな些細なことに対しても恨みを抱き、周りの人たちを傷つけてしまうようになります。
それが高じると犯罪にまで発展する可能性もありますので、犯罪者に共通する性質の一つにもなってしまいます。
なぜそのようなことになってしまうのかと考えると、一つには相手に対して一方的に大きな期待をし、その期待をかなえてくれなかった分だけ不満を抱き不平を言ってしまうのではないでしょうか?
誕生日だから贈り物がもらえる。去年は1万円のものだったから今年は2万円以上のものがもらえるはずだ。兄弟は2万円くらいだったから自分は3万円くらいかもしれない。今年は最新のゲーム機だったらいいな。こんな風に自分で勝手に期待を膨らましていたら、実際にもらえたのが1万5千円くらいの中古ゲーム機だったということで感謝するどころか不平不満を抱く。挙句の果てに中古だったから箱もへこんでいるじゃないか、包装も変な紙だなどと言って怒り出すなんてことはよくあることだと思います。
親としては去年よりも高額な好きなゲーム機を買ってあげて、きっと喜んでくれるだろうと思っていたら文句を言われ、怒り出す始末。給料も上がらず、家計も苦しいのに無理して買ってあげたのに、これだったら何も買わない方が良かったと思われても仕方ありません。
このように相手に対して一方的に高い期待をすると、本来ならばありがたいことにも感謝できず、逆に恨んで怒り出してしまうという結果にも結び付いてしまいがちです。
逆に相手に対して何も期待しなければ、自分は人から何もいただける価値も内容もない人間だと思っていれば、それがどんなに些細なものであったとしてもいただけるだけで感謝となるはずです。
もしそんなネガティブな発想な人が死んで、霊界に行ったとき、その人の周りの世界はどのような世界になってしまうでしょうか?
霊界ではその人の心が丸裸になり、思っていること、感じていることが直接相手に伝わってしまいます。
どんな相手に対しても、否定的で、批判的で、攻撃的な心を抱いていたら、その心が相手の心に直接伝わるのです。
自分に対し否定的で、批判的で、攻撃的な人とは近づきたくない、一緒に居たくないと思うのが自然な成り行きです。
その結果ネガティブな人の周りには人は近づかなくなり、孤独になり、さらにネガティブな心が強くなり、まさしく一つの地獄を作ってしまうのではないでしょうか?
つまり地獄というのは神によって突き落とされる世界ではなく、閻魔大王によって命じられて行く世界でもないのです。
自分自身が作り出す世界なのです。
同様に天国も自分自身が作り出す世界です。
かつてマザーテレサが修道女たちと交流する姿がテレビで紹介されていました。
修道女たちは自分の持ち物は白い服サリー2枚と石鹸とバケツだったか、それくらいしか自分の持ち物はなくても、貧しい生活の中でも嬉々として生活し、マザーが現れると目をキラキラさせながらマザーの話に聞き入っていました。マザーと修道女たちが交流する姿は、まさしく天国のようであり、貧しくても喜びに満ち溢れた、光り輝く世界でした。
真のお父様が我々食口たちと交流するときもまさしく天国のようでした。
お父様はいつまでも私たちを愛し、み言を続けられ、私たちも一言でも聞き逃すまいと一生懸命に聞き耳を立てながら、一緒に過ごすその時を一生記憶にとどめようと集中し、楽しんでいました。
そのような特別な時間と日常とはまた話は違いますが、真の愛をもって一緒の時を過ごしたら、その瞬間瞬間がまさしく天国のような瞬間になります。
現実的には辛く、しんどい仕事の時間であったとしても、真の愛をもってその仕事に取り組んでいたのなら、後々充実した楽しい思い出となって記憶に残ることでしょう。
全ては私の心が作り出すものであり、天国も地獄も私の心が投影された世界なのです。
教会で言われるままに献金のノルマを勝利するため、妻や夫を放り出し、子供を置き去りにして金策に走っていたとしても、ノルマを勝利したら自然と愛は養われるものでしょうか?
多くの食口たちから聞こえてくる声は、夫婦関係が希薄になり、親子関係も悪くなり、家庭がバラバラになってしまったという声です。
もちろん全員が全員そうだと言うわけではありませんが、そのような家庭が多くなっているということも事実です。
教会の活動に積極的で一生懸命な人ほど、家庭が蔑ろになり、ボロボロになる傾向にあります。
逆にいつも献金ノルマに勝利できているおかげで、夫婦関係は円満になり、子供たちも立派に成長し、家庭はまさしく天国のような家庭になったという話ももちろんありますが、それはほんの一部で、全体としてはなかなか聞こえてきません。
つまり私たちが生きている時に何をしなければいけないかというと、献金献金と献金のノルマの達成の為に走り回ることではなく、真の愛を体恤することに力点を置かなければいけないのではないでしょうか?
真の愛を体恤できたとき、私の周りの世界は自然と天国になるのです。
私たちは罪深き日本人として、経済に対して全面的に責任を持たなければいけないと言い続けられましたが、日本は言われるほど罪深い国ではなかった、それどころか真のお父様を迎えるために大きな功労を積んだ国だということをこれまでに『サタン国家日本、罪の呪縛からの解放』で証明しました。
だからこれ以上献金をする必要はないんだということではありません。
今までのように献金のノルマに振り回され、もっと大切なことを蔑ろにするのは間違っているのではないかということが言いたいのです。
私たちの信仰の目的は一言でいえば、神の子として親なる神に喜びを返すことです。
そのために個人としては三大祝福を完成し、全体としては地上天国天上天国を完成することこそ、私たちの人生の目的であるはずです。
教会の言うがままの信仰で、その目的が成就するのならそれで問題はありません。
しかし今の現状を見た時、どうしてもそのようには見えないのです。
食口の心の中に真の愛が完成され、天国が完成されているようには見えないのです。
ならば今こそ日本人食口も信仰的に自立し、自らの道を見つけ出し、残された時間を本当に大切なことの為に捧げた方がいいのではないかと思うのです。
霊界は今生きている地上界とは全く違った別の世界ではないのです。
私たちの心がそのまま反映されて作り出す世界なのです。
人を見て愛せない、誰も愛せない人の周りには誰も近寄ろうとはしません。
人を批判し、攻撃ばかりしている人とは関わりたくありません。しかし同じように人を批判し攻撃ばかりしている同じような心を持った人たちは集まってくるでしょう。
恨みや憎しみに凝り固まった人と一緒に居たら、こちらの心まで凍りついてしまいます。しかし同じように人を恨み、憎しみに凝り固まった類は友を呼び、いわゆる悪霊となって集団を作り、それが地獄と呼ばれる世界になるのでしょう。
一方、人が好きで、人と一緒にいるのが大好きでたまらない。どんな人とでも仲良くできる、そんな人と一緒に居たら、こちらまで嬉しくなり、いつまでも一緒に居たいと感じるはずです。
どんなこともプラスにとらえ、辛いこと、悲しいこと、苦しいことがあっても笑顔を絶やさず、常に前向きに取り組んでいる人とは、どんなことでも一緒に取り組みたいと思うはずです。
私の心が天国なら、私の周りの人たちの心も天国になり、そこにまたより多くの人たちが集まってくるようになるのです。
そのような世界に入っていったなら、醜い心は洗い流され、自分の良い面がどんどん出てきやすくなるのです。
こうして作られるのが本当の天国なのではないでしょうか?
天国も地獄も、結局は自分の心が作り出す世界です。
心は地上で肉身を持っている時にしか育むことはできません。
簡単に言えば、人間は神の愛を受けることで、霊人体から肉身に生霊要素が流れ込みます。
次に肉身に流れ込んできた生霊要素を受けて、神の愛を肉身を使って実践することによって、肉身から霊人体に生力要素が流れ込むようになります。
こうした霊人体と肉身による、生力要素と生霊要素の授受作用によって霊人体は成長します。
この際、神の愛を受けて実践すれば善なる生力要素が霊人体に流れ込み、霊人体も善化成長します。
しかし悪霊(サタン)の思いのままに実践すれば、悪なる生力要素が霊人体に流れ込み、霊人体も悪化成長します。
つまり霊人体の成長は、肉身を持っている時にしか行われないのであり、その際善化成長させるか、悪化成長させるかは、肉身を持っている時の私たちの心次第なのです。
日本人は献金摂理に責任を持たなければいけないという呪縛から既に解放されました。
文亨進様は宣言されています。
「皆さんの責任は全て終わりました。
日本の食口の皆さんは勝利者たちです。
今からは皆さんの家庭をいたわってください。
今からは解放釈放時代。
アボジと一緒に実体で生きてください。
皆さんは解放されました、それを忘れないでください。」
(文亨進様説教「聖霊の甲冑」2015年4月22日) より
もちろんこれはサンクチュアリ教会の食口の前で語られた文亨進様のみ言ですので、家庭連合、家庭平和協会の食口の方たちは受け入れられないかもしれません。
しかし真のお父様の後継者、二代王という立場で語られたみ言であると考えれば、サンクチュアリ教会の食口だけに語られているみ言ではなく、統一食口全員に対して語られているみ言なのです。
『サタン国家日本、罪の呪縛からの解放』で解説した内容も、受け入れるも受け入れないもそれは読まれた方の自由です。
文亨進様の宣言も、受け入れるも受け入れないも自由です。
しかし地上にいれる時間には限りがあります。
その限りある時間の中で、今私たちは何を実践し、何を成長させなければいけないのか?そのことを考えた時、教会に言われるままに献金の奴隷のままでいいのか?もっとやるべきことがあるのではないだろうかと問いかけたくなるのです。
日本には解決しなければいけない社会的問題が山ほどあります。
今の世界は中国共産党の脅威や、北朝鮮、韓国問題をはじめとして、解決しなければいけない問題が山積しています。
このままでは韓国は、北朝鮮主導で南北は統一され、中国とともにレッドチーム入りしてしまいます。
中国は自国内のチベット、ウィグルでは迫害を強め、香港、台湾をも中国共産党の体制に組み込み、東南アジア、アフリカ、オセアニアを勢力下に治め、アメリカに代わって世界を自らの掌中に治めようとしています。
日本でも経済界、政界に魔の手を伸ばし、マスコミを取り込み、北海道、沖縄の土地を買いあさり、日本自体を中国共産党のいいなりにしようと水面下で着実にその触手を伸ばし、基盤を固めつつあります。
それらの問題を私たちは無視しようとすれば無視もできるのですが、神の願いに生き、この地に神の国を建設したいのであったら、このまま手をこまねいたままでいいはずがありません。
家庭連合だ、家庭平和協会だ、サンクチュアリ教会だと言って、自分たちこそが真のお父様の正当な後継だと言って、お互いがお互いを批判し、攻撃し、誹謗中傷などやっている場合なのでしょうか?
サタンは目に見えない形で確実に世界に浸透しています。
そんなサタンにも気づかず、全く的外れなことばかりしているのは、既にサタンに侵入され、サタンに惑わされているからではないでしょうか?
真のお父様は生涯をかけサタンとの戦いに奔走してきました。
誰も気づかないうちからサタンの正体を見極め、サタンに対して対抗するために勝共連合を創設し、勝共教育を施し、サタンに対する防備を整えてきました。
ソ連の崩壊によりサタンも後退し、摂理も一段落したと思っていましたが、いつの間にか再び世界にサタンの魔の手が伸び、武力戦争という形ではなく、経済戦争、情報戦争という形で世界を席巻しようとしています。
そのようなサタンの攻勢に対して立ち上がっているのは、心ある一部の原理を知らない人たちです。
少ない心ある人たちがそれぞれ孤軍奮闘している状態です。
私たち統一食口はいったい何をやっているのでしょうか?
私が何もできておらず、私の周りの人たちだけが何もできていないということなのでしょうか?
天国は完成人間一人の姿に似ていると言います。
人間には頭、顔、目、口、鼻、耳、手、足、心臓、肺、胃、腎臓、肝臓・・・
いろいろな器官があり、いろいろな臓器があります。
それらすべての器官、臓器が正常に働いて初めて健康に、幸せに生きることができます。
天国も同じです。
天国でも頭、顔、目、口、鼻、耳、手、足、心臓、肺、胃、腎臓、肝臓・・・
それぞれの役割をする機関があり、仕事があるでしょう。
そのうちどの部分を自分が担い、どのような役割を担ったらいいかは他人に決めてもらうものではなりません。
自分の天稟、自分の興味、自分の経験、自分の能力等を考えながら、自分で決めるものではないでしょうか?
今の国際情勢を見ながら、サタンとの戦いの最前線で戦おうとする人や、創造本然の経済体制を作ろうとする人、社会的問題の解決に生涯を捧げる人、いろんな人がいて初めて創造本然の世界は作られるし、天国が実現するのです。
教会に言われた献金ノルマさえこなしていたら自動的に天国は実現するなんてことは絶対にありません!
教会に言われた献金ノルマをこなすのに必死になっている間に、サタンはその勢力を世界中に伸ばしていたのです。
もう既に私たちは献金奴隷の身分から解放されているのです!
生涯をかけて教会の摂理献金に全て責任を持たなければいけないほどの罪は、日本は犯していないのです!
教会に任せても、教会は天国建設などとは真剣には考えているとは思えません。
もし真剣に考えた結果今のようなことをしているのであれば、間違いなく教会には天国建設はできません。
今こそ信仰的に自立し、主体性をもって天国建設の為に自分がやらなければいけない責任分担を見つけスタートすべき時なのです。
創造本然の世界を作るために私たちがやらなければいけなことは山のようにあるのです。
そのうちのたった一つに対して責任を持っただけでもいくら時間があっても時間は足らないでしょうし、いくらお金があったとしてもお金も足らないことでしょう。
人生は長いようで本当にあっという間で短いのです。
今のままでは何も残すことができないまま、人生が終わってしまうのではないでしょうか?
真の愛を体恤するため、自分が生きた証を残すため、やるべきことを見つけ出し、今からスタートしたとしても遅くはありません。
今一度自分の信仰、自分が生涯かけてやるべきことを考え直してもいいのではないでしょうか?
後編『驕りし選民 繰り返される摂理の失敗』で明らかにした事実は、1945年当時本来の神の摂理はどのように展開されたかということでした。
つまり真のお父様がメシヤとして公的路程を出発されてから、どのような路程が展開され、どのような結果をもたらしたのかを明らかにしました。
後編『驕りし選民 繰り返される摂理の失敗』で明らかにした事実を整理してみます。
1945年当時、洗礼ヨハネ使命者として神が立てられた人物が、男性を中心とした摂理では、白南柱牧師、李龍道牧師、金百文牧師。婦人を中心とした摂理では、金聖道女史、許孝彬女史、朴ウルリョンハルモニがいました。(①男女相対的な役事)
その中で真のお父様と直接に関わり、摂理を担った人物が金百文牧師、許孝彬女史、朴ウルリョンハルモニでした。
金百文牧師はお父様に「ソロモン王のような使命を受けた方だ」と祝福をしましたが、その真の意味が分からずに不信しました。(⑤金百文牧師のイスラエル修道院を中心とした摂理)
許孝彬女史には、真のお父様は3度にわたり勧告しましたが、許女史は大きな兆候を期待し、一人の若い男などには期待もしませんでした。(⑥平壌大同保安署の受難と腹中教)
朴ウルリョンハルモニとの間では、僕のような立場から神様の対象実体と証しされるまで、段階的な証しと祝福を受けましたが、朴ハルモニは主管性転倒の役事を受け入れられず、精神異常になり、完全にサタンが発動してしまいました。(⑦「主なる神の夫人」朴ウルリョンハルモニを中心とした摂理)
真のお父様は、金百文牧師不信の結果サタンの巣窟である北側に行くことになり、許孝彬女史が受け入れなかったため共産党によって生死を彷徨うほどの拷問を受け、朴ウルリョンハルモニが受け入れなかった結果、興南特別労務者収容所に送られ、2年8ヵ月の間強制労働を強いられ、国連軍の爆撃によって奇跡的に解放されなかったら、あと2日で処刑されるところでした。(④洗礼ヨハネ型人物)
1945年当時は他にも、国防長官であった申性模を中心として大韓民国政府に入り、最高の基準で出発し世界的な舞台に行く道も用意されていましたが、二名の牧師ゆえに、すべての道がふさがれてしまいました。既成教会の有名な牧師が、将来権力を握ろうという考えをもったために、お父様を裏切ったのでした。(④1945年当時の韓国政界とキリスト教指導者)
1945年から10年経った1955年でもまだ遅くはありませんでした。キリスト教二世を中心とした摂理が梨花女子大学、延世大学において展開されました。(①キリスト教二世を中心とした摂理圏)
梨花女子大の総長金活蘭は、メシヤを待ち望んでいたので独身でした。金活蘭と白南柱の二人が一つとなって、統一教会を完全に迎えていたなら、李承晩を通し一気にキリスト教文化圏であるアメリカに渡っていけたのです。
当時、梨花女子大は副総長の朴マリヤを中心として、李承晩大統領の夫人フランチェスカと連結していました。この時李政権と完全に一つとなれば、キリスト教を中心として国が決定され、韓国を中心として今日、真の父母の理想は堅固に出発していたはずでした。(4、1955年、梨花女子大、延世大事件を中心とした摂理)
しかし当時、宣教師を背景として米国の援助を受けていた梨花女子大は大変な危機を感じ、金活蘭と朴マリヤが大統領官邸に行って偽りの証言をし、李承晩主権下の五大長官が統一教会をなくすために総動員され、国家と既成教会が一つになって、挙国的な迫害が行われました。(②梨花女子大、延世大退職退学事件)
朴マリヤと李起鵬を中心として、大韓民国大統領の李博士、フランチェスカ、金活蘭が国を滅ぼす元祖となりました。
彼らは一つになって「文鮮明を捕まえて殺せ」と言ったのです。
イエス様が十字架にかかっていったのと同じように、最後にサタンに引かれていき、西大門刑務所に入りました。
イエス様の時代にユダヤ教が反対したのと同じようになり、神様が数千年間準備した国と民主世界のすべての基台が崩壊してしまいました。(③梨花女子大、延世大事件の結果と影響、④西大門刑務所の受難)
この時はまた第一のお母様崔先吉夫人が、キリスト教と一つになってありとあらゆる反対が繰り広げられました。
また韓国が貧しい国家の復興期であった当時において、韓国の第一人者であった崔先吉夫人の叔父崔聖模氏が内務部長官と手を組んで、統一教会をなくしてしまおうと告発して起こった事件でもありました。(⑤崔氏一家の不信と離婚の督促)
このように真のお父様を中心とした1945年当時の摂理、そして1955年当時の摂理において、神が2000年かけて育み準備してきたキリスト教と韓民族の基盤の上に立つ中心人物たちは、ことごとく摂理に失敗してしまいました。そのため真のお父様は、自らが地獄のごとき監獄まで下りていくことで僕の僕から摂理を再出発し、2度3度と命を失いそうなところまで追い詰められながらも神によって守られ、奇跡的に助かり、今日までの摂理を展開することができました。
以上の内容をまとめると
★真のお父様を不信した洗礼ヨハネ型人物たち
・「ソロモン王のような使命を受けた方だ」と祝福をしたイスラエル修道院金百文牧師の不信。
・大きな兆候を期待し、一人の若い男などには期待をせず、勧告を聞き入れなかった腹中教教主許孝彬女史。
・主管性転倒の役事を受け入れられず、精神異常になり、完全にサタンが発動した朴ウルリョンハルモニ。
★神が2000年かけて準備したキリスト教と韓民族の失敗
・男性を中心とした摂理、白南柱牧師、李龍道牧師、金百文牧師の失敗。
・女性を中心とした摂理、金聖道女史、許孝彬女史、朴ウルリョンハルモニの失敗。
・1945年当時、国防長官であった申性模を中心とした摂理で、既成教会の有名な二名の牧師の裏切り。
・梨花女子大学事件で統一教会を迫害した金活蘭総長、朴マリヤ副総長、夫の李起鵬氏、フランチェスカ大統領夫人。
・キリスト教と自由党が主導し、李承晩主権下の五大長官が総動員され挙国的な迫害。
・統一教会を除去するように、米国の宣教師らが背後で糸を引く。
・第一のお母様崔先吉夫人と、当時韓国の第一人者であった叔父の崔聖模氏による反対。
★洗礼ヨハネ使命者やキリスト教、韓民族が迫害した結果
・金百文牧師が受け入れなかったため、サタンの巣窟である北側に行った。
・許孝彬女史ゆえに、お父様は大同保安署に引っ張られて入った。
お父様は拷問を受け、ほとんど死んだ状態で釈放、奇跡的に回復。
韓国戦争が起きた時、許許女史以下すべての監獄にいた人々を、共産党たちが全部虐殺。
・朴ウルリョンハルモニは精神異常になり、完全にサタンが発動し、お父様を梶棒で殴り殺そうとする。
おじいさんがお父様を殴って追い払おうとして倒れ、全身が青くなり腹が張り裂け、棺に入れられないくらいに膨れて死んだ。
・2年8ヵ月の間、興南特別労務者収容所で強制労働。
死刑執行予定日の前々日、マッカーサー元帥の連合軍が、北韓、興南を攻撃してお父様を奇跡的に解放。
・朴マリヤと李起鵬を中心として、大韓民国大統領の李博士、フランチェスカ、金活蘭が国を滅ぼす元祖となった。
李承晩の養子となっていた李康石が一家心中を図って、李起鵬と朴マリヤ、実弟を射殺、自らも命を絶った。
金活蘭は患難(ファルラン)を受けた。雷に打たれるようになった。
李承晩は妻とともに、アメリカ・ハワイに亡命。
・「文鮮明を捕まえて殺せ」と言われ、お父様は西大門刑務所に連行され、拷問の取り調べ。
神様が数千年間準備した国と民主世界のすべての基台が崩壊してしまった。
このように1945年、1955年当時は、神が数千年かけて準備した国と民主世界のすべての基台の上に立つ洗礼ヨハネ使命者たち、そして中心人物、中心宗教、中心民族がありましたが、それらは全て真のお父様を受け入れず、迫害し、何度も死の寸前にまで追いやりました。
それはあたかも2000年前、イエスを迎えるために準備された洗礼ヨハネ、ユダヤ教、ユダヤ民族ら中心人物たちがイエスを不信し、さらにはイエスを支えるべくして呼び集められた12弟子のイスカリオテのユダ、ペテロまでもが最後の瞬間にイエスを裏切り、イエスを不信したのと同じ失敗を繰り返してしまいました。
そしてユダヤ人たちは、イエスを「十字架につけよ」と叫び、「その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい」と叫んでイエスを十字架につけた結果、西暦70年にはユダヤはローマによって滅ぼされ、2000年間国を持つことも許されず、世界を彷徨う流浪の民となり、世界史上で最も悲惨な迫害の路程を歩む民となってしまいました。
このように歴史の結実体として登場したのがイエスだったため、イエスを直接に支えるべき中心人物、中心宗教、中心民族たちが神の摂理に直接に貢献したなら、彼らは本来最も栄光ある立場に立てるはずでした。しかし彼ら中心人物、中心宗教、中心民族は、イエスを直接に不信し、迫害し、十字架に付けるという大罪を犯してしまったため、歴史上最も罪深い存在となってしまい、最も悲惨な路程を歩まざるを得なくなりました。
これらは歴史が教えてくれる教訓といえます。
では2000年前の真実を基に、真のお父様を中心とした摂理において、最も栄光ある立場に立つべきだった者たちは、どのようになったかということを見ていきましょう。
神が用意された洗礼ヨハネ使命者たち、つまり金百文牧師、許孝彬女史、朴ウルリョンハルモニたちは全て真のお父様を不信し、摂理に失敗しました。
次に中心人物たち、白南柱牧師、李龍道牧師、金聖道女史、1945年当時の既成教会の有名な二名の牧師、1955年当時の梨花女子大金活蘭総長、朴マリヤ副総長、夫の李起鵬氏、フランチェスカ大統領夫人、そして第一のお母様崔先吉夫人、当時韓国の第一人者であった叔父の崔聖模氏、これら中心人物たちもことごとく真のお父様を受け入れず、迫害し、十字架にまで追いやりました。
その結果真のお父様は2度3度と十字架につき、命を落とす寸前にまで追いやられましたが、そのたびに真のお父様の勝利圏によって命だけは助かるという奇跡的な路程を歩んできました。
まさしく2000年前のイエスと同じような路程を歩んできたのです。
2000年前のイエス路程の時、最も罪深い存在というのは、イエスを不信した洗礼ヨハネであり、イエスを十字架に追いやったユダヤ教やユダヤ民族だったように、1945年当時の摂理でも最も罪深い存在は、金百文牧師、許孝彬女史、朴ウルリョンハルモニたちであり、白南柱牧師、李龍道牧師、金聖道女史たち、そしてお父様を裏切った既成教会の有名な二名の牧師、さらには金活蘭総長、朴マリヤ副総長、夫の李起鵬氏、フランチェスカ大統領夫人、そして第一のお母様崔先吉夫人と、当時韓国の第一人者であった叔父の崔聖模氏らがあげられます。
これら最も罪深き人たちの中には日本人はかすりもしていません。
すべては韓国人であり、韓国人の中の一部の中心人物たちだったのです。
同じ韓国人だったとしても、直接摂理に関与できなかった大多数の韓国人たちには直接的な罪はありません。
しかし同じ韓国人だということで、連帯罪には問われてしまう可能性が高いのです。
主の国韓国を迫害し、お父様を初めに拷問を加え迫害したのは日本人だったから、同じ日本人として摂理に責任を持たなければいけないと、私たちが言われ続けてきたのと全く同じ論理です。
韓国人がそう言って日本人を責め続けてきたそれ以上の蕩減を、今後は韓国人自らが負わなければいけなくなる可能性が極めて高いのです。
一部の中心人物たちの失敗ではあっても、選民として立てられた民族として、韓国人は今後、ユダヤ人が歩んだのと同じような、もしかしたらそれ以上の蕩減の道を歩まざるを得ないかもしれません。
これまでは神が2000年かけて準備した1945年当時の摂理、1955年当時の摂理について、選民として選ばれた韓民族と摂理的中心人物たちの摂理の失敗について述べてきました。
こうして1945年、1955年当時の摂理に失敗した韓民族は、その時点で既に選民としての資格は喪失し、残された道は摂理に失敗した民族として、ユダヤ民族のような蕩減の道を歩むはずでした。
しかしその後の摂理を見ても、韓民族は蕩減の道を歩むことはありませんでした。
それは真のお父様が韓民族の蕩減を一人で背負われ、摂理を継続的に進められ、勝利の基盤を一つ一つ着実に積み上げられた結果と思われました。
しかし真のお父様が久保木会長に語られたみ言を見ると、「本来ならば韓国はメシヤを受け入れなかった時点でイスラエルのように選民ではないと言うのです。それでも尚、選民の位置を保っていられるのは、アダム国家の失敗をエバ国家である日本に韓国に代わって代理蕩減してもらっているからだ」とありました。
このみ言が真実ならば、1945年、1955年当時の摂理に失敗した韓民族の蕩減を担ったのは日本であり、真のお父様と日本が選民だった韓国人の罪を蕩減し、韓国人は選民としての位置をも奪われずに今日まできたということを意味します。
しかし自分たちは選民だとして驕り高ぶった韓国人たちは、1945年、1955年当時の全ての摂理に失敗したにもかかわらず、いつまでも自分たちは選民であるとして、罪を悔い改めるどころかさらに傲慢にふるまい、日本人に対しても自虐史観を強要し、犠牲を強いるばかりでした。
真のお父様の周りを固めていた韓国人幹部たちは、聖書にある弟子たち、つまり「弟子たちがイエスのもとにきて言った、『いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか』」(マタイ18/1)と同じような人たちしかいなかったのではないでしょうか?
確か2010年10月10日に行われた祝福式だったと思いますが、司会の金孝律氏が誇らしげに、未来人ジョン・タイターの予言の話しを話されていました。2036年から来た未来人ジョン・タイターの話では、韓国の領土はウラジオストークの辺りから香港の方に至るまでの広大な地域に拡大され、日本は韓国の植民地となっているということでした。その予言を、韓国が世界の中心になるという原理を証す内容だとして、喜んで報告していました。
その報告を聞き、真のお父様の最側近である金孝律氏という人物のレベルを知り、愕然とした記憶があります。
真のお父様の最側近がこのレベルなら、他の幹部たちも推して知るべしと思い、真のお父様の周りにはこんなレベルの人たちしかいないのかと思った記憶があります。
実際統一教会が作り上げた組織を客観的に見ると、朝鮮王朝末期と全く同じような組織、つまり一部の権力を得た両班が、奴婢のような一般大衆から当たり前のように搾取し、自分たちの栄耀栄華を満喫する、そのような組織が出来上がっていることを考えても、この時の感覚は的を得ていたと感じます。
統一教会の一部の韓国人幹部たちは、自分たち韓民族の罪を棚に上げて、日本を責め続けては献金のノルマを課し、摂理と称しては日本から献金を吸い上げてきました。そしてその日本人の精誠である献金の一部を横領し、自分たちの私腹を肥やすということを組織的に継続的にやってきました。
摂理献金とて捧げられた日本人の精誠を横領していたということは、公金横領罪に問われるのは当たり前として、日本人の心情をも蹂躙し、神の摂理をも妨害する結果にもなっていますから、本人たちは欲に目がくらんで自覚なくやっていることでしょうが、神を利用し私腹を肥やし摂理を妨害した大きな罪となることは間違いありません。
しかし可哀そうなのは、そのような過ちを犯し続けている一部の韓国人幹部たちのゆえに、彼らの蕩減までも加重されて背負わされるかもしれない大多数の韓国人食口たち、さらには同じ民族ということで罪を負わされるかもしれない何も知らない一般の韓国人たちです。
同じ韓国人と言っても、罪を犯しているのはほんの一部の韓国人幹部たちです。そんなほんの一部の韓国人幹部たちの罪をも、同じ韓国人であるというそれだけで、大多数の韓国人食口たち、さらには一般韓国人たちまでも負わされてしまうかもしれないことは、2000年前のユダヤ人の歴史を見ても明らかです。
2000年前のユダヤ人は国を滅ぼされ、世界中に流浪の民として四散し、約2000年間自らの安住の地、国を持つことができませんでした。それだけではなく、反ユダヤ主義を掲げられ、世界中で迫害を受け続けてきたユダヤ人の悲惨な路程を考えると、今後韓国人に待ち受けるかもしれない路程はどのような悲惨なものになるのか想像もできません。南北分断は1945年当時の摂理に失敗した結果だったというみ言はありますので、南北分断という悲劇だけで済むとは考えられません。
2020年を迎えた今、韓国文在寅政権は反日色を明確に打ち出し、反米姿勢も露にしています。
国の内外に多くの問題を抱えているため、一時的には日本、アメリカに擦り寄る姿勢も見せていますが、基本的には日米韓の連帯に終止符を打ち、在韓米軍を撤退させ、韓半島の統一に向けて舵を切ろうとしています。
南北統一は、北朝鮮が主導する高麗連邦制によってなされる可能性が高く、北朝鮮、中国と連携してレッドチーム入りすることを目指しているのは誰の目から見ても明らかとなっています。
そんな文在寅政権の動きを知ったアメリカは、現在ほぼ韓国のレッドチーム入りを容認しているかのようにさえ見えます。在韓米軍の撤退はトランプ大統領の公約であり、中国との間で経済戦争を繰り広げている今、レッドチーム入りするであろう韓国の国力も、できるだけ弱体化させたいと願っていることでしょう。日本が韓国向け半導体材料の輸出審査を見直し、韓国をホワイト国リストから除外した政策も、そんなアメリカの意向に沿った措置と見ることができます。
韓国の経済の大きな柱が半導体産業であり、液晶ディスプレイであったりする今、韓国の基幹産業を叩くことで韓国自体を弱体化し、レッドチーム入りしてもその影響力を最小限に抑えたいと願うのは当然のことです。
韓国の技術力、経済力と、北朝鮮の資源が一つとなり中国のもとへと行ったなら、アメリカ、日本にとってもかなりの脅威となってしまいます。そんな脅威となる前に、脅威の芽を摘んでおきたいと願うのがアメリカ、日本の共通認識となることは明らかです。
文在寅政権である限り韓国は、北朝鮮との統一に向けて着実に歩を進め、南北統一の夢を語り、中国との連携に期待をかけることになりそうです。文在寅政権も問題ですが、より根本的問題は、北朝鮮により長い年月をかけて思想教育が施され、洗脳され、一般国民が主体思想を容認し、国民の思想が完全に左傾化してしまったことにあります。一般国民はそんなことにも気づかずに、国を滅ぼしそうな文在寅政権を、今でも高い支持率で支持し続けています。
このような流れで韓国がレッドチーム入りしたとき、韓国は北朝鮮に、そして中国に歓迎されるのでしょうか?
共産主義国家の常套手段として、国を裏切った裏切り者たちはまっさきに粛清されるといいます。国を裏切り共産主義を招き入れたとき、彼らが待望していた共産主義体制と、現実の共産主義体制には雲泥の差があり、今度は現実の共産主義体制を転覆する勢力に変わってしまうのは目に見えているため、そのような危険な芽は最初に摘んでしまうのだそうです。
つまり韓国を併合した後、北朝鮮によって最初に行われることは、国を裏切った文在寅とその政権幹部たちの粛清であり、時の政権に対して反対していた活動家たちの粛清です。そして軍部を掌握し、言論を弾圧し、韓国の北朝鮮化を行うことでしょう。そしてそのような事実は決して外には漏れることはありません。言論を統制しますので、自国に対するネガティブな情報は決して外には漏らさないようになることでしょう。
そんな北朝鮮に恐れを抱き、韓国が中国寄りに舵を切ったとしても、中国もまた香港、台湾に対するように韓国にも弾圧を加えるかもしれません。一国二制度と言いながら、実際は中国共産党の支配下に置き、反乱分子は思想教育と言いながら強制収容所に送り込み、挙句の果てには臓器売買の対象となってしまうという恐ろしいシナリオも考えられます。
韓国がこのままレッドチーム入りしたときの状況を想像すると、バラ色の未来が待っているというよりは、より苦難の道が待っているようにしか思えません。
しかし2000年前のユダヤ民族の運命を考えると、韓民族もこの程度で済むとも思えません。
神は2000年前のイエス以上に真のお父様に対して期待をかけていたでしょうから、それを裏切った民族には、もっと悲惨な運命が待っている可能性さえあるのではないでしょうか?
しかし敢えて希望的に考えれば、2000年前以上の勝利圏を真のお父様は確立することができましたから、韓民族に対する蕩減ももっと軽く済む可能性もあるかもしれません。しかしもっと軽く済むとしたら、それは真のお父様の勝利の故であり、日本による代理蕩減のおかげであり、その結果韓国自体はより小さな蕩減条件で許される可能性もあるのです。
いずれにしろいえることは、韓国は今現在も、一部の韓国人幹部故に、罪をさらに重ね続けているということです。
日本に対してはいまだに自虐史観を徹底し、終わることなく献金路程に駆り立てています。
そして集められた献金は職員の給料に、箱モノの維持の為に、一部の教会幹部の懐にと使われ続けるのです。
そしてその蕩減を受けるのは一部の幹部だけではなく、全ての韓国人になるのです。
可哀そうなのは自虐史観を教育され、献金の無間地獄から解放されない日本人だけではなりません。
日本人以上に可哀そうなのは、一部の韓国人幹部のゆえに、自分一代だけではなく、何代にもわたってその蕩減路程を歩まなければいけなくなるかもしれない韓民族です。
ユダヤ民族が歩んだ蕩減路程を考えると、韓民族が歩まざるを得なくなるであろう蕩減路程はどれほどのものになるのか想像もできません。
しかし今からでも遅くはありません。
神の摂理はまだ終わってはいません。
神の摂理を正しく理解し、自分たちの罪を正しく悔い改め、真のお父様が歩まれたように僕の僕となって蕩減路程を感謝して歩むことができたら、今からでも十分な蕩減条件を積むことは可能だろうと思います。
自分を正当化するために平気で嘘をつける民族性が残っている限り、生まれ変わることはできません。自己否定ができずに、責任転嫁をし、悪を繁殖している限り、韓民族はサタンの手から逃れることはできません。
真のお父様が歩まれた歴史を正しく研究し、自分たち韓民族の中に立てられた中心人物たちが摂理にことごとく失敗したことを認め、その蕩減を自分たちが担わなければいけないと自覚してこそ新しい道が開かれます。
同時にこれ以上嘘の歴史を捏造することをやめ、日本による朝鮮併合時の真実を認め、神が願われる日韓の新しい歴史を作る決意をすることができたとき、韓民族にも新しい希望の光を見いだすことができるのではないでしょうか?
一部の韓国人のゆえに、自分一代だけではなく、何代にもわたってその蕩減路程を歩まなければいけなくなるかもしれないことを考えれば、必ず生まれ変わることはできるはずです。
自分一人が変わることができれば、韓国人全体も変わることも可能なのです。
真のお父様を中心とした実体的カナン復帰路程は、第一次路程において神が2000年間準備した洗礼ヨハネ使命者たちが真のお父様を受け入れないことにより失敗に終わった。
そして第二次路程では真のお父様自らが僕の僕となり摂理を出発したが、韓民族の摂理的中心人物たちととキリスト教会が真のお父様を受け入れず失敗したが、真のお父様が一人孤独な戦いに勝利し、最終的段階までの勝利圏を立てることに成功した。しかし最後の最後に真のお父様の相対であった韓お母様がお父様を裏切ったため、全ての勝利圏を失いそうになったが、文亨進様と文國進様のアベルカイン一体化の勝利によって、首の皮一枚で勝利は保たれ、摂理は二代王文亨進様へと受け継がれた。
アブラハム家庭において、信仰の祖アブラハムと完全一体となってイサク献祭に勝利し、アブラハムの信仰を受け継いだイサク、神側の摂理的中心人物として兄エサウを屈服し、初めてサタンに勝利してイスラエルの称号を得たヤコブのように、真のお父様、二代王文亨進様、三代王文信俊様へと摂理は受け継がれ、サンクチュアリ教会食口とともに新たな民が形成された。
サンクチュアリ教会の食口たちは、二代王文亨進様と文國進様、康賢実真のお母様の勝利によって立てられた「メシヤのための基台」の上で、真のお父様、二代王文亨進様、三代王文信俊様を信じ侍ることによって、カナン復帰を完成する路程を出発するようになった。
イエスを中心とする復帰摂理 | 再臨主を中心とする復帰摂理 |
(一)第一次世界的カナン復帰路程 | (一)第一次路程 |
(1) 信仰基台 | (1) 信仰基台 |
サタン分立の使命を担い、メシヤの道を直くするために、エリヤとして来た預言者が洗礼ヨハネであった。 洗礼ヨハネ生誕時の奇跡、輝かしい修道生活などにより、祭司や一般のユダヤ人たちは、彼を神がお送りになった預言者であると認め、メシヤではないかと思うほどに信望は高かった。 |
①金百文牧師と「イエス教イスラエル修道院」 ②「腹中教」教主、許孝彬女史 ③「主なる神の夫人」朴ウルリョンハルモニ ④キリスト教二世を中心とした摂理の再出発 |
(2) 実体基台 | (2) 実体基台 |
当時のユダヤ人たちも、洗礼ヨハネを信じ、従ったならば、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立て、「実体基台」を復帰することにより、「メシヤのための基台」を復帰することができた。 | ①「イスラエル修道院」金百文牧師は意味を悟れず ②「腹中教」許孝彬女史は大きな兆候を期待し若い男には期待しなかった ③「主なる神の夫人」朴ウルリョンハルモニは精神異常になりサタンが発動 ④韓国政界とキリスト教指導者は先生を裏切る ⑤氏族の責任、文潤國牧師「私は政治はしない」 ⑥梨花女子大、延世大事件では、朴マリヤと李起鵬を中心として、金活蘭、フランチェスカ夫人が李承晩主権下の五大長官を総動員し挙国的な迫害 ⑦家庭の責任、崔先吉夫人の反対 ⑧当時韓国の第一人者であった叔父の崔聖模氏による反対 |
(3) 第一次世界的カナン復帰路程の失敗 | (3) 第一次路程の失敗 |
洗礼ヨハネは自らイエスをメシヤとして証したにもかかわらず、イエスを疑うようになった。 また、自分がエリヤであることを否認し、ユダヤ人たちがイエスの前に出ていく道をふさぎ、イエスに逆らうような立場にまで押しやった。 |
①金百文牧師の不信の結果サタンの巣窟である北側に。 ②許孝彬女史は不信し、文先生は拷問を受ける。 ③朴ウルリョンハルモニは主管性転倒を受け入れられずサタンが発動、文先生は興南監獄へ。 ④梨花女子大、延世大事件の挙国的迫害の結果、文先生は西大門刑務所へ。 |
(二)第二次世界的カナン復帰路程 | (二)第二次路程 |
(1) 信仰基台 | (1) 信仰基台 |
① イエスが洗礼ヨハネの使命を代理する | ①文先生が洗礼ヨハネ使命者たちの使命を代理する |
イエスが荒野で40日間断食をされながら、サタンを分立し、洗礼ヨハネの代理の立場で、「信仰基台」を蕩減復帰された。 | ①金百文牧師の不信により、サタンの巣窟である北側に行き、新しい原理運動を展開。 ②許孝彬女史の不信による拷問を受け、死の危機から奇跡的回復後には説教と断食生活。 ③朴ウルリョンハルモニの不服従によって興南で強制労働、最低の場監獄からの再出発。 ④キリスト教二世、梨花女子大、延世大事件の結果、西大門刑務所からの再出発。 |
② イエスの荒野40日の断食祈祷と三大試練 | ② 40年荒野路程と三大祝福復帰 |
★40日の断食祈祷 (マタイ 4/1~2) | ★40年荒野路程(1945~1985年) |
「さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。そして、四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた。」 | 1945年当時、文鮮明先生を迎えるべくして神が準備された洗礼ヨハネ使命者たちはことごとく摂理に失敗し、文先生は自らが摂理の中心人物として苦難の道を歩まざるを得なくなりました。 そこで文先生は1945年から1985年までの40年荒野路程を歩むことになりました。 |
★第一試練 第一祝福復帰 (マタイ 4/3~4) | ★第一祝福復帰(1985~1992年) |
「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」 「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」 |
真のお父様、メシヤとして個人の勝利圏確立。 ・1985年8月20日:ダンベリー連邦刑務所出監。「神と自由のバンケット」全米から2000名の牧師と聖職者参加。 ・1990年4月11日:ゴルバチョフ大統領と会談。 ・1991年12月6日:金日成主席と単独会談。 ・1991年12月25日:ソ連崩壊。 ・1992年7月3日:『メシヤ宣言』 |
★第ニ試練 第ニ祝福復帰 (マタイ 4/6~7) | ★第ニ祝福復帰(1993~1999年) |
「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい」 「主なるあなたの神を試みてはならない」 |
お母様を中心とした摂理。家庭的勝利圏確立。 ・1992年5月10日:『世界女性時代』宣布 ⇒ お母様の時代へ。 ・1998年7月19日文顯進様が「世界平和統一家庭連合」世界副会長に就任。 ・1999年3月21日:サタン完全(自然)屈服の日(ルーシェルの謝罪) ・1999年9月9、10日(九・九節と三・十節):『天地父母天宙統一解放圏』宣布。神様の最高の家庭理想を地上に展開⇒神様が天地の主人に。 |
★第三試練 第三祝福復帰 (マタイ 4/9~10) | ★第三祝福復帰(2000~2006年) |
「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」 「主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ」 |
神様をお迎えし、天一国の出発。天正宮奉献。天宙平和の王・真の父母様戴冠。 ・2001年1月13日:『神様王権即位式』⇒ 天一国の出発。歴史上初めて神様が王の位置に立たれた。 ・2004年 5月 5日:『双合十勝日』⇒ 先天時代の終了、後天時代の幕開け。 ・2006年 6月13日:天正宮博物館奉献式および天宙平和の王・真の父母様戴冠式。 |
③ 40日断食と三大試練とをもってサタンを分立した結果 | ③40年荒野路程と三大祝福を復帰し、サタンを分立した結果 |
イエスは、洗礼ヨハネの立場からメシヤの立場に立つための「信仰基台」を造成したので、神の三大祝福を成就して、四位基台を蕩減復帰することができる条件を立てられた。 | 真のお父様は、洗礼ヨハネの立場で「信仰基台」を造成し、神の三大祝福を成就して、四位基台を蕩減復帰することができる条件を立てられた。 |
(2) 実体基台 | (2) 実体基台 |
イエス自身がみ言と奇跡とをもって「出発のための摂理」をされた。 カインの立場であるユダヤ民族が、アベルの立場であるイエスを信じ、仕え従ったならば、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てて「実体基台」を復帰するようになるので「メシヤのための基台」を造成することができた。 |
真のお父様自身がみ言と実践をもって「出発のための摂理」をされた。 カインの立場である韓お母様と統一食口が、アベルの立場である真のお父様を信じ、仕え従ったならば、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てて「実体基台」を復帰するようになるので「メシヤのための基台」を造成することができた。 |
(3) 第二次世界的カナン復帰路程の失敗 | (3) 第二次路程の失敗 |
祭司たちと律法学者たちを中心とするユダヤ民族はイエスを不信し十字架に付けた。 イエスの弟子イスカリオテのユダは、銀貨30枚でイエスを売り、ペテロはイエスを三回否認した。 |
韓お母様は取り巻きの幹部たちにより、真のお父様を裏切るように誘惑され、真のお父様との3度目の聖婚式がサタンに奪われた。 その結果2013年1月13日の基元節は、神様の家庭が出発できず、偽基元節となった。 |
(三)第三次世界的カナン復帰路程 | (三)第三次カナン復帰路程 |
(1) イエスを中心とする霊的カナン復帰路程 | (1) 二代王文亨進様を中心とする復帰路程 |
① 霊的な信仰基台 | ① 信仰基台 |
イエスは、すべての人類を救われるために、その肉身を供え物として十字架に引き渡されたのち、復活40日のサタン分立期間をもって、霊的な「信仰基台」を立て、万民の罪を贖罪し得る道を開拓された。 | 当時世界会長であった文亨進様は、真のお父様に「お父様のそばにいなさい」と指示され、世界会長としての多忙なスケジュールを全て白紙に戻し、聖和されるまでの2年間、真のお父様と行動を共にし、真のお父様と心情一体となり、「信仰基台」を勝利された。 |
② 霊的な実体基台 | ② 実体基台 |
復活されたイエスは、弟子たちに一切の奇跡の権威を授けられ(マタイ 28/16~18)、「出発のための摂理」をされた。カインの立場に立っていた信徒たちは、復活されたイエスを信じ、彼に仕え従って、「堕落性を脱ぐための霊的な蕩減条件」を立てることにより、「霊的な実体基台」を復帰することができた。 | 2012年1月18日頃、真のお父様不在時、韓お母様は金孝南訓母様主礼の元、神様(悪霊)と結婚式を挙行。 翌1月19日の訓読会時、真のお父様は韓お母様を烈火のごとく怒れら、テーブルの前に呼ばれ、4人の幹部とともに絶対服従を誓わせる特別な役事を行われた。 韓お母様の不信仰と不従順によって真の家庭に侵入したサタンを分立し、再び創造本然の真の家庭を完成させるため、2012年6月5日、真の家庭で初めて文國進様と文亨進様との間において、アベルカイン一体化の宣布をなされた。 |
③ メシヤのための霊的な基台 | ③ メシヤのための基台 |
弟子たちは、復活されたイエスを命懸けて信奉することにより、「霊的な実体基台」を造成し、「メシヤのための霊的な基台」を復帰した。そこでイエスは、霊的なメシヤの立場を確立し、聖霊を復帰することによって、霊的な真の父母となり、重生の摂理をされるようになった。 | 「実体基台」を勝利した二代王文亨進様と文國進様は偽基元節以降、文信俊様を誘拐するように連れ出し、アメリカの片田舎で2家庭だけでサンクチュアリ教会をスタート。王宮から何も持たずに逃げ出したため、オバマ・ケアを受けるほどだった。 2015年4月21日、真のお父様の真の後継者二代王文亨進様を信じる、世界中に散らばっていた食口たちが集まり、「真のお父様の権威の下に戻るための聖婚祝福」に参加。2016年2月13日の祝福式までに、約3000組が祝福式に参加した。 2015年8月30日(天歴7月17日)には真のお父様の聖和3周年を迎え、文國進様ご夫妻が文亨進様に二代王戴冠式を執り行うことにより真の基元節が確定勝利した。 2017年9月23日(天歴8月4日)、天地人真の父母天宙完成祝福聖婚が行われ、姜賢実先生が真の母の位置に即位した。 |
④ 霊的カナン復帰 | ④カナン復帰 |
キリスト教信徒たちは「メシヤのための霊的基台」の上で霊的メシヤとして立たせられたイエスを信じ侍ることによって、霊的カナン復帰だけを完成するようになった。 信徒たちの肉身は、サタンの侵入を受けることにより、原罪は依然として元のままに残っているので(ロマ 7/25)、信徒たちもまた、キリスト再臨のための、サタン再分立の路程を歩まなければならない。 |
王宮から何も持たずに逃げ出した二代王文亨進様と文國進様家庭は、三代王文信俊様とともにアメリカ、ペンシルベニア州の片田舎にて、2家庭からサンクチュアリ教会をスタート。 2016年2月13日までに「真のお父様の権威の下に戻るための聖婚祝福」に参加した約3000組の祝福家庭と共に、実体的カナン復帰の路程を出発。 |
①金百文牧師と「イエス教イスラエル修道院」
②「腹中教」教主、許孝彬女史
③「主なる神の夫人」朴ウルリョンハルモニ
④キリスト教二世を中心とした摂理の再出発
・1945年当時の洗礼ヨハネ使命者たちが男性を中心とした摂理では、白南柱牧師、李龍道牧師、金百文牧師たちがいました。
女性を中心とした摂理では、金聖道女史、許孝彬女史、主なる神の夫人朴ウルリョンハルモニたちでした。
・サタン世界においては、女一人で国家を中心として戦ってはならず、必ず男と二人で一つとなって共同作戦で、一つの基盤を成さなければいけませんでした。
・文鮮明先生を迎える前に、まずは彼らが天の前に信仰基台を造成しなければいけませんでした。
しかし・・・
★白南柱牧師は金聖道女史、「聖主教」と完全に一つになるべきであったのに、分かれてしまいました。
⇒牧師たちの告発によって、金聖道女史は投獄され、100日以上の獄中生活の末、釈放後に1944年4月1日、62歳で病死しました。
★二つの教会、許孝彬女史の「腹中教」と李龍道牧師の「新イエス教会」を統一せよという、天からの教えがありました。
西側集団「腹中教」が東側集団「新イエス教会」の所に行ったのですが、東側集団は受け入れませんでした。
⇒二つの集団の統一を成すことに失敗。神の摂理、霊的な運動も金百文氏に移り、許孝彬女史も文先生を受け入れませんでした。
李龍道牧師は1933年にイエス様の年齢と同じ33歳で死亡。
1950年に韓国戦争が起きた時、許孝彬女史以下、すべての監獄にいた人々を、共産党たちが後退する時、連れていって全部虐殺してしまいました。
★文先生に会う前に、洗礼ヨハネ使命者たちの中でも白南柱牧師と金聖道女史、李龍道牧師と許孝彬女史との間で一体になれず、十分な信仰基台を造成することができていませんでした。
☆洗礼ヨハネ使命者たちの精誠、信仰基台
①金百文牧師と「イエス教イスラエル修道院」(1945・10~1946・4)
・李龍道牧師を中心として三代を継いで続いた人が金百文牧師。この集団は洗礼ヨハネ格の集団。
・彼は天から「一つの修道院をもて」というみ言を聞き、そして「再臨主を迎えることができる勢力を準備しろ」という啓示を受けました。
・金牧師と文先生はカインとアベル、洗礼ヨハネとイエス様のような立場にあったのです。
・金牧師は神霊の面では、当時の既成教会の、最高の信仰基準にありました。
・当時、金牧師は李承晩博士と近い立場にあったので、彼を洗礼ヨハネの立場に立ててみ旨を成すことができたはずでした。
◇三人の女性の証と金百文牧師の祝福
・文先生がその霊的集団から一人の男と、その男と一体になった三人の女を復帰することができていれば、エバの復帰のためのすべての条件を立てることができたはず。
・金牧師が文先生を祝福する前に、そこで文先生を証した三人の女性がいました。
・金牧師は天から啓示を受けて、自分に従うすべての食□たちの前で、文先生の頭に自分の手を載せて、全世界のソロモン王の栄光が先生に臨むようになることを祝福しました。
・洗礼ヨハネがイエス様に引き継いだのと同じ役事、文先生は彼から祝福を受け、彼がもっていたものを相続しました。
②「腹中教」教主、許孝彬女史、マリヤ的使命
・金聖道女史に精誠を尽くして侍った夫人。
・主の新婦だと言って、腹中を通して主が生まれるという。
・イエス様が、この夫婦に啓示を下ろし始めました。
・一番最初に罪を脱ぐ方法を教え、その次に生活する方式を教え、その次には主が来られたのちに子女を育てる方式を教えてくれました。
・主を迎えて生活する法度と、全体的な規範を立てて準備しました。
・マリヤ的使命なので、許氏の夫人はイエス様を生んで育てる体験をしました。
・イエス様がこの地上でみ旨を成し遂げられずに逝かれた、そのすべての恨を解くための蕩減的な一切の準備をしなければなりませんでした。
・その次には、主がこの地上に来て、最高の生活ができるようにしなければなりませんでした。
・それを準備するために、主が着る服の寸法とか、すべてを教えてくれました。
◇「腹中教」が捧げた精誠
・「イエス様が幼い時から33歳の時まで着る服を作れ」という啓示を受けました。
・イエス様が三日ごとに着替えられるほど多くの服を、一度は韓国服で、そして一度は洋服で作りました。
・彼らがその服を作る時に、ミシンを使うことはできず、「一度に三針以上縫うな」と言われていました。
・服を作るために部屋中をきれいに清掃しなければならず、一着すべて作るまでは、立ち上がることもできませんでした。
・トイレに行くことも許されませんでした。
・「たとえお前たちがそのような代価を払っても、お前たちは主を迎えることができないだろう」と、天は彼らにそう言いました。
・彼らが何かで間違った時には、天から過酷な罰を受けました。それで彼らは、天の指示に従わざるを得ませんでした。
・イエス様の服を作り終えると、次は、「来られる主のための服を作れ」というみ言を受けました。
・彼らは、「主の服を作るにはもっと多くの精誠を込めよ」という啓示を受けました。
・彼らは三食をあたかも宴会の膳のように準備し、一日に三度肉を供えました。
・その婦人は、主の学問的な背景をはじめ、すべてのことを天から聞きました。
・その婦人に従う者たちは、もし命令を受ければ、いつでも倒れて死ぬことができるぐらいの覚悟ができていました。
彼らは、自分の生命を捧げる準備ができていました。
・金聖道氏の代を許孝彬氏が継いで、許孝彬氏の娘が主を迎えるように準備されました。
・敬礼を、3000回は普通で、7000回までしました。敬礼を3000回しようとすれば、5時間ないし6時間かかり、7000回しようとすれば、10時間近くかかります。
・韓国で婦人として初めて役事を始めた人は金聖道ですが、これを蘇生として、許孝彬を経て、朴老婆につながりました。
③「主なる神の夫人」朴ウルリョンハルモニを中心とした摂理
◇「主なる神の夫人」出現の意義
・その時、文先生は26歳の年齢でしたが、霊的な世界のプログラムをすべて組み立てていたのです。
・金百文牧師の集団を中心として、男性から祝福を受けたので、女性からも祝福を復帰しなければなりません。
そうでなければ、今まで韓国の全土で神様が築いておいたすべての摂理の基盤の相続を受けられないのです。
・そのために「私は神様の夫人である」と言う、地上において神様が直接導ける婦人が出てこなければならないのです。
その婦人を神様が直接導くために、神様を中心として連結される霊的世界が、ここに動き入っていくのです。
そうして初めて地上に着陸できる基地を一人の婦人、すなわち「主なる神の夫人」だという婦人を通してつくるのです。
④キリスト教二世を中心とした摂理の再出発(1954.5~1955.7)
◇金活蘭と梨花女子大学、延世大学を通して李承晩政権へ
・その時でも遅くはなかったのです。1955年度までに最初の摂理から10年がたっていましたが、遅くはなかったというのです。
・神の摂理は、一世である当時のキリスト教指導者を一つにしようとしたのですが、彼らが神様のみ旨に完全に反対する立場に立ったために、再び二世を中心とする糾合運動が起こったのです。それが、梨花女子大学と延世大学の事件です。
・梨花女子大学と延世大学、これはアダムとエバと同じ相対的な関係、堕落していない若い青年男女と同じ立場、キリスト教の二世たちです。
・延世大と梨花女子大を中心として復帰されたならば、キリスト教の六大宗派のすべての息子、娘たちが来て、あっという間に完全に二世を占領するようになっていたのです。
・原理原則において、二世が完全に一つになるようになれば、一世のカインは屈服するようになるのです。一世は死ぬのではなくて二世と共にカナンの地に入ることができるのです。
・文先生が大統領に会う前に訪ねていったのが、梨花女子大の総長金活蘭でした。金活蘭はメシヤを待ち望んでいたので独身だったのです。
・延世大学と梨花女子大学は、一つは長老派の協助を受け、もう一つはメソジスト教団の協助を受けていました。
・当時、梨花女子大は副総長の朴マリヤを中心として、李承晩大統領の夫人と連結していました。それゆえ宣教師の基盤を中心として、その時政府と完全に一つとなることができるようになっていたのです。
・西洋の宣教師を抑えて、金活蘭と白南柱の二人が一つとなって、統一教会を完全に迎えていたなら、李承晩を通し、一気にキリスト教文化圏であるアメリカに渡っていけたのです。
・李政権と完全に一つとなれば、キリスト教を中心として国が決定されるのです。そのようになっていたなら、韓国を中心として今日、真の父母の理想は堅固に出発していたはずでした。
・梨花女子大と延世大の二世を立てて、李博士を中心とする家庭圏まで連結させることによって、国家基準まで自然に一つになれるのです。
・李承晩には度胸があってホッジ将軍をコントロールしていたので、「この宗教理想によって世界を制覇できる」と主張して出れば、米国まで逆襲し、世界へと伸びていくことができる道が完全に準備されていたのです。
韓国キリスト教会を中心とした韓国人たちは、1945年当時であれば金百文牧師、許孝彬女史、朴ウルリョンハルモニ、そして1955年においては梨花女子大総長金活蘭らを信じ、従ったならば、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立て、「実体基台」を復帰することにより、「メシヤのための基台」を復帰することができるようになっていました。
よって1945年当時であれば、文先生と直接に摂理を展開した金百文牧師、許孝彬女史、朴ウルリョンハルモニ、1955年当時であれば梨花女子大事件当時の副総長朴マリヤと総長金活蘭らが文先生と完全に一つとなり、実体基台を勝利しなければいけませんでした。
しかし彼らは文先生を不信し、一体となることができず、その結果文先生は自らが蕩減の道、苦難の路程を歩まざるを得なくなりました。
その詳細を見ていくことにします。
①「イスラエル修道院」金百文牧師は意味を悟れず
②「腹中教」許孝彬女史は大きな兆候を期待し若い男には期待しなかった
③「主なる神の夫人」朴ウルリョンハルモニは精神異常になりサタンが発動
④韓国政界とキリスト教指導者は先生を裏切る
⑤氏族の責任、文潤國牧師「私は政治はしない」
⑥梨花女子大、延世大事件では、朴マリヤと李起鵬を中心として、金活蘭、フランチェスカ夫人が李承晩主権下の五大長官を総動員し挙国的な迫害
⑦家庭の責任、崔先吉夫人の反対
⑧当時韓国の第一人者であった叔父の崔聖模氏による反対
①「イスラエル修道院」金百文牧師は、自らの祝福の真の意味が分からなかった
・金百文牧師と文先生はカインとアベル、洗礼ヨハネとイエス様のような立場。
・1945年12月25日、金牧師は天から啓示を受け、文先生に対して「ソロモン王のような使命を受けた方だ」と祝福。洗礼ヨハネがイエス様に引き継いだのと同じ役事。文先生は祝福を受け、金牧師がもっていたものを相続しました。
・金牧師が文先生にそのように祝福をすると、その集団で神霊的恩恵の役事をする婦人たちや食口たちすべてが「金先生に従わず、文先生に従え」という啓示を受けました。
・金牧師は、文先生に祝福をしましたが、その真の意味が分かりませんでした。
・彼は、すべてのことを悟るために、文先生に質問をしなければなりませんでした。
・文先生は金牧師に18枚の手紙を書きましたが、金牧師はそれをみな破いてしまいました。
②「腹中教」許孝彬女史は大きな兆候を期待し若い男には期待しなかった
・「聖主教」教主、金聖道女史の代を許孝彬女史が継いで、許女史の娘が主を迎えるように準備されました。
・「腹中教」が北韓の共産党により摘発され、その神霊集団の許女史ゆえに、文先生も1946年8月11日に大同保安署に投獄されました。
・文先生は許孝彬女史に3度にわたり勧告。
1、腹中教に人を送り「先生の集団が何であるか、祈祷して調べなさい」と伝える
⇒ 許女史は大きな兆候を期待し、一人の若い男などには期待もしなかった。
2、監獄で黄元信氏、次に許女史の夫に「早く出るように言いなさい」と勧告。
・監獄に入ると、その婦人と相対になって教育して、全体に責任をもっていた黄元信という人がその部屋にいました。
翌朝、黄元信が先生の所に来て敬礼をし、「霊界から知らせてくれた」と言い、自分の集団に関するすべてのことを話しました。
・文先生は「許孝彬氏に早く出るように言いなさい、出なければ、全部この監獄で倒れる」と言いました。
・黄元信が一人監獄から出たのちに訪ねてきて、「信徒たち一同に、いくら勧告しても聞こうとしない」というのです。
・黄元信が釈放されたのちに、許女史の夫が文先生の部屋に来ました。先生は夫に、先生が黄元信に言ったことを話しました。しかし夫は、「自分は妻に従うつもりだ」と言い、先生の話を受け入れようとしませんでした。
3、9月18日、文先生自身が許女史に一通の手紙を送る「私が誰であるか祈ってみなさい。」「すべてを否定してここから出なさい。」
⇒ 許女史はその手紙を読んでから破こうとしたが、共産党の監視員に見つかり、文先生は拷問を受けるようになりました。
・韓国で婦人として初めて役事を始めた人は金聖道女史ですが、これを蘇生として、許孝彬女史を経て、「主なる神の夫人」朴ウルリョンハルモニにつながりました。
③「主なる神の夫人」朴ウルリョンハルモニは精神異常になりサタンが発動
・今まで韓国全土で神様が築いておいたすべての摂理の基盤を相続するため、男性である金百文牧師から祝福を受けたので、地上において神様が直接導ける「私は神様の夫人である」と言う女性からも祝福を復帰しなければなりませんでした。
・神様を中心として連結される霊的世界が、神様の夫人を通して入っていき、初めて地上に着陸できる基地をつくるのです。
・僕のように扱われるその位置で精誠を込めれば、次々に復帰されます。「神様が愛する僕が来た」、養子、庶子、息子の位置まで上がって「天の国の総理大臣である」「天国の全権を代表したイエス様の位である」「神様の対象実体である」と証し、その宣布する式が終わった次には、自主権をもって反対にひっくり返しました。アダムの権限を蹂躙したのを、蕩減的条件を立てて復帰したので、アダムの位置に立つために完全に反対にしたのです。
・文先生は、証をするその言葉を受け、即座に「敬礼しなさい」と言いました。それが、復帰するための主管性転倒です。それに対し「今まで先生に従い仕えたのに、僕に対するように容赦なく命令することができるのか」とひっくり返ってしまいました。
朴老婆は精神異常になり「文という人は天国の逆賊であり、世の中のすべてのものを盗んでいった」と言い、完全にサタンが発動し、おじいさん、息子、娘を連れて歩きながら、梶棒で文先生を殴り殺そうとしました。
そうするうちに、そのおじいさんが棺に入れられないくらいに膨れるという恐ろしい死に方で死んでしまいました。
④韓国政界とキリスト教指導者は先生を裏切る
・大韓民国において、自由党を編成した五人の中の一人が先生でした。
・その時の国防長官であった申性模を中心として、最高の基準で出発し、世界的な舞台に行こうとしました。
・最高の立場で出発することが神様から許された位置でしたが、二名の牧師ゆえに、すべてふさがれてしまいました。先生と因縁を結んで、先頭に立って仕事をした人が既成教会の有名な牧師でしたが、将来権力を握ろうという考えをもったために、先生を裏切りました。
⑤氏族の責任、文潤國牧師は政治はしない
・李承晩博士が国を立てた時、先生の三番目のおじいさんを必要とし、当時いた旌善にヘリコプターで三度も迎えに来ました。
・三番目のおじいさんに政治的な風土があれば良かったのですが、純真なキリスト教の牧師で、「私は政治はしないよ。信仰する人が政治をすることは……」こう言い、李博士と一つになれませんでした。
・先生が理論を中心として従祖父を説得しさえすれば、李博士一族と環境与件、キリスト教幹部のすべてのことを消化するのは問題なかったでしょう。
⑥梨花女子大、延世大事件で挙国的迫害
・1955年度までに最初の摂理から10年がたっていましたが、遅くはなかったのです。
・梨花女子大学校と延世大学校さえ復帰され、反対しなかったならば、韓国のキリスト教がすべて復帰されるようになっていました。
・当時、梨花女子大は副総長の朴マリヤを中心として、李承晩大統領の夫人と連結していました。それゆえ西洋の宣教師を抑えて、梨花女子大総長金活蘭と白南柱の二人が一つとなって、統一教会を完全に迎えていたなら、李承晩を通し、一気にキリスト教文化圏であるアメリカに渡っていけたのです。
・そうすれば昔のユダヤ教の世界的版図と同じその基盤において、米国とキリスト教が一つとなって統一教会と完全に一つとなることができたのです。
・その時、朴マリヤと李起鵬を中心として、大韓民国大統領の李博士、フランチェスカ、金活蘭が国を滅ぼす元祖となったのです。
・梨花女子大学事件は、挙国的であったというのです。国家と既成教会が一つになって、李承晩主権下の五大長官が、統一教会をなくすために総動員されたのです。
・李博士が朴マリヤと梨花女子大とフランチェスカの威信を立てるため、文教部、文公部、内務部、法務部、外務部の五大長官が一つとなって、「文総裁を除去しろ」という指示を出しました。
1955年7月4日、文先生はイエス様の十字架と同じように、「文鮮明を捕まえて殺せ」と言われ、監獄に行くことになりました。
・イエス様の時代にユダヤ教が反対したのと同じように、先生は荒野に追い出され、4000年の間天が準備したすべてのことを失ってしまいました。
⑦家庭の責任、崔先吉夫人の反対
・摂理のみ旨の中で、先生はキリスト教を代表した一人の女性に会いましたが、その女性が洗礼ヨハネ以上に先生を信奉し、蕩減復帰摂理時代の新婦の使命を果たすべきであるのにできなかったのです。大韓民国と既成教会が一つとなって、聖進のお母さんを前に立てて反対しました。自分の母親と組んで「主が人として来るというのは、偽キリストだ」と言ったのです。洗礼ヨハネが天から教えてくれることが信じられなくて、イエス様に従えなかったことと同じようになりました。
⑧崔氏一家の不信
・聖進の母親は崔先吉です。叔父が当時韓国の第一人者だった崔聖模です。
・崔聖模が内務部長官と手を組んで、梨花女子大事件、延世大事件も起こし、先生を監獄に投げ込み、統一教会をなくしてしまおうとしたのです。
・崔聖模さえ一つになっていれば、統一教会は世界的な宗教になれたはずです。
・聖進の母親があのようにならなかったら、統一教会は40年の受難の道を行くことはなかったのです。
①金百文牧師の不信の結果サタンの巣窟である北側に。
②許孝彬女史は不信し、文先生は拷問を受ける。
③朴ウルリョンハルモニは主管性転倒を受け入れられずサタンが発動、文先生は興南監獄へ。
④梨花女子大、延世大事件の挙国的迫害の結果、文先生は西大門刑務所へ。
①金百文牧師の不信の結果サタンの巣窟である北側に
・金牧師は文先生に対して「ソロモン王のような使命を受けた方だ」と祝福をしたが、その真の意味が分からず不信しました。
・文先生は金牧師に18枚の手紙を書きましたが、金牧師はそれをみな破いてしまいました。
⇒ 文先生は責任をみな果たした立場で、サタンの巣窟である北側に行きました。
②許孝彬女史は不信し、文先生は拷問を受ける
・文先生は許孝彬女史に3度にわたり勧告しましたが、3度目は1946年9月18日、文先生自らが獄中から許女史に手紙を書きました。
⇒ 許女史はその手紙を読んでから破こうとしましたが、共産党の監視員に見つかり、文先生は拷問を受けるようになりました。
・11月21日、共産党は文先生を半殺しのような状態で門の外に放り出して釈放。
そこを出た途端、先生は多くの血を吐かれました。しかし霊界からの援助で起き上がられました。
大同保安署の回りをエリコ城のように7回まわれば文先生に会えるという啓示を受けた弟子たちが、祈りながら回っていると、放り出された先生を発見。
先生は、口も利けず、血を吐き、全身を殴られたため思うように動けず、とても生きた人間の姿ではありませんでした。
弟子たちは先生を教会まで連れて帰り、いろいろ治療を施し、漢方薬を飲ませ、手を尽くしましたが、ついに先生は意識を失ってしまわれました。
弟子たちは、「これでは先生は死んでしまう。もうおしまいだ」と叫びながら泣いていましたが、しばらくして、奇跡的に先生は意識を回復されたのです。
・1950年に韓国戦争が起きた時、許孝彬氏以下、すべての監獄にいた人々を、共産党たちが後退する時、全部虐殺してしまいました。
③朴ウルリョンハルモニは主管性転倒を受け入れられずサタンが発動、文先生は興南監獄へ
⇒ おじいさん、息子、娘を連れて歩きながら、梶棒で先生を殴り殺そうとする。そのおじいさんが先生を殴って追い払おうと、杖を持って出てこようとしたところで倒れ、全身が青くなって、腹が張り裂けて死にました。棺に入れられないくらいに膨れ、本当に恐ろしい死に方でした。
・その女性がどんなに多くの精誠を込めたしても無駄になり、先生は、そのおばあさんが精誠を込めたものをすべて移してくくってきました。
◆40日霊界勝利と神様の御印
・40日の試験期間がありました。霊界のすべての霊人たちが、みなそのおばあさんの味方になって責め立ててきます。
イエス様までも先生の所に来て頼みながら、「そのおばあさんは主なる神の夫人であり、神様が愛する娘ですから、どうか侍らなければならない」と言いました。
先生は一人で40日間、今まで来て逝った数多くの霊界の道人たち、イエス様と神様まで全部が動員された全霊界と、天理の原則をもって戦いました。
・天理の原則でなければ天と地が滅びる。先生が探してきたこの道は、間違いありません。
・天は、40日の期間が満ちれば、結局判定を下してあげなければならないのです。先生は最後の決戦で、勝利したという判決を受けました。
イエス様以下数多くの霊人たちが、逆賊として追い込んで反対した文という人の主張が、復帰の恨を解く原則であり、天倫の秘訣の中の秘訣であるという判決を受けて、勝利の基準を立てたのです。
・メシヤならば、霊界の総決議により公認を受けた神様からのしるしがなければなりません。
◆女性心情の代の伝授と獄中暮らしの苦しみ出発
・エバは再創造できる原則があるため、朴氏ハルモニが先生に反対したので、代わりに他の人を立てるようになりました。
・家庭的な基準を立てられなかったことにより、先生は平壌で1948年2月22日に収監されて、2年8ヵ月の間獄中にいました。
それは洗礼ヨハネが使命を果たせず、イエス様が十字架の道を行かれたのと同じことでした。
・獄中には、ラケルの立場である金氏が共に収監されていました。
金氏はラケルの立場、朴氏ハルモニはレアの立場であり、さらにまた羅氏という婦人がいました。
この三人の婦人が先生に協助しなければならなかったのです。
失った娘、姉、母、この三代の心情を復帰するために、おばあさんから20代の年齢の女性に至るまで、みな復帰しなければなりません。
・先生は、三時代の女性を復帰する基準を立てなければならないので、心情の十字架を背負う道を行かなければなりませんでした。
・人類の僕の僕まで取り戻してこいという、それを取り戻すために、最低の場である監獄にまで行くのです。監獄から門を開けて出てくるのです。
◆興南監獄の受難 (1948.2.22~1950.10.14)
・当時、北韓政府の政策は、すべての宗教を抹殺することでした。
・既成教会の牧師たちは、彼らの教会の多くの信徒たちが先生の所に来たために、先生を告発しました。
・南韓のスパイとして追い込まれ、李承晩政権の手先だとか、「北側政権を略奪するためのスパイだ」など、あらゆることを言われました。
・結局、世界的な荒野に追われました。4300年の歴史を、43年で再蕩減しなけれぱならない、つらく悔しい事実……。
・国と世界の版図を、神様が6000年間苦労して残した功績をすべて失って、興南収容所を訪ねていきました。
・天と地の未来の希望としての解放の民族が、先生を歓迎しようとしたその群れが、雲の中の地獄に消えていき、暗黒の世界に消えていくのを見ながら、痛哭して、再び会おうと叫んだのです。
④梨花女子大、延世大事件の挙国的迫害の結果文先生は西大門刑務所へ (7・4事件、1955.7.4~10.49)
・朴マリヤと李起鵬を中心として、李承晩大統領、フランチェスカ夫人、金活蘭が国を滅ぼす元祖となりました。
⇒ 李承晩主権下の五大長官が統一教会をなくすために挙国的に総動員され、国全体が大騒ぎして「文なにがしを殴り殺せ」というようになり、イエス様が十字架にかかっていったのと同じように、1955年7月4日に監獄に入っていったのです。
イエス様の時代にユダヤ教が反対したのと同じようになり、先生は荒野に追い出され、4000年の間天が準備したすべてのことを失ってしまいました。
・李起鵬と朴マリヤ一家は全部死んだのです。息子によって天罰を受けました。
・天に反対した者たちの行く末は悲惨なものです。李博士の末路が哀れでしょう。
・金活蘭(キム・ファルラン)は名前と同じく患難(ファルラン)を受けたのです。雷に打たれるようになったのです。
※1960年4月28日に、李承晩の養子の李康石が一家心中を図って李起鵬一家(実父母と実弟)を射殺、自らも命を絶った。
※李承晩は1960年5月29日早朝に妻とともに、金浦空港からアメリカ・ハワイに亡命した。韓国で李の見送りに訪れたのは、1人だけだった。
1)文先生が洗礼ヨハネ使命者たちの使命を代理する
①金百文牧師の不信により、サタンの巣窟である北側に行き、新しい原理運動を展開。
②許孝彬女史の不信による拷問を受け、死の危機から奇跡的回復後には説教と断食生活。
③朴ウルリョンハルモニの不服従によって興南で強制労働、最低の場監獄からの再出発。
④キリスト教二世、梨花女子大、延世大事件の結果、西大門刑務所からの再出発。
①金百文牧師の不信により、サタンの巣窟である北側に行き、新しい原理運動を展開
・1945年当時の男性を中心とした摂理では、洗礼ヨハネ使命者は白南柱牧師、李龍道牧師、金百文牧師でした。
・金牧師は文先生に対して「ソロモン王のような使命を受けた方だ」と祝福をしたが、その真の意味が分からず不信することにより、男性を中心とした摂理は最終的に失敗に終わり、文先生はサタンの巣窟である北側に行くことに。
・米をトラックに積んでこようとして黄海道の白川に行く途中、車の中で「三十八度線を越えろ!」という天の命令を受けたのです。
・下がっていく時は、必ず最低の立場まで下がっていかなければなりません。そのため、北側に行って、再び上がっていかなければならなかったのです。
・韓国キリスト教を中心としたみ旨の基盤がサタン側に帰してしまったがゆえに、それを取り戻すために世界的なサタンの巣窟、共産圏である北側に死を覚悟して入っていったのです。
・当時平壌では、解放を迎えて新しく教会を再建しながら、歴史的な使命を果たすために新たに出発した時でした。このような環境にある時、先生が平壌に行って新しい原理運動を展開したのです。
②許孝彬女史の不信による拷問を受け、死の危機から奇跡的回復後には説教と断食生活。
・許女史への手紙の事件で、文先生が李承晩のスパイだと確信を得た共産党は、自白させるためにあらゆる方法手段の拷問を行い、半殺しのようにしてしまったため、11月21日、門の外に放り出して釈放。
啓示を受けた弟子たちに発見され、教会まで連れて帰られ、いろいろ治療を施し、漢方薬を飲ませ、手を尽くし、奇跡的に先生は意識を回復。
先生は少し起き上がれるようになると、弟子たちが「まだ休んでいて下さい」と泣いてお願いしてもその言葉を聞かず説教を始められました。
前に置かれた洗面器に血やたんなどを吐きながら祈られ、吐いた血をかき集めた手を振りかざし、説教されました。
そればかりか、新しく人々が伝道されてくると、内臓もまだ弱っている中で、彼らのために蕩減断食を繰り返されたのです。
③朴ウルリョンハルモニの不服従によって興南で強制労働、最低の場監獄からの再出発。(1948.2.22~1950.10.14)
◆朴ウルリョンハルモニは主管性転倒を受け入れられずサタンが発動。
・文先生は朴ウルリョンハルモニに対し、絶対服従の僕の立場から「神様の対象実体」まで復帰し、宣布する式が終わるや主管性転倒し、自主権をもって即座に「敬礼しなさい」と言いました。
・そのおばあさんは「こうまで容赦なく、僕に対するように命令できるのか」とひっくり返りサタンが発動。
・1945年当時の女性を中心とした摂理は、金聖道女史、許孝彬女史、朴ウルリョンハルモニが洗礼ヨハネ使命者でしたが、許孝彬女史、朴ウルリョンハルモニが文先生を不信することで、1945年当時の摂理の全ての基台は失われてしまいました。
◆興南特別労務者収容所からの再出発
・家庭的な基準を立てられなかったことにより、先生は興南特別労務者収容所で1948年2月22日に収監されて、2年8ヵ月の間重労働をしました。それは洗礼ヨハネが使命を果たせず、イエス様が十字架の道を行かれたのと同じことでした。
・4300年の歴史を、43年で再蕩減しなけれぱならない、つらく悔しい事実……。国と世界の版図を、神様が6000年間苦労して残した功績をすべて失って、世界的な荒野、興南収容所に追われました。
・人類の僕の僕まで取り戻すために、最低の場である監獄にまで行き、監獄から門を開けて出てくるのです。
・もし韓国が統一教会を受け入れていたならば、韓国動乱は起きなかったのです。3年間もあれば完全に国家基準を全部収拾したはずです。そして7年路程もすれば、世界に完全に道を築いたはずです。
・キリスト教が支持しないことにより、サタンが浸透して打つことができる基盤ができたのです。それにより二つの怨讐が生じました。それらが共産世界とキリスト教なのです。共産世界は韓国を足場にすることができなかったならば、あのような勢力をもてなかったことでしょう。
④キリスト教二世、梨花女子大、延世大事件の結果、西大門刑務所からの再出発
◆梨花女子大、延世大事件
・1955年度までに最初の摂理から10年がたっていましたが、遅くはなかったのです。
・神の摂理は、一世である当時のキリスト教指導者を一つにしようとしたのですが、彼らが神様のみ旨に完全に反対する立場に立ったために、再び二世を中心とする糾合運動が起こったのです。それが、梨花女子大学と延世大学の事件です。
・延世大と梨花女子大は、堕落していないアダムとエバと同じ相対的な関係、キリスト教の二世たちです。
・延世大と梨花女子大を中心として二世が復帰されたならば、キリスト教の六大宗派のすべての息子、娘たちが来て、あっという間に完全に二世を占領するのです。二世が完全に一つになれば、原理原則において一世のカインは屈服し、二世と共にカナンの地に入ることができるのです。
・延世大学と梨花女子大を中心として、1950年代に6ヵ月だけ待って、キリスト教が先生と手を組んでいたら、世界のキリスト教は7年以内で、間違いなく統一されたのです。
・梨花女子大と延世大の二世を立てて、李博士を中心とする家庭圏まで連結させることによって、国家基準まで自然に一つになれるのです。李政権と完全に一つとなれば、キリスト教を中心として国が決定されるのです。そのようになっていたなら、韓国を中心として今日、真の父母の理想は堅固に出発していたはずでした。ところが、これに既成教会が反対したのです。
・国家と既成教会が一つになって、李承晩主権下の五大長官が、統一教会をなくすために総動員されたのです。国全体が大騒ぎして「文なにがしを殴り殺せ」というようになったのです。
・イエス様の時代にユダヤ教が反対したのと同じようになったのです。4000年の間天が準備したすべてのことを失って、先生は荒野に追い出されたのです。神様が数千年間準備した国と民主世界のすべての基台が崩壊してしまったのです。
◆西大門刑務所からの再出発
・イエス様が十字架にかかっていったのと同じように、最後にサタンに引かれていく出来事まで起こりました。
・彼らは一つになって「文鮮明を捕まえて殺せ」と言ったので、1955年7月4日に監獄に入っていったのです。
・昔イエス様がローマ兵に捕まり、ピラトの法廷に出ていく前に、看守たちに愚弄されたように先生もそのようにされました。
・私は西大門刑務所に入っていきながら、大韓民国に対して、「滅びろ」とは思いませんでした。「既成教会よ、滅びろ」とは思いませんでした。「彼らが分かっていない罪をお許しください。かわいそうな大韓民国が罪を犯したことを蕩減するように、私にすべてを負わせてください。」と、そのような気持ちをもっていました。
・キリスト教が霊的世界の基盤を築いたので、その霊的基盤の代わりとなり得る基盤を、一段階前進させた立場で先生が築いていくと同時に、肉的基準を立てていかなければなりません。
・先生が刑務所に入ったので、世間ではみな「文なにがしの時代は過ぎ去った」と思ったのです。しかし公判廷で無罪釈放となることにより、新しい統一教会の歴史は始まったのです。真なる宗教は監獄から出発するのです。サタンも嫌う人間の「魔」が集まった世界でも、普通の人間たち以上の希望と願いをもつならば、そこから新しい世界まで連結される新しい出発の起源が起こるのです。そこから神様と一つになるのです。
2)40年荒野路程と三大祝福復帰
1945年当時、文鮮明先生を迎えるべくして神が準備された洗礼ヨハネ使命者たちはことごとく摂理に失敗し、文先生は自らが摂理の中心人物として苦難の道を歩まざるを得なくなりました。
そこで文先生は1945年から1985年までの40年荒野路程を歩むことになりましたが、摂理はそう単純ではありませんでした。
1955年、最初の摂理から10年がたっていましたがまだ遅くはなく、梨花女子大、延世大を中心としたキリスト教二世の伝道、そして李承晩政権の復帰、アメリカまでも復帰する道を歩まれました。
このように神の道は原理に示された単純な公式だけでは解釈することはできず、第二次、第三次の復帰摂理は常に用意されているとみるのが正しい復帰摂理の解釈と言えます。
例えば原理講論のモーセ路程を見ると、「ペリシテびとの国の道は近かったが、神は彼らをそれに導かれなかった。民が戦いを見れば悔いてエジプトに帰るであろうと、神は思われたからである」とあるように、イスラエル民族は本来は21日間でカナンの地に帰ることができました。
しかしイスラエル民族の信仰を見た時神は、ペリシテびとの国の道へは導かれず、「三大奇跡と十災禍をもってエジプトの民を打ち、追撃してくるエジプトの数多くの兵士と戦車とを水葬に付して紅海を渡り、荒野への道を踏みだ」すことにより「仇をつくって離れたエジプトであったために、再びそこに戻ることができない立場に」イスラエル民族を立たせました。
「イスラエル民族にとって、カナン復帰は必然的に成就しなければならない路程であったゆえに、神はそのような奇跡と災禍をもって行われたのであり、また、イスラエル民族をして紅海を渡らせ、再び、戻ることができないような環境へと追いつめられた」のです。
しかしイスラエル民族が第二次の21ヶ月の荒野路程の後、カナンの地に到達したとき、カナンを偵察した12名のうち、ヨシュアとカレブとを除いた10名は、「その地に住む民は強く、その町々は堅固であるばかりでなく、その地はそこに住む者を滅ぼす地であり、またその所で見た民はみな背が高い人々であり、わたしたちには自分がいなごのように思われたと言いふらし、イスラエルはその城とその民とを攻撃することができないと不信仰な報告をし、石をもってヨシュアとカレブとを撃ち殺そうとしたときにエホバが現れて、『この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがもろもろのしるしを彼らのうちに行ったのに、彼らはいつまでわたしを信じないのか』と言われながら、『あなたがたの子供は、わたしが導いて、はいるであろう。しかしあなたがたは死体となってこの荒野に倒れるであろう。あなたがたの子たちは40年のあいだ、荒野で羊飼となり、あなたがたの不信の罪を負うであろう。』と言われたのである。」
このようにしてイスラエル民族は、「偵察40日を信仰をもって立てたヨシュアとカレブを除いては、全部が荒野で倒れてしまい、磐石の水を飲み、幕屋を信奉する、荒野生活中に出生した内的なイスラエルだけが、モーセの代理であるヨシュアを中心として、カナンに入った」のでした。
このモーセ路程でわかるのは、カナン復帰の21日の道を選ぶか、21ヶ月で復帰するか、それとも40年の道を歩むのかは、イスラエル民族の信仰にかかっていたということです。
神はイスラエル民族の信仰に応じ、第一次摂理、第二次摂理、第三次摂理というように、いくつかの摂理を用意されていたのです。
同じように1945年当時の摂理でも、韓民族が最高の信仰を立てたなら、文先生を迎えるために神が用意した人物たちも全て最高の信仰を立てていたのなら、たった7年で自動的に神の世界が実現したことでしょう。
しかし神が用意した人物たちはことごとく摂理に失敗し、その10年後、二世を中心とした摂理も失敗したため、文先生は1945年からの40年荒野路程を歩み、二度と再び崩れることのない勝利の基盤を一つ一つ丁寧に築き上げ、1985年を勝利的に迎えることができました。
そして1985年までの勝利の基盤の上にさらに7年かけてメシヤとして一代で築きうる最高の勝利の基盤を築き上げ、その土台の上に1992年7月3日メシヤ宣言を行いました。
次にその勝利の基盤を7年かけて個人から夫婦、家庭へと拡大し、1999年には『復帰摂理完了』を宣布し、サタンを自然屈服させ、『天地父母天宙統一解放圏』を宣布しました。
そしてさらに7年かけることで合計21年の路程に勝利しました。つまり2001年1月13日には『神様王権即位式』を宣布し、天一国を出発し、歴史上初めて、神が王の位置に立たれ、2006年6月13日には『天正宮博物館奉献式および天宙平和の王・真の父母様戴冠式』を行い、まさしく聖書の黙示録に預言された『新しい天と新しい地、新しいエルサレム』を迎えるような出来事となりました。
この21年路程の勝利の土台の上に次の7年で、完成された真の御父母様が3度目の聖婚式を行うことにより、受精卵が細胞分裂を繰り返し各器官が形成され、一人の個体が完成するように、真の家庭が受精卵のような立場で天一国の種子となり、その種子が細胞分裂を繰り返すように真の家庭の勝利圏を相続した各祝福家庭が役割を分担することで、一つの完成された創造本然の世界、天一国が完成するところまで来ていました。その出発の時が2013年1月13日(旧)の基元節でした。
1945年から2013年1月13日(旧)の基元節に至るまで、実際はどのような摂理路程があったのか、その詳細を見ていくことにします。
3)40年荒野路程(1945~1985年)
・1945年当時、民主世界が再臨のメシヤに侍ったならば、7年以内に自動的に神様の世界になっていた。それが一つになれず、サタンの先頭に立って神の摂理の中心者に対して総攻撃した。その結果真のお父様 は、1945年から1985年まで40年荒野路程を歩むことになった。
・本来は1945年から1952年までの7年間で、キリスト教文化圏を統一しようとしたのが神様のみ旨だったのです。(真の御父母様の生涯路程)
・キリスト教が4000年の歴史を通して、世界的版図、統一圏をつくってきたのです。統一教会を中心として、キリスト教が歓迎し、韓国が歓迎していたならば、新教のアメリカを吸収できたのです。7年路程を中心として1952年に世界史的な出発ができたならば、世界のいかなる為政者も一つにまとめて、地上天国の理念に移されていき、世界が統一天下になったのです。(真の御父母様の生涯路程)
・第二次大戦直後にキリスト教さえ私を信じていたなら、李博士も私の前にひざまずいたでしょう。李博士が大統領になったのちに、先生が祝福をしてあげなければならなかったのです。昔、ローマ教皇たちが王を祝福してあげたように出発していたなら、大韓民国は分断されなかったのです。そのようにできなかったので二つに分かれたのです。(1986.1.24)
・すべてのキリスト教文化圏が天のみ旨を知らずに一つになれないことにより、4000年歴史を再び先生の一代を通して、1992年まで蕩減して上がってこなければならないのです。これが何かといえば、世界的な荒野40年路程です。1945年から40年が過ぎて1985年までですが、それが7年が過ぎて1992年になりました。この期間が統一教会の受難路程であり、イスラエル民族が追われた路程です。(真の御父母様の生涯路程)
・先生がキリスト教とアメリカ、韓国の反対を受けることで、国のない一人の人の立場に立ったのです。同時に民族もなく、氏族もなく、家庭もない孤児のような立場に落ちてしまったのです。ここから40年の間に取り戻して、国家的、世界的霊的版図基盤をキリスト教文化圏から引き継ぎ、国家基準の実体文化圏を再び取り戻し、その基盤の上に世界の実体キリスト教文化圏をすべて蕩減復帰しなければならないのです。(1986.3.18)
・40年前に文先生とキリスト教と民主主義が一つにならなければならなかったのを、統一教会がキリスト教の失敗を蕩減復帰して、世界的頂上であるこの自由世界に来てキリスト教を連結させ、アメリカを連結させて、責任を果たせなかったことを蕩減復帰する基準を立ててきました。その次には、新しいカナン出発を命令しました。これが獄中、出獄から始まるという事実を知らなければなりません。(1985.10.4)
★1945年~1985年 40年荒野路程略歴
・1945年10月 :文先生はイスラエル修道院、補助引導師として奉仕。
・ 12月25日:天から啓示を受け、金百文牧師は文先生の頭に手を載せて「ソロモン王のような使命を受けた方だ」と祝福。洗礼ヨハネがイエス様に引き継いだのと同じ役事、金牧師が持っていたものを文先生が相続。
⇒ 金牧師はその真の意味が分からず、文先生が書いた18枚の手紙を破いてしまう。
・1946年 4月 :文先生は6ヵ月間精誠を尽くし責任を果たした立場でイスラエル修道院をあとに。
・ 5月27日:啓示を受けソ連統治下の北朝鮮へ向かい、6月6日に平壌に到着、伝道活動を始める。
・ 6月 :許孝彬女史は共産党により社会秩序を乱したという罪名で大同保安署に連行され投獄。
・ 8月11日:許女史ゆえに、文先生も大同保安署に拘束。キリスト教指導者の反感と李承晩のスパイ容疑。
・ 9月18日:文先生が許女史に一通の手紙「私が誰であるか祈ってみなさい。」「すべてを否定してここから出なさい。」
⇒ 許女史はその手紙を読んでから破こうとしたが、共産党の監視員に見つかり、文先生は拷問を受ける。
11月21日:103日間の拷問の末、半死半生の状態で解放。
・1948年 2月22日:キリスト教既成教団の嫉視と共産党当局の宗教抹殺政策により内務署拘束。5年刑の宣告で平壌刑務所に収監。健康な人間でも過労と飢えと病気で2、3年で死んでいくという、興南特別労務者収容所にて強制労働。
・1950年10月14日:共産党により処刑される2日前、国連軍の興南爆撃により、2年8ヶ月ぶりに解放。
・1954年 5月 1日:世界基督教統一神霊協会創立。
・1955年 :延世大学、梨花女子大学事件。国家と既成教会が一つになって挙国的に迫害。
・ 7月 4日:異端的信仰を理由にソウル中部警察署に拘束、西大門刑務所に収監。
10月 4日:無罪放免。
・1959年10月 2日:日本統一教会創立
・1960年 3月27日(陰 3. 1):真の父母の日。
・ 4月11日(陰 3.16):韓鶴子オモニムを迎えて、子羊の婚姻。(長成期完成級、重生聖婚式)
・1960年11月19日(陰10. 1):真の子女の日。
・1963年 7月26日(陰 6. 6):真の万物の日。
・1968年 1月 1日:真の神の日。
・1971年12月18日:カナダ、トロントを経て、アメリカのワシントンに到着。
・1974年 9月18日:マディソン・スクエア・ガーデン大会
・1975年 6月 7日:韓国ヨイド広場で120万名を集め、『救国世界大会』開催。
・1976年 6月 1日:ヤンキースタジアム大会
・ 9月18日:ワシントン大会
・ 10月 4日:『天勝日』宣布
・1981年11月10日:第10回「科学の統一に関する国際会議」
⇒ 国際ハイウェイ、日韓トンネル構想発表。
・1984年 7月20日:脱税容疑でアメリカ、コネチカット州ダンベリー連邦刑務所に収監。
1985年 8月20日:完全出監。
・ 8月13日:スイスのジュネーブで開かれた第2回世界平和教授アカデミー国際会議で『共産主義の終焉』宣言。
・1985年40年荒野路程終了。
・アダム時代、イエス時代、再臨時代、三時代を経てきたために、三段階の歴史路程、三次7年路程を連結するのです。(真の御父母様の生涯路程)
4)三大祝福復帰
★第一祝福復帰(1985~1992年)
真のお父様、メシヤとして個人の勝利圏確立。
・1985年 8月20日:ダンベリー連邦刑務所出監。「神と自由のバンケット」を開催し、全米60以上の教派から2000名の牧師と聖職者が参加。
・1988年10月3日:『天宙統一国開天日』宣布。
・1990年 4月9~13日:モスクワ大会開催(世界言論人会議、世界平和頂上会議、ラテンアメリカ統一連合会議)
・ 4月11日:ゴルバチョフ大統領と会談。『宗教の自由』を要請。
・1991年 7月 1日:『神様祝福永遠勝利宣布』(七・一節)
・ 12月 6日:金日成主席と単独会談。兄と弟として縁を結ぶ。
・ 12月25日:ソ連崩壊
・1992年 5月10日:『世界女性時代』宣布 ⇒ お母様の時代へ。
・ 7月 3日:ソウル龍山区世界日報社内国際研修院で開催された統一グループ指導者会議で初めて再臨主宣布。
「韓国は再臨主が来られる所であり、その再臨主が文先生です。今日初めてこのような話をしました。文字で書くと文鮮明、初めて書きました。これからは天下へ全て公開するのです。」
・1992年 8月24日:第1回『世界文化体育大典』の合同晩餐会で『メシヤ宣言』
・1993年 1月 1日:成約元年を宣布
★第ニ祝福復帰(1992~1999年)
お母様を中心とした摂理。家庭的勝利圏確立。
・1992年 5月10日:『世界女性時代』宣布 ⇒ お母様の時代へ。
・1997年 7月 7日:『天地父母天宙安息圏宣布』(七・八節)
・1998年 7月19日:文顯進様が「世界平和統一家庭連合」世界副会長に就任。
・1999年 1月 7日:『復帰摂理完了』を宣布(ウルグアイ)
・ 1月 8日:『真の祝福天宙化とサタン血統根絶完成解放』宣布(第7次ジャルジン宣言、ウルグアイ)
・ 3月21日:サタン完全(自然)屈服の日(ルーシェルの謝罪)
・ 6月14日:『真の父母様天宙勝利祝賀』宣布、神様解放、天上解放、地上万民解放、サタン解放、地上天国来臨
・ 9月9、10日(九・九節と三・十節):『天地父母天宙統一解放圏』宣布。神様の最高の家庭理想を地上に展開⇒神様が天地の主人に。
・ 10月23日:『総天宙祝福開放日』宣布
・ 10月24日:『第四次アダム圏到来時代』宣布
★第三祝福復帰(1999~2006年)
神様をお迎えし、天一国を出発。天正宮奉献。天宙平和の王・真の父母様戴冠。
・2001年 1月13日:『神様王権即位式』⇒ 天一国の出発。歴史上初めて、神様が王の位置に立たれた。
・ 11月15日:『天宙平和統一国(天一国)』宣布
・2003年2月6日(韓お母様の還暦):『天宙天地真の父母様平和統一祝福家庭王即位式』2度目の聖婚式、(復活聖婚式)
⇒ 神様と真の父母様が天地人父母様となり、天の王権が現れる。神の直接主管圏
・2004年 5月 5日:『双合十勝日』⇒ 先天時代の終了、後天時代の幕開け。
・2005年 6月25日:文鮮明総裁・米国四か都市講演会で『ワールド・ピース・キング・ブリッジ-トンネル構想』を提唱
・2005年 9月12日:米国ニューヨークで天宙平和連合(UPF)を創設。
・2006年 6月13日:天正宮博物館奉献式および天宙平和の王・真の父母様戴冠式。
⇒ 黙示録21章1~4、10~14節:新しい天と新しい地、新しいエルサレム
5)40年荒野路程と三大祝福を復帰し、サタンを分立した結果
真のお父様は、40年荒野路程を勝利することによって、洗礼ヨハネの立場で「信仰基台」を造成し、3次にわたる7年路程を勝利することで、神の三大祝福を成就して、四位基台を蕩減復帰することができる条件を立てられた。
真のお父様自身がみ言と実践をもって「出発のための摂理」をされた。
カインの立場である韓お母様とご子女様、統一食口が、40年荒野路程の勝利をもって信仰基台を立てられたアベルの立場である真のお父様を信じ、一体となったならば、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てて「実体基台」を復帰するようになるので「メシヤのための基台」を造成することができた。
韓お母様は取り巻きの幹部たちにより、「あなたは神様の一人娘です。」と長い期間誘惑され続けた。
韓お母様はしだいにまわりにいる幹部達に操られるようになり、「全ては私がやった。私がお父様を作った。」と考えるようになられ、お父様に対しても「あなたも、原罪を持って生まれてきたのでしょう」とまで言うようになり、お父様からも「離婚するぞ」とまで言われた。
そしてついに2012年1月18日頃、お父様が麗水に行かれている隙に金孝南氏が主礼に立ち、神様とお母様の結婚式が決行され、真のお父様との3度目の聖婚式がサタンに奪われてしまった。
そして韓お母様は「私はメシアであり、神である」とまで言われるようになり、真のお父様の聖和後の独生女宣言に繋がるようになった。
このような経緯を見たときに、祭司たちと律法学者たちを中心とするユダヤ民族がイエスを不信し十字架に付けたように、韓お母様とその取り巻きの幹部たちが真のお父様を不信し、神様と呼ばれる悪霊と韓お母様の結婚式を行うことにより、お父様を十字架につけられ、真の家庭の全ての勝利圏も奪われてしまった。
その結果2013年1月13日の基元節は、真のお父様との間で3度目の聖婚式は行えず、神様の家庭も出発できなかったため、この日は偽基元節となった。
当時世界会長であった文亨進様は、真のお父様に「お父様のそばにいなさい」と指示され、世界会長としての多忙なスケジュールを全て白紙に戻し、聖和されるまでの約2年間、真のお父様と行動を共にし、真のお父様と心情一体となり、「信仰基台」を勝利された。
小さい頃から真のお父様と一緒に過ごすことの少なかった文亨進様にとって、人を介して理解していたお父様の姿と、日々直接接する生活の中で知るお父様の姿は全く異なるもので、宗教家、宗教指導者としてのお父様を超えたところでの本当に親しい関係、触れるほどの現実味のある喜び、愛情、抱擁を感じ、文亨進様にとってこの2年間は、何にも代えがたい、人生で最高の恵みの時であり、計り知れないほどの転換だったという。
2012年1月18日頃、真のお父様不在時、韓お母様は金孝南訓母様主礼の元、神様(悪霊)と結婚式を挙行。
翌1月19日の訓読会時、真のお父様は韓お母様を烈火のごとく怒れら、テーブルの前に呼ばれ、4人の幹部とともに絶対服従を誓わせる特別な役事を行われた。
韓お母様の不信仰と不従順によって真の家庭に侵入したサタンを分立し、再び創造本然の真の家庭を完成させるため、2012年6月5日、真の家庭で初めて文國進様と文亨進様との間において、アベルカイン一体化の宣布をなされた。
中心人物であるアダムに侵入したサタンを分立するためには、善の表示体であるアベルに、悪の表示体であるカインが屈服し、一体化することにより堕落性を脱ぎ、カインに相対していたサタンが分立され、結果としてアダムに相対していたサタンも分立されるようになる。
それと同じように、真のお父様と韓お母様が一体化することで真の家庭が完成し、本然のアダム家庭の立場に立つはずだったのが、韓お母様にサタンが侵入することで、真の家庭にサタンが侵入してしまった結果となり、真のお父様の勝利圏もサタンによって奪われてしまった。
それを蕩減復帰するためには、真の家庭を善の表示体と悪の表示体とに分立し、悪の表示体が善の表示体に屈服し、一体化することで、サタンを分立する必要があった。そのため真のお父様は善の表示体として文亨進様を立て、悪の表示体として文國進様を立てられた。
2012年1月19日以降6月5日までの間に、40数に相当する期間、または40×3=120数に相当する期間の蕩減条件を立てられ、國進様が亨進様に屈服し、完全心情一体化の基準を立てられ、2012年6月5日に國進様と亨進様との間において、アベルカイン一体化の宣布がなされたと推測される。
こうして真のお父様と韓お母様が一体化した基盤の上に天一国が出発する予定だったものが、韓お母様の裏切りにより、真のお父様の勝利圏も一時的にサタンによって全て奪われてしまったが、アベルカイン一体化の基準を完全勝利された二代王文亨進様と文國進様とに摂理は完全に移され、真のお父様の全ての勝利圏も二代王文亨進様と文國進様とに移された。
この時韓お母様とその取り巻きの幹部たちが悔い改め、二代王文亨進様と文國進様をアベルとして受け入れ一体化していたら、摂理は家庭連合中心のままで進む予定だった。しかし家庭連合では、韓お母様は自らを独生女として、メシヤのごとく振る舞い、取り巻きの幹部たちは、「我々の側に加われ。どっちにしろ、あなたの世界になります。あなたが後継者ですから。後継者の権利とこの王国はあなたのものですよ。」と言って、サタンの三大試練のように亨進様、國進様を誘惑したが、亨進様、國進様はその誘惑を拒絶し、お父様を裏切ることを拒否した。
こうして韓お母様と家庭連合は摂理に完全に失敗し、同時に摂理はアベルカイン一体化を勝利した文亨進様と文國進様に引き継がれた。
この結果、イエスを十字架につけることにより、ユダヤ民族は選民としての摂理に完全に失敗し、選民の資格を失い、流浪の民となり、2000年間蕩減の道を歩んだように、韓国も選民として立つ一縷の望みも絶たれ、蕩減の道を歩むことを運命づけられただろうと考えられる。
「実体基台」を勝利した二代王文亨進様と文國進様は偽基元節以降、文信俊様を誘拐するように連れ出し、アメリカの片田舎で2家庭だけでサンクチュアリ教会をスタート。王宮から何も持たずに逃げ出したため、オバマ・ケアを受けるほどだった。
2015年1月18日に二代王文亨進様が説教「沈黙を破って」を発表。
4月21日、真のお父様の真の後継者二代王文亨進様を信じる、世界中に散らばっていた食口たちが集まり、「真のお父様の権威の下に戻るための聖婚祝福」に参加。2016年2月13日の祝福式までに、約3000組が祝福式に参加した。
2015年8月30日(天歴7月17日)には真のお父様の聖和3周年を迎え、文國進様ご夫妻が文亨進様に二代王戴冠式を執り行うことにより真の基元節が確定勝利した。
2017年9月23日(天歴8月4日)、天地人真の父母天宙完成祝福聖婚が行われ、姜賢実先生が真の母の位置に即位した。
これにより2018年以降真の基元節は天歴8月4日となる。
こうして韓お母様にサタンが侵入することにより奪われた真の家庭の基台も、2012年6月5日二代王文亨進様と文國進様のアベルカイン一体化の宣布により、真の家庭に侵入したサタンを分立し、2015年8月30日(天歴7月17日)の文國進様ご夫妻が文亨進様に二代王戴冠式を執り行うことにより真の基元節が確定勝利し、2017年9月23日(天歴8月4日)、天地人真の父母天宙完成祝福聖婚が行われ、姜賢実先生が真の母の位置に即位することで、完全に真の家庭に侵入したサタンは分立され、真の御父母様家庭が完成することで真の基元節が完成され、「メシヤのための基台」も復帰された。
王宮から何も持たずに逃げ出した二代王文亨進様と文國進様家庭は、三代王文信俊様とともにアメリカ、ペンシルベニア州の片田舎にて、2家庭からサンクチュアリ教会をスタート。
2016年2月13日までに「真のお父様の権威の下に戻るための聖婚祝福」に参加した約3000組の祝福家庭と共に、実体的カナン復帰の路程を出発。
アブラハム家庭において、信仰の祖アブラハムと完全一体となってイサク献祭に勝利し、アブラハムの信仰を受け継いだイサク、そして神側の摂理的中心人物として兄エサウを屈服し、初めてサタンに勝利してイスラエルの称号を得たヤコブのように、真のお父様、二代王文亨進様、三代王文信俊様へと摂理は受け継がれ、サンクチュアリ教会食口とともに新たな民が形成された。
サンクチュアリ教会の食口たちは、二代王文亨進様と文國進様、康賢実真のお母様の勝利によって立てられた「メシヤのための基台」の上で、真のお父様、二代王文亨進様、三代王文信俊様を信じ侍ることによって、カナン復帰を完成する路程を出発するようになった。
では新しく出発したサンクチュアリ教会の使命とは何でしょうか?
本来2013年1月13日に執り行われた基元節は、真のお父様と真のお母様が第三次「真の父母様聖婚式」を挙行することにより、完成した真の家庭となり、その後各祝福家庭が真の家庭の勝利圏を相続して完成し、完成人間一人の姿のような創造本然の世界、天一国を建設するはずでした。
それが韓お母様の裏切りにより、2013年1月13日には韓お母様の「天地人真の父母様天一国即位式」のみが行われ、基元節が偽基元節となりました。
2012年6月5日に國進様と亨進様との間において、アベルカイン一体化の宣布がなされることにより、2012年1月18日頃、韓お母様が神様(悪霊)と結婚式を挙行し、真の家庭に侵入してしまったサタンを分立することに成功しました。そのアベルカイン一体化の基台の上に、2015年8月30日の文國進様ご夫妻が文亨進様に二代王戴冠式を執り行うことにより真の基元節が確定勝利し、2017年9月23日、「天地人真の父母天宙完成祝福聖婚」が行われ、康賢実先生が真の母の位置に即位することで真の御父母様家庭が完成し、真の基元節が制定されました。
二代王文亨進様と文國進様、康賢実真のお母様の勝利によって真の基元節が完成し、本来真のお父様が願われた「基元節」が制定された今、サンクチュアリ教会は「基元節」の意義を踏まえたうえで新たな歩みを出発しなければいけません。
ここで白井康友、元統一教会家庭教育局部長の「基元節」の意義、解説を見ていくことにします。
①神様の実体であられる真のお父様と神様の妻である真のお母様が第三次「真の父母様聖婚式」を挙行する日。
②神様の家庭(創造本然の理想家庭)が出発する日。
③創造本然の理想家庭の拡張を通して、実体的天一国(神様の祖国)の始発となる日。
④神様を中心に侍り、新天新地を開き、永遠なる解放、釈放を謳歌される永生の新たなる日。
この解説を見て分かるのは、「基元節」の中心的な意義は、第三次「真の父母様聖婚式」が執り行われることによって神様の家庭が出発し、神様の家庭(創造本然の理想家庭、真の家庭)を範として、それを氏族、民族、国家、世界へと拡大することで、実体的天一国(神様の祖国)が始まるということです。
つまり創造本然の世界とは、完成人間一人の姿に似ているというように、各祝福家庭が頭の役割をし、心臓の役割をし、目の役割をし、胃の役割をし、手足の役割をし・・・というように、それぞれの家庭がそれぞれの能力、天稟にあった役割を担い、創造本然の世界の建設のための中核を担う使命があります。
ですから今までの統一教会のように、中央集権体制のもと、上からの指示のみに従って何も考えずに、盲目的に献金路程に突き進むのではなく、各家庭が自立し、各自が主体性、創造性をもって天一国建設に責任を持つべき時代に入ったといえます。
もちろんその中心には、二代王、三代王がいますので、二代王、三代王の意思と違った方向性を持った活動は許されませんが、基本的に各家庭は違った活動をするようになりますので、今までの統一教会のような古い価値観を持って、他者を見て裁いてはいけません。
例えば目の役割を担ったものが、足の役割を担ったものを見て、何故自分たちのように目の役割をしないのかと言って裁き、責め、迫害などをしたりしたら、神の摂理の妨害者となってしまうでしょう。
ですから主体性をもって二代王文亨進様の最新のみ言を翻訳し、世界に情報発信を行うこともいいでしょうし、松濤本部の前に行き、街宣活動を行うのもいいでしょうし、近くの大きな駅前に言って道行く人たちに向かって説教をするのもいいでしょうし、自給自足の生活を目指し農場を開墾するのもいいでしょうし、ブログを使って情報発信し、家庭連合、家庭平和協会の食口たちの啓蒙活動を行うのもいいでしょうし、伝道活動に精を出すのもいいでしょう。
創造本然の世界の建設を目指し、各自が各自の主体性をもって何らかのアクションを起こすことが重要なのです。
そんな主体性をもって行動を起こす食口たちを、二代王文亨進様は全て受け入れ、直接油を塗り、祝福を与えることで、新しい教会がいくつも誕生しています。
かつての統一教会の価値観で行けば、本部教会の方針に従わないものは迫害し、切り捨てられ、除籍処分にあうのが落ちです。
時代は新しくなりましたので、新しい価値観を持って臨まなければいけない時代に入ったといえるでしょう。
サンクチュアリ教会のもう一つの大きな使命が、人知れず世界を侵食しているサタンに対する防御です。
統一教会時代は真のお父様が共産主義にサタンが宿っていることを見破り、勝共理論をもって理論武装し、勝共運動を展開してきました。
しかしソ連の崩壊とともに共産主義の脅威は薄れ、私たちもサタンに対する警戒心も薄れてしまいました。
しかしその間にも、共産主義の背後にあったサタンは、手を変え品を変え世界制覇を目論み、目に見えない形で世界に浸透してきました。
いま世界に抱えている問題を見ると、
・世界制覇を目論む中国共産党の脅威。
ウィグル問題、チベット問題等人権問題、香港問題、台湾問題、一帯一路による東南アジア進出、アフリカ進出、オセアニア進出。
・日本の政界、経済界、言論界、法曹界、教育界…に浸透している中国共産党の魔の手。
・同じように日本に浸透している北朝鮮主体思想と左傾化した韓国勢力。
・左傾化した韓国の北朝鮮主導による南北統一とレッドチーム入り。
・世界の金融システムを掌握している国際金融資本。
・アメリカの左傾化。
これらの問題は一見別々の問題のように見えますが、実際は根は一つです。
大きく分けると、共産主義の脅威と、国際金融資本による脅威ですが、これらの根は一つだということです。
イエスを「十字架につけよ」「その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい」と叫びイエスを不信し、十字架へと追いやったユダヤ民族は、その言葉通りイエスの血に責任を持たされ、西暦70年にローマ軍により国を奪われ、2000年間国を持たざる流浪の民として、世界中を転々とするだけでなく、反ユダヤ主義を掲げられ、世界中で迫害を受け続けてきました。
キリスト教が根をおろした中世社会では、ユダヤ人はイエスを十字架につけた民族ということで市民権を奪われ、迫害されてきました。
そんな中自力で生き残るしか術がなかったユダヤ人は、商取引や金貸し等金融業界へと進出する者や、医者や学者として実力で成功を収めるようになり、それがまた憎悪の対象となり、さらなる迫害を受けるようになりました。
そんな中ユダヤ人の秘密結社としてフリーメイソンが結成され、世界中で暗躍し、世界史を陰で動かしてきたという都市伝説が生まれるようになりました。
しかしそのようなフリーメイソン暗躍説は真偽を確かめることは難しいのですが、金貸し等金融業界へと進出したユダヤ人は、国際金融システムを作り、世界の金融システムを握っているという事実は、次第に明らかにされてきています。
世界の金融と経済を支配している、基軸通貨であるアメリカのドル紙幣は、アメリカ合衆国によって造られているわけではなく、連邦準備銀行(FRD)という株式を発行する民間の法人によって造られています。合衆国政府は連邦準備銀行の株式を所有しておらず、各連邦準備銀行によって管轄される個別金融機関が出資しているということですが、結局誰がどのような形で株を所有しているのかわからないようになっています。
同じようにアメリカのみならず世界中の国の中央銀行制度は同じような制度を採用しており、このような国際金融システムはイギリスのユダヤ系金融資本であるロスチャイルド家がつくったといわれており、アメリカで石油事業で財を成したロックフェラー家と共に、世界の金融界を支配している2大巨頭といわれています。
第二次世界大戦、太平洋戦争は、日本帝国主義が日独伊三国同盟を結び、アメリカに宣戦布告し始めたと言われていますが、ハルノートでも明らかにされているように、実際は当時のウィルソン大統領によって仕組まれて、日本は戦争を起こさざるを得ない状況にまで追い詰められていたことが明らかになっています。
しかしそのウィルソン大統領の背後には、アメリカで金融を握っていたユダヤ人資本家が関わっていたことも明らかにされてきました。
一方日本では、当時の近衛内閣は共産主義者に操られ、負けるとわかっていた戦争に、引きづりこまれてしまったということも、近年の研究で明らかにされてきました。
共産主義理論を生んだマルクスもユダヤ人であり、その共産思想を基に革命を起こしたロシア革命も、ロシヤで迫害されたユダヤ人による革命という側面も持ち合わせており、共産主義を生み、共産主義革命によって世界を制覇しようとした背後にはユダヤ人がいたということも次第に明らかにされてきています。
このような断片的事実を繋ぎ合わせると、今世界を支配し、世界に脅威を与えている者たちの背後にあるものはすべて、ユダヤがらみであるということがわかります。つまり2000年前、神の選民として摂理を担ったユダヤ民族が、イエスを十字架につけることによって摂理に失敗し、その血の代価として国を失い、世界中に四散し、それぞれの地で反ユダヤ主義のもとに迫害を受けた結果、自分たちの生き残りをかけ共産主義を生み出し、国際金融システムを生み出し、表と裏から世界制覇を目指した結果が今の世界の脅威となっているということです。
このような脅威、サタンの正体を見抜いたのが真のお父様文鮮明先生であり、今現在国際金融資本の脅威を訴えている文亨進様です。
よってサンクチュアリ教会に集う食口たちが目指すべきもう一つの目標が、このようなサタンの脅威を世に知らしめ、サタンの攻撃から世界を守り、創造本然の世界建設の為にまい進するということになります。
今はまだ3000家庭あまりの小さな群れではありますが、2020年を迎え世界は目に見えない形で大きく変わろうとしています。
古い価値観に縛られるものは滅び、新しい価値観をもたらすものは栄える時代。
より為に生きる真実の人生を歩むものが栄える、新しい時代が到来していることを感じることでしょう。
かつて霊的イエスの復活により、イエスのもとに集まった12弟子を中心に、新しい第二イスラエル、キリスト教の時代が出発したように、二代王文亨進様、三代王文信俊様を中心として、サンクチュアリ教会に集った食口たちによって、韓国人も日本人もアメリカ人も関係ない、真のお父様の伝統を相続する新しい民族が形成され、新しい時代が出発することとなることでしょう。